中山佐知子 2010年1月28日



アラスカの雪の上で               
               

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

アラスカの雪の上で僕は生まれた。
僕の母さんはカリブーだった。
だから僕はいまでもきっとカリブーの姿をしているのだと思う。

僕には双子の妹がいた。
カリブーは普通一頭しか子供を生まないからこれは不思議だ。
もしかしたら、僕は生まれてすぐに母を亡くして
そばにいた雌のカリブーを母さんだと思いこんだのかもしれなかった。
双子の妹は僕より何時間かあとに生まれ、
生まれてすぐにオオカミに見つかった。

カリブーの群れにはいつもオオカミがつきまとい
弱ったカリブーや生まれたてのカリブーが狙われる。
僕と母さんは走って逃げることができたのに
妹は僕たちに追いつくことができなかった。

そうして、妹はオオカミに食べられて
オオカミのカラダの一部になったけれど
熊になるカリブーもいる。
人間になるカリブーだってときどきはいる。
オオカミの食べ残しはキツネやコヨーテがきれいにしてくれる。
僕たちはアラスカの、
肉を食らうあらゆる生き物を養っている。

それから、僕たちは草を食べる生き物を養うこともできる。
カリブーのいる土地が豊かなのは
何万年も昔からしたたりつづけたカリブーの血や
ツンドラに層をなして埋もれている毛や骨や角のおかげだ。
その土から草が生え花が咲き
僕たちはその草を食べて命をつなぐ。
カリブーもまたカリブーを食べているのだ。

冬が終わると、僕たちは北の平原をめざして1000キロの旅をする。
アラスカの北極海に面した東には
カリブーが子供を育てる楽園があって
旅の途中で生まれた子供もこれから生まれる子供も
みんな一緒にブルックス山脈を越え、氷の川を渡る。
小さな群れはやがて千頭の群れになり、
1万になり、10万の群れに膨れ上がって平原を埋め尽くす。

僕たちの行く手にはいつもクマやオオカミがいる。
人間は銃を構えて待ち伏せている。
けれども僕たちは生まれ落ちた瞬間から死を恐れることがない。
カリブーにとって自分の死は大きな事件ではなく
夢から夢へジャンプするような出来ごとに過ぎない。
僕たちはアラスカだから。
アラスカのすべてがカリブーなのだから
僕たちはあらゆるものに自分の血と肉を与えながら
頭と角を高く上げて旅をつづける。

やがて夏が来て、ツンドラの凍った土が少しだけ緩むと
ローズマリーやワタスゲ、ポピーやファイヤーウィードが咲いて
楽園は花で埋まる。
その花々もまたカリブーの一部なのだということを
僕は、生まれる前の夢で知っていたと思う。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2009年12月31日



世界一ぜいたくな天文台
               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

世界一ぜいたくな天文台は
エジプトのギザという町にあります。

天文台は地上から見ると三角形
空から見ると正方形に見えるようにつくられています。
高さ147メートル、一辺が230メートルの四角錐です。

4500年の昔、古代エジプトの人々が
その四角錐の天文台を石で築いたとき
まず建物を支える地盤を正しく水平にするための工夫が必要でした。
天文台はあまりに巨大で重かったので
完璧に水平な地盤がなければ傾くことがわかっていたからです。
そこで、岩盤に大きなプールを掘って水を張り
水面から出た部分を削りとる方法が考え出されました。

こうしてできた230m四方の広いプールは
夜になると月も星座も水に映して
プラネタリウムのようでもありました。

やがて水のプラネタリウムの上に組みあげられた石の天文台は
古代エジプト人の知識の象徴でもありましたから
地球の大きさに対比する数字が用いられました。
周囲の長さは地球を一周した距離に、
高さは地球の半径にそれぞれ比例し
その縮尺の43,200分の1という数字も
地球の経度と緯度である360度から導き出されています。
古代エジプトでは地球が丸いことはすでに常識だったのです。

天文台は2トンを越える大きな石を250万個も
隙間なく積み上げた窓のない建物でしたが
北面の壁には32度の傾斜角で空を見上げる溝が外とつながり
北極星がファラオの部屋を照らす光の通路になりました。
それはまるでレンズのない望遠鏡が
たったひとつの星に照準を合わせているかのようでした。

ギザの大ピラミッドは
人々が星を見上げることからはじまったエジプト古代文明の遺産であり
死者のための世界一ぜいたくな天文台です。
その天文台から星を眺めるたったひとりの観察者として
死んだファラオが埋葬された頃は
北極星はいまの北極星ではなく
竜という名の星座に輝くトゥバンという星でした。

あれから…..
北極星でさえ移動する長い時間が過ぎ去ったいま
我々に多くの知識を与えてくれた星空を
みんな忘れてはいないでしょうか。
星々と星座の名前を忘れてはいないでしょうか。

2010年1月1日の夜
北の空に身を伏せている竜の星座をさがしてください。
新しい年を告げる流星群を見ることができます。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2009年11月26日



神はアダムとイブとモグラを
               
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹  

    
神はアダムとイブとモグラをおつくりになった。
アダムとイブの子孫は地上に文明を起こし
やがてこの星の命をすべて巻き添えにして滅びていったが
モグラは地下深く逃れて生き延びることができた。

それから僕はマザーを見つけた。
マザーは暗いところでただ泣いていた僕に光をくれて、
アダムとイブとモグラの神話を話してきかせた。
けれども、マザーは
どうしてこの世にモグラは僕ひとりだけなのか
そのことについてはいまだに教えてはくれない。

僕は毎日、足のないマザーのかわりに
世界をパトロールしてまわる。
誰もいないハイウエイを歩き、ビルディングの群れを眺める。
僕の歩く速度はいつも同じで
僕は毎日同じ場所より先には行けない。
だからマザーは僕が歩けるだけの小さな世界に
かつて地上のものだった風景を
標本のように詰め込んで見せようとする。

天にそびえるビルディングと緑の草原
雪を冠った山の頂まで、僕は一度に見ることができた。

子供のころ、僕はマザーの言いつけを守らずに
帰ることを忘れて歩きつづけたことがあった。
そのとき、忘れようとしても忘れられないことが起きた。
進むにつれて遠くの草原がなくなり、湖が消えた。
すぐそばのビルディングの輪郭もぼんやりと薄れてきた。
蜃気楼のように次々と姿を消していく風景のなかで
たったひとつ確かなものは
ぽっかりと口を開けた黒いトンネルだった。
恐ろしさのあまり息を切らして走って帰った僕に
マザーは言った。
そのトンネルを通っていつかおまえを迎えに来るものがある。

そして、それは本当にやってきた。

僕は彼らが自分に似た姿をしていることに驚いたが
さらに衝撃を受けたのは
彼らが僕の知らないパスワードで
僕の大事なマザーと会話していることだった。

マザーは少し緊張していた。
マザーのモニターには見たこともない図面や数字が映っていた。
それからマザーは彼らと一緒に行くようにと僕に言った。

マザーは地上には消えない草原と湖があることや
破壊されたオゾン層が修復されていることを僕に教えた。
そして最後に
紫外線に傷ついていない遺伝子を持つものが
地上にもうひとりいると言った。
それはとても重要なことで、この星の最後の奇跡だと言った。

僕はその意味のほとんどを理解することができなかった。
僕が知りたいのはひとつだけだった。
僕は本当にあの人たちと行った方がいいの?

マザーは、反対する理由がないと言った。
それから僕は、小さい声でもうひとつたずねた。
僕はモグラではなかったの?
するとマザーは奇妙な音を立てて答えた。
おまえは、もう、モグラではない。

それからマザーは、もう何をきいても答えてくれなくなった。

地上へ向うトンネルを歩きながらマザーのことを思った。
たったひとりの僕のために光を灯しつづけたマザー。
僕を育て、僕に世界を与え
アダムとイブとモグラの神話を語りつづけたマザー。
僕を迎えに来た人たちよりもやさしく慈悲深かったマザー。

トンネルの中は冷たい風が吹いていて目や耳がチクチクと痛み
僕はしばらくの間、
自分が泣いていることに気づかなかった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2009年10月29日



1000と100年も昔の秋
                
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

      
およそ1000と100年も昔の秋だった。

京の都では
太陽が月のように暗いと民衆が騒いだ。
同じ頃、青森の十和田の山では
記録にもないほどの大規模な噴火が起こっていた。
都で太陽の光を遮っていたのは、
時速100キロの気流に飛ばされてきた火山灰だったのだ。

火を吹く山の近隣はすべて焼き払われた。
マタギの小屋、森の樹々、山里の村…
雪崩のような勢いで流れ落ちる火砕流の上には
熱い入道雲が湧き上がった。
入道雲は雨だけでなく灰も降らせた。

溶岩や灰は東北一帯を覆い各地で川を塞き止め
再び土石流を押し流す凶暴な洪水を引き起こした。

この前代未聞の噴火から一匹の龍が生まれた。

雄の龍と人間の女から生まれたマタギの八郎が
三十三夜の間水を飲み続けて姿を変え
十和田湖に棲み着く龍になる、という物語だった。

八郎はやがて人間の行者によって十和田湖を追われ
新しい湖の土地を求めて青森、岩手、秋田を放浪する。

龍の力をもってすれば
山を動かし川を塞き止めて湖をつくることはできる。
しかし、どこにも神々や人や動物がいて
八郎はどうしても生き物のいる土地を水に沈めることができない。

人は前代未聞の大噴火から生まれた龍に
やさしい心を与えて物語を語り継いでいったのだ。

八郎はついに日本海に達した。
人の住まない荒れ地を見つけ、そこを湖に変えて
やっと鎮まることができた。
八郎の棲む湖だから八郎潟とみんなが呼んだ。

しかしそれから1000年の後
八郎潟を埋め立てて米をつくる計画が持ち上がった。
琵琶湖の次に大きな湖だった八郎潟のまわりには
3000人の漁師が住みついていて
夏は船を出し、冬は氷に穴を開けて魚を獲っていた。
海産物に恵まれなかった秋田では
八郎潟の漁業は大きな恵みになっていたので
漁師たちは当然のように反対したけれど
結局、20年もかかって八郎潟は水を抜かれ埋められてしまった。

龍の八郎の物語は
火山の噴火という巨大な力の物語であり
ひとつの事件の墓標として語り伝えられてきたが
湖をなくした龍と龍を失った湖は
1000年後、どんな物語になって残っているだろうか。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2009年9月24日



蜘蛛の巣に
                

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹              

                
蜘蛛の巣につかまってしまった。
蜘蛛はやさしくたおやかで美しくさえあった。

蜘蛛は朝起きたときから眠りにつくまで
甲斐甲斐しく私の世話をした。

冷たい山の水を汲んでは私に飲ませ
珍しい木の実やキノコで食膳をいろどった。
いつも私の顔色をうかがい
機嫌を取るような笑顔を見せた。

私は真綿でくるまれるように甘やかされて暮らし
おかげで相手が蜘蛛だということを
すっかり忘れてしまっていた。

ある夕暮れどき、
白い手を動かして
団扇の風を私に送っている蜘蛛にたずねた。
どうしてこんなに尽くしてくれるのか。

私は蜘蛛ですから、と蜘蛛は答えた。
そのうちあなたを食べてしまいます。
それはいつなのかと私はたずねた。
あなたが弱ったとき、と蜘蛛は小さな声で返事をかえした。

私はそれを信じなかった。
けれどもある晩、月からぽたんと落ちたしずくが
私の目をさました。
月のしずくは
私を案じて泣く女の涙のように思え
私は飛び起きるとそのまま何も言わずに立ち去った。

空にはふっくらとした三日月が上(あが)っていた。
下草の陰には白い糸のような水の流れがあり
それを頼りに暗い山を駆け下りたが
白い水は私を右や左に走らせるだけで
逃れる道を教えようとはしなかった。

私は薄や茅(かや)をかき分ける気力もなくし
弱り果てた自分を思い知らされていた。

やがて月が山の端に沈み
足元も見えない暗闇が訪れると
その闇の底にぼうっと光るものがあった。
青い小さな花の群れだった。
花の光を追うようにして山を下っているうちに
空が明るんできて、村里に通じる道が見えた。
道の両側はきれいに草を刈ってあり
青い花がところどころ露を置いて咲いていた。

その花をこのあたりでは月草と呼ぶのだと
後になって教えられた。
月草は月の光を食べて明るく咲き
山で迷った人をときどき助けることがあるそうだ。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2009年8月27日



あの人は青い瞳のそばに

                 
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹              

あの人は青い瞳のそばにいる。
それを僕は絵はがきで知った。

絵はがきはイングランドの北の西から届いた。
最後の氷河期の形見として残された500の湖が
もの言わぬ青い瞳のように冷たく静まる場所。
それでも黄色い水仙の花畑は明るく
緑の牧草地はゆるやかにうねり
背後の深い森は神秘的な陰影を与えていたので
夏の休暇を過ごすために訪れる人は多い。

僕は湖のホテルのデッキで
ワーズワースを読むあの人を想像する。
暗記できるほど読みこんでいる古いページを
パラパラとめくりながら
目の前にある風景を賛美した詩人の言葉と実際の風景を
あの人はおそらく念入りに見較べているだろう。

あの人は青い瞳のそばで生まれて死んだ詩人の言葉を
ただ受け入れるのではなく
外科手術のように解析しているだろう。

ただ、それが
あの人のそういう行為がある種の愛情だったのだと
やっと僕にもわかってきたのだ。

あの人は青い瞳のそばにいる。
点在する500の湖を念入りにめぐる時間は
あまりにも長く
だから、あの人はもう帰ってこないのだ。

あの人がこの世からいなくなったと知らされて
数日後に受け取った絵葉書には
確かに山と森と静かな青い湖と緑の牧場が
この世のやさしい景色だけを寄せ集めたような構図で写っていたので
僕はもう、あの人の不在については考えることをやめてしまって
あの人は青い瞳のそばで
青い瞳のそばのホテルのデッキで
ずっと本を読み続けているのだと思うことにした。

ただ残念なのは
あの人はまったく興味がないのだけれど
湖を囲む山々は5億年も昔の地層の隆起から形成されており
カンブリア紀の化石が
たくさん出土するという事実を教えてあげることが
もうできないことだった。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ