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地曵豪 2025年12月14日「イスタンブールの孤独」

イスタンブールの孤独

   ストーリー 佐藤充
      出演 地曵豪

トルコのイスタンブールにいる。
時刻は25時。
場所はブルーモスクと呼ばれているスルタンアフメトモスク前の広場。
さっきまで観光客で賑わっていたのが嘘みたいに誰もいない。

18歳。1人旅。
なにも怖いものがなかった。
好奇心しかなかった。

それがいけなかった。
東京からイスタンブールに到着して、
5時間で10万円を失った。

イスタンブールをスタート地点に
1ヶ月かけて中東をまわる予定だった。

残り9万円。
ギリいけるのか。いけないのか。
クレジットカードは持っていない。
スマホも持っていない。日本へ連絡手段もない。
手持ちのお金だけで生き抜かなければならない。

何がいけなかったのか。
足りない頭で考える。
いくつか分岐点があった気がする。

20時。ブルーモスク前の広場で
1人イスタンブール名物のサバサンドを食べていた。

そこにキプロス人の2人組がやってきた。
「一緒にケバブを食わないか?」

焼いたサバだけだと味気がないと思っていたので、
一緒にケバブを食べにいくことにした。

まずここが1つ目の分岐点だった。
知らないキプロス人2人組についていってはいけない。

北海道の母にも上京するときに、
知らない人についていってはいけないと言われていた。
きっと僕の性格を理解したうえで言ってくれていたのだ。
忘れていた。

イスタンブール市街の飲食店でケバブを食べ終わったときだった。
またキプロス人の2人組は言う。
「ケバブも食べたし、一緒に踊らないか?」

食後の運動がダンス。
オシャレだなと思った。
悪くない。一緒に踊ることにした。

たぶんここが2つ目の分岐点だった。
まだ引き返すことができた。

「ダンスフロアが近くにある」と、
キプロス人2人組がいうのでついていく。

路地をどんどん薄暗いほうへ進んでいく。
街灯などない。キプロス人は笑う。
暗闇のなか白い歯だけがやけに目につく。

「ここだ」と連れてこられたお店のなかに入る。
お客さんはいない。代わりにボブサップのような男が5人くらいいる。

もしかしたらこれが最後の分岐点だったかもしれない。
走って逃げればよかった。
入店してしまった。

「ここに座れ」と言われ、席につく。
テーブルにはシャンパンやビールの空いた瓶やグラスが置いてある。
「これはお前が飲んだ」と言われる。

いやいやいや、飲んでいないのだけど、と答える。
というか帰らせてもらいます、と立ち上がる。

そんなかたいこと言わずに踊ろうぜ、と
キプロス人2人組とボブサップ5人に囲まれる。

身体をまさぐられる。
身ぐるみをはがされる。
財布を奪われる。
そこには1ヶ月の全予算19万円が入っている。

キプロス人がその19万円を掴む。
これがなくなったら全てが終わる。
僕もつかみかかる。

19万円が空中に舞う。
スローモーションに見える。

ダンスフロアに舞い散る19万円。
それに群がるキプロス人2人とボブサップ5人。
そして自分。

どうにか拾い集めた9万円を握りしめ、店を飛び出す。
深夜のイスタンブールの街を駆け抜ける。

どうやって帰ったかもわからない。

入国してからここまで数時間。
スタート地点のブルーモスクに戻ってきた。

そういう競技があればオリンピックに出られるくらいの
スピードでお金を失った。

ケバブを経て、
ダンスを経たという芸術点も加点対象になるかもしれない。

モスクから点数の書かれたフリップを持った審査員たちが出てくる。
10点、10点、10点、10点。ワールドレコードです。
ブルーモスクから特大の花火が打ち上がる。

なんてことは、もちろんない。逃避するのをやめた。
気づくとまばらだが人が歩き始めている。

街中に礼拝時間の呼びかけであるアザーンが大きな音で流れ、
モスクで礼拝がはじまった。

夜明け前のやわらかい光に包まれたブルーモスクと
礼拝をする人を眺めていたら、
もう少し旅をしていたい気持ちにもなってきた。

あれだけ痛い目にあったのにすぐに忘れる。
たぶんこんなんだから何度も痛い目を見るのだろう。

1ヶ月後、エジプトのカイロでアラブの春という革命に巻き込まれて、
パスポートも全て盗まれて帰国できなくなることを
僕はまだ知らない。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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上田浩和 2025年12月7日「トントン」

トントン

  ストーリー 上田浩和
     出演 遠藤守哉

夜。布団に入ると、
7歳になる娘の胸のあたりをトントンと叩く。
小さな鼓動に合わせて、トン、トン、トン、トン。
しばらくすると、娘はすうっと眠りに落ちる。
けれど、10歳の息子のほうはそうはいかない。
真っ暗な中で、いつまでもゴソゴソしている。
トントンしてもなかなか寝つかず、
僕の右手はだんだん疲れてしまう。
僕は、孤独を知らない。
浪人が決まった高3の春、途方に暮れたことはある。
上京して初めての夜は怖かった。
別れを味わったときは、たしかに寂しかった。
飲み会や打ち合わせで話題についていけず、
一人を痛感したことも何度もある。
それでも、それは「孤独」ではなかった気がする。
その証拠に、いつも少し経てば誰かと笑っていた。
結婚し、子どもが生まれ、孤独はますます遠のいた。
人は「孤独に押しつぶされそうになる」と言う。
けれど孤独に、ほんとうに重さはあるのだろうか。
「孤独は心の隙間から入り込む」とも言う。
それなら、孤独は空気のようなものなのだろうか。
やはり僕には、孤独というものがよく分からない。
でもそれは、きっと幸せなことなのだと思う。
子どもたちをトントンしながら思い出す。
僕にも、母にトントンされた夜があった。
たしか小学4年のころ。
その夜も寝つきが悪く、僕は暗い中でゴソゴソしていた。
隣で眠る妹の寝息がうらやましかった。
「もう小4なのに」と思いながらも、
「眠れん」と母に言うと、
「はいはい」と笑って、やさしくトントンしてくれた。
すると、それまでが嘘みたいに、すうっと眠れた。
あの夜、僕ははじめて「愛されている」という実感を得たのだと思う。
僕は愛されている。大丈夫だ。
その思いは、はっきりと胸の中に刻まれた。
硬い石に深く彫られた石板の文字のように。
きっと一生消えることはない。
その記憶のおかげで、
孤独に苛まれることもなく、押しつぶされることもなく、
世界とつながれたまま、僕は生きてこられたのだと思う。
あの夜のトントンが、僕を孤独から守ってくれた。
だから今夜も、子どもたちをトントンする。
「愛してるぞ、愛してるぞ」と思いを刻むように右手で胸を叩く。
もっとも、僕のほうが先に寝てしまうことも多い。
そんな夜は、たいてい息ができなくなって目が覚める。
苦しさにはっとして目を開けると、そこには息子の顔がある。
息子が、僕の鼻を指でつまんでいる。
苦しかったのは、そのせいだった。
「どうした!」と驚いて聞くと、「うるさい」と息子は迷惑そうに言う。
息子の寝つきが悪いのは、
どうやら僕のいびきのせいでもあるらしい。

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出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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遠藤守哉 2025年11月23日「街灯の下に」

街灯の下に

     ストーリー 中山佐知子
        出演 遠藤守哉

街灯の下に占い師が店を出している。
店といっても箱型の小さな机をはさんで
占い師とお客が向き合って座る椅子が2脚あるだけで
机の上にはこれといった道具もなかった。

占い師が得意なのは
小さな不幸のストーリーを考えることだった。

あなたの才能があなた自身をいじめている。
あなたは自分の幸運を他人に分け与える人だ。

占い師はお客の顔をじっと見ながら
口当たりのいい不幸のストーリーを組み立てる。
本気で未来を知りたい人などどこにもいるはずがない。
みんなが欲しがるのは、手軽に持ち運びが出来て
友だちに話してきかせることのできる自分のストーリーだった。

ある晩、占い師のところに奇妙なお客がやってきた。
男か女かも定かでない老人だった。
老人は、自分はトカゲだと名乗った。

自分はこの冬を越せない年寄りのトカゲだ。
だから自分に未来はいらない。
自分が欲しいのは過去だ。
食べて寝て、獲物を追って
天敵から逃げた記憶しかない自分はどんな存在だったのだろうか。
老人のトカゲはそう言うとじっと占い師を見つめた。

占い師はしばらく目を閉じ、やがて口を開いた。
私が捨てられたばかりの子猫だったとき、
おまえはやっぱりトカゲだった。
私は飢えてひと晩草むらで鳴きつづけ、
もう声も出なくなったときにおまえを見つけた。
本能が私の前足を動かし、爪がおまえの腹に食い込んだ。
おまえの肉を食べたとき
私は自分が生きるために獲物を殺す存在であることを知ったのだ。

それでは、と、トカゲは言った。
おまえは私と変わらない。
占い師は話をつづけた。
私はトカゲを殺し、蛙を殺し、バッタを殺した。
それでも長くは生きられなかった。
私は未熟で自分を養うだけの獲物を殺せなかったが、
それでも私は自分が何ものであるかを知り
その生きざまを全うすることができた。
私はおまえに感謝しているし
おまえは自分がどんな存在なのかをとっくに知っている。

それからしばらくして
街灯の灯りも凍てつくような寒い晩に
占い師がいつもの場所に来てみると
トカゲが自分のストーリーを大事そうに抱えて死んでいた。

占い師はというと
いまでも毎晩お客のために不幸のストーリーを作り出している。
未来のある人に幸福なストーリーはいらない。
それはみせびらかすものではないからだ。

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出演者情報:遠藤守哉

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中山佐知子 2025年11月16日「蒼き狼は湖を渡って」2025版

蒼き狼は湖を渡って
             
ストーリー 中山佐知子
出演  地曵豪

蒼き狼は湖を渡ってやってきた。
平原を流れる川がはじまる場所で白い牝鹿をしたがえ
一粒の遺伝子を残した。

その平原で生まれた少年はよく母にたずねた。
どうして蒼いオオカミと白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか。
若い母はそのたびに沈んだ顔で答えた。
私がおまえを生んだように。

母は昔、結婚式を挙げて花婿の家に向う途中で
少年の父にさらわれた花嫁だったので
少年には出生の秘密がつきまとっていた。

少年の父が敵対する部族に殺されてから
母は顔を上げ
長い髪をきりきりと結い上げて働くようになった。
どうして蒼いオオカミと白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか
母はもうそのことを悲しむ暇もなかった。
少年は母に養われて成人し
母に似た賢い娘を花嫁に迎えた。

そして、その花嫁をさらったのもまた
少年の父に恨みをもつ部族だった。

ボルテ、ボルテ
少年は花嫁の名を呼びながら馬を走らせていた。
従う2万の兵はまだ少年のものではなく
同盟する部族から借りた援軍だったが
敵の部族すべてを灰にするほどよく戦っていた。
敵の族長はすでに身ひとつで逃れ
置き去りにされて逃げまどい
川を渡ってさらに逃げようとする人々を
少年の軍勢は執拗に襲った。

ボルテ、ボルテ
少年は川を渡り花嫁の名を呼びながら
馬を走らせていた。
ボルテ、ボルテ
逃げる人々の中から小さな影が飛び出して
少年が乗る馬の手綱を掴んだ。
ボルテ、ボルテ
少年はやっと自分の花嫁を
月明かりのなかで抱きしめた。

花嫁は少年のもとに戻って男の子を生んだ。
どうして蒼い狼と白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか
どうして敵対する部族の血が混ざり合うのか
少年は、それが湖の意思なのだと思うことにした。

どうして蒼い狼と白い牝鹿の間に
子供が生まれるのか
その問いを発する少年も
その花嫁が生んだ最初の息子も
湖の意思によって生まれた狼の末裔なのだ。

少年はやがて4の字がふたつ並ぶ年齢のときに
平原の部族をひとつにして
ユーラシアの支配者になったが
チンギス・ハーンのチンギスには
湖という隠された意味があり
チンギス・ハーンから広まった湖の遺伝子は
いま、この世界の1600万人の男子の染色体の中に
潜在している。

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出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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小野田隆雄 2025年11月9日「すすき、幻想」

すすき、幻想

       ストーリー 小野田隆雄
          出演 大川泰樹

広い広いすすきの草原に、
月の光がさしていました。
すすきの穂が、風の中で、
寄せては返す波のように金色にひかっています。
すすきの穂波は、はるかかなた、
草原の向こうにある山のふもとまで、走っていきます。
そして山々は雪をかぶり、
まぼろしのように浮かびあがって見えるのでした。
真夜中に近い時刻のようです。
まだ少年の私は、黒いマントを着て、
左手に重いカバンをぶらさげて
すすきの海を一生けんめい歩いていました。
すると風が吹きぬける中を、
青い着物を着た女性がひとり、歩いてくるのです。
室町時代のあそびめのように、
細い帯を腰のあたりに低くしめ、
黒い髪をうしろにたばねていました。
面長な顔立ち、青白い肌、切れ長の眼、
形のよい唇。
彼女は私の前で、立ち停り、私を見ました。
そして、すーっと何かを呑み込むように笑いました。
赤い唇がすこしひらかれると、
なんだか、あたりの空気がゆらりとゆれて、
ひときわ強く、風の音が聞えてきます。
狐だ!、少年の私はそう思いました。
すると月が雲に隠れ、女性の姿も消えました。
すすきの原は、暗い灰色の、ただのすすきの原に
もどってしまいました。
このカバンは? ふと、少年の私は思いました。
この左手にぶらさげている重いカバンは、
いったい何が入っているのだろう…
気がつくと、私は現実の私にもどっていました。
六十歳をずいぶん過ぎた私が、
無彩色の、夜のすすきの草原に、
カバンをぶらさげて、立っているのでした。



出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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山中貴裕 2025年10月26日「価値はアート化する」

「価値はアート化する」

   ストーリー 山中貴裕
      出演 清水理沙

こんばんは。静かな夜をお過ごしでしょうか。
日本で唯一の、現代アートのラジオ通販番組、
“アート・ビート・ショッピング”です。
お時間の許す限り、お付き合いください。

今宵、ご紹介するのは、こちらのアートです。

作品名は『さわやかな右足』。

制作者は、イスラエルを拠点に活動する、
アリエル・レヴィ。多くを語らない芸術家です。
この作品もまた、多くを語りません。ただ、そこに在るだけです。
しかし、その静けさの中に、私は、計り知れない可能性を覚えます。

どのような形をしているのか、想像してみてください。
はい。今、あなたの頭の中に浮かんだ、その形。
それは、あなたの希望です。

もう少し、言葉にしてみましょう。

高さは、およそ50インチ。
しかし、これは、あくまで見かけ上の数値です。
見る者や、その日の湿度、気圧によって、わずかに、そして確実に、
そのサイズは変動します。
この作品は、「不確かな物質」で構成されているため、
静止しているようで、常に揺らいでいます。

これほどまでに儚く、美しい存在を、私は知りません。

透明でありながら、無色ではありません。
その内部には、光のグラデーションが凍り付いたように存在しています。
最も低い部分に、わずかに深い青色。
しかし、この色は青色ではありません。
これは、「ブルーの観念」が、物質化されたものです。
そして、中央にかけて、徐々に薄い紫色、淡いピンク色、
そして、最も上部には、燃えるようなオレンジ色へと変化していきます。
これらもまた、色そのものではなく、
それぞれが「紫の観念」「ピンクの観念」「オレンジの観念」です。
まるで、時間の流れそのものが、
ひとつの物体として凝縮されたかのようです。

初めてこの作品を見た時、
私は、この夕暮れ色のグラデーションに絶句しました。

この作品には、見る角度によって、微かな動きが見て取れます。
その内部を、無数の小さな粒が、静かに上昇していくのがわかります。
これは、かつて、遠い異国の地で、
ある一人の人間が、黄昏の時間に呼吸した、
その「空気の記憶」が、粒子となって再現されているのです。
私は、その空気の記憶が、
今、目の前で、再び形を得ていることに、深い感動を覚えます。

もし、あなたがこの作品に触れることができたなら、
それは、物理的な接触ではありません。
これは、「物質と記憶の境界線」に触れる体験です。
ひんやりとしたガラスのような表面の下に、
かつて存在した、かすかな温もりを感じるかもしれません。
それは、その日、水面に反射した光が、微かに残した熱なのです。
なんと詩的で儚い存在でしょう。

あぁ、言葉にすればするほど、
この作品の本当の魅力がこぼれ落ちてしまう!

これはただのオブジェではなく、
時間と記憶を、手に取れるようにした、ひとつの「独裁者」なのです。
そして、この試みは、この圧倒的な夕暮れ色によって、
見事に成功していると、私は思います。

この作品を所有することは、
あの日の夕暮れを、あなたの意識の中に、永久に定着させることでしょう。

さあ、この『さわやかな右足』という素晴らしい作品、
お値段は、特別に120万円です。
お求めになられる方はいつものフリーダイヤルにお電話ください。

ではまた、静かな夜を。

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出演者情報:清水理沙 アクセント所属 https://aksent.co.jp/profile/shimizu_risa/

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