2015年4月(こぶし)

kobushi

4月5日(日)岩田潤平 & 高田聖子
4月12日(日)直川隆久 & 遠藤守哉
4月19日(日)渡辺潤平 & 齋藤陽介
4月26日(日)中山佐知子 & 大川泰樹

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中山佐知子 2015年4月26日

1504nakayama

夜行特急こぶし号   

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

夜行特急こぶし号に乗って
斎藤さんは土曜の夜にやってきた。
9時55分に東京を出て
11時13分に秩父に着く夜行の特急は
リュックを背負ったハイカーの乗客が多く
朝まで列車に泊まることもできた。
そうして朝いちばんのバスで山へ向かうのだ。

春から秋までの週末、
夜行特急こぶし号で秩父に来ては山を歩く齋藤さんを
ぜひにと言ってうちに泊めるようにしたのは母だった。
齋藤さんが来る日、
母は以前のように台所で忙しくはたらき
僕はそんな母を見るのが好きだった。

夜行特急こぶし号で齋藤さんが来る夜は
柱時計が12時を打つまで
僕はときどき目を覚まして下の音に耳を澄ませた。
カラッと控えめな音で玄関が開く。
ああ、齋藤さんが来たと思うと、それから後はぐっすり眠れた。
齋藤さんは父がいなくなった我が家に安心を運ぶ人だった。

翌朝、僕が起きるころ
斎藤さんはたいがい母がつくったお弁当を持って
出かけてしまっているのだが、
天気予報がはずれて雨になったときだけは
三人一緒にお昼を食べることができた。
僕は齋藤さんとご飯を食べるのが大好きで
日曜日は雨になれといつも願った。

よく晴れた日曜日、僕たちのお昼ご飯は
斎藤さんのお弁当と同じものだった。
胡麻のかかったおむすびや海苔巻き、
きんぴら牛蒡に卵焼き。
春にはうす味で炊いたタケノコに木の芽が乗っていた。

母と僕は窓を開けて、庭を眺めながら
いつもよりゆっくりと静かにそれを食べた。
それは食事というよりも祈りの時間のようだった。

ある年の春、
庭のこぶしが白い花をつけていた夕暮れに
斎藤さんが父の遺体を発見したという知らせがあった。
知らせてきたのは父が所属していた救助隊だった。
父は滝壺に転落したハイカーを救助に向かう
ヘリコプターの墜落で命を失った4人のひとりだった。
それは新聞にも大きく報道された事件で
転落者ひとり、救助隊4人、
そして取材中の報道記者とカメラマンが死んでいる。

父と一緒に救助のヘリコプターに乗っていた斎藤さんは
ひとりだけ遺体が見つからない父を
2年間さがしつづけていたのだった。

知らせを受けた母は湿った声で
お父さんが帰ってくると言った。
斎藤さんは、と僕がたずねると
斎藤さんも帰って来るに決まってるでしょと
エプロンで涙を拭いた。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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渡辺潤平 2015年4月19日

1504iwata

「Kさんの話」

          ストーリー 渡辺潤平
             出演 齋藤陽介

友人が死んだ。

その知らせを聞いたのは、火曜日の午後のことだった。
亡くなったのは、その前の週の木曜だったと聞いた。
彼は、来年の春には還暦を迎える年で、
30代の僕とは20以上も離れていたが、正真正銘の友人だった。

彼と出会ったのは、新大久保のスナックだった。
ポテトサラダがやたらうまい店だった。
極彩色のネクタイを締め、タバコの煙の向こうで
チャミスルのアイスコーヒー割をガブ飲みしながら、
不思議なこぶし回しでK-POPのヒット曲を熱唱していた。

俺な、昔、演歌歌手だったんや。

酔っぱらうたび、彼は誇らしげにそう口にした。
実際、はるか昔に2、3枚のレコードを出したことがあるらしい。
小さな身体から吐き出されるその野太い唄声は、
しかし、どこか調子っぱずれで、仲間たちはその声に
いっそう酔いを回らせながら、長い夜をダラダラと過ごした。

彼は二度、結婚に失敗し、大阪の印刷会社で営業として働いていた。

新大阪にな、めちゃくちゃ旨い焼肉があんねん。
しかも、1500円もあれば死ぬほど食える。
な、ええやろ。いつ大阪来れる?

顔を合わせるたび、彼は僕にそうやって笑顔を見せた。
かならず行きますよ、連絡します。
そう答えながら僕は、忙しさを言い訳に、
その約束を先送りし続けていた。
彼の死を聞いた夜、事務所のデスクでふとそのことを思い出し、
新大阪の焼肉屋を検索しかけたのだが、
急に後ろめたい気持ちになって、ノートPCを閉じた。

親子ぐらい年が離れた友だちができるっちゅうのはな、
ホンマにうれしいことなんやで。

真夜中のソウル。
ミョンドンの外れにある屋台で、彼は嬉しそうに僕に語りかけた。
去年の暮れ、仲間どうし連れ立って出かけた、
韓国旅行での出来事だった。
僕はそのとき猛烈な尿意と戦っていて、
その言葉を噛み締める余裕などまるでなく、
あまり気のない返事をしたように思う。
それでも彼は、そんなこと気にする様子もなく、
しじみと赤貝の中間みたいな、
貝の煮物にチューチューと吸い付きながら、
「来年もみんなで来ようや」と笑顔を見せた。

初七日の翌日の土曜日。
彼を慕う仲間が、新大久保の小さなカラオケスナックに集まった。
彼がお気に入りだった曲ばかり入れ、そのオケをBGMに、
静かにハイボールを飲んだ。リモコンを操作しながら、
彼がバラードばかり好んで歌ったことに気がついた。
染みるなぁ、こういうの。
一人がポツリと呟いた。

彼の遺骨は、彼の従姉だという姉妹が引き取ったらしい。
彼の故郷が福島であることを、僕はそのとき初めて知った。
一人暮らしだった彼の部屋は、
専門の業者があっという間に空っぽにしてしまったと聞いた。
ご自慢のクロームハーツのブレスレットは、
どこへ行ってしまったのだろう。

不思議なこぶしを回すあの唄声を、もう二度と聴くことはない。
刺すように冷たい風が吹きすさぶ大久保通りを一人歩きながら、
そんなことを考えた瞬間、胸に中ぐらいの穴が、音を立てて空いた。

出演者情報:齋藤陽介 03-5456-3388 ヘリンボーン所属


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直川隆久 2015年4月12日

1504naokawa

新入学生のみなさんへ

          ストーリー 直川隆久
             出演 遠藤守哉

みなさん。
ご入学おめでとうございます。
僭越ながら、ご挨拶させていただきます、
内閣総理大臣の大泉浩一郎でございます。

みなさんは、今日から、国防小学校1年生。

これからですね、みなさんは、この小学校で6年間、
わが国を守るという高貴な目標のために必要な
様々な知識、技術をしっかりと、習得なさいます。

そして、卒業の暁には、血気さかんな少年兵として、
第一線の戦地に向かっていただく。

こうして見回しても、みなさんの一人一人の瞳の中に、
燃え上がる魂の輝きが見えます。
頼もしいかぎりです。

みなさんは、本当に親孝行でもあります。

防衛小ではすべての学費と給食費が免除されるうえに、
お父様お母様の生活費に、国から補助がでるんですから。
私の息子はですね、海外の私立にしか入れないボンクラで、
金喰い虫でしたが(笑)
皆さんは、違いますね?

羨ましいとさえ思います。
私は上流な家庭の出なものですから、
ある意味、恵まれすぎ、なまぬるい教育環境で育った人間です。
ですからですね、このような、
良い意味で厳しい環境で成長できるみなさんを、
本当に羨ましく思います。

そして、みなさんには、もう一つの大きな特権があります。
みなさんには特別にですね、
11歳からの男女交際が法律で認められておりますので、
一般的な小学校に進学された子供たちよりも一足先に、
男女の神聖なる営みを知ることができます 。
次世代の人口増加にも、ぜひですね、
しっかりと責任を果たしてから、
戦地へと赴いていただきたいと思います。

みなさんの中には、まだ、
「戦争なんていやだなあ」
「戦地になんて行きたくないなあ」
そんなことを思っている方も、いるかもしれません。
無理もないでしょう。
みなさんは、まだ6歳です。

でも、そんな気分になったときはですね、
この学校への入学をすすめてくださった
お父様、お母様のお気持ちを、考えてみてください。
そして、一人前の戦士になったときの充実感。
それに、思いを馳せてみてください。
イマジン。

この防衛省法案は、私が政治生命をかけて成立させしました。
保護者のご家庭への補助金の財源は、
100%パチンコ税でまかなわれており、
社会的所得再分配のある種理想的な形を作り上げられたと自負、、、

あ、ええ、はい。
そろそろ校歌斉唱、の時間だそうでございます。

本校の校歌は、僭越ながら私が作詞いたしました。
タイトルは「こぶし、あげて」

今日は特別にですね、
人気グループ「SAKURA SOUL」のメンバーの方々が、
みなさんのために駆けつけてくださっています。

拍手でお迎えし、一緒に元気よく歌いましょう。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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岩田純平 2015年4月5日

1504iwata

「お父さんへの手紙」

          ストーリー 岩田純平
             出演 高田聖子

女 :お父さんへ。

お父さんと暮らして、8年がたちました。

いまでも初めて会うた日の
お父さんの手の感触を覚えています。
肉厚でしわしわで、男のこぶしって感じ。
意外と苦労してきはったんやろな、って。
   
最初はお父さんのこと
怖い人かと思てました。
いっつもむすっとした顔で帰ってくるし、
あんまり喋らへんし。
   
最初に笑った顔を見たのはいつやったかな。
たぶん、あの日や。
玄関をあけたと同時に電話がかかってきて、
その相手が孫のたっくんで。
「じいじは元気でちゅよー」
って普段聞いたことない声出してはった。
   
くしゃくしゃっと笑うお父さんが、わたしは好きでした。
   
普段は
会社でいいことがあっても、
嫌なことがあっても、
それを家には持って帰らずに、
お父さんは玄関にぜんぶ置いていく。
   
せやから、
そういうお父さんの顔は
わたししか知らへんねん。
   
たまにわたしのほうを向いて、
ふっと笑ったりする。
何にも言わへんけど。
   
お父さんが帰ってくるだけで、
わたしは明るくなれた。
お父さんはわたしの恩人やと思います。
   
そんなお父さんとの暮らしも、
もうおしまいです。
   
今日はお父さんの定年の日。
長かった単身赴任を終え、
お父さんが家族の待つ家に帰っていく日です。
   
いままで本当に楽しかった。
お父さん、ありがとう。
あっという間の8年間やった。
わたしはしあわせ者です。 

お父さん、部屋の片づけ終わったのかな。
あとは
わたしを消して出ていくだけかな。
   
じゃあ、いつものように。ここで。
さよなら。
   
   パチッ きゅっきゅっきゅ。

女  :そう。私はLED電球。玄関の電球でした。
    
お父さん、ほんまにありがとう。
もし生まれ変わったら、
わたしはまた、
お父さんの家の電球になりたいです。

    きゅっきゅっきゅ パチッ

女  :・・・・あ、お父さん。
    
広い玄関。
ここは・・、お父さんの実家やな。

それに、この子は・・・、たっくんやな。
あ、たっくん、さわったらあかん。
電球にさわったらあかんで。
やけどする。

わたしはLED電球。
寿命は10年。

どうやら
わたしも引越しの荷物に入れていただき、
これからは実家の玄関を照らすみたいです。
新しい暮らしでは、
お父さんの明るい笑顔がたくさん見られそうや。

お父さん、ありがとう。
残り2年、よろしくお願いします。

出演者情報:高田聖子 株式会社ヴィレッヂ所属 http://village-artist.jp/index.html

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