中山佐知子 2013年12月29日

10月の秋山郷は

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

10月の秋山郷は青い宝石のような空が広がっていた。
その宝石の下に赤や黄色の紅葉があった。

秋山郷は、新潟県と長野県にまたがる山里で、
頂上に湿原をいただく苗場山と
ノコギリの歯のような厳しい姿の鳥甲山にはさまれた谷間に
現在では13の集落が散らばっている。

なぜこんな土地に人が住み着いたのかわからない。
平地はほとんどなく、一年の半分は雪に埋もれている。
山の急斜面の木を伐って、粟や稗、蕎麦や大豆を育ててはいるが
食料が足りたことはなく、飢饉の年は多くの餓死者がでて
集落がまるごと滅びることさえあった。

北越雪譜を書いた鈴木牧之が秋山郷を旅したのは1828年のことで、
宿がないので民家に頼み込んで宿泊を重ねていた。
どの集落にも米がなく、人々は粟や稗や栃の実を食い
木の皮を煮出したような渋茶を飲んでいる。
持って行った米を渡しても炊きかたを知らないし
お茶はとても飲めたものではない。
どこの家でも寝るときになると着の身着のままごろりと横になる。
布団というものもないから、夜が寒くて寝られない

そんな愚痴をこまかく書き連ねながら旅をつづけていた三日め、
女に会った。
そこは和山という集落で、女は昼食のために立ち寄った家にいた。
集落といっても5軒の家がまばらに点在するだけで
その一軒に上がって火を借り、お湯をもらって
持参の焼き米を流し込むだけの昼食である。

女は年のころ三十前後、
髪は無造作に結わえただけで
膝までしかない丈足らずの着物を着ており
その着物さえ綻びて白い肌がのぞくような身なりだったが
美しさは雨に濡れて匂い立つ芍薬のように思えた。

もしもあなたが、と
牧之は女に言わずにはおられない。
もしもあなたがこの紅葉のような錦に身を包み
髪には玉の簪を飾れば
妃の位を望んでもおかしくはないでしょう。

しかし女は自分の姿を見ることさえできない。
鏡というものを持つ女は秋山郷全体で5人しかいない。
女は外からの人も滅多に来ない深山幽谷に生まれ
その美しさを誰にも知られることなく
この山中で年を取り朽ち果ててしまうのだ。

それがわかっていてもできることはなにもない。
女に心を動かしてもどうすることもできない。
それでも鈴木牧之の秋山記行には女との出会いが詳しく描かれ
我々はいまそれを読んで、
秘境秋山郷の美しい人を想像することができる。

鈴木牧之の秋山記行から9年めに女は死んだ。
天保の大飢饉の最後の年だった。
和山の集落にあった5軒の家ではほとんどの人が餓死してしまい
生き残ったのはわずかに男女ひとりづつだけだったという。

それにしても、匂い立つ芍薬にたとえられた女が飢えて死ぬとき
どんな姿を見せたのだろう。
山の芍薬は身を投げるような姿で白い花びらを散らす。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

佐倉康彦 2013年12月22日

群青

      ストーリー 佐倉康彦
         出演 皆戸麻衣

うみとそらのいろは、あお。
たいようは、あか。
くちびるも、あか。
つちは、くろ。じゃない。

そのひとは、
そのおとこは、
せびろを、あいしていた。
むねからおなかにかけて
ふたつ、ぼたんがついていた。
しゅっと、していた。
つめたえりは、ふとかった。
そのえりもとには、
なにも、おまけは、つけてなかった。
えらくないんだよ
どこにもしょぞくしていないんだよ
きみどりいろのこえで
わらいながら
そういっていた。
でも
せびろが、
ぎんいろに、
くびを、よこにふっていた。

よくわらう、ひとだった。
よくわらう、おとこだった。

ふと、だまる、にんげんだった。

そのひとの
かみがたも、
つむじも、
めも、
くちも、
まゆげも、
はなも、
はなのあなも、
はなげも、
あごも、
おでこも、
わすれた。

みみたぶのかたちは、
すこし、おぼえている。
ぜんたいも、
ところどころも、
おおむね、わすれた。

でも、せびろをきていた。
それだけは
わすれない。

せびろは、あお。

うまれたばかりの
はなは、ももいろ。
はなを、ささえる、はっぱは、
みどり。
ねこは、ちゃいろ。
ごはんは、しろ。
なみだは、うみとそらとおなじ、あお。
うみに、ふる、ゆきは
しろ。

うみに、おちた、しろは
すぐに、あおに、なる。
なみだに、なる。

こえは、あお。
いきは、しろにちかいあお。
においは、とうめいなあお。
ゆびは、すこし、あかいあお。
かみのけは、かすれたあお。
うでは、すじくれだったあお。
むねは、なみうつあお。
おなかは、しずかなあお。
おしりは、つよいあお。
ふとももは、にぎやかなあお。
ひざは、かたいあお。
すねは、くるしいあお。
ふくらはぎは、よく、わらうあお。
あきれすけんは、ぬれたあお。

あお。

その、あおは、かぞくの、あお。

その、あおは、せびろの、あお。

その、あおは、ねくたいの、あお。

その、あおは、おかあさんが、すきだった、あお。

その、あおは、うまれたばかりの、
やっと、めがあいた、こねこの、めだまの、あお。

その、あおは、よくわらう、どこにもぞくさない、
えらくない、おとこの、こえの、あお。

その、あおは、あおを、あつめた、あお。

その、あおは、とうめいな、あお。

その、あおは、とても、かたい、あお。
その、あおは、いし。

たいようは、あか。
くちびるも、あか。
つちは、くろ。じゃない。
つちは、いしを、つくる。
とても、かたい、いしを、つくる。

いしは、あお。

せびろは、あお。
あおが、あおが、あおが、あおが、あおが、あおが。
あおが、むれをなして、ひとつだけ。

うみとそらのいろは、あお。
うみとそらは、ひとつだけ。

そのひとは、あお。
そのおとこは、ひとりだけ。

あかいあかい、たいようが、
あおを。

出演者情報:皆戸麻衣(フリー)

 

Tagged: , , , ,   |  1 Comment ページトップへ

川野康之 2013年12月15日

上海のレベッカ

       ストーリー 川野康之
          出演 遠藤守哉

新型肺炎が流行した春、
ぼくは上海に出張でよく出かけた。
ある日新聞の片隅に小さく、
広州で謎の肺炎により数名の死者が出たことを伝える記事が出た。
数日後に肺炎は、香港から北京、上海に拡がっていた。
新型のウイルスが病原らしいというだけで、
その正体も感染経路もわからない。
とうぜん治療法も予防法もわからない。
ただ致死率だけが異常に高かった。

発生地の広州では本格的な流行の気配を見せていた。
全市で数十人が死んだと、ニュースは伝えていた。
ほんとうは数百人だという噂もあった。
その広州からスタッフが来て
狭い録音スタジオに一緒に入ったときには、
スタジオのアシスタントが霧吹きで黒酢を撒いていた。
黒いお酢、黒酢がウイルスに効くといわれていたのだ。
つんと鼻を刺すにおいがなんとも不気味だった。
納豆とキムチが効くという説もささやかれていた。
感染者の中にたまたま日本人と韓国人がいなかったというのが理由だった。

ウイルスは目に見えない。
さらにおそろしいのはすごい早さで遺伝子を変え変身し続けることだ。
人間はウイルスには勝てない。
人類史上いままで一度も勝ったことがない。
むしろウイルスに人間は生かされてきたとも言える。
なぜなら、もし人間がすべて殺されてしまったら、
宿主を失ったウイルスも生きていけなくなるから。

録音が終わって、ホテルに戻るという仲間と別れて、
ぼくは夜の街に出た。
呉江(ウージャン)路の安食堂で一人でメシを食べて、
人混みの中をバーに向ってぶらぶらと歩いた。
誰かに見られているような気がした。
フーシン・コンユエン、復興公園は、昼間はふつうの公園だが、
夜は別の顔を見せる。
木立の黒い陰に隠れた小屋の中が夜はバーになった。
店内はドラムとベースの音が一晩中鳴って、
若者たちが夜通し飲んだり踊ったりしていた。
自称アーチストたち、金持ちの不良息子や娘、
外国人、外資系会社のエリート。
成長する上海の熱と渇きが感じられる場所だった。
この店のカウンターの隅で一人で酒を飲むのがぼくは好きだった。
レベッカに会ったのはその夜だった。

気がつくとぼくの隣に一人の女がいた。
ときどき金持ちの娘のふりをして怪しい商売の女が入ってくることがある。
バーテンの男がちらちら警戒するような目を投げてきた。
女はレベッカと名乗った。
眼の色が少し青みがかっていて、ほかの中国人とは違う感じがした。
言葉をかわすうち、女は金持ちの娘でも娼婦でもないことがわかった。
それよりももっと危険な存在の何か、という気がした。
「この人たち消えてしまえばいいのに、って思うことはない?」
とレベッカは言った。
青い眼の中にときおり邪悪な光が宿った。
危険な毒のようなものがすっとぼくの心の中に入り込んできて、
体を乗っ取られてしまうような気がした。
「そうだね」
とぼくは言っていた。
バーテンがこっちを見ていた。

彼女がぼくの手を握ったとき、とつぜん入り口の扉が開いて、
黒い服の男たちが飛び込んできた。
レベッカの眼にちょっとだけ恐怖の表情が現れた。
彼女はぼくの手を放してあとずさった。
「あんたは生かしてあげる」
そう言ったような気がした。ひらりと翻って人の中に消えていった。
あとから黒い一団が追いかけていった。
つんと鼻を刺すにおいがした。

我に返ると、
自分の手の中に何か固い石のようなものが握らされていることに
気がついた。
おそるおそる手を開いてみた。
青い、美しい石だった。
ラピスラズリだ。

店を出て、石を握りしめて、
ぼくは熱に浮かされたようにふらふらと歩いた。
レベッカの姿を探したけれど、
上海の街にかき消えたように、もうどこにもなかった。

そしてほんとうの地獄が始まったのだ。
ウイルスは、ぼくの仲間を殺し、上海の三分の一の人を殺し、
中国全土で数百万の命を奪って、世界中に拡散した。
何億もの人間を殺して、殺しつくしてから、やっと牙をおさめた。

閉ざされていた日本への航空路が再開された。
騒がしさをとりもどしはじめた空港のチェックインカウンターで、
ぼくはポケットの中からパスポートとチケットを取り出した。
青い石、ラピスラズリがいっしょに転がり出た。
搭乗手続きをする地上係員の手がとまった。
指で石をつまみ、彼女は、ぼくを見た。
その眼に青いラピスラズリがあった。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

2013年12月(ラピスラズリ)

12月1日(日)薄景子 & 川俣しのぶ
12月15日(日)川野康之 & 遠藤守哉
12月22日(日)佐倉康彦 & 皆戸麻衣
12月29日(日)中山佐知子 & 大川泰樹

Tagged:   |  コメントを書く ページトップへ

薄景子 2013年12月1日

「となりの芝生」                      

      ストーリー 薄 景子
         出演 川俣しのぶ
   

嫉妬って感情が
あたしの人生から消えてくれたらいいのに。

美容院で久々にカラーリングを受けながら、
自分では絶対買わないたぐいの女性誌をめくり、
ミカコは、そんなことをふと思った。

二度見される女のツヤ肌特集。
イケダンがつくる妻と子のもてなし料理。
NYでベーカリーカフェの夢をかなえた元OL…。

夜中に電気をつけられたような
まぶしい記事にクラクラしてくる。

顔をあげれば、鏡に映る自分より、
美容師の手塚くんの顔の方が小さい。
遠近法を差し引いても、確実にひとまわり小さい。

嫉妬…。

帰り道も、街を歩く女性たち全員が
みんなキラキラ光って見える。
新色のコートも、ファーつきのブーツも、
恋も、仕事も、結婚も。
欲しいものをぜんぶ手に入れてますオーラが
後光のようにさしている。

あたしいつから、
こんな嫉妬漬けになっちゃったんだろう。

ミカコは湧水のようにあふれでる
よどんだ気持ちに耐えきれなくなり、
それを紙に書きだしてフタをすることにした。

ホールケーキを丸ごと食べても太らない、同期のマリコへの嫉妬。
テキスタイルの賞をとって自分のブランドを立ち上げた、
後輩アサちゃんへの嫉妬。
最近10歳年下の彼氏ができた、バツイチのナツミへの嫉妬。

空になった焼菓子の空き箱に
ミカコがありったけの嫉妬を詰め込んで
フタをしようとした、そのとき。

「こんにちは」

箱のなかから何やら声がした。
おそるおそるフタをあけると、
箱の底一面になぜか芝生がふさふさ生えている。
その真ん中には瑠璃色の天然石が鎮座していた。

「なにこれ?」

「となりの芝生は青いっていうでしょ」

箱庭の芝生の真ん中で、その瑠璃色の石が言った。

「ちなみにここ、あなたの芝生だから」

「あたしの?」

石はだまったまま、青い芝生の上で、
気持ちよさそうに寝そべっていた。

「あたしも寝そべっていい?」

「もちろん」

流れていく雲に、同じ形のものはひとつもない。
ミカコは、その芝生に抱きしめられるように
深く深く眠りについた。

「いい感じで、髪、明るくなってますよ~」

手塚君の声で我に帰ると、
ミカコはさっきの美容院でカラーリングを受けていた。

膝の上に広げていたのは今月のジュエリー特集。
さっき見た瑠璃色の石と似たやつがある。

ミカコが生まれた12月の誕生石、ラピスラズリ。
嫉妬を除き幸運をもたらすパワーストーン。

鏡の中では相変わらず、手塚くんの顔が
ひとまわり小さかったけれど、
ミカコの気持ちはすっきりしていた。

あたしの中にも、ちゃんと、
誰かのとなりの芝生はあるのだから。

出演者情報:川俣しのぶ 045-491-7866 ママリーハウス

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ