中山佐知子 2010年6月26日ライブ


カサカサの音をゆりかごにして
             

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

カサカサの音をゆりかごにして
少年は幼虫の時代を過した。

夜、自動車の音が途絶えると
その茂みは同じ蝶の子供が葉っぱを食べる音で
いっぱいになる。
カサカサ カサカサ….
少年は自分にいちばん近いところから聞こえるカサカサが
とてもなつかしく思えた。
それは自分の音よりも小さくやさしい心地がした。

秋の扉が開くころ
もう食べたくないと少年は感じた。
お気に入りのカサカサも聞こえなくなっていた。
もうサナギになる時期だった。
サナギは身を守る手段を何も持たずに眠るので
蝶にとっては一度死ぬことに等しい。
少年が不安そうに葉っぱのまわりを這いまわっていたとき
カサカサのかわりに
おやすみなさい、と小さな声が聞こえた。
その翌日、少年も垣根から突き出した木の枝にぶらさがって
やすらかにサナギになった。

少年がやっとサナギから出て羽根を広げ
オオカバマダラという蝶になったのは
2週間もたってからだった。
お休みなさいと声をかけてくれたサナギはからっぽで
さがすことなどできそうになかった。

オオカバマダラは
一日ごとに南へ移動する太陽と
日に日に短くなる日照時間で渡りの時期を知る。

秋に生まれたオオカバマダラの少年も
南へ飛ぶ本能を何よりも優先させて
北からやってくる秋に追い立てられるように
移動をはじめた。

仲間は次第に増えはじめ
ときに数百万の群れに膨らんで地元の新聞の特ダネになる。
嵐の夜が明けたときには
大きな木の根元に落ちている無数の羽根が
傷ましい事件として
朝のニュースに取り上げられることもあった。

それでも少年は運良くリオグランテを越え
あくびをしているメキシコ湾のなかほどまで飛んで
熱帯の花が咲くチャンパヤン湖で
まぶしい季節を過した。

暦が春を告げるころ
オオカバマダラは北へ飛びたくなってくる。
もう命も尽きようとしているのに
どうしても、どうしようもなく
楽園で死ぬことを本能が拒否してしまうのだ。

少年はもう少年ではなく
羽根も破れてくたびれ果てていたが
こんどはメキシコ湾の海岸沿いに北の湖をめざした。

突風にあおられてイバラの茂みに落ちたのは
一瞬のことだった。
羽根が折れ、
もう一度飛ぶことはできそうになかった。

少年がしげみでじっとしていると
カサカサとなつかしい音がした。
先に落ちた蝶が蟻に抵抗して
羽根をうごかしているのだった。
それは卵を生み終えて命を使い果たした雌の蝶だった。

蟻は地面に蝶を見つけると生きたまま胴体を切り分けて
自分たちの巣に運ぶ。

カサカサの音のあとに
おやすみなさいと小さな声が聞こえ
それからもう一度、カサカサと最後の音がした。

少年はそのカサカサの音を揺りかごにして
静かに目と羽根を閉じた。

太陽がいちばん高く昇る6月
春に生まれたオオカバマダラの子供たちは
まだ北をめざす旅の途中にある。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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福里真一 2010年6月26日ライブ



6月の花婿

ストーリー 福里真一
出演 大川泰樹

いよいよ、私の番だ。

私は、新郎の少年時代のことを知る、ごく少ない友人のひとりとして、
この豪華な披露宴で、スピーチをすることになっていた。

私は、まだ決めかねていた。
新郎の人生を変えた、あの事件のことを、しゃべるべきかどうかを。

彼は、小学校のある時点から、突然、何かをふりはらうかのように猛勉強をはじめ、
その後、ストレートで東大に入り、
今は、とある中央官庁で、順調なキャリアを積んでいる。

そこに、あの事件が、少なからず影響を与えていることは、
間違いがないのだ。

今、会議か何かで遅れていた、主賓の副大臣が、にこやかに着席した。

上場会社の社長であるらしい、新婦の父親が、
すかさず、副大臣のテーブルにあいさつに向かう。

私は、マイクに向かいながら、確信する。

私はやはり、しゃべってしまうだろう。

小学校3年生の、火曜日の4時間目、理科の授業中に、
新郎が、おもらしをしてしまったことを。

そのとき、6月のしめった教室にただよった、
こうばしい匂いのことを。

それがなければ、今の彼は、存在しなかったのだから。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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岩田純平 2010年6月26日ライブ



妻のお通じ。

ストーリー 岩田純平
出演 大川泰樹

妻はお通じがよい。
特に良かった日は、その形を教えてくれる。
「今日はね、じぇい、っていうのが出たよ。じぇい」
アルファベットのジェイは長い間、
我が家のチャンピオンだった。

しかし、それを超えるモノを、
あろうことか僕が出してしまった。
「はてな、が出た。はてな。クエスチョンマーク」
曲がりが大きい上に、点まで付いている。
明らかにジェイを超えた。

これに妻は奮起した。
「出ました。&でーす」
アンド! それはもはや、
ジェイやはてなとは
次元の違う最終形のように思われた。

しかし、妻は、&をさらに更新する。
「ぬ、ぬ、ぬが出た。ひらがなの“ぬ”」
その日の、妻の満足そうな顔を、
忘れることはないだろう。

妻はいま、ト音記号に挑戦している。

出演者情報:大川泰樹 大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中村直史 2010年6月26日ライブ



「中国からの転校生」

ストーリー 中村直史
出演 大川泰樹

小学2年のころ
クラスに中国からの転校生がやってきました。
みんなの前で自分の名前をいったとき
「タン・タータン」と聞こえたのだけれど、
担任の先生が僕らにもわかるよう黒板にカタカナで書いた字は
「タン・タタン」でした。

タンくんは
日本語がしゃべれないせいもあってか
とてもおとなしかったのですが
朝、先生が出欠をとるとき
「タン・タタン」というと
まわりの何人かがつられるように
「タン・タタン」とつぶやきました。

タン・タタン、タン・タタン。
大人になったいまでも
朝、会社へと歩いているときに
タン・タタン、タン・タタンとつぶやくことがあります。
少し気分が良くなります。

タンくんはお父さんの仕事の都合だとかで
数か月で中国に帰りました。
僕が今でも彼の名前をつぶやいていることを
彼はもちろん知らないと思います。

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坂本和加 2010年6月26日ライブ


ひねもすの暮らす国

ストーリー 坂本和加
出演 大川泰樹

ええ、わたしはたしかに
ひねもすを見たことがあります。
と言いますか、
ある時期いっしょに暮らしていました。

ひねもすは、不思議な生きものです。
ペットと呼べるほどなつきませんし、
かといって、何かの役に立つことなどもありません。
ときどき何か良いことを言いそうですが、
ひねもすは言葉を持ちません。

それにひねもすは、
しまっておくものなのです。
ひとに自慢したりするような
ものではないのです。だけど、
たまにはかまってやらないと、ひねくれます。

ひねもすは、いつから
まぼろしになってしまったんでしょう。
写真、とっておけばよかったですね。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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中山佐知子 2010年5月30日



地平線はいつも砂の彼方に

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

地平線はいつも砂の彼方にあった。
東の地平線に押し出されるようにして太陽が姿を見せると
砂の温度はじりじりと上がり
しまいには駱駝さえ歩みを止める熱さになる。
だからこの季節にシルクロードを行く旅人は
真昼の太陽が西の地平線に傾くまでテントで暑さを避け
夕陽を背負って旅をつづけるのだった。

砂漠を縁取って点在するオアシスとオアシスの長い距離には
運のいい旅人と駱駝がかろうじて死なない間隔で
泉が見つかった。
モホライの泉、塩味。
ポプラの泉、ちょろちょろと滴るだけの水。
駱駝の泉、塩味。
僕は案内人が教えてくれる泉の名前と水の味を
日記に書きとめるようになった。

天山(てんざん)山脈の雪解け水を腹いっぱい吸い込んだタクラマカンが
ほんの少しだけ旅人に分け与える水は
たいがい塩分を含み、濁ってもいた。
砂漠は人を嫌っているのだろうか。
この塩辛い水は砂漠へ足を踏み入れた人間への警告なのだろうか。
それでも何日も水を与えられずに歩かされていた駱駝は
大喜びで集まってきたし、
人もその水を飲むしかなかった。

砂漠は天気や太陽の角度によってその色を変える。
明けがた灰色だった砂の山は
日が登るにつれて霞のような青みがかった色になり、
オリーブ油のような黄色、駱駝の毛の色、オレンジの皮の色にも変化した。
ときには煤を溶かしたようにどんよりするときもあった。
夕暮れはいつも金色に染まり
その黄金の海を漕ぎ渡る船のように駱駝の隊列が進んでいった。

桜蘭を出て20日ほど過ぎた夕暮れ、
僕たちは三日月の形をした大きな砂の山脈と
その谷間にかくまわれる三日月の湖を見た。
山は金色に輝き,湖は青く澄みわたっていた。
鳴砂の山と三日月の湖だ、と案内人が言った。

大河さえ砂に追われて100キロ先へ逃げていく砂漠において
この小さな湖はひとつの場所で悠久のときを踏みとどまっていた。
岸辺の柳は葉を揺らし、七つの星と呼ばれる草が生え
ナツメの花の香りもあたりに満ちていた。
三千年の間、砂は湖を埋めることがなく
湖は水を枯らすことはなかった。
また溢れて砂を押し流すこともなかった。

僕は山の名前と湖の名前を日記に書きとめたけれど
そのあとにつづく言葉がなかった。
相容れないはずの水と砂が
お互いを尊重しあってたたずむ奇跡のような姿を
言いあらわす言葉が僕にはなかった。

ただ僕は、砂の地平線を眺めつづけた旅を思った。
砂漠は僕を殺さなかった。
砂漠は塩気を含んだ水の試練を与えるが
その試練こそ人が生残る手段であり
乾いた砂と人が共存するバランスそのものだったのだ。

西の水平線に夕陽が沈むと東の空に月が浮かんだ。
僕は砂漠の色と砂漠の意思を書きとめるために日記を取り出し
ページの間にはさまっていた砂を払い落とした。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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