直川隆久 2018年11月18日「落ち葉長者」

落ち葉長者

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

冬至に近い頃あいのよく晴れた日、
おれはX山の展望台からの下山ルートをたどっていた。
木立のせいで見晴らしもない上に角度が急な斜面を嫌って、
ほとんどのハイキング客はケーブルカーを利用する。のだが、
俺は人気のない登山道を一人で歩くのが好きで、
よくこの道を使うのだ。
山道のとおる斜面はやわらかな光につつまれて、
歩いていて気分が和む。なべて世は事もなし、という気分。
道の両側にはクヌギやコナラが自生し、
茶色いじゅうたんのような落ち葉を斜面にしきつめていた。
調子よく歩いていたときに、
右側の視界の端に妙なものが映った気がした。
振り返って確認すると、
地面の色合いが…
半径3メートルほどの範囲で変わっているところがある。
なに?なんだろう、と近づいてよく見ると、
それは…大量の一万円札だった。
何千万円、いや、何億円分あるだろうか。
まるで廃棄物のように無造作に散乱している。
ぎょっとして足がすくみ、思わず周囲を見渡す。
映画かなにかを撮影していて、そのセットだろうか?
だが、周囲にはスタッフらしき人間も見えない。
一枚を拾い上げて見てみる。
そこには映画の小道具然としたちゃちさは微塵もなく、
どこからどう見ても本物だ。
犯罪?
不安になって耳をそばだて、周囲をうかがう。
そのとき、顔の前をはらりとかすめるものがあって、
思わず、ひゃおうと大きな声がでてしまった。
かさ、と音をたてて地面に落ちたそれを見ると、一万円札。
それが降ってきた方向を見上げて、再度たまげた。
俺の頭上にひろがった樹の枝には、
一万円札がわっさわっさと茂っている。
そして、風がふくたびに、
万札がはらりはらりと冬の陽光に照らされながら散り、
降り積もるのだった。

ガコ、と音がして、頭上をケーブルカーが通り過ぎた。
ケーブルカーは樹高よりは相当高いところを通っており、
地面の万札に気づく乗客はいなさそうだ。
が、あまり同じところにとどまっていれば怪しまれる可能性もでてくる。
俺は慌てて足元の一万円札をかき集め、
ウィンドブレーカーのポケットに詰め込めるだけ詰め込むと、
残りの山道を急ぎ下った。

アパートに戻り、持ち帰った一万円札の一枚を手にとり、
ためつすがめつ眺める。
本物の万札と比べても、寸分違うところはない。
ご丁寧にすかしまで入っている。
しかし…これは、実際に使える金なのかどうか。
実地で確かめるよりない。
ポケットに天然の万札を1枚入れて、街に出た。

コンビニで使うと店員の目にとまるので、
駅の自動券売機にそれを入れてみる。
一番安い切符のボタンを押すと、切符とつり銭がでてきた。
いきなり券売機がピービ―鳴りだし、駆け付けた係員にとっつかまる…
ということもなく、9,870円の現金がおれの手元に残った。
ほっとする、と同時に、しみじみと嬉しさがこみあげてきた。
その金で回転ずしに行き、つい大トロばかり12皿も食ってしまい、
気分が悪くなった。
アパートの帰ったおれは、拾った一万円札を、中国のまじないよろしく、
上下逆さまにして壁にセロハンテープで貼り付けた。金運招来。

持前の用心深い性格が幸いしてか、金は意外に長くもった。
車も乗らないし、ブランドものにも興味がないので、
一息に使う理由がない。
毎日、スーパーで刺身を買って食うようになったくらいだ。
また、使えない事情もあった。
足がつくのを避けるために、使う場所をあちこち変えたのだ。
あちらの駅の券売機で一枚、
そのあとで電車に一時間乗ってパチンコ屋に入り、
一枚を玉に替え、そのまま景品所で現金に再び戻す、というように。
これはなかなか厄介で、そうか、マネーロンダリングというのは、
こういうところにニーズがあるのだなあ、と妙な納得をする。

しかし、あの樹はいったいなんなのか。
突然変異でそんな新種が誕生したのか。
いや、それはいくらなんでも…バイオテクノロジーというやつか。
そうなると、誰かが、目立たないようにあの樹を育てたということなのか。
…答えはでない。面倒くさくなってやめた。

このペースなら当分金はもちそうだったが、ふと不安になった。
季節が春になって、周囲が新緑になったころになると、
あの樹はどうなるだろう。
一本だけ茶色い万札がわっさわっさと茂っていれば、否応なく目立つ。
そうなれば…
俺は、急なあせりをおぼえ、次の日、夜もまだ明けきらぬうち、
リュックを背負ってX山の登山口に向かった。
今日は逆ルートで登り始める。
小雨がぱらついており、ほかのハイキング客も見当たらない。
30分ばかり、ひたすら進む。
確かこのあたり…というところにさしかかって、ぎょっとした。
相当に広い面積…テニスコート一枚分ほどの広さで、
周囲の赤茶けた土がむき出しになっている。
巨大なショベルでこそげとられたかのように樹木の根すら残されておらず、
無残な有様だ。
もちろん、あの「金のなる樹」は跡形もない。
何者かが、土木工事をおこなったのだ。
土の表面はまだ湿っていて、
「伐採」からそう時間はたっていないように見えた。
…それにしても、これだけの規模の伐採と土砂の運搬をしようと思えば、
相当な重機が必要なはずで、
そんなものをどうやってこのせまい登山道しかない山に運び上げたのか。
だれが?
おれは、恐ろしくなってそのまま後ろも振り返らず山道を駆け下りた。
帰りのスーパーで、ハマチの刺身を買った。

同じようなペースの数か月が過ぎ、五月の連休も過ぎた時分。
手元の一万円札は確実に数を減らしていき、残るは最後の一枚となった。
壁に貼った一枚だ。
そうか、これで最後か。この一枚がなくなったら、
もう毎日刺身を食うのは無理なのか。
はたしておれは、一度知った刺身の味を忘れられるだろうか。
などと思いながら重苦しい気分で逆さまの一万円札を見つめていたその時。
きゅー、という聞き慣れない音がして
万札の端っこがまぶしい光を発したかと思うと、
どかんと音がして、煙があがった。
一万円札があった場所からしゅうしゅうと音をたてて炎があがる。
わ。
わ。
わ。
おれは仰天して、コップの水をかける。ぼふ、と音がして、
猛烈な湯気が立ち上る。
だが、しゅうしゅうという炎は一向に収まる気配がない。
鍋に水をくみ、1杯、2杯、3杯、と壁にぶちまけ、ようやく収まった。
焦げ臭い煙でいっぱいになった部屋の中で、おれはがたがた震えていた。
確かに見た。
万札が、火を噴いた。
これが、おれのポケットの中にあったら…?火傷くらいではすまなかったろう。

幸いに火災報知器は発動せず大ごとにはならなかったが、
隣家の住人には怒鳴り込まれた。
壁に貼った一万円札が爆発したんです、とはいえず、しどろもどろに答える。
いやな動悸がおさまらないまま布団に潜り込む。
寝床で、もしや、とおれは考えた。
これは、現金の形をした兵器なのかもしれない。
あんな目につきやすいところに樹が植わっていたのは、
やはり意図があったのではないか。
わざと、人間に、拾わせる、という意思が。
まずは、人間に、金を拾わせ、気分よく使わせる。
万札は、人から人へ、どこまでも渡っていく。
細分化され、人間社会の網の目の中へ、とめどなく浸透していく。
そして、十分に、時間をおいたある日、
いたるところで突然火を噴き上げる…。
遺伝子操作か何かで、誰かが、そんな兵器をつくったんだろうか。
そして、人知れない山で、栽培した。
だが、何かの事情で証拠隠滅をする必要がでてきた。
それで、山肌をごっそりと削り…
そんなことが地球の科学でできるんだろうか?だとしたら…?
いや、原因はもうどうしたってわからない。問題は、
これから起こることだ。
おれは、金のつもりで時限爆弾をばらまいたのかもしれない。
冷や汗が首筋を流れ、がば、と寝床から飛び出す。
テレビをつける。
通販番組が、ヒザ関節によいサメの軟骨を大盤振る舞いしている。
画面の上に、不審な出火や爆発事故を伝えるニュース速報が
現れるのを待ちながら、おれは動くことができない。

えらいことになった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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古居利康 2018年10月21日「花に身を」

  花に身を           

     ストーリー 古居 利康
       出演 地曳豪

 そのひとがいるとにおいでわかる。
 あるときこどもらが亀をつかまえて酒を飲ませて
みようということになった。力ずくで口を開かせ酒
を注ぐが、亀は死にものぐるいで首を歪め逃げよう
ともがく。そこまで酒を嫌うかと残酷な子らが思っ
たそのとき、においが近づいてきた。
 姿を見ないでもわかった。意外な速度で歩いてき
てそのひとは「そういう無慈悲なことをするもので
ない」と諭したが、こどもらは口々に「うぁぁ」と
声にならない声で呻き、鼻をつまんで亀を放り投げ、
すでにいちもくさんに逃げている。道端で裏返って
甲羅に手足を引っ込めている亀を、そのひとは池に
放してやる。
 またあるとき川べりに腰をおろしたそのひとが、
何をしているのかと思えば着物にたかった虱を潰し、
石の上に一匹ずつ並べている。遠巻きにしたこども
らが石を投げつける。そのうちのひとつが後頭部に
命中したのだろう。そのひとは頭から血をだらだら
と流すが倒れるでもなく立ち上がる風もなくただ動
かない。こどもらは逃げ出すが、気になって戻って
きて物陰から様子を窺う。そのひとはずっと動かな
い。坐ったまま死んだのか。こどもらはそう思って
こわくなる。
 けれどもそのひとは翌日いつものようにふらふら
と歩いている。腰にぶらさげた瓢箪を的にして、ま
たもやこどもらが石の礫を投げつける。今日はなか
なか当たらない。昨日のことがあるので、こども心
に手かげんしているのか。
 もともとはおさむらいだったせいか、いつも袴を
履いている。真っ黒でぼろぼろで穴だらけの袴。羽
織は着ておらず、薄手の小袖一枚、垢まみれで薄黒
くなった上半身は妙に瘦せ細り、全体が烏みたいな
シルエットになっている。ひどくにおう痩せガラス。
御一新前から刀を捨て放浪を繰り返し、俳句をつく
ってきた。そんなことはこどもにはわからない。家
をもたず、襤褸をまとってひどいにおいを撒き散ら
す、文字通りの鼻つまみ者でしかない。けれど親た
ちは握り飯やお酒などをめぐんでいるようで、腰に
ぶら下げた瓢箪の中身はいつも酒でたぷたぷしてい
る。酒をもらったそのひとは、「千両、千両」と歌う
ようにつぶやく。礼のつもりか、ときおり紙に文字
を書いて渡すことがある。手紙ではない。一行、二
行のごく短い文字の連なり。それが俳句というもの
だろうとひとびとは思ったが、字が読める者などだ
れもいないので、それはただの紙切れだった。
 ある秋の日。事件はあっけなくやってきた。あぜ
みちを転げ落ちたのだろうか。そのひとは、いちめ
んコスモスの花が咲く休耕田へ頭から突っ込んでい
た。薄紫の花のあいだに、細い白い足が逆さに生え
ているようだった。第一発見者のこどもは、鼻をつ
まむのも忘れて村の駐在に駆けこむ。コスモス田か 
ら助け出されたそのひとは、まだ息をしていた。医
者のいない村では薬草を煎じて飲ませるほかは、た
だ一心に念仏を唱えるしか能がない。
 かつてこんなこともあった。鼠花火で遊んでいた
こどもがまちがって前髪と眉毛を灼いて痛がったと
き、「それそこに渋柿という妙薬があるではないか」
と柿を頬張り噛み砕いてこどもの頭に塗りつけた。
医者の心得があるわけではなかったが、放浪の日々
に覚えた応急処置だったかもしれない。
 そのひとは息はしているが目を覚まさない。ここ
ちよい眠りを眠っているようだった。大人たちは気
がつかなかったが、こどもらは気がついていた。そ
のひとからにおいが消えていることに。
 しばらくしてそのひとは死んだ。葬る際に懐をあ
らためると、ぼろぼろの紙が出てきてこう書いてあ
った。

 花に身を汚して育つ虱哉  

 字の読める駐在さんに読んでもらったが、意味が
わからない。みずからを虱に喩えているのはなんと
なくわかったが、葬いをお願いしにいくついでに寺
の住職に聞いてみようということになった。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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宗形英作 2018年9月15日「初雪が降ったら(2018」

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 大川泰樹

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、
手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。
その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。
すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。
そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に仕舞ったはずの言葉が
浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、
一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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直川隆久 2018年8月19日

涼しい話

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ええ、あたくし、こうみえてマゾでございやしてね。
さいきん、夏の辛さが大変ありがたい。
SMバーなんぞ行かずとも自宅で自分を虐めることができやすから。
温暖化万々歳でやすな。

朝目覚めますと8時にはもう熱が部屋にこもってやしてね。
うちの部屋は2階で、真上がトタン屋根ですんで。
部屋の内から天井むけて手をかざせば、焚火かと思う暑さ。
こりゃもう朝から、のたうちまわり日和じゃわいと思って、
わくわく、いそいそ。

で、さっそく取り出しますのがヒートテック。
ヒートテックはね、あぁた、冬に着るもんじゃございませんよ。
夏こそ、ヒートテックです。
これを、ま、2枚。上、下、それぞれ2枚重ねて着ますな。
着終わるともう、その時点でじんわりと汗がでますな。
首筋とか背中の毛穴に塩辛い汗が滲んで、ちくちく痒くなりますわな。
う~ん、不快!

大事なのは首筋でやすな。
敏感なところですからな。たっぷりと、不快な感触を用意いたしやす。
毛のマフラーを巻く。分厚いの。
毛足がちくちくと首の肌を刺します。
ああ!
そしてですな。このマフラーに、はちみつを塗る。
はい?
そう、はちみつでやす。
お、眉をしかめましたね。
これは、まあ、理由は後からわかります。
とりあえずはネトネトのはちみつでマフラーの毛が首筋に貼りついて
もう、鳥肌が立ちますな。

エアコンを32度の暖房に設定しやすな。
ごわーと、吹き出るものすごい熱風を浴びながら
ダウンジャケットとウールのニッカポッカと
スキー手袋と冬山登山用靴下を着こみまして、
ええい、ここは奮発して電気ストーブもスイッチオンにしちまいやしょう。

が、まだこれで終わりではありやせん。
これが肝心。
手錠。
これをですな、手を後ろにまわして、はめるんでやすな。
はめちゃうともう、自分でははずせやせん。
前にも手がまわせやせん。
その状態で、ごろんと寝転がるんですな。
簀巻き状態でやす。

しばらく、も、たたないうちに、頭がぼんやりしてまいりやすな。
苦しい。
うひひひひ。
汗、とまりません。
もう、ダウンジャケットの中はぐじゅぐじゅですな。
動悸が激しくなる。
うひひひ。
あや、すみませんな。思い出すとつい。

さあ、ここからがハイライトでございまして。
こそっ、と押し入れの方から音がする。
こそ。
こそっ。
…ネズミですな。
この、首筋のはちみつの匂いにつられるんですな。
見てると、2匹、3匹とこっちへちょろちょろと寄って来る。
爪が畳をひっかいてカリカリいう音が聞こえやすな。
あたしの首筋に取りついて、ふんふん匂いを嗅ぎまわる。
ちっこい爪があたしの首筋に食い込んで、むっひひひ、痛いのなんの。
そのうち、舐めだす。
で、だんだん激しくなってくる。
ときどき
むぢっ!
…とあたしの肉ごと噛みちぎったり。
むっひひひ。
あ~、もう!
思い出すだけで…もう、もう、もう!
あ~…

という具合にまあ、さんざんネズミちゃんにいたぶっていただいた頃合いで、
友人に来てもらことにしてやして。
ええ、もう長年の相棒でやして。
ドアと手錠の鍵を、預けてあるんですな。
脱水症状で意識不明になるぎりぎりのタイミング、
だいたいこれくらいかな、というのをあらかじめ伝えておくんでやすな。

死んじゃあ元も子もござんせんから。
明日も元気に自分を虐めるためには、ね。いいとこでとどまる。
それがこの道のコツというやつで。
まあ、ここまで来るにはだいぶトライアンドエラーがございやしたけどね。
救急病院に運ばれたのも一度や二度じゃござんぜんし、
あるときなんぞ頸動脈を食いちぎられかけて…
ま、その話はまた今度にいたしやしょう。

まあ、こういった具合でございますから、
あたくしぁ、まったく夏が好きでやすな。
たまらんでやす。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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安藤隆 2018年7月8日

お気に入りの家
    
   ストーリー 安藤隆
      出演 大川泰樹

朝、その遊歩道を通って出勤する。
遠回りになるが遊歩道は家々の裏手にあたる
ので人通りがすくなく気分がいい。
途中一軒の白い板壁の平屋が建っていて、わ
たしはきまって歩をゆるめる。
遊歩道との境目の白い木の柵にバラがからま
っている。
とくに手入れが行き届いているようでもない
裏庭にはバラのアーチもつくられている。
どういう品種か知らないが花のちいさなバラ
である。
その家のバラが妙にすきだった。
バラなのに控えめなたたずまいがすきなのだ。

三日前のことだ。
いつものように横目で鑑賞して通りすぎよう
とすると、バラの間から誰かがわたしをみた。
この家の老人夫婦かと振りむくと顔ではなか
った。ヒマワリだった。
まだ夏でないのにと思ったがおきまりの異常
気象かもしれない。
問題はそれが嫌な感じだったことだ。
ヒマワリのどぎつさはどうみてもちいさなバ
ラたちのたたずまいと調和しない。
この庭が嫌いになっちゃうじゃないかと思っ
た。

夜中、遊歩道を歩いている。
街灯のまわりだけ雨が照らされている。
わたしは黒い傘をさしゴム靴をはいて黒いウ
インドブレーカーを着ている。
雨を待っていたのだ。

夜目にも白い家の電気はひっそり消えていた。
わたしは断固たる決意でひくい柵を乗り越え
た。雨が音を消してくれる。そのうえ雨が土
を掘り起こしやすくしてくれる。
わたしはバラの茂みにしゃがみこみ、用意
してきたちっちゃなスコップでヒマワリの根の
まわりを掘り起こした。
土はやわらかく三十センチかそこら掘るのに
二十分とかからなかった。
根が張っていた。このときだけ傘を閉じ両手
で慎重に根っこを抱えた。
それからヒマワリを遊歩道とは逆向きに植え
直した。要はヒマワリの顔がみえなきゃいいのだ。

翌朝、快晴である。
できるだけなに食わぬ顔して遊歩道を会社へ
むかっている。
白い家にさしかかる。
ドキドキを悟られないよう横目で通りすぎる。
その刹那また視線を感じた。
思わず振りむくとソイツがわたしをみていた。
お日様にむかって半回転し、前とおなじ向き
になってわたしをみていた。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

 

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直川隆久 2018年6月17日

雨の来た方向

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ぷつ、ぷつ、と窓をたたく音がするので
外光透過モードに切り替えると、
雨が見えた。窓辺に寄り空を見上げる。
風に軌道を曲げられながら遥かの高みから
きりもなく落ち続ける水滴の運動。
そういえば。地位、価値、評判。
そういったものがより望ましい状態であることを示すために、
地位が「高い」、価値が「高い」という表現をしていた時代があった。
考えてみれば不思議だ。
地面から垂直方向へより離れた状態をさす言葉がなぜ「よい」という意味を?
太古の時代には、雨や太陽の光といった農作物を育てる恵みが
「上」のほうから降ってきたからだろうか。
そこから「上」すなわち「よきもの」という感覚がうまれた、
というのはありそうな話だ。

人間にとって上空というものがとりたてて憧れを呼ぶものでなくなって久しい。
おそらくは、月や火星といった遥か我々の頭上にある場所が、
資源採掘の対象となり、
劣悪な労働環境の象徴とされるようになってからだろう。
現在地球上の人間は一般に「善い」「正しい」という意味をもつ言葉として
「screeny」という言葉を使うが、
その語源は「スクリーンでしばしば見られる、
スクリーン映えする」ということだったようだ。
それも、ある特定の価値観を反映した言葉である以上、
また変わっていくのかもしれない。

雨は、降り続く。おそらく、あと3週間はやまないだろう。
空気の中に湿りが充満していき、
肌との摩擦が少なくなる。自分と外との境界が少しだけ曖昧になる気がする。
これは、好きな気分だ。
とても、screenyだ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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