岩崎亜矢 2019年5月12日「とても感じのいい女」

「とても感じのいい女」

    ストーリー 岩崎亜矢
       出演 西尾まり

上りの電車が先ほど発車したので、
あと15分ほど、このホームは閑散とする。
がらんどう。
弁護士事務所の広告が書かれたいつものベンチに座るたび、
その言葉が頭に浮かぶ。
近辺には店も少なく、住宅ばかり。
急行が止まらないこの駅の昼時は、日々こんな感じだ。
知り合いもいなければ、用事があるわけでもない。
30分ほど電車に乗って、私はわざわざこの駅にやってくる。

クイ、と一口。
手に持った缶チューハイを飲み込み、その冷たさにぶるっと震える。
空は、春特有のどんよりとした灰色である。
春と聞くだけで、人々はことさら浮れるが、
Tシャツ一枚で出かけるにはあとどれくらいの日々を過ごせばいいのだろう。
そう思うだけで、また気が滅入ってくる。
くずれそうになる前に、私はここへ駆け込む。
なぜか? ここが、こここそが、私の居場所だからだ。

収入の高い仕事があって、夫がいて、実家は裕福で、友人もいて、
一体あなたは何が不満なんだと、問われたことがある。
あれは、何かのパーティーだっただろうか。
箇条書きでは見えない行間が、人間にはある。
そう答えたところで、
私のアラを探そうと躍起になる他人には、何も通じない。
私は、相手を不快にさせない程度の笑みを浮かべ、
「どうにも打たれ弱くて。だからダメなんですよね」と答えた。
相手はひとまず納得したようで、
もはや私以外の何かへと視線を移動させていた。
リフレッシュするにはやっぱり海外旅行だよ、とよく人は言う。
私から言わせれば、3泊4日程度、どこか遠くに行っただけで
気分が変わるという人は、そもそもたいした悩みなど持っていないのだ。

そんな私の気持ちとは裏腹に、人々はなんともあっけらかんと、
「悩みがなさそうだよね」という言葉を私にぶつけてくる。
つぶらな瞳、少し大きめの鼻の穴、上がった口角。
美人すぎないこの顔は、他者に対し、
敵意やストレスといった攻撃を仕掛けない。
「あの人は明るく、元気だ」。
誰に聞いても私の第一印象はこう返ってくるし、
どこにいても道を聞かれることはしょっちゅうだ。
この顔を持つ人間の責任として、
私も、周囲から求められる役割を演じてきた。
バカみたいな話だけれど、物心ついた頃から強くそれを感じ、
そしてそのように生きてきたのだ。
ただ、たまに、サイズの合っていない服を着せられているような気分に
なることがある。
そんな時は、その窮屈さに息が苦しくなり、
うまく笑うことはおろか、喋ることもままならなくなる。
一人になることが、唯一の治療法だ。

隣のベンチに座るややくたびれたスーツ姿の中年男性や
自動販売機の補充をしている作業員は、私の無を邪魔しない。
そこに彼らはいるけど、そこに彼らはいない。
彼らからしたら、私も無なのだろう。
感じがいいも悪いもないこの場所で、ちびちびと私は缶の水分を摂取する。
ここは無人島。ここは天国。
あと7分後に来る上り電車に乗ったら、いつもの日常が待っている。
そうして私はまた、
「つぶらな瞳と少し大きな鼻の穴、上がった口角が特徴の、
感じのいい遠山晴子さん」、に戻るのである。

出演者情報:西尾まり 30-5423-5904 シスカンパニー

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岩崎亜矢 2015年8月2日

1508iwasaki

「パーフェクトなサラダからはじき出されて」

        ストーリー 岩崎亜矢
           出演 地曵豪

1977年11月。男は今日も、人だかりのできた扉の前に立つ。
けれどその奥に広がる光景を、彼は知らない。
だって男は決して“パーフェクトなサラダ”にはなれない存在だから。
扉の前では、ドアマンのマークが「またあいつか」という顔を
してちらりと彼を見る。
毎晩“パーフェクトなサラダ”、つまりはゴージャスでノリのいい人間で
ダンスフロアを埋め尽くすようにと言いつかったドアマンにとって、
たとえ一張羅のスーツに身を包んだところで、男は意味のない人間なのだ。
この店の“ヴァイブ”に相応しくないと、
マークやオーナーのルベルに判断されたら最後、
あのドアの向こうに足を踏み入れることは許されない。
54丁目254番地にそびえる、スタジオ54。
リッチなだけでもダメ。ホットなだけでもダメ。
特別ななにかを持っている人間だけが、あの狂騒の住人となれるのだ。

しかし男には、作戦があるらしい。
勤務先のバーで耳をそばだてて仕入れた情報が本当ならば、
この建物にはガードマンの死角となった裏口があるという。
中にいる人間のほとんどは酒かドラッグで意識なんてないも同然だから、
外のガードマンたちをかわしさえすれば、
そこから中に入るのはそう難しくないというのだ。
裏口へと回り込む算段を男が立てていると、
ショートカットの見知らぬ女が近づいてきた。
そして彼の手を取ると、すいすいと裏口へたどり着き、扉を開ける。
あっけにとられている男を引っ張り、
女はそのまま慣れた様子で暗い廊下を進んでゆく。
もう一つの扉を女が開く。
その途端、ありえないほどの歓声と爆音の
ディスコ・ミュージックが飛び込んできた。
音楽とドラッグとセックスが充満するフロア。
トップレスの女の子たちが、Chicの「Le freak」に合わせて腰をくねらせる。
夢にまでみた光景が、男の目の前に広がっている。
奥のソファでは、アンディ・ウォーホルがジェリー・ホールに
シャンパンを注いでいる。
念願のサラダボウルの中身に、男はようやくなることができたのだ。

ダンスフロアで踊る、男と女。
さて、この女は誰だったろう? 男は考える。
勤務先のバーの常連だろうか。しかし、こんな美人を俺が忘れるわけはない。
男は女に答えを求めようとするも、
彼女は人差し指を口に当て、ニッと笑みを返すばかり。
まあいいじゃないか。名前なんかここでは必要ない。
ファンキーなリフに合わせれば、いつしか体は浮き上がる。
そうして、最高潮の興奮を彼らは手に入れるのだ。
男と女は、キスを繰り返す。レコードは回り続ける。
どうせいつか人生が終わるならば、こんな夜で終わってほしい。
男は心から願う。

朝のざわめきと太陽の眩しさで、男は目を覚ます。
何があったのか、なんとか脳みそを働かせようとする。
しかしわかることはと言えば、
自分がゴミ捨て場に倒れこんでいるということ。
右頬や脇腹がやたら痛むということ。
一張羅のスーツはひどい悪臭を放っているということ。
裏口からの侵入がばれて追い出された、というところか。
では彼女は? 彼女も一緒に追い出されたのだろうか。
男は辺りを見回しながら、ぼんやりと、キスをした女の顔を思い出す。
その口元、鼻、目…。
そしてはたと気づき、呆然とする。
あれはウォーホルのミューズ、イーディ・セジウィック以外の
何者でもないじゃないか。
1971年に薬物の過剰摂取で亡くなった、あのショートカットの妖精。
彼女の死にメディアは大騒ぎをしたけれど、それももう古い話だ。
ひとたび夜の帳が下りてしまえば、
人間と亡霊との間の線引きなんてあやふやなものかもしれない。
男は妙に納得して、家へと歩き出す。

そして今夜も、一夜限りの栄光を手にしようと、
その扉の前には人だかりが生まれる。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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岩崎亜矢 2014年11月9日

1411iwasaki

「おまえどこにいくんだよう」

         ストーリー 岩崎亜矢
            出演 地曵豪

北向きのベランダは悲しい。
意気揚々とハーブの鉢植えを買って帰り、
大事に育ててもいつのまにかしおれている。
太陽の光がすこし足りなかったの、と訴えるその姿は、
ばあちゃんのしなびたおっぱいを思い出させる。

いつも何かが足りない。

最初は、屋上につくられた小さな部屋に住んだ。
現実的じゃない風景が気に入っていたけれど、
なんせ夏は暑かった。
家をちょっと歩くだけで、だらだらと汗が滝のように流れた
(その家にいる間に、1.5キロ痩せた)。

次の家は、顔をあわせたこともない隣人の、
朝だろうが夜だろうがお構いなしに響く騒音のため、
1年も経たぬうちに引き払ったので、あまり思い出がない。
その後も雨漏りと格闘したり、ゴミ出しで揉めたりと
なんやかんやと問題が起こり、
そのたび転々と引っ越しをくり返した。

この部屋を見つけたのは、半年前の冬のこと。
四角いかたちの部屋が2つ。
間取り図を見た時、まず使い勝手がよいことを悟った。
アパートに植えられた、色とりどりの小さな花たち。
大家の几帳面で真面目な性格がうかがえた。

今までは鉢植えのことで思い悩む以上に
あれこれと振り回され続けたので、
「北向きのベランダ」、それは、
幸せな悩みだともいえよう。
いやいや、あるいは家の問題なんかではなく、
やはり、この僕のせいなんだろうか。

楽観的すぎて、将来に不安を感じる

小さなことを気に病むその性格にも我慢ができない

半年前に別れた彼女に、そう指摘された。
いやはや、ひどい言われようである。
引っ越しをすれば、
当面の問題が片付いたような錯覚を得られる。
これは手っ取り早い現実逃避と言われれば、
まあ、その通りだ。

半年前から置きっぱなしの、
まだ解いていない段ボールにふと目が行く。

おまえ次はどこにいくんだよう

段ボールのなかにいれた、
つまりは今すぐ使わないがらくたたちが声をあげる。
二段目の箱には、あの彼女から
もらった服も入っていただろうか。

この果てしのない引っ越しの旅の最後は
一体どんな風景で終わるのか。
時代がどんどんと巡っていっても、
どこかの街の、相変わらずサイズ感の変わらぬ部屋で、
こんな風に段ボールを眺めているのか。
その想像は、僕をちょっとひやりとさせる。

とりあえず、南向きのベランダの部屋を探しにいこうか。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/


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岩崎亜矢 2013年10月13日

経験

      ストーリー 岩崎亜矢
         出演 清水理沙

私は少女である。
世の中は私に要求する。
無垢で、純粋で、まっさらであることを。
私は少女である。
私は確かに、無垢で、純粋で、まっさらである。
弾力のある頬。
スカートからのびる、生白いふたつの脚。
脱色もパーマも経験はなく、
重みのある黒髪は風にさらさらとなびく。
不安と無知とを抱えて、私は世界へと飛び出す。

教えてあげよう。
あなたは自信たっぷりの表情で、私に話しかけてくる。
ナイフとフォークの使い方も。
タクシーの止め方も。
逃げ方や避け方、隠れ方も。
世界のなりたちを、教えてあげよう。
男を愛する男がいて、女を憎む女がいる。
声を出さずに泣く人がいて、嘘から流れる涙がある。
見えているものも、見えていないものも、
ぜんぶ教えてあげよう。

私は気付く。
私は大きな画用紙。絵筆を持って彼らは待っている。
私は私に要求をする。
食べ尽くそう。飲み込もう。
私がこれから知るもののすべてを。
私がこれからおぼえることのすべてを。
何も知らないという武器を手放すかわりに、
私は私に要求する。
私は世界に要求する。
両手をめいっぱい広げたら、私から待ち伏せをする。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

 

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岩崎亜矢 2012年2月11日

「家出」

             ストーリー 岩崎亜矢
                出演 瀬川亮

母さんとケンカして、僕は家を出た。
勉強したくないとか、そういう子供っぽい理由ではない。
信念と名誉のために僕は家出したのだ。
ポケットの中には望遠鏡を買うために貯めていたお金が
たっぷりと入っているし、僕に迷いはない。

遠足の弁当、それがすべての原因だ。
あの日、熱を出し寝込んでいた母さんに変わって、
姉ちゃんと父さんが弁当を作ってくれた。
確かに、ヒドい弁当だった。
メインのおかずは紅生姜入りの炒り卵。
その隣には半分に切られたゆで卵。
そして、白いご飯の上には巨大な目玉焼き。
蓋を開けて僕は一瞬止まった。
その時、よりによって高橋が弁当をのぞき、
「岡田の弁当、卵だらけだぜー」とからかってきたのだ。
二人をけなされたような気分がして、
僕は気づいたら高橋の胸を両手で突いていた。
怒った高橋は、僕に強く体当たりした。
そのケンカはあっけなく先生に止められ、たっぷりしぼられた。
互いに謝れと言われたけど、
僕は二人の名誉のために戦ったんだからと、ずっと口を閉じていた。
しかし学校から電話をもらった母さんは、
僕が家に帰るとすぐに頭ごなしに怒りだし、
高橋の家に行って謝ってこいと言いだしのだ。

そういうわけで僕は現在、家出中なのである。
しかし家出って、正直退屈だ。
その名の通り「家を出る」ということがゴールなので、
始めた途端にその目的が達成されてしまうからだろう。
最初はナベっちの家で遊んでたけれど、
「そろそろ夕飯だから」と帰されてからは、
こうやって公園でDSをしながら時間を潰している。
そうだ、僕も夕飯にしよう。
スーパー吉得に行って、コロッケを持ってレジに並び、
ポケットを探った。その瞬間、全身がヒヤッとした。
「ない…!」そこにあるはずのお金がないのだ。
レジのおばさんがじろじろと見てくる。
僕は慌てて吉得を出て、改めてポケットの中を探った。
やっぱり、大事なお金が消えている。
そういえば、商店街を歩いているときに
おじさんが強くぶつかってきたけれど、
あれはもしやスリだったのではないか。
望遠鏡代、いや、僕の大事な生活費が…。

あてもなく歩きながら、僕はグウグウと鳴るお腹をおさえていた。
すると突然、おいしいカレーの匂いが漂ってきた。
よだれを垂らしそうになりながらその家に近づくと、
窓の向こうの黄色い灯りの下でうっすらと人影が動いている。
人影はぜんぶで4つ。僕んちと一緒だ。
暗闇の中、その窓の周りだけが暖かいような気がして、
僕はそこを動けないでいた。
その時、自分の名前が呼ばれたような気がして顔を上げた。
道路の奥のほうで、細い灯りがゆらゆらと揺れている。
しばらくすると真っ暗闇の中から、「ぬっ」と母さんが現れた。
手には懐中電灯を持っている。ゆらゆら、ゆらゆら。
僕は信念も名誉も闇の中に放り出し、
その灯りへと猛ダッシュしていた。

出演者情報:瀬川亮 03-5456-9888 クリオネ所属

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瀬川亮くんは次男らしい(収録記2012.1.21−2)

水下きよしさんが読んでいる最中になんとなく気配がしたので
終わるやいなやドアを開けたら瀬川亮くんがいた。
録音の最中にドアを開けるとノイズでNGになるので
待っていてくれたのだ。
この気づかいの「待機」方式を最初にはじめたのは大川泰樹くんだが
いまではほぼ全員が待機してくれるようになっている。
ドアチャイムもあるが、いまでは誰も鳴らさない。

さて、瀬川くんが読んだのは岩崎亜矢さんの原稿だ。
主人公は小学生の男の子。
実は岩崎俊一さんの原稿も同じ年頃の男の子が主人公だったので
私は父娘が申し合わせて原稿を書いてくださったのかと思っていた。
そうではないと知ったのは収録後のことだった。
申し合わせて書いてくださったと思ったときも驚いたが
そうでないことを知ったときはもっとびっくりした。
どうしてこんなことが起こるのだろう…

岩崎亜矢さんの原稿は若々しくて谷を流れる水のように
かろやかで新鮮だった。
岩崎俊一さんの原稿は熟成した酒のように重厚で情感が溢れていた。

瀬川くんは亜矢さんの原稿をとても静かに読んで
「僕は次男坊なんでこういうのわかるんですよ」と
ぼそっと言った(なかやま)

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