中山佐知子 2008年9月26日

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鏡は大きな蛇のように
                 
                
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

鏡は大きな蛇のようにその光を歪めて放った。
人々はこれを闇夜に立つ虹と呼んだ。

大王はこれを怪しみ
黒い森を流れる川の岸辺に人を遣わして虹の根元を掘らせた。
神殿から失われていた鏡と鏡を持って逃げた女は
こうして発見された。

女は神殿の巫女だったので
その躰ははじめから神に捧げられており
自分にとっては
祭壇に供えた白い米や塩、
白い布となんら変わることはなかった。
意志というものがあるようにも見えず
赤い血を流すこともないと思った。

自分は女の声を聞いたことがなく
着物の裾にさえ触れたことはない。
けれどもときどき、いや、もっと頻繁に、
女の目の光が矢のように皮膚を刺すことはあったのだ。
ただ、その目を見返す勇気がなかった。

ある日、大王から遣わされた人が
女を問いただすことがあった。

誰かの顔をまともに見たことはあるか
誰かに声をかけたことは
誰かに部屋の敷居をまたがせたことはあるか
女は何を訊かれても知らないと答えるしかなかった。
ものごころつく以前から人と交わらず
巫女になることが決められていた女である。
たぶん、訊かれていることの意味もわからなかっただろう。
相手はやがて最後の問いを発した。
その腹の子供はだれの子か

女はその夜、鏡と共に姿を消した。

神殿を取り巻く黒い森は
この世がはじまって以来誰も木を伐ったことのない森で
原始の闇につつまれていたが
その聖域をふたつに分けるように一本の川が流れている。
女はその川の水明かりをたよりに暗い夜を走り
岸辺に鏡を埋めると自分で自分を殺してしまった。

黒い森からあらわれる鏡の光が闇夜の虹となり
虹の根元に鏡と女が見つかったとき
女の腹にはなにもなく、ただ透き通った水と小さな石があった。
それによって人々は女の潔白を噂したが
水こそ鏡のはじまりである。

女は誰しも鏡を抱いているのか。
その鏡は女の思い描く世界を映すのか。
女はその鏡によって自分の躰を自由に変えるのか。

この国の黎明期の歴史の書には
罪もなく死んだ女と鏡の物語が記されているが
目すら見返さない男の影を鏡に宿して
命を持たないものを身籠る女の躰のあやしさが
私はいとしいというよりつくづく恐ろしい。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年7月25日



乗り遅れた左手は
                 
                
ストーリー 中山佐知子                    
出演 大川泰樹

                   
乗り遅れた左手はもう僕の手ではない。
差し出したのに繋いでもらえなかった手
振り払われてしまった左手は
もう僕のものではない。

さっきまで笑っていた左手は
生命線をまっぷたつにする傷口が開いている。
僕の心臓がドクンと打つたびに
ポタンと赤い血が流れ出す。

おまえはもう僕の左手ではないのに
どうして僕の血が流れるのだろう。
どうしてまだ
僕の心臓とつながっているのだろう。

おまえが僕の心臓を掴んでいるせいで
僕の目からも水がにじみでているが
どうして僕の目と
僕のものではない左手がつながっているのだろう。

乗り遅れた左手はもう僕の手ではない。
振り払われた手はもう僕のものではない。
僕は左手がなにをしたか気づいてもいなかった。

みんなおまえのせいだ、と
僕は左手に言う。
おまえは考える前に走り出す。
おまえは疑う前に信じてしまう。
犬のように追い払われ
やすやすと置き去りにされる。

僕のものではなくなったおまえは
捨ててもいい。
おまえのいない不自由さより
おまえのいない平安を選びたい。

朝になって
二本の線路も枕木も、
枕木を埋める無数の小石も高原の霧の底に沈むとき
僕の左手も沈んでいくだろう。

本当に早くそうなればいい。
そう願いながら僕は駅から遠ざかろうとする。

けれども僕の心臓はまだ左手とつながっている。
僕の目は僕のものでない左手と一緒に泣いている。
僕の足は勝手にまわれ右をし
いったん背を向けた駅へ向って走りだす。
そして、僕の右手は
僕のうっかりものの左手を
差し出して振り払われた左手を
僕の愚かさ、僕の無邪気、
いつも血を流して泣いている僕の油断を抱きしめる。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年6月27日



僕の言葉が雨になったら
                 
                
ストーリー 中山佐知子                   
出演 大川泰樹

僕の言葉が雨になったら
蝶はジグザグに飛んで森へ隠れる。
僕の言葉は捕虫網ではないのに
蝶はどうしても雨が嫌いだ。

僕の言葉が大粒の雨になったら
秒速9メートルの早さであなたを襲う。
ドアをたたくような大きな音を立て
傘の骨をひしぐほど強い力で打ちかかる。
泥水をはね返しサンダルの足に食らいつく。

僕の言葉は拳ではないのに
誰もが身構えようとする。

僕の言葉が雨になったら
僕の言葉が霧のような雨になったら
風にのって空に漂い
隠れた蝶を見つけることができる。
その羽根を湿らせることもできる。
濡れて体温を奪われた蝶は
太陽に温まるまで飛ぶことができない。

縁の下の仔猫の毛も冷えきって
餌を稼げないツバメは巣に帰れずに震えている。

僕の言葉で血を流す人はいないのに
誰もが青ざめた顔になる。

僕の言葉が雨になったら
もし僕の言葉が雨になったら
ピッタリ閉ざした窓も
固く閉まったドアもやすやすと通り抜け
どんなに厚い壁もじわじわと湿らせながら
あなたが逃げ込む小さな家で
きっとあなたをつかまえる。

僕の言葉が雨になったら
耳を塞ぐその指を冷やし、閉じた目の睫毛を震わせ
髪から雫のしたたるまで
きっとあなたを濡らしつづける。

あなたにはもう乾いた明るい場所はどこにもなく
あなたを守る傘もない。
僕の言葉はきっとそんな雨になる。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年5月30日



雪しろの水がトクトクと

                                         
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

雪しろの水がトクトクと音を立てて水路を流れています。
野の土も畑の土は湿って黒く
うっかり踏み込むとずぶずぶと足が沈んで水が滲み出します。
その泥の中で、緑のはこべが潰れているのを
僕は知っていました。

その足にもっと力を入れてはどうだろう。
僕が風を真似てささやくと
田んぼに踏み込んだ人はぐっと踵に力を加えたけれど
それでもはこべの息の根は止まらず
雪国の5月は
日を追うごとにあたりの緑が増えていきます。
山の頂はまだ雪のままですが
麓の木々は芽吹いてもやもやと霞のようになってきました。

あなたが開く春
僕はいつもはこべやタンポポが嫌いになります。
あなたがいつも僕を置いていってしまうからです。

それでも、うそのように雪の舞う日があると
あなたはまた躯を閉じようとするのですが
ふたりで丸く眠りつづけた
大雪の冬に戻ることはできません。

あんなに冬中一緒に過ごしたのに
どうして僕はいつも置き去りにされるんだろう。
僕たちはクローンだから。
僕たちは人の手で改良されたから。
人は花の開く姿だけを見たがって
緑の葉の開くのを邪魔だと思ったから。

僕たちは1本のソメイヨシノの木に生まれた
ひとつの花と1枚の葉だから。

雪国の山に自然に芽生えた桜は
花と葉が手を取り合って開くのに
人の手で植えられたソメイヨシノは
満開の花の散るころにやっと葉が開く宿命です。
僕はいつもあなたに追いつけず
あなたが空に舞って雲になるのか
土に落ちて雫になるのか
あれだけ咲いてあれだけ散った花はいったいどこへ消えるのか
知ることもできません。

雪しろの水が音を立てて水路を流れています。
ずぶずぶと湿った土にまた小さな緑の芽が出ました。
僕がどれだけはこべやタンポポを憎んでも
雪国の5月はやってきます。
桜が開き、桃が開き、林檎が開き
それから、桃の葉は桃の実を守り
林檎の葉は林檎の実を守って夏を過ごしますが
子孫を残すことのないソメイヨシノの緑の葉は
守るべきものもないままに孤独な夏を迎えます。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年4月25日



「あいうえお」の「あ」と「い」の間に
                    
                                          ストーリー 中山佐知子
   出演 大川泰樹

あいうえおの「あ」と「い」の間はからっぽだ、と
あなたは言う。
ピアノの鍵盤のドとレの間に隙間があるように。

だから僕たちがどんなにロケットを飛ばしても
水星の「す」から金星の「き」までたどり着く前に
光も音もないからぽの宇宙に落込んでしまうのだと
あなたは思っている。

それで、あなたは
あいうえおの「あ」と「い」を僕が語ろうとしても
決して聞こうとはしない。

でも、あなたは知らないだけなんだ。

この宇宙がはじまった最初の光が歌になって
宇宙の隅々まで広がっていることを。
その歌はマイクロウエーブとして観察されているし
絶対零度から3度もあたたかい。

すべての星は
宇宙の歌のなかに浮かんでいる。
水星の「す」と金星の「き」の隙間だって
あたたかい歌で満たされている。
そして、星は星でまた自分の歌を持っているんだ。

多分あなたは知らないだけなんだ。
すべての温度は歌になり
すべての振動は歌になることを。
マイナス130度の木星は木星の歌をうたい
土星の輪っかもひとつの楽譜として
宇宙のメロディの一端を担っていることを。

マイナス210度で凍った窒素も
揺らぐ原子のひと粒も
みんな自分の歌をもっている。

すべての温度は歌になり
すべての振動は歌になる。
あいうえおの「あ」と「い」は
人の体温と鼓動から生まれている。

明日、太陽から風が吹いて
地球の磁気圏をかき鳴らしたら
僕はそのメロディにのせて
「あ」と「い」の歌をうたってあげるよ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2008年3月28日



死んだ女の右腕と

                   
ストーリー 中山佐知子                      
出演 大川泰樹

死んだ女の右腕と男は暮らしていた。
女の腕は風を読むことができた。
それは季節を知ることであり、魚の群れを見つけることであり
鹿や猪の居場所を知り木の実の落ちる時期を知ることでもあった。
それは、男の単純な暮らしのすべてともいえた。
毎年、女の腕は誰よりも早く春を聞きつけ
ヒューッと口笛のような声で歌った。
それがどんなに寒い夜でも
何日か過ぎると本当に南の風が吹きはじめた。
男はその風に乗って
黒い川の流れを超えようと思っていた。
男の島をとりまく海には
遠い沖に黒潮が川のように流れ
晴れた日に丘に登ると
水平線を縁取るようにキラキラと光の帯になった。
光の帯の遥か向こうには小さな島があり
そこでは黒い石がとれる。
黒い石はたいへん貴重なもので
鋭いナイフになり、獲物をひといきで仕留める矢じりになったが
この島で黒い石を持つものは数えるほどもいなかった。
あの海に流れる黒い川を超えて
黒い石の島に渡り、望み通りの石を持って帰れたら、と
男は言った。
一日で三日分の獲物を仕留めることができる。
たとえ雨や風の機嫌が悪い日があっても…
雨や風の機嫌が悪い日があっても、と女の右腕も考えていた。
男はもう自分を必要としないだろう。
そうして、女の腕が春の歌をうたった数日後
男は本当に黒い川を渡って行ってしまった。
黒潮は北赤道海流からはじまり
伊豆七島では八丈島の沖を通過する。
黒潮は幅100kmに及ぶ海の大河であり
一秒に5000万トンの海水を運ぶ激流でもある。
黒潮にのって漁をする漁船は
現在でも強い風に遭うと八丈の港に避難する。
その春は南の風が吹いたかと思うと北風にもどり
やっと男が島にもどったのは花も終わろうとする時期だった。
女の腕は黒い石を自慢する男に言った。
石に頼るものは風の歌を聴くことはない。
男は答えた。
それでもいま自分は両方手に入れている。
女の腕は、男の話をききながら
しばらく黒い石をなでまわしていたが
やがて石をナイフの形に割ると、春の歌をうたいながら
ひと息に男の胸を刺して殺してしまった。
その女の腕は1977年、
八丈島の縄文の遺跡の中から発見されている。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

Photo by (c)Tomo.Yun http://www.yunphoto.net

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