日下慶太 2009年2月20日



    ひび

              
ストーリー 日下慶太
出演 池田成志

「すべてのものは神様からの贈り物なのよ」

ある日妻は大いなる人生の秘密を発見したかのようにそう叫んだ。
最愛の母を亡くしてショックだった妻は、しばらく心神喪失状態が続いた。
8時間ずっと壁のしみをみていたり、1日中タマネギをミキサーにかけていた。
仕事もやめ、家事も放棄した。
数ヶ月後、一握りの生きる力を取り戻した妻は、
精神世界にのめりこんでいった。占星術、インド哲学、マヤ文明、
アメリカ西海岸の怪しげな団体、そういったものの本を読み漁った。
妻には何かすがるものが必要だった。わたしだけでは妻の心を支えきれなかった。
彼女はそこで彼女なりの答えをみつけた。
「すべてのものは神様からの贈り物なのよ」
母の死は、自分を成長させるための神からの試練であり贈り物である。
そういう理論を組み立てないと、母の死を受け容れられなかったのだろう。

すべてのものは神様の贈り物。この真実を実践するために、
妻はまわりのものを贈り物にしていった。
つまり、色々なものにリボンをつけていった。

まず、自分にリボンをつけた。頭の倍ぐらいもある大きなリボンを。
毎日買ってくる食料にリボンをつけた。もやし、キャベツ、肉。
そして、リボンをつけたまま調理をした。
ぼくは焦げたリボンをとりのぞいていつも食べた。
お茶にもリボンをつけた。注いだお茶の上にリボンを浮かべた。

あなたの仕事も贈り物、そう言って仕事関係の書類にすべてリボンがつけられ、
わたしの名刺にすべてリボンのシールが貼られた。
メールの文章の後にもリボンの絵文字をつけるようにと言われた。

「わたしのいちばんのプレゼントはあなただわ」
妻はわたしに大きなリボンをつけた。
もちろん、わたしはリボンなどつけられたくはない。
しかし、今、妻のすることに反対すると、
妻のあやうい均衡がくずれてしまうかもしれない。
わたしは黙ってリボンをつけた。
しかし、リボンをつけたまま会社に行けるわけがない。
つけたまま家を出て、駅にむかう途中にこっそりと外す。
そして帰ってきたらまた家の前でこっそりとつける。
そうしていつもリボンをつけているかのように振る舞った。
しかし、突然テレビ電話をかけてきた妻に
リボンをつけていない姿をみられてしまった。
彼女は怒った。そして一生外せないリボンをつけると言い出した。
リボンを頭皮にぬいつけると。
妻の言うことには反対してこなかったが、さすがにこれだけは反対した。
妻をなだめて、結局リボンの刺青を入れることで決着した。
わたしの右腕に一生リボンがつくことになった。

これで妻のまわりにはリボンをつけるものはなくなった。
しばらく退屈そうにしていた妻はある日こう言った。

「一番の贈り物は地球そのものなのよ。わたしは地球にリボンをつけるわ」

そういって彼女はリボンの布をひきずりながら、地球横断の旅に出た。

今彼女は中央アジアのどこかにいる。
そして、リボンの先端は我が家の玄関にまだある。

出演者情報:池田成志 03-5827-0632吉住モータース

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2009年2月13日



少女とリボン
            

ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

リボンというのは、細い幅に織られた
ひものことなんですね。などと、
あらためて言うのも、変なのですが、
私の場合、リボンといわれると、
ひもの状態ではなくて、
飾りとして、かわいい形に結ばれた姿を、
まず、イメージしてしまいます。
中学生時代の
スポーツ大会で胸につけた
シンプルなリボン。
蝶ネクタイと呼ばれる
リボン結びにしたネクタイは、
ずいぶん何度も
舞台でタキシード姿になったとき、
身につけました。
それから、すっかり、
二月の年中行事になった
バレンタインデー。
その日に贈られるチョコレートを
飾るのもリボンですね。
もっとも、私には、残念ながら、
リボンをつけたチョコレートを
どなたかにお贈りした記憶は
いままでのところ、ありませんが。

三好達治という詩人が、
昭和時代の初めに、
「測量船」という詩集を発表しました。
そのなかに、「村」という詩が
ふたつあります。
そのひとつに、リボンが登場します。
高校生の頃に読んで、
こころが、動きました。
三好達治の詩集は、いまも
本棚の奥に、しまってあります。
短い詩ですので、
ご紹介したいと思います。

鹿は角に麻縄をしばられて、
暗い物置小屋にいられてゐた。
何も見えないところで、
その青い瞳はすみ、
きちんと風雅に坐ってゐた。
芋が一つころがってゐた。
そとでは桜の花が散り、
山の方から、
ひとすじそれを
自転車がひいていった。
背中を見せて、
少女は藪を眺めてゐた。
羽織の肩に、
黒いリボンをとめて。

この村はたぶん、猟師(りょうし)さんのいる
山奥の村なのでしょう。
鹿がとらえられて、物置小屋に
入れられています。
おりから、季節は春の終り、
物置小屋の外では、
桜の花びらが音もなく風に舞い、
坂道をくだる自転車を
追いかけるように、
散っていくのでした。
そのとき、少女はひとり、
竹藪を眺めて立っていたのです。
その羽織の肩に、黒いリボン……

さりげない、静かな村の風景なのですが、
私は、この詩を読むたび、
澄みきった、哀しさを含んだ春の風が、
心に届くのを感じました。
そして、いまも次のことを
信じています。
少女は、声も出さずに、
泣いていたのだろうと。
きっともう、明日は生きていない
鹿のために、黒いリボンを
つけたのだろうと。

私のリボンの思い出は、
ちょっと、メランコリックに
なってしまいました。
三月になったら、軽いブラウスを着て、
明るい色のリボンを、
つけたいと思います。
それでは、お元気で。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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一倉宏 2009年2月6日



あなたがリボンをほどくとき
                       

ストーリー 一倉宏
出演   光野貴子

                
学生時代にしたバイトのひとつに 雑貨屋さんの店員がある
地元の商店街に昔からあり 渋い屋号をもつけどおしゃれな店だ
ちょっとした家具から 食器や小物類まで
ちょっとモダンで ちょっとエスニックで そしてお手頃
2代目のご主人のセンスが なかなかよくて
店内は 若い女性たちが思わずちいさな歓声をあげるような
だけど どこか落ち着いた色とデザインに満ちていた

私がここで働いて とてもよかったと思うこと
ひとつは お客がハッピーな場所は働き手もハッピーだ という
たぶんどこでも通用する真実のかけらを 手に入れたこと
もうひとつは プレゼント用の商品のつつみかた
いわゆるラッピングが 上手にできるようになったことだ

最初から箱に入っているような商品は別として
こういうお店の たとえばお皿とかカップとかは
大きさもかたちもばらばらで きれいに安全につつむには
かなりのテクニックもセンスもいる
若いお客さんたちは プレゼント選びも自分の楽しみにするから 
結婚のお祝いなんかにしても セットもので済ますのでなく 
「これとこれとこれを一緒にしてプレゼント用に」 なんていう
高度なパズルを投げかけてくることも 少なくなかった

そして このお店の包装紙が これまた私は大好きだった
雲のかたちというのか どこかのデパートのにも似てるけど
その色がまさに雲のようなグレーで 地味といえば地味
だけど これでつつみ仕上げて 鮮やかなリボンをかけると
とてもシックでチャーミングなプレゼントの出来上がり

そんな 楽しかったアルバイトの日々
ほんとうは その頃の私は
一方通行の 苦しい恋のなかにいた

あるとき へんな夢をみた
…体育座りのようなポーズでうずくまる私は
例の包装紙につつまれて 身動きもせずにいた
包装紙の裏側から 部屋のあかりがひとつ 透かして見える
たぶん私は 巨大なおにぎりのようなかたちをした
ラッピング物体となって じっと座っている …そんな夢だった

恥ずかしい夢だった
朝めざめて しばらくぼーっとして それから
その夢の意味を考え 自己分析して ある答にたどりついて… 
ほっぺたが火傷しそうなほど 熱くなった
私は その数日 その苦しい片思いの相手への
誕生日プレゼントについて ずっと悩んでいたのだ
何にも気づいていない そして 気づいてもきっと
どうにもならない相手への 壊れそうな思いを
あの 包装紙につつんで

それから私は 店で買ったワイングラスを2つ
ていねいにていねいに つつんで 彼に渡した
決して 私が使うことにはならない 透明なあきらめを
あの 包装紙につつんで

*出演者情報 光野貴子 03-5571-0038 大沢事務所


shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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中山佐知子 2009年1月30日



裏庭のガラクタ置き場の

                
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

裏庭のガラクタ置き場の
古い子供用の自転車や錆びたシャベルや
履き古した長靴のなかに
ある日、牛がいた。

牛は眠そうな目で自己紹介をして
自分は星座の牡牛座だと言った。
僕は寒くないかとたずねたが
牛は、凍りついた夜空に較べればここは暖かいと言って
実際に居心地がよさそうだった。

夕飯のとき
僕はふたたび牛のところに行って
何か食べるかときいてみたけれど
牛は何もいらないと答えた。
なにしろ僕は星座なのだからね。

それにしても…と僕はたずねた。
あなたがいなくなったら
プレヤデスやアルデバランは落っこちてこないんですか。

君は星が落ちるところを見たことがあるかね。
牛はちょっと威張った顔をした。
そういえば僕は星が落ちたところを見たことがなかった。

僕は脱ぎ捨てられた牡牛座なのさ、と
牛はつづけた。
アルデバランもプレアデスも
望遠鏡がなければと見えないM1の星雲まで
いまではすっかりメジャーになって独立している。
あいつらは実際に目に見える存在なのだから。
それに較べて、僕はこの牛の形さえ
星と星を繋ぎ合わせた人間の想像力から生まれたものだ。
僕の物語はもう失われた神話になってしまって
いまでは誰も僕が空にいる理由を知らないだろう。

僕は、ギリシャの神々の王と
美しい人間の王女が登場する牡牛座の伝説を
子供の頃に読んだことがあったけれど
そのことは言わずに別の話をした。

人は忘れてしまった物語を
また新しく作りだすことができることや
失われた記録を地面の下や海の底から
見つけ出すことができること
そして、それから、最後に僕は牛に申し出た。

僕がきみの新しい伝説を書いてあげるよ。

そしてそれからどうなったかというと
裏庭のガラクタ置き場の
古い毛布の上に牛はいまでも寝そべっていて
近ごろはすっかり口うるさく
僕の書いたものを批評している。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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澤本嘉光2009年1月23日



  うし

                  
ストーリー 澤本嘉光
出演 春海四方

その男は、河川敷の草原の中に
ぽつんと申し訳なさそうに立っていた。
うなだれたようにうつむいて。
じっと、くるぶしくらいまで伸びて風に揺れている草を
見つめながら。

「なにか反省でもしてるんですか」
どうせこの人とは友達にもならない
言葉を交わすのも人生で今日かぎりだろう。
そう思った僕は、
半分からかうような気持ちで
そのうつむいた男に声をかけた。

風が吹いて、草が波のように揺れた。
「よく聞いてくれた。実は、私は早晩殺されるのだ」
勝手に会話の流れを作って、きっぱりとした口調で男は言い放った。
「私の価値は、死後にしか評価されない」

「それはまたどういうことですか?宮沢賢治とか、
 エゴン・シーレのように死後評価が確定する例はいくつもあるけれど。」
たぶんこの男は、自分の言っていることをきちんと理解しながら
しゃべっていないだろうと思えるような棒読みで、男は話し続けた。
「それと、もう一つ、君に謝らなければいけないことがある」
「なんでしょうか。僕はあなたとは初対面で、
 まだ何も悪いことはされていませんが」
「実は私は神戸の生まれではない」
勝手に謝ってきた男は、照れた様子で小声で語り始めた。
「笑ってください。私は尼崎の生まれです。
 でも、人に自己紹介するとき、つい、神戸の方の生まれ、
 と言ってしまっていました。見栄です。」
唐突な、ですます調だ。私も合わせてですます調で答えた。
「よくあります。私も実は住所は浦安なのですが、東京の方から来ましたと
 よく言ってしまいます」

「方、っていうのが、悲しい嘘を背負った言葉なんですね」
男は、目をつぶりながら妄想するかのような表情で答えた。
「嘘をつききれない不安と良心の呵責が入り乱れて、
 つい、使ってしまう言葉です」
男は、自分に言い聞かせるようにざんげを始めた。
「私は、出身地を神戸にすると、
 私の遺体の価値が上がることを知っていて嘘をついたんです」
「遺体の価値?」
「価値をあげるために、出身地を偽った。つまり、偽装。」
「偽装?」
「私の遺体は神戸の生まれだろうが尼崎の生まれだろうが
 本来はまったく価値には関係ない。
 でも、神戸出身、といった途端に
 イメージとして想像上の価値がうまれてしまう。
 俺は神戸を利用した。ごめんなさい神戸。俺の味は、変わらないのに。」

「味、ですか。肉みたいな話ですね聞いていると」
「肉体と言ってくれ」
「肉体、です、すみません」
「俺の人生がかもし出す味なんて、出身地のイメージとは関係ない。
 俺の生き方に賛同してくれる人は、俺の存在を深く味わってくれる。
 そういう人とは死んでからも友達でいられそうだ。」
「いい味出してますよ、あなたは」
「それは僕が神戸といったからかい」
「いえ」
「じゃあ、僕の偽装と関係なく、
 僕の人生がかもし出していると言うのかい。その味を」
「ええ、きっと」
「じゃあ、俺を食え。今すぐに。偽装にまみれた俺の肉を食え」
「何を言うんですか」
「俺は牛だ」
「は?」
「人のような姿をしているが、精神は牛だ。肉体は人間、精神は牛。」
「じゃああなたは」
「そう、神戸牛。」
「松坂ではなくて」
「あそこは田舎だ。但馬でもない。前沢でもない。」
「しかしあなたは外見は明らかに人間」

男は、おもむろに足元にあった草をちぎって、口に入れた。
「まずい。お前も食ってみろ」
「すみません、ちょっと先を急ぐので」
いかにもいい加減な言い訳で僕は会話を強引に断ち切ろうとした。
「そうか、悪かったな。道草食わせて。」
「いえ、大丈夫ですよ。僕も草は大好きなんで」

男は、やっぱりねという顔で僕を見た。
「君も、牛か。」
「僕もきっと牛です。でも、死ぬ勇気なんてないし、いらない。
 天寿を全うしてやります。」
「天寿を全うする肉牛って、パンクだな。かっこいいよ」
男は、尻尾をプルンと一回振った。
僕も、「さようなら」、と、尻尾をプルンと振って歩き出した。

かわらの草むらに、秋の風がひときわきれいな波を続けて起こしていた。
そして、二人のいた周りだけ、草がきれいになくなっていた。

出演者情報:春海四方 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2009年1月16日



カモシカのように

            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

奈良県の興福寺の、阿修羅像を
ごらんになったことは、ありますか。
ほんとうは、とてもこわい三面六臂の
仏さまなのですが、
正面の顔も、右のお顔も、左のお顔も
すこし怒っている少女のように
りりしく、かわいらしいのです。
六本ある腕の、しなやかに
のびた曲線も愛らしさに
あふれています。
そのすんなり長い脚をつつむ衣装は
なんだか、三宅一生さんの
パンタロンみたいに軽やかです。  

いつの頃からでしょうか。
私は興福寺の阿修羅さんを、
勝手に、お友だちにしてしまいました。
かなり年下の少女の友だちとして。
でも、いつも会えるわけではありません。
けれど、夢のなかで、私の所へ
遊びにきてくれるのです。
すると、私は明るい気持ちになるのです。
そして今年は、はやばやと、
一月二日の初夢に登場してくれました。
その夢のことを、
お話ししたいと思います。

興福寺の北の方角に、
若草山がありますね。
おだやかに丸い、低い草原の山です。
春が近づくと、
枯草におおわれた山肌は、
炎で、きれいに焼かれます。
やがて春になると、
いっせいに若草が芽吹いて
美しい緑の山肌に変わります。
でも、夢のなかで、若草山は
まだまだ冬のままで、
黄色い枯草に冷たい風が
吹いていました。
その枯草のなかに、阿修羅さんが
ぼんやり立っているのです。
ちょっと、さびしそうな感じです。
「どうしたの?」私が尋ねました。
「あのね」、阿修羅さんが、
眉をしかめていいました。
「天子さまが、私のことを
そなたは、近江の子牛のように
かわいいのう、っておっしゃったの。
でも、やだわ、わたし。
牛はきらいじゃないけど、
自分が牛にたとえられるのは、いや」
なるほど、それはわかると、私は、
夢のなかで思いました。
たしかに、子牛は、かわいいけれど。
女の子としては、ちょっと、ねえ。
すこし、考えて私は阿修羅さんに
いいました。
「あのね、近江の国の、すこし北の
飛騨の山奥に住んでいる、
カモシカを知っているでしょう?
あのきれいな脚で飛びまわる。
カモシカはね、ほんとうは、
シカの仲間じゃなくて、
牛の仲間なのよ。
だから、天子さまにお願いしたら?
私を、カモシカのようにかわいいと、
いってください。って」
すると、阿修羅さんの顔色が
パッと明るくなって、
枯草のなかを、カモシカのように
走り出しました。
そして、三本ある左手を、
私に向かって振りながら
「ありがとうっ!」と
なんども、なんども、叫びました。
その後姿は、だんだん小さくなって、
やがて、若草山の向こうへ消えました。

「ああ、よかった」、私は夢のなかで
つぶやいていました。
阿修羅さんの声は、しばらくのあいだ、
こだまになって聞えていましたが、
やがて、その声は、窓ガラスにあたる
北風の音に変わり、
私の初夢は終りました。なんだか今年は
いいことがありそうだなと、私は思いました。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

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