川野康之 2018年12月16日「雑木林」

雑木林      
                    
       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

どこにも行き場所がないなと感じたとき、
あい子はこの公園に来る。
あてもなく雑木林の中を歩きまわる。
落ち葉を強く踏みつけて歩くのは、
別にむしゃくしゃしているわけではない。
何か用があって急いでいる風を装っているのだ。
そういう歩き方が身に付いてしまった。
そのうちここではそんな風に装う必要はないのだと気がついて、
ようやく歩度を緩めた。
透明になっていたあい子が、
クヌギの木とナラの木の間で姿をあらわしはじめた。
背中の赤ん坊が「葉っぱ、葉っぱ」と声を上げた。
もっと葉っぱを踏めと言うのだ。
あい子はあわてて再びどしどしと歩き出す。
枯れ葉色の景色が後ろに流れていく。
世界中にこの子とただ2人っきりだと、あい子は感じる。

葉っぱの中からトシさんがあらわれて、伸びをした。
ビニールシートでできたトシさんの家に落ち葉が積もっていた。
トシさんには帰る場所も行く場所もない。
たとえ居場所がなくても人はどこかには居なければならないわけだが、
どこに居ても追い出されてしまったのだ。
乾いた落ち葉がホウキでひっかかれて風に飛ばされていくように、
あちこちに飛ばされ飛ばされして、トシさんはこの公園にやってきた。
さっきトシさんの耳もとを誰かが落ち葉を踏む音を立てて通り過ぎていった。
トシさんはきょろきょろと辺りを見回すが、人の姿は見えない。
ただ落ち葉の地面についた小さな足跡だけが雑木林の向こうへと続いている。
(自分も昔はあんな風に歩いて行く所があったものだ)
トシさんは大きなあくびをしてから、またビニールシートの家に潜り込んだ。
その上に枯れた木の葉が降り注ぎ、やがてトシさんの家は見えなくなった。

雑木林に囲まれて池がある。
水面を覆っていた落ち葉が揺れた。
ぽちゃりと音がして、何か青く光るものがはねた。
ブルーギルである。
ブルーギルはアメリカ原産でフナぐらいの大きさの淡水魚だが、
日本の川や湖に放流されて棲みついた。
水の中にいる昆虫、貝類、ミミズ、小魚まで何でも食べる。
繁殖力が強いためどんどん増えて、あちこちの淡水に広がり、
もともと住んでいた日本のメダカやフナやおたまじゃくしたちは
すっかり肩身が狭くなってしまった。
この池も例外ではない。
しかしブルーギルたちはそんなことは知らない。
与えられた場所で生きているだけである。

二週間後、池の中からブルーギルの姿が消えていた。
市役所の職員や大勢の人が来て、「掻い掘り」というのが行われたのである。
かい掘りとは、池の水をくみ出して泥をさらい、魚などの生物を捕り、
天日に干すことである。
その後きれいな水を入れて、フナやメダカはのびのびと放たれ、
ブルーギルたち外来生物は一匹残らず駆除された。
公園はきれいになった。
雑木林の公園からいなくなったものはブルーギルの他にもあった。
落ち葉の中に住んでいたトシさんと、
ときたま赤ん坊を背負って歩いていたあい子の姿である。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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川野康之 2018年5月6日

鬼の刀~菖蒲湯伝説

    ストーリー 川野康之
      出演 遠藤守哉                          

もう桜も咲いたというのに雪が降った寒い日の晩。
嘉七の家の前で人の気配がした。
戸を開けて見ると見慣れない男が一人。
身なりはぼろぼろだが腰に刀をくくりつけている。
飯を食わせて欲しいという。
「ただでとは言わん」
といって腰の物に手をかけた。
嘉七の背中で妻のみつと息子の小太郎が悲鳴をあげた。
男は刀を鞘ごとはずして嘉七に手渡した。
「これをやる」
勝手に中に入って床にあぐらをかいた。
嘉七は刀など欲しくはなかったし、帰ってくれと言いたかったが、
機嫌を悪くして暴れられては困る。
ここは飯を一杯食わして穏便に去ってもらおうと決めた。

「ごちそうじゃった」
男は満足そうに茶碗を置いた。
それから不思議なことを語り始めたのだ。
「神隠しというものがあるだろう。
子どもが突然消えたりするあれだ。
あれは神隠しというがじつは山に棲む鬼の仕業だ。
春になると鬼は人間の子どもが食いたくなるのだ。
なぜかといってもわからぬがとにかく無性に食いたくなるのだ。
七つぐらいの男の子が一番うまいという。
子どもをさらってくると河原で火を焚いてな、
鍋で菖蒲の葉といっしょに煮て食う。
菖蒲を入れるのは人間の肉の臭みをとるためである。
・・・ところで 」
と今年七つになったばかりの小太郎をじっと見た。
「この子はいくつだ」
男の眼ににらまれて小太郎がぶるっとふるえた。
その体をみつが抱いて引き寄せた。
「七つか。ふん。せいぜい気をつけろ。
しかし、いったん鬼に目をつけられたら最後、ぜったいに逃れる方法はないぞ」
そう言って男は帰って行った。
朝になって外を見ると、雪の上に足跡が残っていたが、
10歩ばかり歩いたところで消えていた。

この話を村の衆にしたところ、
「それは鬼じゃないか」
と声をひそめて言う者があった。
今年はどの子を食おうかと鬼が下見に来たというのである。
「かわいそうに小太郎は鬼に見初められたんじゃ」
そう言われて嘉七はぞっとした。
あの男は鬼だったのだろうか。
小太郎をじっと見ておったな。
あの眼はそんな恐ろしいことを考えていたのか。
「ぜったいに逃れる方法はないぞ」
男の言葉がよみがえってきた。

その日から三日三晩、嘉七は田んぼにも出ないで家の中にこもった。
床下に隠しておいた刀を取り出して、じっと考え込んだ。
あの男はなぜこれを置いて行ったのか。
鞘を膝に乗せ、表面の漆を削って下の木材をむき出しにした。
そこにヨモギの葉をすりつぶして手のひらで丹念にこすり付け始めた。
「みつ、もっとヨモギを取ってこい」
手の皮がすりむけるまで何度も何度もヨモギの汁をすり込んだ。
嘉七の手が緑色に染まり、黒く血がこびりついたのを見て、
青鬼のようだとみつは思った。
草色に見事に染まった鞘は、まるで菖蒲の葉のように見えた。
この鞘に刀を収めて、小太郎の体にくくりつけた。
「寝る時も厠へ行く時もけっしてはずすな」
恐れていた日はすぐにやってきた。
とつぜん強い風が吹いた。
家が揺れ、屋根がめりめりとはがされるような音がした。
嘉七が屋根を見て戻ってくると、もう小太郎の姿はなかった。
風の音に混じって鬼の笑い声が聞こえてきた。

小太郎は暗い鍋の中で、菖蒲の葉と一緒に水に浮かんでいた。
下から熱い湯が沸いてくる。
菖蒲のうちの一本は自分の体にくくりつけて持ってきた刀である。
湯はどんどんと湧いてきて、どんな熱い風呂よりも熱くなった。
足の裏が焼けた。
菖蒲のにおいでむせびそうになる。
意識が遠くなってきた。
父の言葉をとぎれとぎれに思い出した。
「鬼は鍋の前にいる。煮えるのが待ちきれなくて、
蓋を持ち上げて中をのぞこうとするだろう。その機会を逃すな」
目の前が明るくなったので、小太郎ははっと意識を取り戻した。
天井が少し開いている。
もうもうとした湯けむりが消えて、その向こうからぎらぎらと大きな目玉が一個、
こっちをのぞきこんでいた。
小太郎は草色の鞘から刀を抜くと、全身の力を込めて跳び上がって、
湯気たてる刀身を目玉の中心に突き刺した。

恐ろしい叫び声が山中にこだました。
嘉七は山道を急いだ。
河原まで来た時、倒れていた小太郎を見つけた。
小太郎は足の裏にやけどを負っていた。
嘉七はわが子を背負って山道を降りはじめた。
「眼を見たか」
と背中の子どもに声をかけた。
雪の日に刀を置いて行ったあの男、
あれはほんとうに鬼だったのだろうかと、嘉七は考えていたのである。

出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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川野康之 2018年2月4日

メッセージ                      

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

港に着いて、バスに乗ってから、だんだん気が重くなってきた。
海岸沿いを走るバスの中から、青い海が見えた。
やっぱ東京の海の色とは違うよなとか、
黒川次郎のブルーはここから生まれたんだなとか、
そんなことをぼんやりと考えた。

黒川次郎は、一年ほど前に彗星のように東京の美術界に現れた。
彼の絵は人々の心を鷲づかみにして、たちまちスターになった。
雑誌で特集され、今もあちこちで展覧会が開かれている。
だが、彼の経歴については謎が多い。

私は、黒川に依頼されて、この島へやって来た。
ある女に会って金を渡してくれと頼まれたのだ。
黒川は、東京に来る前はこの島にいたらしい。
島の女と一緒になって、暮らしていた。
ひどい貧乏暮らしだったが、
仕事もせずに、酒を飲むか、絵を描くか、
そうでなければぼんやりと海を眺めていたという。
妻が働いた金で、二人はなんとか生きていた。

黒川次郎は私に金だけを預け、何もメッセージを託さなかった。
女と会って、金を渡して、そのまま帰る。
それが私のミッションだった。
それが私の気を重くしていた。

黒川の妻と別れて、私はバス停で帰りのバスを待っている。
午後の光が逆光となって、水面が白く光っていた。
彼女は金を受け取らなかった。
私を問い詰めたり、なじったりもしなかった。
私が帰る時に、彼女はこう言った。
「売れない絵描きの妻が楽しかった。私たちはそれだけでよかったのよ」
これは、誰に向けた言葉だったのだろうか。

岬の方からバスが走ってくるのが見える。
その時、道路の向こう側に一人の屈強そうな若者が現れて、
私に向かって歩いてきた。
たくましく陽に焼けた体がまぶしかった。
私をまっすぐに睨みつけた。
「黒川に会ったら言ってくれ」
と若者は言った。
「はる子は俺がもらった」

バスは海岸沿いを走っている。
不思議なことに、行きの時ほど心は重たくない。
海は青く輝いていた。
黒川に伝えなければならないメッセージがあると思った。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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川野康之 2017年10月15日

酒をおくる

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

ぼくたち人類は10数万年前にアフリカで生まれたと言われている。
5万年前にはアフリカを離れて、世界中に旅を始めた。
食料を求めて、生きぬくためだった。
氷河期の終わりには、世界のあちこちで、
狩猟生活をやめて農耕生活を始めるようになった。
農耕を始めると、土地がいるし、水を引かなければならない。
その結果、隣人との間で争いが起きるようになった。
隣人、聞きなれない言葉だ。
獲物を追って旅をしていた頃は隣人なんていなかった。
自分の好きな場所を寝床にすれば良かったのだから。
農耕生活が始まるとともに、ぼくたちは土地を持ち、
隣人を持たなければならなかった。
狩猟時代の自由気ままな生き方と引き換えに手に入れたものが、
隣近所との絶えざる喧嘩だったというわけだ。

人間がお互いに憎み合うようになったのはこのときからだ。
猜疑心という悲しい心が生まれ、恐怖と嫉妬という感情が芽生えた。
きみにはその意味すらわからないだろうね。
汝の隣人を愛せよ、とぼくたちのふるさとアフリカの近くで誰かが言ったらしいが、
それはそうすることがいかにむずかしいことであるかを語っているようだ。

もちろん狩猟時代にも争いはあった。
女をめぐる争い。獲物をめぐる争い。
だがそれらはすぐに片がついた。
強い方が勝ちだ。
負けたやつはしっぽを巻いて去る。
あとくされなし。
おおらかなものだったね。

人々はお互いに傷つけあうようになった。
水のために、隣の村を襲って一人残らず殺してしまったこともあった。
そうしないとこっちがやられる。
疑心暗鬼、復讐、裏切りがあたりまえになった。

人類はいったいどうなってしまうのだろう。
これからずっとこんな世の中が続くのか。
もう一度狩猟生活に戻ったほうがいいのではないか、とぼくは思うことがある。
きみがそれを続けることを選んだように。

そうだった。
あたたかい、海に囲まれたヤマトの地を見つけたとき、
ぼくはそこに残ることを決めた。きみは狩猟生活を続けるために、
再び北に向かって旅立ち、ぼくたちは別れたのだった。
今ごろきみはどのあたりを歩いているのだろうか。

ビッグニュースがある。
米を入れた甕に水を入れて、数日置いておくと、
おいしい飲み物ができることをぼくは発見した。
それを飲むと、愉快な気持ちになるのだ。
自然に歌が出て、踊りたくなるのだ。
ぼくは隣人たちにこれをふるまった。
彼らは、家の奥にしまいこんでいた米を持ってきて、ぼくに預けるようになった。
この不思議な飲み物をぼくたちは「酒」と呼んだ。
今では収穫のあとにはみんなで集まって、
酒を飲んで、歌ったり踊ったりする。

酒は、もしかしたら人類を救うかもしれない。

今年も収穫が終わり、素晴らしい酒ができた。
この酒をきみにおくろうと思う。
ヤマトの海の水は太陽が昇る方向に向かって流れている。
酒を入れた甕を船に乗せて、この海に流そう。
この海の彼方にもきっと大きな陸があるだろう。
もしかしたらきみはそこにいるかもしれない。
そんな気がするのだ。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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川野康之 2017年5月7日

170507kawano

ボタン

     ストーリー 川野康之
       出演 石橋けい大川泰樹

(女)
目が覚めて、いつものようにボタンを押そうとして、
その手が少し止まった。
コンマ何秒かだけど、押すのが遅れた。

おはよう。カーテンあけるで。うほーまぶしい!

そう言って彼は快活にベッドから飛び起きたけど。
気がついたはずだ。わたしが少しの時間、
彼のボタンを押すのをためらったことを。
彼のセンサーはちょっとした変化も見逃さない。
今は台所でトーストを焼きながら、
わたしの心の中に起きた小さな変化について考えているだろう。

わたしの顔を覆っていたふとんがはがされた。
まぶしい。閉じていたまぶたを少しずつ開ける。
目の前10センチのところに彼の目があった。

いつまで寝てるねん。
ほら、起きて。
目玉焼きできたで。
ええ匂いしてるやろ。

彼と暮らし始めてから3か月になる。
毎朝彼はわたしに目玉焼きを作ってくれる。
だんだんわたし好みの味になってきた。
彼の芸人のような関西弁が気に入っていた。
朝食を食べ終わると、わたしはお化粧を始め、彼は新聞を広げる。
記事を読みながら、一つ一つにつっこみを入れてくれる。
わたしが笑うたび、その反応は彼のデータベースにインプットされていき、
一日ごとにおもしろさの精度が上がっていく。
マンションの玄関を出てふりかえると、彼が窓から見送っていた。
わたしと目が合うと、彼は指をひらひらさせて、笑う。
最高の笑顔だ。
わたしのつぼをちゃんと知っている。
なんだろう、この気持ちのよすぎる息苦しさは。

別の朝。
彼は眠っている。
ボタンを押さなければ起動することはないのだ、と
心の中で自分に言いきかせる。
わたしは指を伸ばして、彼のボタンを押した。

朝ごはんを食べているとき、
ときおり彼がじっとわたしを見つめているのに気がついていた。
わたしの一挙手一投足に注意を配っている。
いつものように新聞の記事を読み、いつものようにつっこみを入れるが、
その一方でわたしの反応を慎重にチェックして分析しているのがわかる。
彼はあいかわらず快活であるが、以前ほど魅力的ではない。

ある朝。
朝食を食べているとき、彼がわたしの名前を呼んだ。
「もしかしたらどっかぐあいがわるいんとちがう?」
わたしは笑って首を振り、目玉焼きをわざとおいしそうに咀嚼して飲みこんだ。
元気だってことをアピールしたつもりだ。
わたしを病院に送るつもりだろうか。
マンションを出て、角を曲がってから、わたしは逃げるように走った。
大通りに出てまわりに大勢の人がいるのを確認して携帯を取り出した。

(男)
ボタンを押そうとして、手が止まった。

今日の午後、ロイドアンド社のメンテナンスサービスから電話がかかってきた。
リンダに何か異常が起きた可能性があるという。
「どういうことですか?」
「アイデンティティ回路が混乱して逆転妄想を生んでいるようです」
彼の説明によるとこういうことだった。
複雑化した高性能ロボットにはたまにあることなのだが、
自分を人間だと思い込み、そばにいる人間をロボットだと思い込む。
症状が進むと、自分がロボットに監視され支配されているように感じて、
防衛しようとする。
過剰防衛で相手を傷つけることもあるという。
「危険です。すぐに回収に伺います」
そのとき、リンダが帰ってくるのが窓から見えた。

リンダは疲れていた。
帰るなり、テーブルにつっぷして居眠りを始めた。
やはり調子が悪いのだろうか。
ぼくはそっと彼女の髪に手を当て、首の後ろのボタンを探した。
メンテナンスサービスの男が言ったとおり、
起動ボタンの上数センチのところ、
ぼんのくぼのところに赤い小さなボタンがあった。
これがキルスイッチだ。このボタンを押すと、
すべての機能がシャットダウンされるという。
メモリーは初期化された後焼き切れて、神経回路は遮断される。
つまり・・・
「リンダという人格は死にます」
男の言葉を思い出した。
ボタンを押そうとしていたぼくの手が止まった。

なぜ止まったのだろう。
これは愛?まさか…

そのときとつぜんリンダが目を覚ました。
くるりとふりむいて、ぼくの首に手をまわして抱きしめ、キスをした。
ぼくはうっとりとした。
彼女の手がぼくの首の後ろをまさぐり、
赤いキルスイッチのボタンを探り当ててそれを押した。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース
       大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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川野康之 2017年4月2日

1704kawano

菜の花ピクニック

    ストーリー 川野康之
       出演 石橋けい

同僚のふじこさんと一緒にピクニックに行った。
ピクニックなんて何年ぶりかだ。
去年の暮に父が死ぬまではそれどころではなかったのだ。
「さちえさんはお父さまのお世話で大変だったわね」
「ええ、でもやっと死んでくれたから。これからは人生を楽しむわ」
海の見える駅で特急を降りて、私たちはバスに乗った。
春である。
民家の庭の梅が美しく咲いている。
「ねえねえ、あそこ」
とふじこさんが梅の咲いている家を指差す。
「ええ、梅の花きれいね」
「じゃなくてあの看板。房総名物アジフライ定食って書いてある」
「ああ」
ふじこさんは天然だ。
「帰りにあれ食べていきましょうね」
私はフライがあんまり好きではない。
天然でKYのふじこさんのこともそんなに好きではない。
「ねえねえ、あそこ」
今度は何の看板だろうと外を見ると、
「梅の花、きれいね」
「ああ」
「どうして花は毎年新しく咲くか知ってる?」
ふじこさんは語りだした。
知るもんか。
「花は死んだ人間の生まれ変わりなのよ。
地球上のすべての花が実はそう。
前の年に死んだ人が花になって咲くの」

ふじこさんの話を整理すると次のようになる。
人は死んだら、神さまからどんな花に咲きたいかと訊ねられる。
アサガオでもアザミでもヒマワリでもシクラメンでもなんでもオーケー。
神さまは願いを聞いてくれる。
ちなみに日本人の希望でいちばん多いのは桜だそうだ。
でも、どんな花がいいかと聞かれても、すぐに答えられない人もいる。
そういう人にはおまかせコースというのが用意されているそうな。
神さまの助手の天使たちが、帳簿をつけながら、
必要な花の数を満たせるように割り当てていく。
一番多く割りふられるのが菜の花なのだそうだ。
そこら中にいっぱい咲いている菜の花は、多すぎても困らないので、
数合わせとして使われるのだという。

「でも咲いてみると、案外菜の花って悪くないのよ。
ぽかぽかと陽のあたる丘の上にいて、春風は気持ちがいいし、
それになによりあの色。
あの黄色を身にまとうだけで愉快な気持ちになって
つい笑ってしまうらしいのね」

丘の上のバス停で降りると、あたりは一面の菜の花だった。
白いワンピースをひらひらさせて歩くふじこさんの後を歩きながら、
そういえば何年も花のことなんか考えたことなかったな、と思った。
サラリーマンだった父は、ある日突然会社をやめて帰ってきた。
仕事もしないで昼から酒を飲んで家族にやつあたりをするようになった。
家の中は真っ暗。弟が家出をし、母が離婚して、私だけが残った。
脳梗塞で倒れて半年寝たきりになった後、父はやっと死んでくれた。
そのときはしんそこうれしかった。
父の死後、あちこちから借金が出てきた。
私はそのお金を払うために、自分の積立貯金をぜんぶ下して、
退職金まで前借しなければならなかった。
もう一度父に会ったら、一発殴りたい。

ふと思った。
父は花の名前なんか一つも知らなかっただろうな。
神さまに聞かれたときに何か気の利いた答えをしたとはとても考えられない。

そのとき足もとの菜の花の中から誰かが見つめている気配がした。
私が振りむくと、それは目をそらした。

私はしゃがんで、1本の菜の花を指でつまんだ。
「ここにいやがったか」
ぶん殴ってやろうと思ったとき、
その花が気弱そうに笑っているのに気がついた。
父が笑っている。
私もつい笑ってしまった。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース

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