ストーリー

宗形英作 2011年12月23日

初雪が降ったら

         ストーリー 宗形英作
            出演 森田成一

初雪が降ったら、と少年は空を見上げた。
初雪が降ったら、初雪が降ったら、告白をしよう。
少年は空を見上げたまま、憧れの人を想った。

なぜ告白という言葉を使ったのだろう。
なぜ初雪の日を思い浮かべたのだろう。
なぜ初雪という一年に一度の時に、告白を、と思ったのだろう。
少年は、とても初々しい気持ちになっていた。
少年は、初雪と告白、この二つの言葉に相性のよさを感じていた。

水分が結晶となって、そして雪になる。
もとあるものが、形を変える。別のものになる。
液体が固体になる。透明が白色となる。
掴みどころのないものが、手の中にしっかりと握りしめることができるものになる。
その変化、変容、変幻を望んだのかもしれない、と少年は思う。
告白することによって、明日が変わるかもしれない。
今の自分とは違った自分に会えるかもしれない。
少年は、その思いに満足しながら、再び空を見上げた。

果たして、少年が決意してから一か月、雪が降ることはなかった。
少年は、告白の文面を考え、手直しをし、そのために長くなってしまった文面を削り、
削ったことで言葉足らずになった文面に言葉を足した。
少年は、何度も何度も言葉探しの旅に出かけて行った。
そして、初雪が降った。
しかし、手直しに手直しを重ねるばかりで、告白文は未完成のままだった。
少年は、告白の、最初の機会を失った。

そして、2年目の冬が来た。
明日の朝方には、今年初めての雪が降るでしょう。
少年は、その夜長いこと星のない空を見上げていた。
闇に包まれながらも、空は凛として透明な気配を漂わせていた。
息は白く、頬は張りつめ、手は凍てついて、しかし心は熱かった。
そして翌日、少年は高熱を出し、医者から外出を禁止された。
予報通り、その年の初雪は降り、少年は暖房の効いた部屋の窓から、
ひらひらと舞い落ちる雪を眺めていた。
少年は、またも告白の機会を失った。

そして、3年目の冬が来た。
町から色を奪うように、雪がしんしんと降り注いでいる。その年の初雪だった。
少年は、憧れの人へ電話をかけた。すっかり暗記している数字を震える手で押した。
憧れの人をコールする、その音が波打つように揺れていた。
留守録に切り替わることを覚悟したとき、彼女の声が揺れながら届いた。
ごめんなさい、気づかなくて。少年の喉が渇いた。
今日会いたいのだけれど。少年は渇きを鎮めるように喉を鳴らした。
ごめんなさい、今ね。と一度区切ってから、南の島の名が聞こえてきた。
その年の初雪が降った日、憧れの人は日本にはいなかった。
少年は、降り注いでくる雪を見上げながら、電話を切った。
少年は、またしても告白の機会を失い、
その翌年、憧れの人が遠い地へと引越していくのを遠くから見送った。

そしてまた、その季節がやってきた。
少年はもう諦めかけていた。自分には運がないのだと。
冬が来ても、天気予報が寒さを告げても、少年はこころを動かさなかった。
初雪という言葉も告白という言葉も遠くなっていくことを感じた。

そしてその日がやってきた。
目覚めると、そこは一面の雪だった。
一晩で積もるほどの雪が、その年の初雪だった。
少年は、その初雪にこころの奥に仕舞ったはずの言葉が浮き上がってくるのを感じた。
告白しなければ。
憧れの人を想い、会いたいと思い、伝えたいと思った。
伝えたい、その逸る気持ちを抱えながら、
しかし少年は、数日の間じっとこころの中と向き合っていた。

初雪。
年に一度の機会に賭ける、その愚かさに少年は気付いた。
初雪と告白。
そのふたつを関連づけることで、わざと可能性を小さなものにしてしまった。
少年は、そのことに気が付いた。
勇気のない、臆病な自分を正当化するために、
初雪が降ったら、と自分への言い訳を用意していたのではないか。
告白できない自分のふがいなさを隠そうとしていたのではないか。

少年は、思った。
初雪が降ったら、告白しよう、ではなく、
ただ一言、告白しよう、その一言で十分だと。

少年は、遠い地に暮らす憧れの人を目指して、列車に乗った。
いくつもの駅を過ぎ、いくつかのターミナルで乗り換え、
山を、谷を、川を、町を、村を越えて、そして憧れの人の住む駅に着く。
ゆっくりと列車の扉が開く。風がひんやりと頬を過ぎた。
ホームで待っているから。憧れの人は、遠目にもその人だと分かった。
少年は一度立ち止まってから、一歩一歩確かめるように憧れの人へと向かった。
こんにちは。こんにちは。
憧れの人がほほ笑んだ。少年の固い口元にも微笑みが浮かんだ。
あ、雪よ。憧れの人が言った。あ、雪だ。少年がつぶやいた。
憧れの人だけを見つめて、少年は雪の気配に気づかなかった。
初雪よ。憧れの人がささやいた。初雪か。少年は心の中でささやいた。

出演者情報:森田成一 03-3479-1791 青二プロダクション

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佐倉康彦 2011年12月18日

瞳の奥の漆黒の、

            ストーリー さくらやすひこ
               出演 内田慈

今夜もまた、
私は掟を破る。
深夜の薄暗いエレベーターホールに
誰もいないことを確かめながら、
マンションのゴミ置き場へ
そろり急ぐ。
コンビニ袋に溜まった
ビールの空き缶たちが
カラカラと情けない音を立てながら、
迷い猫のような私の姿を嗤う。
私が暮らす街は、
空き缶などの資源ゴミを
回収の朝に出すというルールがある。
前夜に出すと、
それを不法に持ち去る輩が
いるからだそうだ。
街の美観、治安が乱れるから。
条例で定められた
指定業者にしか
空き缶は渡すべからず。
理由は山のようにあるらしいが、
持ち去る輩たちにも理由はある。
空き缶、という糧。
その糧を街ぐるみで奪えば、
持ち去る輩が減り、
やがて消えてゆく。
それで街の治安も美観も
保たれるという。
いびつな人間同士の捕食関係。
その禁を、掟を破った者は、
同じマンションに住む
私とあまり歳の変わらない
主婦たちのグループから
吊し上げを食った。
ある夜、
その現場を見咎められた若い女が、
ゴミ置き場の前で
数人の主婦に囲まれ、
責め立てられているところに
出くわしたことがある。
私は大型犬に出会ってしまった
猫のように怯えながら
するりと鬼面の主婦たちの横を
摺り抜け、
ちりちりと焦げるように
心の中で呟いた。
「ねぇ、あなたたちが纏ってる
 原色のショールや
 アニマル柄のニット。
 それに、
 あなたたちがベランダに
 無様に飾り立てたクリスマスの
 イルミネーションの方が、
 よほど街の美観を損ねてるよ…」
そんな主婦たちの顔を
思い浮かべながら、
空き缶をひとつひとつ
丁寧にゴミ置き場の籠の中へ
遺棄してゆく。
空き缶たちが音を立てないように、
まるで骨上げをし、
骨壺に収めるほどの慎重さで。
そこに、そのひとは現れた。
漆黒のダウンジャケット。
そのフードを目深く被り、
今流行りのダメージジーンズとは
明らかに違う擦り切れたデニム。
そのポケットに両手を
突っ込んだまま、
私が遺棄する空き缶を
すうっと、見つめている。
「それ、いいですか?」
凍るように身を固くして
構える私に、
とても澄んだ穏やかな声で
話しかけてきた若い男の目は、
とても静かなものだった。
「缶です、空き缶です」
「え?なに?」
「同居人のご飯になるんです」
私はその言葉の意味も解さないまま、
空き缶たちを若い男の手元へと、
がくがくと差し出す。
彼は、私に深くお辞儀をしながら、
とても丁寧にひと言
「ありがとうございます」と
謝辞を述べた。
そして、ゆらりと踵を返し、
街灯の途切れた向こう側の
蹲るようにしてある小さな公園へと
つづく暗がりへと
その姿を溶け込ませていった。
あの夜から、
あのときから、
あのひとが、
私のどこかに触れるようになった。
つぎにあのひとと
言葉を交わしたのは週末。
耳障りなジングルベルをがなり立てる
街のアーケードの路地で
母猫とはぐれた仔猫を
私が見つけてしまったとき。
ただただ、生きようと、
か細く鳴きつづける仔猫を前にして、
途方に暮れていた私の肩越しに、
あのひとは現れた。
彼は仔猫を両手で包み込むように
ふわりと抱き上げると、
あの夜と同じ
漆黒のダウンジャケットの懐に
その仔猫をとても自然に収めた。
「生まれて半年くらいは
 経ってるみたいですね」
「お母さん、見つかるといいね」
「もう、ひとりで
 生きてゆかないとだめです」
あのひとの声は、言葉は、
私に、というより、
鳴いてばかりの仔猫に
向けられているようだった。
あれから何度か、
あの蹲るようにしてある公園で
私はあのひとと話した。
同じマンションに住む
あの主婦たちの
私とあのひとを見る眼差しも、
いつしか気にならなくなった。
あのひとは、
この公園で、
この街に生きる猫たちと
暮らしていた。
話すことは、
いつも猫たちのことだけ。
私のことは何も訊かない。
あのひと自身のことも何も話さない。
それでも、
あのひとは、
私のどこかに、
温度のある何かを残していく。
それが、
あのひとの言葉なのか、
あのひと自身の存在なのかは、
私にもわからないまま。
わからないままが、いい。
そう、願った。
今夜もまた、
私は掟を破る。
深夜の薄暗いエレベーターホールに
誰もいないことを確かめながら、
仲間を求めて
ゆらりゆらり歩を進める。
縄張りから出て行く
はぐれ猫のように、
あの蹲るようにしてある公園へと
そろり向かう。
漆黒のダウンジャケットを羽織った
あのひとの傍らで、
とても満足そうに毛繕いをしている
足の裏までも漆黒の仔猫が
あのひとにそろり近づく私を
じいっと見つめている。
仔猫の瞳に映り、
像を結び結晶する私の姿は、
どこから見ても
もう猫にしか見えない。
たった今、
私が捨ててきた縄張りに転がる
空き缶の上に、
白いしろい雪が、
薄くうすく、黙って積もってゆく。_

出演者情報:内田慈 03-5827-0632 吉住モータース所属

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門田陽 2011年12月11日

 ユキの結晶。

            ストーリー 門田陽
               出演 瀬川亮毬谷友子

女「いいわよね、あなたは人気者で。
  世界中があなたの登場を待ちわびている。
  期待されている。ひと目見たいと思われている。
  だから写真誌に追っかけられるくらいは 
  我慢しなさいよ。みんなに愛されているんだもん。有名税よ。
  でもほんとはね、みんなじゃなくて私だけのものにしたいけど。
  そうもいかない。仕方ないわね。人気者なんだもん。」

男「いきなり呼び出しておいて、何だよそれ。大事な話があるっていうから
  わざわざ出てきたのに。そんな用件というか愚痴だったら
  メールで済ませてよ。
  第一いまの話だけどさ。キミも世間も誤解してるよね、
  ボクのこと。発表されている写真はどれもまるでボクとは
  似てない。あんなにワイルドじゃないよボクは。
  確かにスキーのインストラクターはやってるけど、
  どっちかというと草食系だし。足のサイズだって
  あれほど大きいわけがないでしょ。ヒマラヤなんか
  一度も行ったこともないよ。あだ名だってヘンだよね。
  カタカナで付けるならせめてユッキーとかでしょ。
  ボクからみるとキミの方がよほど恵まれてるよ。伝説があって
  神秘的だし、美化されてるし、少なくとも日本人と
  思われてるよねキミは。」

女「よくないわよ。伝説といっても悪い噂じゃないの。
  吹雪の夜に助けられた二人の男の一人を殺して、もう一人と
  恋におち結婚して10人の子どもを設けたのちに忽然と蒸発してしまった女。
  雪のように透き通った白い肌の美人とか言われてるけど、
  見ての通りよ。雪焼けでまっ黒。いちばん腹立たしいのは
  あなたはいつも写真だけど私は絵です。しかも時代錯誤な
  着物姿。それにあなたはいいわよ。リアリティがあるもの。
  今年も10月に西シベリアで行われた国際会議で95%の確率で存在するって
  世界的なニュースにもなったじゃない。ねぇ、イエティ。」

 男「よせよ、イエティじゃないよ。せっかくだから豆知識をひとつ
   教えておくけど、イエティとはネパールの少数民族シェルバ族の
   言葉で岩の動物という意味なんだ。1887年にイギリスのウォーデル
   大佐がヒマラヤでビッグフットと言われる足跡を発見したことで一躍
   脚光を浴びることになった謎の動物。もう150年以上も前のことだから
   ボクには関係ないよ。」

 女「じゃ、ヒバゴン?」

 男「違うよ、やめろよ、言うなよヒバゴンとか。
   ボクは雪に男と書いてユキオです。雪男ではありません。
   去年の冬にバイト先のゲレンデで知りあったキミと、
   たまたま名前に雪という字がお互いつくねと酒の席で盛り上がった
   勢いで一夜を共にしてしまったユキオですよ、お雪さん。
   つぎに街でばったり会ったときに誰だか全く気付かなかった、お雪さん。
   ゲレンデは見た目を3割増しにするって聞いたことあるけど、3割
   どころじゃないといい勉強になりました。
   じゃ、とくに大事な話がないのならボクはバイトに戻ります。」

 女「あ、ごめんなさい。ついあなたに会えたから興奮しちゃって。
   この頃のあなた冷たすぎ。ま、冷たいのはお互い様かもしれないけど。
   大事な話をしなきゃいけないのに。
   ユキオとユキ。やっぱり私たち運命的だったみたいよ。
   できちゃったのよ。
   あのときの私たちふたりの雪の結晶じゃないや、
   愛の結晶がね。」

出演者情報:瀬川亮 03-5456-9888 クリオネ所属
      毬谷友子 .03-3352-1616 J.CLIP 所属

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赤松隆一郎 2011年12月4日

悲しみの飴玉。喜びの飴玉。

       ストーリー 赤松隆一郎
           出演 赤松隆一郎

少年は今日も、
いつものように、
いつもの道を通って
二つの村を往復する。

彼は両手に籠を持っている。
しなやかな蔓草で編まれた
その籠の中には、
飴玉が入っている。

右手の籠には、悲しみの飴玉。
左手の籠には、喜びの飴玉。

悲しみの飴玉は、
悲しみの村で作られる。
悲しみの村の住人たちは、
悲しむことで生きていて、
目に映るもの、耳に聞こえるもの、
触るもの、感じるもの、すべてを悲しむ。
そして彼らは、悲しみの涙を流す。
流れた涙は、
地面に落ちたそばから結晶になり、
その結晶は、
村を吹き抜ける冷たい風を受けて
ころん、とした飴玉になる。
悲しみの村人はそれを、
少年の右手の籠にいれる。

もう片方、
喜びの飴玉は
喜びの村で作られる。
喜びの村の住人たちは、
喜ぶことで生きていて、
目に映るもの、耳に聞こえるもの、
触るもの、感じるもの、すべてを喜ぶ。
そして彼らは喜びの涙を流す。
流れた涙は、涙腺を離れた瞬間に結晶になり、
その結晶は、
涙を拭った村人の手の平で
ころん、とした飴玉になる。
喜びの村人はそれを、少年の左手の籠に入れる。

喜びの飴玉は、喜びの味がする。
それは、少年によって、
日の出とともに、悲しみの村に届けられる。
悲しむことしか知らない村人たちは
喜びの味がする、この飴玉を舐める事で、
喜びがどんなものなのかを知る。
しかし、そのことで涙を流すことはない。
彼らが涙を流すのは、あくまでも
何かを悲しむ時だけだ。

悲しみの飴玉は、悲しみの味がする。
それは、少年によって
日の入りとともに、喜びの村に届けられる。
喜ぶことしか知らない、村人たちは
悲しみの味がする、この飴玉を舐める事で、
悲しみがどんなものなのかを知る。
そしてもちろん、
そのことで涙を流すことはない。
彼らが涙を流すのは、あくまでも
なにかを喜ぶ時だけだ。

今日も少年は、飴玉を運ぶ。
悲しみの村と、喜びの村を往復する。
悲しみの村の大人たちは言う。
「私たちの涙でできた飴玉を、
 決して口に入れてはいけないよ。
 もしそれをしたら、
 お前は死んで、この世界から消えてしまう。
 お前がいなくなると寂しい。
 だから飴玉を舐めないでおくれ。
 そして毎日、この村に喜びの飴玉を届けておくれ。」

喜びの村の大人たちは言う。
「私たちの涙でできた飴玉を、
 決して口に入れてはいけないよ。
 そんなことをしたら
 お前は死んで、この世界を失ってしまう。
 お前にはこの世界が必要だ。
 だから飴玉を舐めてはいけない。
 そして毎日、この村に悲しみの飴玉を届けておくれ。」

少年は村人たちとの約束を守っている。
両手の籠にある飴玉を、
一度も口に入れることなく、
毎日、それぞれの村へと運んでいる。
でもそれはずっとは続かない。
彼が飴玉を口に入れる時が、
いつの日か、必ずやってくる。
いけない、と思いながらも
頭ではわかっていながらも、
その日の少年には
それを抑えることができない。

はっと気づいた時、
少年の口の中に、
悲しみの飴玉が一つある。
もちろんそれは、
少年が自分の手で、自分の口に運んだものだ。
悲しみの飴玉を舐めてしまった。
村の大人たちが言ったように、
僕は死んでしまうのだろうか。
この世界から消えてしまうのだろうか。
もしそれが本当だとしたら、
もう同じことだ。
悲しみの飴玉がまだ残っている口の中に
少年は、喜びの飴玉を一つ放り込む。
柔らかな舌の上で、
二つの飴玉を交互に転がす。
悲しみ。喜び。悲しみ。喜び。
そして気がつく。
二つの飴玉が、
まったく同じ味だと言う事に。

太陽が真上を通り過ぎる。
少年は空を見ている。
口の中はだいぶ前からからっぽだ。
彼にはもうわかっている。
籠の中の飴玉をいくつ舐めようが
僕は死にもしないし、消えもしないし
何も失ったりはしない。

そして、少年は歩き出す。
彼はもう村へは行かない。

この先、二度と行くことはないだろう。
歩いたことのない道に、ゆっくりと足を踏み入れながら
少年は新しい飴玉を一つ口に入れる。
それが悲しみの飴玉なのか、
喜びの飴玉なのか、
少年はもう考えもしないだろう。

その日は必ずやってくる。

出演者情報:赤松隆一郎 http://ameblo.jp/a-ryuichiro/

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中山佐知子 2011年11月27日

1873年の夏

             ストーリー 中山佐知子
                出演 毬谷友子

1873年の夏、私はドイツの商船ロベルトソン号に乗っていた。
船は中国の福建省からオーストラリアに向かっており
その航路はひと言でいうならば「風まかせ」だった。
船長のエドヴァルドは夜な夜な星を眺めては
金星の輝きに感動するロマンティストだったので
たぶん風のささやきに耳を傾けたのだろう。

しかし、「風まかせ」は要するに迷走だった。
船はたびたび進路を変えた挙げ句、ついに台風に遭遇してしまったのだ。
船長のエドはドン・キホーテもかくばかりと暴風雨に挑んだ挙げ句
波を頭からかぶり、甲板に叩きつけられた。
起き上がったエドの顔は前歯が3本折れて上あごを貫いていた。
赤い髭には白い小さなものがぶら下がっていたが
よく見るとそれも折れた歯だった。
乗組員のひとりは波にさらわれて嵐の海に消えたし
もうひとりは足の骨を折って動けなくなっていた。
幸いにして船長のエドも他の男どもも
この船で唯一の女性である私を労働力とは見なしておらず
嵐の甲板に出てロープを結べと命じられることはなかったが
それは女性に対する敬意というよりは
彼らが頻繁に口にする悪態や雑言を私に聞かれないためだった。

船の被害は甚大だった。
マストが折れ舵も失った船はただ波に翻弄されていた。
すでに膝のあたりまで水に浸かっていたし
沈没を恐れて救命ボートを下ろそうとした乗組員は
手をはさまれて怪我をし、
肝心のボートも横波を受けて壊れてしまった。
船長のエドをはじめとする男どもは罰当たりな悪態をつきまくった。

そうして船は2日間荒れた海を漂い
ついにはミヤーク島の珊瑚礁に乗り上げて座礁した。
しかし我々にはまだ神のご加護があった。
すぐ近くにイギリスの軍艦カーリュー号がいたのだ。
船長のエドは神に感謝の祈りを捧げながら救助を待ちに待った。
しかし、カーリュー号のボートは高波に阻まれ
我々の救助をあっさり断念してしまった。

我々は希望もなく取り残された。
船長のエドは神をも恐れぬ呪いの言葉を吐きつづけた。
他の男どもも船長に習った。
それをカーリュー号が聞いたら大砲をこちらに向けるに違いなかった。
大砲を食らって沈むにしろ波に砕かれるにしろ
海の藻屑となるときが迫ったいま
私は神の御前で証言するためにすべての罵詈雑言を記憶にとどめた。

そのとき、ミヤーク島の浜辺にぽっと炎の色が見えた。
島の原住民が我々のために火を焚いてくれたのだ。
その焚火はひと晩中明るく輝き、
助ける意志のあることを我々に告げた。
船長のエドは歯の欠けた口で再び感謝の祈りを捧げたが
それは間違っていると思った。
ジパングのはずれの小島で原住民の助けを待つときは
彼らの神に感謝すべきではないだろうか。

夜が明けると、高波を突いて小舟がやってきた。
小舟には黄色い顔の原住民が乗っており
彼らは親切にも我々8名を救助したばかりか
手荷物や非常食、積み荷の一部も運び出してくれた。

ミヤーク島の浜辺に着いたとき
消え残った焚き火のまわりに黄色い人々の笑顔があった。
その笑顔は確かに我々の無事を喜んでくれていた。
ここ数日、暴力のような嵐と暴力のような言葉のなかで暮らしてきた私は
焚き火と笑顔がたとえようもなく美しいものに見えた。

出演者情報:毬谷友子 03-3352-1616 J.CLIP所属 

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古居利康 2011年11月23日

丘の上の未来  

         ストーリー 古居利康
            出演 山田キヌヲ

その日の午後、市役所から届いた葉書は、
団地の抽選に当選したことを告げていた。
倍率4倍とか5倍とかで、どうせ当たるわけがない、
と、最初からあきらめ半分で申し込んだ抽選だった。

だけど当たったんだ。
へぇぇ、あんたよく当たったねぇ。
なんだかひとごとみたいにそう思った。

団地、だんち、ダンチ。なんてステキな響きだろう。
私鉄沿線の新しい駅。郊外の丘の上。
真っ白な鉄筋コンクリート、5階建て。
キッチンにはちいさな食堂がついていて、
ベランダだってある。

いつものように、明るいうちに息子と銭湯へ行く。
番台のおばさんに、団地のことをしゃべってしまう。
あっという間に広まるな。
おばさん、町内のスピーカーだから。
でもかまわない。ほんとのことなんだから。

清潔な一番湯はさいしょ少しちくちくするけど、
すぐにほんわりとからだを包み込む。
傾いた陽の光が、高い窓から斜めに射し込んでいる。
天気のいい日の夕方は、東の空に鈍く輝きはじめる
気の早い星が、窓の向こうに見えたりもする。
天国にいちばん近い場所って、もしかしてここ。
だけど、団地はお風呂付きなんだ。
引っ越したら、もう銭湯には来れなくなる。
ちょっと残念・・。

そんなふうに考えているじぶんは、
かなり矛盾していると思う。

 おとうさんとおかあさん、
 おひっこしするのよ。
 おへやがみっつもある、ひろぉーいおうち。
 ろくじょうひとまから、だっしゅつだ!

息子はお湯のなかでうつらうつらしている。
半開きの瞼の奥で、黒目がゆっくり裏返っていく。

今日はごちそうをつくろう。団地当選のお祝いだ。
そうそう、お赤飯も炊かなくちゃ。
夫の大好物でもあるし、お赤飯。

夜、風呂敷に包んだ分厚い書類の束を抱えて
会社から帰ってきた夫が、
卓袱台の上に並んだ料理に驚いた。
葉書を見せたら、短い叫び声をあげて
すでに寝ていた息子を抱えあげ、
いきなり頬ずりをした。
伸びかけの髭が痛かったのか、
息子がわーんと泣き出した。

翌日、お隣の奥さんにご挨拶にいく。
このひとは、いつも息子の面倒を見てくれる、
やさしいひと。じぶんのことのように喜んでくれた。
お別れするのは寂しいな。
というより、少し後ろめたい。
去年の夏、お隣のご主人は北の戦場で亡くなった。
さいごの戦いと呼ばれる、あの激戦のさなか、
ご主人は勇敢に戦って、二度と戻ることはなかった。
いまひとりでこの六畳一間のアパートに暮らす奥さん。
ほんとうに団地に入るべきなのは、
このひとの方ではないか。

その週の日曜日、3人で団地の建設予定地へ行った。
建物はもうほとんどできていた。
白いコンクリートの壁に、24という数字が見えた。
わたしたちの24号棟だ。
道はまだ砂利道だった。アスファルトを敷くのは、
最後の仕上げらしい。道の両側に側溝だけ掘ってあった。

何もない丘だった。草っ原にポンポンポンと、
四角い建物がとつぜんふってわいたように建っている。
真ん中に高い塔がある。給水塔なんだそうだ。
塔を取り囲むように公園ができていて、
こどもの遊具もたくさんある。
遊動円木。雲梯。鉄棒。ブランコ。シーソー。
みんな真新しくて色鮮やか。

24号棟の裏手から、草ぼうぼうの空き地がつづいていた。
少しくだりかけた丘の中腹あたりに、火が見えた。
煙がまっすぐきれいに空に立ちのぼっている。
さっきからけむいなと思っていたら、
あの焚き火のせいだったのか。

「あれは人間だな」
夫がぽつんとつぶやいた。
「え?」
「人間は火が好きだ」
 なにかを燃やすことに、情熱を燃やしてきた。
 クククッ」
「人間って、あの人間?
 手が2本しかない。目も2つしかない、
 しっぽも生えてない、」
「うん。脳味噌の容積が、
 われわれの10分の1もない、
 かわいそうな生きもの・・」

夫はそう言って、4本の手をぐるぐる回し、
体操のようなことをした。
息子が真似して、まだ短くてかわいらしい
4本の手をぐるぐる回している。
「たった2本の手で、彼らはよく戦ったよ。
 彼らは火をもっていたから。
 われわれの側の犠牲者も少なくなかった。
 だけどさいごは、その火でみずからを
 焼き尽くした」

犠牲者・・。
そのなかにお隣のご主人もいる。
奥さんはやっぱり団地に入ってはいけない。
あのごみごみした港町のかたすみの、
六畳一間のアパートで、平穏に暮らしてほしい。

「ねぇ。なぜあんなところに人間がいるの?」
「あそこは人間の保護区なんだ」
「団地のこんなすぐそばに?なんかこわいな」
「だいじょうぶ。彼らは人間のなかでも
 いちばん最初に降伏した種族だ。
 おとなしいし、友好的だ。それに・・」
「それに?」
「全員、去勢されている。
 いまいる人間が死んだら、それで、
 ジ・エンドだ」

団地に描いていた未来の夢が、
急速に色褪せていくような気がした。
陽が傾いて、西の空が赤くなっていた。
東の空で最初に輝きだす緑色の星に向かって、
息子のしっぽがもぞもぞ動いた。

わたしたちと同じ、緑色の顔をした、この子。
わたしたちと同じ、緑色の血が、流れてる。
黒光りするつぶらな3つの瞳に、
わたしは語りかける。
大きくなったら話してあげるね。
あの星のこと。この星のこと。
わたしたちの親たち。長く厳しい戦争。

丘の中腹の火はもう消えかかっているのか、
弱い煙が一本の線になって、
ゆっくり立ちのぼっている。

出演者情報:山田キヌヲ 03-5728-6966 株式会社ノックアウト所属

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