直川隆久 2016年7月17日

1607naokawa

ある助監督 

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

 冬の日。
 大岩和道は、通い慣れた本屋の映画関連書コーナーで、真新しい「シネマ芸
術」増刊号を手にとる。表紙にはタバコをくわえた精悍な男の顔と、「野口征太
郎・没後10年記念特集」の文字。
 校了前にゲラを送ると編集者は言っていたが、そういえば連絡がなかったこ
とを大岩は思い出す。
 口絵部分に、大岩が提供した写真が使用されている。大岩が初めて野口の現
場に助監督としてついた作品、そのクランクアップ時の記念写真だった。画面中央、
髭面の野口がディレクターズチェアに身を沈めている。端っこに、ぎこちなくたたず
む若い大岩の姿があった。髪は、まだ豊かで黒い。
 ページを手繰り、自分のインタビュー記事を探す。だが、数日かけておこなわれ
たその内容は随分と簡略化され、1ページにまとめられていた。そのかわり、野口
の遺作の主演女優のインタビューが8ページにわたり掲載されている。大岩が編集
者に語った「いまだ評論家が指摘しない野口作品に通底するテーマ」が、寸分たが
わずその女優の言葉として収録されていた。
 大岩は、並んでいるだけの「シネマ芸術」を買い込み、本屋を後にした。冷たい風
にさらされた手は、紙袋の重みで、なお痺れた。

 大岩は助監督として、野口征太郎のキャリア後期の代表作をささえ続けた。撮影
の段取り、気難しい俳優のケア、撮影部・照明部・美術部との折衝…そのすべて。野
口が好んだ無許可のゲリラ撮影のあと、警察にしょっぴかれるのはいつも大岩の役
目だった。ブタ箱を喰らいこんだ翌日撮影現場に戻っても、野口からは一度も労い
の言葉はなかった。「そういうものだ」と大岩も思っていた。
 仕事は、映画の現場に止まらなかった。ある時期は、野口の愛人を車で迎えにい
くのが、大岩の役目だった。撮影用の車両を一台借り出し、渋谷のマンション前で女
を拾い、野口が投宿している新宿のホテルまで運ぶ。「なんでもするのねえ、助監督
さんって」窓の外を見ながら女がつぶやいたことを、大岩は今でも思い出す。

 大岩が野口のもとでの5度目の現場を終えた年、野口が肺ガンの診断を受けた。
ソメイヨシノの花びらが風に舞う時季、野口は身を隠すように療養生活に入った。そ
のときも世話を名乗り出たのは大岩だった。病状は急速に進んだ。大岩は病院に泊
まりこみ、介護を行った。監督にはご家族がいませんから、と、撮影所の人間が見舞
いに訪れるたび大岩は繰り返した。床ずれができないように野口の体をさすり、排便
の処理をした。まるで、ほかの誰かに触らせまいとするかのように。
 夏の終わり、最後の作品の公開を待たず、野口は息をひきとった。
葬儀の日は、折しも接近する台風のせいで雨であった。大岩は傘もささず、葬儀会場
入り口から動こうとしなかった。次々に乗り付けるハイヤーから姿を現す大物俳優に、
報道陣が群がる。それをよそに、大岩は弔問客に頭を下げ続けた。
 ほどなくして、撮影所は人員整理を行い、大岩は現場から総務セクションへと異動
になったのだった。

※        ※        ※

 大岩は、撮影所に戻り、デスクに雑誌の入った紙袋をどさりと置く。
「大岩」
 背後で声がした。同期の島田だった。
「話しておきたいことが、あって」
「なに。役員じきじきに」と笑いながら大岩は、隣のデスクの椅子を勧めた。
「野口監督の没後10年てことで、ちょいとした企画があってね。野口監督の伝記映画
を撮ろうっていう…公開先は劇場じゃなくて、衛星テレビなんだけど」
「ふうん」
「で、それの監督を…誰にやってもらおうか、という話になって」
 大岩は、島田のほうを見ず、タバコをくわえた。火がうまくつかない。
「おれは、君を推したんだ。君は監督作こそないけれど、なんといっても、野口監督をい
ちばん知ってるのは君だし…」
 島田は、次の言葉が固形物でもあるかのように口をもぐもぐとさせてから、ようやくそ
れを吐き出した。「でも、取締役連中は、森山に、やらせたほうが…と…」
「だれって?」大岩ははじめて島田の目を覗き込んだ。
「…森山。森山順」
「ああ。森山くん」
 と大岩は大きくうなずき、まばらになった髪をかきあげた。頼りなげな感触が指を伝う。
「適任だ。去年のホラーものは30億いったんだろ?構成力も確かで…なにより若い」
「いやあ、おれは反対だ。彼は経験が少ないし」
 と言う島田の顔に安堵の色が広がるのを大岩は見逃さなかった。
「森山くんが、適任だ」
 大岩はそう言って、椅子を回しパソコンに向かった。
「すまない」と頭を下げる島田に大岩が「こちらこそすまなかったな」と付け加えた。
「失笑買ったろう。助監督経験しかない、おれの名前なぞだして」
 一瞬の間の後、そんなことはないさ、と言いながら島田は席を立った。

大岩の脳裏に、ある夏の日の光景が浮かんだ。野口のガンが発見されるよりも何
年も前のことだ。冷房の壊れた会議室で大汗をかきながらロケハン資料を整理し
ているところへ、野口がいきなりドアを開けた。
「こんどやる原作ものの監督を、さがしてるらしい。やらんか」
 そういいながら、刷りたての台本を投げてよこした。
 大岩は、あやうく落としそうになりながらそれを受け取る。
「監督…ですか」
「うん」
「…公開はいつですか」
「…?」野口は意外だという表情を見せ「スケジュールによって変わるのか?返事が」
「今準備してるシャシンと、ぶつからないかなと思いまして」
「正月」
「来年の?」
「ああ」
「それじゃあ…」
 大岩は一呼吸おいて続ける。
「完全に、重なるじゃないですか」
「だから?」
「監督の現場は…だれが助監やるんですか」
 その質問に野口はこたえず
「おまえ何歳になった」
 と訊いた。
「34です」
「やれるときにやっておけよ監督は」
「…」
 何秒かの沈黙ののち、大岩が口を開く。
「いえ、俺…まだ演出のほう力不足なんで…監督の現場でもうすこし勉強させ
てください」
「やりたくないのか」と野口がさらに訊いた。
 大岩は驚いた。野口が、ここまで大岩と言葉のやりとりを重ねることは珍し
かったからだ。
「そんな。やりたくないなんてことは…」
「こわいのか」
 図星ではあった。ただ、大岩が恐れたのは、「野口監督の優秀な右腕」とい
う自分の地位を失うことだった。さらにいうなら、ほかの誰かがその地位に滑り
こんでくることだった。
 「…」
 野口はやや脱力したように、そうか、とだけ言って踵を返し部屋を出た。それ
以来、この映画の話題が二人の間にのぼることはなかった。
 後年、大岩に監督をさせようと発案したのはほかならぬ野口であり、プロデュ
ーサーを強引に説き伏せた上で台本を持ってきたことを、大岩は知った。

※        ※        ※

 大岩は、積み上がった「シネマ芸術」の一冊を手にとり、デスクの上に広げると、
野口の顔のアップが載った表紙以外、すべてのページをカッターで切り裂いていっ
た。一冊、また一冊。ゆっくりとその作業は続き、2時間ほどたったころ、大岩のデス
クの上には、紙片のうず高い山ができた。
 感情の炎が大岩を焼いていた。
 島田が監督候補として自分の名をあげるのではと一瞬期待したことへの羞恥。
森山への嫉妬。そして何より、定年を間近に控えたこの年になって、いまだこのよう
な自意識を捨てきれぬ情けなさ。

大岩は考えた。
映画人なら、こんなときには映画から答えを導くべきだ。映画の登場人物、あるいは
映画作者−−−本当に映画を愛しているなら、ほかならぬその映画が、大岩を答えへ
と導いてくれるはずだ。そう思い、大岩はこれまでの人生で見てきた膨大な映画達
を、次々と頭の中で再生してみた。だが、野口と現場を共にした映画達以外は、どれ
も、大岩の心を素通りした。なんらの切迫感ももたらさない、スクリーンの表面を漂う
光の明滅だった。
 結局、確認したにすぎなかった。大岩が愛していたのは、映画などではなく、野口
いう男だけだったことを。
 
 すると…なぜか、笑いめいたものが大岩の顔の表面を伝った。
灰皿の向こうからこちらを見る野口と、目が合った。

 大岩は、携帯で島田の番号を表示した。
 −−−−さっきの映画の助監、もう決まってるのか。
 口の中でこれから言う言葉を反芻し、携帯の発信ボタンを押した。
                         
     (終)

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

 

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直川隆久 2016年6月12日

1606naokawa

うつくしき世界

          ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

え?ああ、ここですか。
どうぞ、空いていますよ。

そうですか。このカフェにはぼくもよく来ます。

ここは歌劇場が近くにあって、
夕方には着飾った待ち合わせの男女が多いでしょう。
昼間とはずいぶん違ってはなやかな雰囲気になるので、
ぼくは好きなんです。
ああ、でも夕方とはいえ…太陽の光がまだ木の枝に残っていて、
ほんとうにいい気分じゃありませんか!
そういえばきょうはちょうど、夏至の日だ。

顔も服もぬけめなくうつくしい、
自信に満ちたいきものたちとおなじお店の中で同じコーヒーを飲んでいると、なんだか自分もその一員になったような気がして、嬉しくなる。
少しの間だけ、ぼくがぼくでなくなれる気がするというか。ね?
だから、けたたましくしゃべりまくる婆さん連れが
お客の中にまじっていたりすると、じつに不愉快になります。
ぼくは、なるべくほかのお客のジャマにならないところに座るんです。
ほら、あの爺さんなぞ、小汚い上着で席をひとつ占領している。
あつかましい。美しい人たちを邪魔しないだけ、
ぼくのほうがデリカシーでまさっている。
 
 ああ!あの二人連れを見てごらんなさい。
仕立ての良いスーツをぴしりと着こなした紳士と、美しいご婦人。
バカンスの相談かなにかしているんでしょう。
幸せそうだ。あたりまえです。彼らは美しいのだから。
レストランで期待して注文したワインがそれほどおいしくなかったとか、
相手からのプレゼントがあまり好みじゃなかったとか、
神様が彼らに割り当てる不幸など、せいぜいその程度でしょう。
いや、むしろそうでなければならない!
それが、美しいものの権利です。

うつくしい人どうしがむすばれて、次の世代がうまれ、
地上にうつくしさが広がっていく…それをイメージすると、
ぼくはとても幸せな気分になるのです。
いや、勘違いしないでください。その一員になりたいってことじゃない。
ただ、うつくしいものの勝利を、繁栄を、世界の隅から愛でていたいんです。
…おかしいですか?
いや、面目ない。
訊かれもしないことをべらべらとしゃべってしまって。
 
ああ、それにしても憂鬱ですね
これから、日一日と夜が長くなっていくんだな。

おや、もうお帰りですか…いえ、こちらこそ、お話できて楽しかった。

ぼくの名前?
ああ、すみません、名乗っていなかった。失敬。 
アドルフ、で結構です。
 
またこのカフェでお会いしましょう。
夜が長くなりすぎる前にね。

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直川隆久 2014年12月14日

1412naokawa

峠の女

          ストーリー 直川隆久
             出演 遠藤守哉

 峠の茶店。
おはなが二皿目の団子を平らげても、若旦那は姿を見せない。
昼にはここで落ち会い、山を降り、
汽車での駆け落ちの旅に出るはずであった。
が、陽はすでに西に傾き、樹々の影が長くのびる時刻である。
おはなが腹をさすると、もう一皿、といわんばかりに
小さな足が内から蹴った。
「おはな」
 と男の声がした。見上げると、そこには番頭の利吉(りきち)の姿。
「若旦那を待っているのだろう」
「言えねえす」おはなはかぶりを振った。
「若旦那さぁ(わかだんさぁ)との約束ですけえ」
「若旦那は急な病で床に伏せられておって、
今日はおまえと落ち会うことができん。
そのことを伝えておくれと、たってのお頼みでな」
 おはなが心配そうな顔をすると番頭はにこりと頬笑み
「心配するな。店の者は、ほかに誰も知らない」と言った。
お前のために若旦那が家を借りてくれている、
身の回りの世話をしてくれる婆さんもいる、
若旦那の体が元の通りになるまでそこで休んでおればよい、と
利吉はおはなを諭し、
峠をくだったところにある炭焼きの老夫婦の家にまでおはなを連れて行った。

 一日たち、三日たち、一月たった。利吉は毎日きまった時刻に姿を現した。
「番頭さぁ。わかだんさぁはいつになったらおいでになりますけの」
「もう少しの辛抱だよ」
 というやりとりが繰り返された。
そうこうするうち年も暮れ、雪が山を覆う時季に、
おはなは子を産んだ。男の子であった。
夜泣きがひどく、おはなは毎夜、朝まで赤子をかかえて
あやさねばならなかった。

 山桜の花が白く開く頃、利吉が若旦那、そして大旦那と共に三人で現れた。
おはなには目もくれず、縁台で昼寝する赤子にちらと目をやった大旦那は
若旦那に向かって
「おまえに似とるな」と忌々しげに言い、軒先に腰を下ろした。
「まったく、どうにもならなくなってから…」
 ただうつむくだけで言葉を発しない若旦那に代わり、利吉が口を開いた。
「おはな。大旦那からの申し出だ。
 お前のその子どもはお店(たな)で引き取りたい」
「へえ」
「充分なことはさせてもらうよ、と旦那様も仰っておいでだ」
「わしはどうなりますんで」
「お前さんには、よそのくにに移ってもらいたいのだよ」
事情がうまくのみこめないという顔をしているおはなに、利吉は続けた。
「おはな。赤ん坊はお店(たな)の跡取りとして、不自由なく育てられるんだ。
そのかわりおまえは今後うちと関わり合いにならんようにしてもらいたい」
「わかだんさぁ」
 おはなにそう呼ばれた男は、ただ地面を見つめるだけである。
「わかだんさぁ、わしとの約束はどうなりますんで」
「約束?」と、大旦那が口をはさんだ。
「この子は、うちが育てる。おまえは、今までのことを忘れる。
それがすべてだ。それ以外の約束はないのだよ」
「そんなこと、わし、合点が」
「勘違いしてはいかんよ、おはな。おまえは何かを考える立場にはないのだ」
 そう言って、大旦那は利吉に顎をしゃくって指図した。
 利吉が縁台で眠る赤子を抱き上げたとき――

 「そうけぇ」と、おはなが声をあげたかと思うと、
その顔からざわざわと毛が生え始めた。
「人の暮らしに気がひかれるままに居ついてはみたが、潮時じゃろう」
そう言ったおはなの尻のあたりがぐぐ、と盛りあがったかと思うと、
体をつつんでいた着物がはじけ飛んだ。
 呆気にとられる三人の前に、
丈が五尺はあろうかという巨大な一頭の猪(しし)が姿を現した。
人の言葉をあやつる猪。その口の中で舌が動くたび湯気が上がる。
「旦那さぁ(だんさぁ)。わかだんなさぁ。
この子は、猪(しし)と人のあいだの子じゃ。それでもひきとりなさるけの」
 ざり、と猪が前足で土をにじった。
「さあ」
二人はただ、赤子と猪をかわるがわる見るだけである。
なおも詰め寄る猪。
何も言えない二人の男を見て、利吉は赤子をそっと地面におろした。
「そこまでか。人の男は」
そう言って猪は、赤子の寝巻の首後ろをくわえると、
そのまま踵を返し、
木立の中へと進んで行った。
 猪の姿が見えなくなった後は、
ただ落ち葉を踏むばさりばさりという音が聞こえていたが、
それもやがて小さくなり、ついには何も聞こえなくなった。
「おはな。おはな」
と若旦那が声をかけた。
だが返って来たのは、風が木の葉をさらさらと揺らす音のみ。

 人の住む地とその外との境界が、未だ曖昧であった頃の話である。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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直川隆久 2014年6月22日

2014年6月6日(金)

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

7時32分:
起床。テレビをつけ「目ざましテレビ」を流しながら洗顔。

7時46分:
朝食。メロンパン1個と牛乳。

8時3分:
出勤間際、カバンの中に見慣れぬ茶色い皮の手帳、
すなわちこの手帳がはさまっているのを見つける。
不審に思って開く。
この手帳のダイアリーが見慣れぬ筆跡の字で埋められていることを認識する。

8時4分:
一週間ほど前の6月1日のページに見慣れた名前を見つける。
以下のような記載。

“午後10時42分、滝内絵里と会い。バー「F」に誘う。
話弾まず、終電があるとのことで滝内絵里、早々に帰宅。
一人のこされ悶々とする。”

8時5分:
手帳内のあらゆる詳細な記載がすべて自分の記憶と完全に一致すること、
そして自分以外の第三者による記述であることを認識。
監視の可能性に思いいたり、周囲を警戒するも、
不審者の存在および痕跡は発見できず。

8時6分:
本日6月6日付のページを見ようとしかけるも、あわてて手帳を閉じる。
逡巡の末、手帳を持って会社に向かう。

8時31分:
S駅行き急行に乗車。座席があいており、座る。
寝たふりをして終点まで過ごす。

8時54分:
出社。
私用メール、SNSで1時間27分過ごす。
滝内絵里からの連絡なし。

11時06分:
左の鼻の穴をほじる。

12時3分:
昼食。そば屋「長寿庵」にてカツ丼を注文し、
そのあと、注文内容を手帳とは別のメモ用紙に書き記す。

14時32分:
得意先からクレーム電話。ハタナカ産業山田から、
午前中必着の品物が届かなかったので代金をまけろという内容。
このクレーム内容と相手の名前および、“山田カスぼけ死ね”と
メモ用紙に書き記す。

16時37分:
西陽がさしこむ時間になり、汗ばみ、ネクタイをゆるめる。

17時5分:
会社を出、近くの地下街の公衆便所へ入る。
メモ用紙を取り出し、この手帳の記載と見比べる。
その日の行動があらかじめすべて正確に
手帳に書き記されていたことを発見。

17時6分:
嘔吐する。内容物は昼食のカツ丼および、缶コーヒー。

17時7分:
動転し、この手帳を便器の中につっこんで、排水レバーを押す。
何度か失敗するも、流すことに成功。

17時8分:
地下街のほうから大きな水音が聞こえるのに気づく。

17時9分少し前:
大量の糞便と水が爆発的に公衆便所の中に流れ込む。

(以下、空白)

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直川隆久 2014年3月16日

すみれ、散る

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ときどき行く商店街のうどん屋の主人が、
新しいメニューを試食に来てくれ、とメールをよこしてきた。
ちょうど昼時でもあったので、散歩がてら行ってみることにする。

店に入ると、「ああ、ようお越し」と朗らかな顔で主人が出迎えた。
年齢は50そこそこ。婿養子で、
先代からつづくこのうどん屋を夫婦で切り盛りしている。
先代は80を超えた爺さんで、店にはでず競馬中継を見て過ごす毎日だ。

席に通され、しばし待つ。
昼時だが、ほかに客はない。
「どうぞ」とだされた丼に、予想もしなかった色彩がのっているので、
一瞬ぎくりとする。紫色の花弁が山盛り。
「すみれうどん、て言いまして」と主人が胸を張る。
ほう、なぜまたこんな、その…斬新なメニューを、と水を向けると、
堰を切ったように喋り出す。

「わたしらうどん屋も、新しいことにチャレンジせなあかん思いましてね。
チャレンジせな、生き残れませんがな。
もっとね、若い女性に食べてもらわなならん。
ほんでね、わたし、考えたんです。うどん屋に欠けてるもんは何か。
それはね、はなやぎですわ。はなやぎ」と主人がぐっと顔をこちらへ近づけた。
右のおでこのホクロの毛が見える。

主人は“宝塚”好きということもあり、
女性に間違いなくアピールするマテリアルとして
「すみれ」の発想を得たのだと言う。
すみれの花は実際に吸い物の具にしたりもするらしいので、
あながちでたらめということでもないらしい。

食べてみると、見た目を重視したせいか花を湯通ししていないので、
少々えぐみがある。が、しかし、これはだめだ、というほどでもない。
むしろ野趣があるとも言える。
こういう変わりメニューは、味よりも話の種になるかどうかが大事だ。
存外、いけるかもしれない。

いや、これはなかなかだ、
もしテレビに取り上げられたら若い女性が行列をつくるかもしれませんな、
と述べると主人はほくほくと笑い
「まあまあ、やっとくなはれ」とビールとコップをだしてきた。
ありがたくいただく。
「もしテレビに」以下はあくまで一般論であるので、
でまかせの世辞を言ったつもりはない。

正直に言うと、私は少しく驚いていた。
この国を覆う焦燥感に、である。
巷の讃岐うどん屋のように手打ちにこだわるでもなく、
どちらかといえばふにゃふにゃで主張のないうどんを、
殊更に問題意識なく何十年来売り続けて来た男にまでそういう気を起こさせる、
この国の「なんとなくこのままではいけない感じ」に。
コップのビールがいつもより苦く感じたのは…
舌に残ったすみれのアクのせいだろうか。

一週間ほど仕事でばたばたしたあと、外出時にうどん屋の前を通りがかった。
中をのぞくと、客は誰もいない。
店内の椅子にこしかけ、ぼんやりとテレビを見ていた主人がこちらに気づき、
さえない表情で会釈をした。
店に入り、どうです、新しいうどんの評判は、と訊くと、
主人はかぶりを振って「やめですわ」と答えた。
やめた?なぜ?
「おやっさんがやめえ、言うんです。ええ年してはしゃぐな、て」
店の奥から競馬放送の音が聞こえて来る。
もったいないですな。客には出したのですか。
「ええ、だしました。二人ほど」
どうでした、評判は。
「ええ、まあ…悪なかった、思いますで」と主人が目をそらした。
「けど、おやっさんは…気にいらんかったみたいですな」
話はそれきりになった。わたしは、きつねうどんを注文した。
あいかわらず、腰のないうどんだった。

ひょっとして、先代の爺さんが止めたのは、
婿養子のアイディアが評判を呼ぶのを苦々しく思ったためなのか。
いや、本当に評判が悪かったからなのか。それは今では分からない。
なぜなら、それからほどなくうどん屋は店を閉め、
主人とその家族もこの町から姿を消したからである。
うどん屋は取り壊され、後にはチェーンのセルフうどんの店が建った。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

  

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福里真一 2014年1月13日

外国からのお客さまのために

        ストーリー 福里真一
           出演 大川泰樹

東京が、他の海外の大都市と似たような近代都市だと、
外国から来たお客さまが、
がっかりするのではないか。
という議論は、
すごい勢いで、盛り上がりを見せた。

2014年、江戸復活法案、可決。

多額の国家予算をつぎこんで、
東京に、江戸の街並みを大規模に復元することが、決まった。

6年後に向けて、
急ピッチで、ビルが倒され、高速道路が破壊された。

まるで、戦後の焼け跡のように、
何もなくなった東京に、
今度は、木造の江戸の町が、
信じられないスピードで復元されていく。

もちろん、各競技場は、超現代的なデザインだったから、
背の低い家が立ち並ぶ江戸の街並みと、
突然ところどころで姿を現す、巨大競技場の対比は新鮮で、
これなら、外国からのお客さまたちも、
感嘆の声をあげてくれるだろう、と思われた。

忘れられていたのは、
江戸の名物は、火事だ、ということ。

2020年、世界的イベントを半年後に控えた、
2月のある日、
一軒の家の火の不始末から燃え広がった火事は、
おりからの北西の風にのって、
瞬く間に、
新しい江戸の町を、焼き払った。

その翌日、
黒こげになり、
何もなくなった、東京、あるいは、江戸の町の向こうには、
富士山が、
かつてないほど、くっきりと見えたという。(おわり)

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

  

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