古居利康 2012年12月31日

虹を見下ろして    

       ストーリー 古居 利康
          出演 西尾まり

まんまるの虹を見たことがある。

いまはもう滅びてしまった
ソヴィエト連邦という国は、
他国の飛行機が自国の領空を飛ぶのを
ひどく好まなかった。
それで、日本からヨーロッパに向かう
飛行機は、アラスカのアンカレッジまで
迂回しなければならなかった。

いったん地面に下りた飛行機が
給油しているあいだ、乗客たちは、
空港内のうどん屋に駆け込む。
乗客のひとりだったわたしも、
つられてうどんをすすり込む。
やがて飛行機は、すこしばかり気合いを
入れて、北極圏上空をめざす。

飛行機の窓にちいさな雪の結晶が
はりつくのをぼんやり見ていたわたしは、
ふと、眼下に広がる風景がくっきり
見えるのに気がついた。
低空飛行しているわけでもないのに、
地面が妙に近かった。地面と言っても、
氷に覆われたほぼ白一色の世界だったから、
遠近感が狂っていたのかもしれない。

その白い地面の上に、
なにかまぁるい白っぽいものが
浮かんでいたのだ。雲かと思ったら、
よく見るとそれは白ではなくて
淡くうっすら色がついており、
数えようによっては、七色に見えなくも
なかったし、なにより、ドーナツみたいに
まんなかに穴があいている。

虹だ。
そう思った。あれは雲じゃない。
どう見ても、虹。

だけどこれ、どこかで見たことある。
これとおなじもの。確かに、どこかで、
見たことがある。って、すぐ思った。

そうだ、こどものころ、
うちの物干し台の上から見たあれって、
まあるい虹だったのかも。
まだちっちゃかったから、真下に見える
地面がすごく遠かったけど、
こわいもの見たさでわたしはよく
物干し台に昇って地面を見下ろしていた。
道を通るひとはわたしが見ていることに
ぜんぜん気がつかないまま歩いてる。
ひとのひみつを覗きこんでいるみたいな、
ほんの少しの罪悪感を覚えながら、
わたしは地面を見下ろしていたんだ。

そのときは、向かいの家のおじさんが、
鉢植えに水をやっていた。
あかるい陽の光がおじさんの頭の
てっぺんに反射して光っていた。
水に濡れた鉢植えの緑もキラキラしていて、
道の真ん中へんに、なにかまぁるいものが
浮かんでた。七色のちいさな円を描いて、
それはぼーっと浮かんでた。
狭い道幅にちょうどおさまるような
サイズだったし、まんまるだったから、
それを虹と結びつける知恵は、
ちいさなわたしにはまだなかった。

路地の奥にあった二階建ての家。
車一台通れるか通れないかくらいの
狭い通りに向き合って、おんなじつくりの
おうちがひしめきあっていて、
玄関先の道にはみでるように置かれた
鉢植えの色や大きさや数が、
それぞれの家の個性になっていた。
狭い土地なので庭も何もなく、洗濯ものは
屋根の上に張り出した物干し台に干す。
玄関の目と鼻の先にお向かいさんがあって、
その反対側の裏手はまた路地がつづいていた。

あのとき見たあれは、虹だったんだ。
北極海の上を飛ぶ飛行機の中でそう思って、
なにか得した気持ちになった。
上空から覗かれるのをひどく嫌う国の
おかげで、迂回しなければならないけれど、
遠回りには遠回りのおまけがついてくる。

スパシーバ、ソヴィエトれんぽう。
わたしはそっとつぶやいた。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

古居利康 2012年6月17日

電磁波ガール       

         ストーリー 古居利康
            出演 山田キヌヲ

わたしは、
きょうも会社で小説を書いている。
まいにち、定時の一時間まえに出社して
マッキントッシュを起動する。
朝から書きはじめ、昼の休憩をはさんで
八時間。ずっと小説を書く。

株式会社ジュンブンガクという会社に
勤めている。名前の通り、
純文学をビジネスにしている会社だ。
株式会社ジダイショーセツや、
株式会社カンノーショーセツといった
グループ企業にくらべると、
売上げはきわめて小さい。
したがって給料も安いわけだが、
企業ブランドイメージという点で言うと、
株式会社ジュンブンガクの存在は
決して小さくないし、社員のプライドも高い。

そんな株式会社ジュンブンガクの中でも、
メインストリームと言ってもいい
私小説課にわたしは勤めている。
毎月、私小説課長から課題が出る。
六人いる部員が同じ課題で書くことになる。

今月の課題は“アンテナ”だ。
アンテナ。アンテナ。アンテナ。
このところ、ねてもさめてもたべてるときも
アンテナのことを思った。

田口ランディの『アンテナ』はもちろん読んだ。
世界ではじめて電磁波の存在を証明した
ハインリヒ・ヘルツのことも調べた。
八木アンテナのことを知ったときは、
あまりにも面白くて、八木秀次の伝記が
書きたくなってしまった。

調べがいのあるテーマだから
調べてしまうんだ。けれど、いくら調べたって、
ジュンブンガクは近づいてこない。

結局、こんな小説ができた。

『 アンテナ落下   

 マスダくんの部屋にはじめて行った。
 窓の真ん前になぜか大きな段ボール箱が
 立っていて、光を遮っている。
 わたしより背の高い箱。
 なにこれ?と訊いたら、
 ゴミ箱だと言う。覗いてみたら、

 「うわ」

 はんぶんくらいゴミで埋まっている。
 牛乳パックやティッシュ、煙草の空き箱から、
 わけのわからないものまでぎっしり。
 臭いがないのがふしぎ。
 冷蔵庫の空き箱なんだ、って
 いいわけみたいに説明しているマスダくん。

 箱の下の方で、
 なにか小さな黒いものが動いた。

 「きゃっ」

 小さな黒いものは、蟻だった。
 蟻が行列をつくって、箱の下に潜っていく。

 「ありだよ、マスダくん」

 言わなくてもわかることを口に出すわたし。
 そうなんだ、蟻。と、マスダくん。
 蟻がきて困る、という感情はなく、
 ただそこに蟻がいる、という事実を述べる。
 
 問題は、そこが部屋のなかである
 ということだと思うが、
 マスダくんは、いたって冷静だ。
 箱の下の方に、シミがあるような気がしたが、
 見ないことにした。

 段ボール箱の上の方に、
 なぜかテレビのアンテナが取り付けてある。

 「あそこに立てると映りがいいんだよね」

 アンテナを見ているわたしに、
 マスダくんは小さなテレビを指さして説明した。

 わたし、ここで服を脱ぐことになるのかなぁ・・。
 唐突に、ヘンな想像をしてしまう。
 高い高い段ボール箱のふもとで、
 ハダカになって横たわるわたし。
 その横で、わたしたちの営みには
 まるで無関心な蟻たちが歩いている。

 「ぷっ」

 いかん。
 じぶんで想像しておきながら笑ってしまった。
 マスダくんもあいまいに笑ってる。

 (以下略) 』

たぶん、私小説課長は
このへんから先を読んでいない。
途中で原稿を破り捨ててしまったから。
そのあと性行為に及ぶふたり。
ことの最中に主人公の女性が段ボールを
蹴飛ばしてしまい、アンテナが落っこちる。
夜になってもテレビが映らず、
しかたなく二度目の性行為・・。
そんなせつない展開を用意してたのに。

私小説課長いわく、
ただアンテナがアンテナとして
出てくるだけではないか。
そんなものジュンブンガクと言えるか。
アンテナを思想にしろ。
アンテナは何を象徴する。
アンテナを通じて何をメッセージする。
そこんとこ考え直せ。

アンテナ、アンテナ・・。
再びアンテナの海を泳ぎ始めるわたし。
それにしても、
八木アンテナをつくった八木秀次って
すごいなぁ。じぶんの知らないところで、
敵国に利用されるなんてねぇ。数奇だよねぇ。
バトル・オブ・ブリテン、真珠湾、ミッドウェー。
八木アンテナの視点でこのへんの歴史を
書き換えていく。だけど、クライマックスは
戦後のテレビ放送開始。皇太子ご成婚から
東京オリンピックでハッピーエンドにするか。
司馬遼太郎も真っ青の大長編!

だめだめ。
私小説課長にまた、破り捨てられる。
書き直してる時点で、すでにボーナスの
査定マイナスだよなぁ。
アンテナ、アンテナ、アンテナ・・。
情報を受信する。キャッチする。
映像や音声を発信する。さまよう電波。

ひとりブレストしているうちに、
頭のなかにイメージが浮かぶ。
無数のアンテナをいったりきたりする女。
空飛ぶ美女。バットマンに出てきた
キム・ベイジンガーみたいな。

タイトルは、『電磁波ガール』。
よし、できた。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

古居利康 2012年5月20日

スメタニ  

           ストーリー 古居利康
              出演 清水理沙

そのことについて
かあさんととうさんが話すとき、
かならずふたりの声はささやき声になって、
表情がどんよりしてくる。
漫画で言えば、背景と人物にタテの線が
何本も重なって、あたりが重くなる感じ。
わたしはいつだってそんなふうに感じていて、
こどもには事情がわからないだろう、
ふたりがそう思っていることも感じていて、
わたしは何もわからない、
ばかなこどものふりをするのだった。

そのことがじっさい、何のことなのか、
わたしにはかいもく理解不能なのだけれど、
ふたりが交わす会話のひそやかな怪しさ、
かあさんの険しい顔と、
とうさんの困惑ぎみの顔を、
ちらりと盗み見たりしてるくせに、
聞いていないふうをよそおうじぶんに、
後ろめたさを感じている

 スメタニ。

それが、そのことについて
かあさんととうさんが話すとき、
決まってひんぱんにに登場する
暗号みたいなことばだった。というか、
ふたりは、おもに、スメタニうんぬん、
という何ものかについて、ひそひそと
顔寄せ合って、どよーんとしているのだった。

 こんどスメタニが、

 スメタニときたらもう、

 またスメタニに、

そんなふうにささやくのは、
かあさんの方。どこかめいわくそうで、
こわい眼をしたかあさん。
とうさんは、スメタニのこと、ほんとは
それほどいやでもないのに、
かあさんの表情がきつくなるのを見て
こまっている、といったふぜい。

スメタニというのは、
まちがいなくよからぬもので、
かあさんと、とうさん。
とりわけかあさんに災難をもたらす
何かなのだ、とわたしは考える。
とうさんはいかにも苦りきった顔つきで、
だいたい黙ってしまう。
スメタニのなんたるかもわからぬまま、
スメタニに反発をおぼえるわたしは、
知らないうちにかあさんの味方を
しているのかもしれなかった。

 スメタニってなぁに?

聞いてはいけないと思っていた。
聞いたところで、かあさんはあいまいに
笑うか、やりすごすだけだっただろう。
ましてや、とうさんになんか、
聞けっこない。眉間にシワ寄せて、
にらまれてジエンドだ。

 そうだ、ススムさんに聞けばいい。

わたしはそう思っていた。
ススムさんというのは、わたしのおじさん。
かあさんのいちばん下の弟だ。
いつもとつぜんうちにいて、
わたしが学校から帰ると、にやにやして、
おっきなリュックのなかから
おみやげを取り出してくれたりする。

あるとき、リュックのなかから
ラムネの瓶を取りだして、わたしに言う。
「世界でいちばんおいしいのみものだよ」
よく見たら、ラムネじゃなかった。
瓶は透明で、なかみは見たこともない
青い液体だったので、いっけん、
ラムネの瓶に見えたのだ。
「のんでごらん。ただし、はんぶんだけ」
世界でいちばんおいしい、って、ほんと?
はんぶんだけ、ってなんで?
そう思ったけど、ススムさんはもう
ふたをくるくるあけている。
「ぜんぶのまないように、ね」

青いのみものをほんの少しのむ。
ほんとにおいしかった。
気がつけば、ごくごくのんでいた。
ススムさんがあわてて瓶を取りあげる。
「ぜんぶは、まだだめなんだって」
「世界でいちばんおいしいかどうか、
 もうちょっとのまなきゃわかんない」
ススムさんは、
もうふたをくるくるしめている。
「ねえさんにはないしょだよ」
そう言って、ウィンクなんかしてる。
なにこのおじさん。
たしかにすごくおいしい気がするけど、
これが世界でいちばんだったら、人生、
このさきまだ長いのに、ちょっとさびしいよ。

「この青いの、なにでできてるの?」
「遠い国の奇妙な果実」
「遠い国ってどこ? きみょうってなぁに?」

ススムさんには、いつも質問ぜめになる。
漫画で言えば、瞳のなかにキラキラ、
星がふたつみっつある感じで。
じぃっと見つめる。ススムさんは、
ちゃんと答えてくれる。
むずかしいことでも、こども向けに
へんにやさしくしたりしないで、
むずかしいままわかるように、
まっすぐ答えてくれるからすき。
だから、ススムさんなら聞けると思った。
知らなかったら知らなかったで、
かえって気楽だ。

 スメタニって、なぁに?

「スメタニ?」って言ったきり、
ススムさんは真顔で黙ってしまった。
考えこむ、というより、
時間が、かたまっちゃったみたいに。
眼玉だけ忙しく動いている。
といって、かあさんみたいな
しかめっつらではなく、
とうさんみたいにこまったふうでもなく。
いっしょけんめい思い出そうとしてるけど、
やっぱりほんとに知らないみたいで、
じぶんの知らないことを、なぜこの子は訊く、
といった顔に、ゆっくり変わっていった。

そのあと、うちでごはんを食べて、
ススムさんは帰っていった。

夜、歯みがきのとき、わたしの口もとを見て
かあさんが声をあげた。

「なに、その青いの・・」

鏡を見たら、口のまわりが青かった。
ハミガキ粉の白と混じって、
空色がかった青になっている。
ぶくぶくして口をあけたら、
舌べらが、まだみっちり青かった。

「もう。なにこの青いの」

かあさんがプンプンしている。
そのとき、いまだ、スメタニのこと、
聞いてみよう! って、とつぜん思って
スメタニ、って言おうとしたら、
口のなかにヘラみたいなものを突っこまれた。
わたしの舌べらを、かあさんが
ワシワシワシ、と、こすっている。

「なにこれ。青いの、とれない」
かあさんがためいきをついた。
舌べらがじーんとしびれていて、
スメタニ、なんてちょっと言えそうもない。
今晩はやめとこ。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

古居利康 2011年11月23日

丘の上の未来  

         ストーリー 古居利康
            出演 山田キヌヲ

その日の午後、市役所から届いた葉書は、
団地の抽選に当選したことを告げていた。
倍率4倍とか5倍とかで、どうせ当たるわけがない、
と、最初からあきらめ半分で申し込んだ抽選だった。

だけど当たったんだ。
へぇぇ、あんたよく当たったねぇ。
なんだかひとごとみたいにそう思った。

団地、だんち、ダンチ。なんてステキな響きだろう。
私鉄沿線の新しい駅。郊外の丘の上。
真っ白な鉄筋コンクリート、5階建て。
キッチンにはちいさな食堂がついていて、
ベランダだってある。

いつものように、明るいうちに息子と銭湯へ行く。
番台のおばさんに、団地のことをしゃべってしまう。
あっという間に広まるな。
おばさん、町内のスピーカーだから。
でもかまわない。ほんとのことなんだから。

清潔な一番湯はさいしょ少しちくちくするけど、
すぐにほんわりとからだを包み込む。
傾いた陽の光が、高い窓から斜めに射し込んでいる。
天気のいい日の夕方は、東の空に鈍く輝きはじめる
気の早い星が、窓の向こうに見えたりもする。
天国にいちばん近い場所って、もしかしてここ。
だけど、団地はお風呂付きなんだ。
引っ越したら、もう銭湯には来れなくなる。
ちょっと残念・・。

そんなふうに考えているじぶんは、
かなり矛盾していると思う。

 おとうさんとおかあさん、
 おひっこしするのよ。
 おへやがみっつもある、ひろぉーいおうち。
 ろくじょうひとまから、だっしゅつだ!

息子はお湯のなかでうつらうつらしている。
半開きの瞼の奥で、黒目がゆっくり裏返っていく。

今日はごちそうをつくろう。団地当選のお祝いだ。
そうそう、お赤飯も炊かなくちゃ。
夫の大好物でもあるし、お赤飯。

夜、風呂敷に包んだ分厚い書類の束を抱えて
会社から帰ってきた夫が、
卓袱台の上に並んだ料理に驚いた。
葉書を見せたら、短い叫び声をあげて
すでに寝ていた息子を抱えあげ、
いきなり頬ずりをした。
伸びかけの髭が痛かったのか、
息子がわーんと泣き出した。

翌日、お隣の奥さんにご挨拶にいく。
このひとは、いつも息子の面倒を見てくれる、
やさしいひと。じぶんのことのように喜んでくれた。
お別れするのは寂しいな。
というより、少し後ろめたい。
去年の夏、お隣のご主人は北の戦場で亡くなった。
さいごの戦いと呼ばれる、あの激戦のさなか、
ご主人は勇敢に戦って、二度と戻ることはなかった。
いまひとりでこの六畳一間のアパートに暮らす奥さん。
ほんとうに団地に入るべきなのは、
このひとの方ではないか。

その週の日曜日、3人で団地の建設予定地へ行った。
建物はもうほとんどできていた。
白いコンクリートの壁に、24という数字が見えた。
わたしたちの24号棟だ。
道はまだ砂利道だった。アスファルトを敷くのは、
最後の仕上げらしい。道の両側に側溝だけ掘ってあった。

何もない丘だった。草っ原にポンポンポンと、
四角い建物がとつぜんふってわいたように建っている。
真ん中に高い塔がある。給水塔なんだそうだ。
塔を取り囲むように公園ができていて、
こどもの遊具もたくさんある。
遊動円木。雲梯。鉄棒。ブランコ。シーソー。
みんな真新しくて色鮮やか。

24号棟の裏手から、草ぼうぼうの空き地がつづいていた。
少しくだりかけた丘の中腹あたりに、火が見えた。
煙がまっすぐきれいに空に立ちのぼっている。
さっきからけむいなと思っていたら、
あの焚き火のせいだったのか。

「あれは人間だな」
夫がぽつんとつぶやいた。
「え?」
「人間は火が好きだ」
 なにかを燃やすことに、情熱を燃やしてきた。
 クククッ」
「人間って、あの人間?
 手が2本しかない。目も2つしかない、
 しっぽも生えてない、」
「うん。脳味噌の容積が、
 われわれの10分の1もない、
 かわいそうな生きもの・・」

夫はそう言って、4本の手をぐるぐる回し、
体操のようなことをした。
息子が真似して、まだ短くてかわいらしい
4本の手をぐるぐる回している。
「たった2本の手で、彼らはよく戦ったよ。
 彼らは火をもっていたから。
 われわれの側の犠牲者も少なくなかった。
 だけどさいごは、その火でみずからを
 焼き尽くした」

犠牲者・・。
そのなかにお隣のご主人もいる。
奥さんはやっぱり団地に入ってはいけない。
あのごみごみした港町のかたすみの、
六畳一間のアパートで、平穏に暮らしてほしい。

「ねぇ。なぜあんなところに人間がいるの?」
「あそこは人間の保護区なんだ」
「団地のこんなすぐそばに?なんかこわいな」
「だいじょうぶ。彼らは人間のなかでも
 いちばん最初に降伏した種族だ。
 おとなしいし、友好的だ。それに・・」
「それに?」
「全員、去勢されている。
 いまいる人間が死んだら、それで、
 ジ・エンドだ」

団地に描いていた未来の夢が、
急速に色褪せていくような気がした。
陽が傾いて、西の空が赤くなっていた。
東の空で最初に輝きだす緑色の星に向かって、
息子のしっぽがもぞもぞ動いた。

わたしたちと同じ、緑色の顔をした、この子。
わたしたちと同じ、緑色の血が、流れてる。
黒光りするつぶらな3つの瞳に、
わたしは語りかける。
大きくなったら話してあげるね。
あの星のこと。この星のこと。
わたしたちの親たち。長く厳しい戦争。

丘の中腹の火はもう消えかかっているのか、
弱い煙が一本の線になって、
ゆっくり立ちのぼっている。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

古居利康 2011年5月8日


緑色の光の話

        ストーリー 古居利康
           出演 山田キヌヲ

 あのカプセルのなかみを知ってる?
惑星探査機が持ち帰ってきた、あのカプセル。
なかみは、緑色の石だったのよ。

 え? 緑色の石? うそ。

 あまりにも小さすぎてにんげんの眼には
見えないつぶつぶだったけど。
カプセルは1500粒も持ち帰ってきたのよ。
 電子顕微鏡で見ると、あわーい緑色の結晶が
とてもきれい。暗いところで見ても、光ってるの。

 まるで見てきたようにおばあちゃんは言う。

 それは、隕石以外で人類が手にした、
はじめての地球外鉱物。その石の来歴を知る
ってことは、惑星の誕生や物質の起源について
考えるってことに、はっきりつながるの。
 というのも、地球の中心の核をとりまく地層は
マントルという硬い岩石の層なんだけど、
それはあのカプセルのなかにあった緑色の石と
おなじ石なの。地表に結晶が現出することもあって、
それを磨いた宝石がペリドット。

 ペリドット。8月の誕生石。
それ、わたしの石じゃない、おばあちゃん。

 緑色といえばね、わたしは、
ふしぎな緑色の光を、見たことがあるよ。

 あれは、ちょうどわたしが
あなたくらいの年ごろの夏だった。
ブルターニュのボールの海岸で・・
ボールというのはね、7キロもつづく美しい砂浜でね、
いちどあなたにも見せてあげたいものだねぇ。
その海岸で、とうさんがジュール・ヴェルヌの
『緑の光線』という本の話をしてくれたの。

 気がつくと、話が変わってる。おばあちゃんは
いつもそう。

 ひょっとしたら、今日は緑の光線が見えるかもしれないよ。
って、とうさんが急に言い出すのよ。
その日はよく晴れていて、空気も乾燥して雲ひとつなかった。
こういう日じゃないと見えないんだ、って。
 緑の光線を見たひとは、その瞬間、じぶんの心と
ひとのこころを読み取ることができるようになるの。
 ジュール・ヴェルヌがそう書いているんだから
まちがいないよ。ってとうさんは言うんだけど、
わたしにはその意味がよくわからなかったな。
 わたしたちは陽が沈むのをじーっと待った。
海に太陽が落ちる、その直前の、ほんの一瞬だから、
まばたきひとつでもしたら、見逃すかもしれないから。
って言われて、わたしは眼にちからをうんとこめて
がまんしたよ、いっしょけんめい。
 でね、見えたんだよ。太陽が水平線に消える
そのさいごの瞬間に、明るい緑の光線が、
水平線の上に滲むように輝いた。まるで光の宝石だった。
ペリドットよりだいぶ濃い緑色。

 で、じぶんの心とひとの心が読めるようになったの?

 そうねぇ、どうだろうねぇ。わたしもずいぶんと
長く生きてきたけど、ひとの心ってやつはねぇ・・。

 なーんだ。読めないのか。つまんない。

 なぜ太陽が沈む寸前、緑色の光線を放つのか。
とうさんは説明してくれたよ。
 それはとても珍しい現象で、ひと夏待って
一度も見ることができないこともあるくらい。
気象条件がそろわないと見られないんだね。
たとえば、今日は雲が多すぎてダメね。
快晴でないとダメ。
 なぜかと言うと、この現象は光の屈折の原理で
起こるから。太陽が沈むとき、じっさいの太陽は、
わたしたちに見える位置よりもほんのわずか下にある。
沈むまぎわの太陽の光って、まっすぐ進まない。
円を描いてわたしたちのところにやってくるの。
水平線に接近するにつれ、その光線の曲がりも
大きくなる。だから太陽が水平線に接しているように見える時、
じっさいの太陽はもう水平線の下に隠れている。
逆に言えば、じっさいよりも少しだけ上の方に見えている。

 わたし眠たくなってきた。おばあちゃんの声が
だんだん遠くなっていく。

 理科の授業でプリズムを習ったでしょ。
プリズムを通すと光は分離して見えるよね。
太陽が沈む瞬間、この現象が起きて光が色に分散する。
色彩によって、曲がり方がちがうのね。
いちばんよく曲がるのが、青。その次が緑。
そのまた次が紫、っていうぐあいに。

太陽がじっさいよりも高く見えている中で、
ほんとうは、青や緑や紫という、曲がり方の大きい色が
上に見えるはずなんだけど、青や紫はとても弱い光なので、
太陽が完全に水平線に隠れた直後、緑色の光だけが
残像のようになって、わたしたちの眼に見える、
ということらしいの・・。

 わたしはすっかり眠っていた。
めざめると、おばあちゃんはいなかった。
かわりにちいさな銀のカプセルが置いてあった。
なかみは、淡い緑色の宝石だった。
 この石、暗いところでも蛍みたいに
光るんだよね、おばあちゃん。
 ハッピーバースデイ、と書かれたカードが入っていた。
そうだ。きょうはわたしの誕生日なんだ。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

古居利康 2010年12月19日



本日のスープ

ストーリー 古居利康
出演 山田キヌヲ

今日の本日のスープはなんですか?と訊いたら、「小指のスープです」と返ってきた。
え?コユビのスープ?という言葉をのみこんで、小指のわけがない、小海老でしょ、と、
早とちりのじぶんをひそかにたしなめて、「あ、それください」と注文する。ほんとに
コユビのスープが出てきたら、こわいけどワクワクする。どこかの、だれかの、細くて
長い小指でこしらえた、うつくしいスープ。

 しかしまぁ、今日の本日のスープ、って、日本語としてどうなんだろう。じぶんで言っ
ておきながらそう思う。本日イコール今日というより当日、と考えれば、昨日の本日も
明日の本日もありうるのか。本日のスープ。本日の気持ち。本日のわたし。本日のわた
しの小指。てのひらを上に向けて小指と小指をくっつけてみると、わたしの場合、左の
小指があきらかにすこぉし短い。爪が途中で途切れて扁平なかたちなのだが、先っぽは
ふつうに円くなっているし、右左、並べてみないと気がつかないていどの短さだ。無意
識のうちに、それとなく左手を隠すようなしぐさをすることもあるらしいが、それも
ひとに指摘されてはじめて知った。

 幼稚園のとき、なにか大きなものが、ダン!と倒れてきて、小指の先がつぶれた。も
のごころつく、はるか以前のできごとだから記憶にはないが、そのように聞いて育って
きた。輪郭のぼんやりした幼い日々が過ぎ、やがて春を思う年頃になったとき、じぶん
のからだのほんのわずかな欠損に気づく。けれど、小指の先の、それこそ小さな問題は、
睫毛の長さや髪の毛の光沢、毎日ひりひりと変化する胸のふくらみや肌のなめらかさと
いった、少女にとっての小さな大問題ほどには、気にしてこなかった。
 
 本人すら忘れているくらいなのだから、たいしたことではないし、小指それ自体や手
そのもの、あるいは腕ぜんたいを喪ったひとだって世の中にはいるんだから、それに比
べれば、わたしの小指は決して深刻とは言えない。だけど、せめて理由だけは知ってお
きたい、といつも思う。なぜ小指の先っぽがこうなっているのか、幼いころ何があった
のか、わたしの上に倒れてきた大きなものって何だったのか。そもそも、なぜ小指の先
だけだったのか。なにかから逃げようとして、小指だけが逃げおくれて、なんてことが
ありうるだろうか。逃げるとき、人間は手から逃げないだろうか。じぶんの胸のうちに
おさめておくには、どうにもやっかいなそれやこれやの疑念を、あるとき、母にぶつけ
たことがある。ところが、覚えていないと母は言う。そんなことがあったっけ…。とぼ
けるでも隠すでもないようすで、母はあっけなく残酷に、そう言ったのだった。

 じゃあ、この指はなんなの? もともとこのかたちで生まれてきたの? というのが、
わたしの言い分だ。幼稚園のとき、なにか大きなものが倒れてきて、小指の先をつぶし
た。そう教えてくれたのは、母でなければ父なのか。まさか、わたし自身が勝手にこし
らえたストーリー、なんて思ってないでしょう?

 ずいぶん待ったような、あっという間のような、微妙に狂った時間の感覚のなかを、
本日のスープがやってくる。湯気が立っている。いい匂いだけが先に届いて、やっと現
実に引き戻される。お皿の中身は、まだ見えない。どうしよう、ほんとうに小指のスー
プだったら。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ