中山佐知子 2006年11月24日



置き忘れていった                    
                           
                   
ストーリー 中山佐知子                      
出演 大川泰樹

置き忘れていった小さな腕時計を
僕はときどき取り出して触る。
もしかしたら、
わざと置き去りにされたのかもしれないと考えてもみる。

その持ち主の手首の細さをもう覚えてはいないが
腕時計をはずすときの指のカタチがぼんやり記憶にある。
結局僕は
針を合わせたりネジを巻くその指が好きだったのか
それともこの小さなかわいそうな腕時計が好きだったのか
いまだにわからないでいる。

このところ気温が下がりはじめ
文字盤のガラスがときどき曇る。
僕の時計も一緒に曇って
針のありかがよく見えなくなってしまうので
縁側の先まで霧が押し寄せている朝などは
世間からも、時間からも、
ひどく遠ざかったところに漂っている気持ちになる。
僕は本当にそんな場所に、ひとりいるのかもしれない。
君の時計だって
そんな寂しいところでじっと耐えているんだよ。

たまに空に向かって呼びかける相手の、
どちらの手首にこの腕時計が巻かれていたのかさえ、
もう思い出すことがなくなっているのに
その人が、わざと時計をしたまま水槽の水を替えたり、
焚火の栗を突ついたりしていたのは
どういうわけか覚えている。
小さな時計はいつも喪に服したようにひっそりと悲しんでいた。
そして、とうとう置き去りにされてしまったんだ。

ある昼下がり、
長く伸びた日差しを浴びているヤブコウジの赤い実を見つけたとき
この季節に生きた色を持たないものは
すべて眠ってしまえばいいと思った。
落葉樹が葉を落とし、樹液の水路を閉ざして眠るように
トカゲが土の中で目を閉じるように
時計も動きを止めてやれば目と心が閉じるだろう。
心が閉じれば寂しくも悲しくもないだろう。

僕は小さな時計を洗ったばかりのハンカチにつつんで
小机の引出しにいれたまま
3日ほど様子を見ることもしなかった。
うっかり手に取るとネジを巻いてしまうので
引出しを開けることもしなかった。

4日めの朝、寝静まった巣箱を覗きこむように
そっとハンカチを広げたとき
小さな時計はまだかろうじて息をしていた。
1秒の3倍ほどかかって
秒針をひとつ進めるのが精一杯だったけれど
時計は目も心も閉じようとはしていなかった。

悪かったね
僕はもう一度小さな腕時計のネジを巻いた。
冬が来ても時計と人に楽園の眠りはやって来ないが
ヒリヒリと痛がる心がやがて赤い実をつけるかもしれない。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

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児島令子 2006年10月20日



『彼女の出張』
                      

ストーリー 児島令子
出演    大川泰樹

もしもあなたが、
大阪から東京に向かう新幹線の中で、
ペンとノートを手に、
考え事をしている女性を見かけたら、それは彼女かもしれない。

彼女の職業は、女芸人。
最近急にブレイクし、大阪から東京に呼ばれることが多い。
彼女は、それを「出張」と呼ぶ。

彼女は、東京23区内でギャラを稼ぎ、
大阪西税務署で納税している。
東京都知事よりは、大阪府知事に愛されそうな生き方。

彼女は、東京までの2時間半、
出張先で披露するネタを考える。
「こんな感じでいいんじゃないの」
ってやつなら、もうできている。
「これでなくちゃいけないの」
ってやつが、まだでていない。。。。

彼女はまったく、天才なんかじゃない。
だから、考える。

もしもあなたが新幹線の中、
名古屋を過ぎたあたりで、
座席でメイクを直している女性を見かけたら、彼女かもしれない。

電車の中でメイクをするのは、ルール違反。
でも、新幹線の中は例外。隣が空席の場合はもっと例外。
それが、彼女のルールブック。
自分を自分なりにきれいにしておくことと、
いいネタを持参することは、
居心地のいい出張のための条件。

それに、もはや、おかしな顔で面白いより、
美しくて面白い方が、面白い時代なのですよと。

メイクをチェックして、ふたたび、仕事に集中。

もしもあなたが、東京駅に着くまぎわに、
コーヒータイムしている女性を見かけたら、彼女かもしれない。

「お熱くなってますのでお気をつけください」
差し出された車内販売のコーヒーを、彼女は味わう。
いま、ノートに書き込んだばかりの新ネタを見つめながら。

新幹線は必ず行き先に着く。だから彼女は救われる。
東京駅という締め切りに向かって2時間半、
彼女のネタ作りの旅は、コーヒーで締めくくられる。

ダークブラウンの液体とともに彼女が飲み込むのは、
あるときは、小さな達成感。「やったね、これだ」
あるときは、少しの敗北感。「こんなもんかな」

だけど、いずれにせよ、締め切りがあってよかったのだ。

人生は、
さまざまな時間のユニットでできていて、
それぞれに終わりがあるから、
ささやかな何かを成し遂げることができる。

コーヒーを飲み干したとき、
彼女の手からノートが通路にすべりおちた。開いたままの状態で。
見開きいっぱいに、へんなコトバや文章が並んでいる。

まわりの乗客の視線を感じたとき、
彼女はもうひとつ、ネタを思いついた。

「今日、新幹線でネタ考えてたら、コピーライターとまちがわれたんですよ~」

彼女は東京23区内へ消えていった。

*出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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