ストーリー

中山佐知子 2021年12月26日「オオカミ」

オオカミ

    ストーリー 中山佐知子
       出演  清水理沙

オオカミを連れて行く、と私は言った。
出て行くための条件だった。
何でも3つだけ持って行くのを許されたのだ。
オオカミはチビの頃に親に逸れて弱っていたのを
私が見つけて手当てをしたオオカミだった。
男たちはオオカミに餌を与え、一緒に狩りをすることを教えた。
これからの旅を考えるとぜひともオオカミが欲しかった。
あとは、ここでいちばん年をとった女と狩の下手な男が欲しいと言った。
オオカミには渋い顔をしたリーダーも
これを聞くとゲラゲラ笑ってよかろうと言った。
役に立たない人間をふたりも連れて行ってくれるのは
大歓迎というわけだ。
すると、年をとった女と背の高い男が素早く進み出て私の横に並んだ。

出発は翌朝で、それぞれ自分の荷物を担いでいた。
私はオオカミを連れていた。
年をとった女はキャンプを出てからずっとクスクス笑っていたが、
とうとう口に出して言った。
「あの男が大きな顔でいられるのも長くない。
役に立つ人間ばかりをこんな風に追い出すようではね。」
年をとった女は驚くほど足が達者で先頭を歩いた。
どうやら目的の土地があるようだった。
オオカミが油断なく目を配りながらその後に続き、
狩りの下手な男はいちばん後で鼻歌を歌っていた。

私たちが住処に決めたのは大きな川の岸辺の
ちょっと引っ込んだ土地だった。
遠くに海も見え、背後にはまばらな森があった。
人を襲うような凶暴な動物はいない。
もしいたとしても、オオカミが守ってくれる。
そこは砂漠から山へ移動するガゼルの通り道にも近かったが、
狩の下手な男にガゼルの肉は期待で来そうになかった。
しかし、年をとった女が言った。
「大丈夫。とびきりの狩人が肉をくれるよ。」
本当にその通りになった。
狩の下手な男は石を削って鋭いナイフを作り、
貝殻や亀の甲羅や動物の骨や歯から美しいベルトや腕輪を作った。
ガゼルを追って近くを通る狩人に見せるとみんなそれを欲しがり、
かわりにたくさんの肉を置いていった。
肉がないときは川の魚や鳥の卵があった。砂浜で貝も掘ったし、
森へ行ってドングリやピスタチオを集めてもよかった。
実を言えば狩の下手な男もオオカミの助けを借りて
たまにはシカを仕留めることがあったのだ。

私は年をとった女と相談して昴が西の空に傾く春を待ち、
土を耕して食べられる草の種、いまで言う豆や麦を播いた。
これらは保存がきく上に土に播けばいくらでも増やせる食べ物で、
実際に秋の収穫は期待以上だった。
私の一族はなぜそれを嫌うのだろう。
植物を育てるには同じ土地に定住しなくてはならないからだ。
彼らにとって旅をやめることは生きるのをやめることだった。
しかし、子供を抱えて難儀な旅をする母親や
歩けなくなって置き去りにされる年寄りを見ていると
旅をしない暮らしの方がよほどいい。
そうして私は一族を離れ、ここに来た。

その冬はオオカミの姿が見えなくなっていた。
たまにあることなのでさほど心配せずに
昴を目印にして春の土を耕し、また種を播いた。
緑の芽が伸びる頃になって、
オオカミが恐縮した様子で2頭の子供を連れて帰ってきた。
「いいんだよ」と年をとった女が言った。
「ちゃんと養えるからね。
 オオカミの子供だけじゃなく人間の子供だって養えるのにさ」
そう言って、年をとった女はオオカミの頭を撫でながら
私の顔をじっと見た。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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川野康之 2021年12月19日「星空のすばる」

星空のすばる

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

銀河、明星、彗星、月光、金星、あかつき、すばる。
7つの寝台急行列車が、東京と大阪を結んでいた。
一晩眠れば目的地に到着する寝台急行は、
東海道線の花形スターだった。
いちばん最後に登場したのがすばる。1963年のことだった。
しかしその翌年に東海道新幹線が開業すると、
すばるは、わずか1年運行しただけで廃止された。

すばると同時にあかつきと彗星が姿を消した。
翌年には金星と月光が消えた。
4年後には明星が廃止された。
時代のスピードはあっという間に寝台急行を追い抜いて行ったのだ。

東海道のスターたちは、その後どうなったか。
あかつき、彗星、月光、金星、明星の5つは、
山陽本線の夜行特急となって再び走り出すことになった。
東海道線に一つだけ残った銀河は、
始発駅を新幹線の最終列車より遅く出発し、
終着駅に新幹線の始発列車より早く到着するという裏ワザを使って、
なんとか21世紀まで生き延びた。
しかしすばるだけは、再び線路の上に戻ることはなかった。

たった1年走っただけで消えてしまったすばるを
「幻の」という形容詞をつけて呼ぶ人もいる。
でもすばるは幻なんかではなかった。
私はあのすばるに乗っていたのだ。

大阪駅を夜8時5分に出発し、京都、大津、岐阜、名古屋・・・
すばるは黙々と私の体を遠くへと運んでいた。
はじめての一人旅の心細さを断ち切るような力強さで。
冷たい窓ガラスに額を押しつけて私は真っ暗な外の景色を見つめていた。
宇宙の星空の中をすばると私だけが進んでいる。
ドキドキして眠れなかった。
気がつくと窓の外が白くなっていた。
すりガラスみたいな窓の向こうに森が見えた。
曇りを拭うと、それは森ではなくて工場とエントツだった。
あちこちに工事中の建物や道路が散らばっていた。
ゴミゴミとした街の中をすばるは平然と進んでいた。
なんだか頼もしく見えた。

ホームに立った時、体がまだ揺れていた。
「ここから先は一人で行けよ」
とすばるが私に言った。
早朝の東京駅は仕事に向かう多くの人でエネルギーにあふれていた。
オリンピックのポスターが貼られていた。
この年の秋にすばるは廃止され、
もう再び見ることはできなくなるのだが、
もちろんその時の私は予想もしていない。
歩き始めた時、私はすばるを振り返らなかったと思う。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2012年12月12日「スバる」

スバる

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

ここ数年、全国で断続的におこってきた失踪事件。
そこに共通する点がある。
みな、SNSへの投稿、書置き、離れた両親への留守番電話、
なんらかの形でメッセージを残す。
抽象的であいまいな言葉遣いながら、大体の内容は似通っていた。
明日から自分は「そちら側」から「見えなく」なること、
でもそれは自分の意志であり、
明日以降も自分は「こちら側」で生きていくつもりであり、
心配は無用であること。そして最後に必ずこの言葉があった。
「すばらしき無のために」。
宗教団体か、テロ組織か。反復される「すばらしき無」という
芝居がかった言葉は、失踪者間のつながりを想像させる。
そして、この言葉を残して失踪する行為を
「スバる」と人々は呼ぶようになった。

 ある社会学者は、こう解説した。
スバった人間たちは「忘れられる権利」を「無」になることで
主張しているのだと。
 われわれの生活の一瞬一瞬はすべてモニターされ、データ化される。
ネット上の検索行為やサイト訪問履歴はいうにおよばず、
ベッドに組み込まれたセンサーからは寝返りの回数と位置、
トイレのセンサーからは尿の量や各種成分、
食器に仕込まれたセンサーからは、食べ残した野菜の量…と、
瞬間ごとに大量のデータが吸い上げられる。
それを監視だ搾取だと非難する人もいるが、データはすべてポイントで買い取られ、
その収入で生きていくことができるのだから、
情報を提供する側は情報の「生産者」として、
資本側と対等の地位にいるともいえる。
われわれは幸福な時代に生きているのだ。
 ただ、そういう生き方をうけつけない人間がいる。
彼らは、データの網に捕捉されることを拒もうとする。
だから彼らは、物理的に消えることにした、
というのがその社会学者の見解だった。
言論ではなく実行で――
なぜなら言論は所詮データの1バリエーションだからだ。
質量はもちながら観測ができないダークマターのように、
この日本のどこかに生息しつづけること――
それが、連中が望むことだというのだ。

だが、はたしてこの時代に、
情報網の一部とならずに生きることが可能なものだろうか?
情報をポイントと交換し、そのポイントをカロリーと交換し、
その交換のしかたを、また情報として提供する。
このサイクルを抜け出す方策は「死」以外ない。
そしてそれは――現実だ。
その現実を、連中は否定することができると本気で考えているのだろうか。
無謀だ。それは火星に移住することよりも難しい冒険だろう。
いや、「冒険」などというポジティブな言葉は使うべきではない。
それは「あってはならないこと」だ。情報の網から進んで脱することは、
命綱を自分で断ち切って暗闇の中に飛び込むことだ。
「スバる」という言葉にあらわれた半笑いの態度が示すもの、
それはとりもなおさず、そんな無謀な行為を進んでやる人間がいる、
ということを信じたくない気持ちーー
それをごまかしたいという僕らの無意識ではないか。
現実はひとつであり、それ以外のありかたなどあってはならないのだ。
…と、僕はそこまでで考えるのを止めた。
そろそろお茶の時間だ。お湯をわかしコーヒーを淹れて、
情報を生産しなければいけない。
すばらしきもの、それは存在であり…情報こそが存在なのだから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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小野田隆雄 2021年12月5日「すばるのささやき」

すばるのささやき

         ストーリー 小野田隆雄
            出演 大川泰樹

昔の日本語では、集まってひとつになることを、「すば
る」と言った。
清少納言が「枕草子」の中で、美しい星として最初にあ
げている「すばる」も、たとえば地球や月のように、ひ
とつの星ではない。それは星の集団につけられた名前で
ある。
またたくように、キラキラする「すばる」は、六個の星
にも七個の星にも、数えられる。眼の良い人は、十個も
見える。さらに天体望遠鏡で観察すると、百個以上の星
があるという。
「すばる」は若い星の集まりで、誕生してから六千年し
か経っていない。星たちが青白く輝いているのは、高温
度の光を出しているためである。
そのために「すばる」の星たちは、大きなエネルギーを
消費しているので、燃えつきるのも早い。あと一億年で
消え去ると言われている。
ところで西洋では「すばる」のことを、プレアデスと呼
んでいる。そこにはメソポタミア地方で生まれ、ギリシ
ア神話に受け継がれた、物語があった。
プレアデスは七人姉妹の名前である。彼女たちは月の女
神、アルテミスに仕えていた。ある夜、彼女たちが森の
木陰で踊っていた。
その姿を、若き狩人(かりゅうど)のオリオンが見つけ
る。彼は少女たちに近づき、たわむれようとする。
少女たちは逃げて、主人のアルテミスに頼み込み、小鳩
の姿に変えてもらい、大空に飛んでいった。けれどオリ
オンもあきらめず、追いかけて空に駆け昇った。
私たちが冬の夜空で見る、三つ星で有名なオリオン座は、
その狩人、オリオンの姿である。その星座から、少し右
上に視線を移すと、そこに小声でささやきかけるように
輝いている、プレアデスの星たちがある。

「星三百六十五夜」という本は、野尻抱影(のじりほう
えい)によって書かれた。昭和53年に出版されている。
1月1日から12月31日まで、星のことを書いた、3
65のエッセイである。
野尻抱影は学者ではないけれど、星が大好きな人で、さ
まざまな星の話を書いている。
彼の弟は大仏次郎(おさらぎじろう)というペンネーム
の、小説家だった。黒覆面(くろふくめん)の剣術使い、
鞍馬天狗(くらまてんぐ)は、彼の創作である。
「星三百六十五夜」の12月29日に、生きることに絶
望し、死んでしまおうと思い、家出する青年が登場して
くる。
青年は森に向かって歩いて行く。死に場所を捜すために。
月のない星明かりの道を歩き続ける。風が吹いてきた。
ふと、彼は立ち止まる。森の上に「すばる」がまたたい
ていた。
そのやさしい輝きを見たとき、彼は死ぬことを止めようと
思う。そういう話である。
このエッセイを読んだとき、私は思った。青年はきっと、
「すばる」のまたたきを、耳で聴いたのだろうと。死ん
ではだめ、死んではだめ、死んではだめ。
少女たちは歌うように、話しかけていたのかもしれない。
この本を読んだのは、三十代の頃だったと思う。それ以
前、高校生の頃から、考えていたことがあった。何も

い場所で、人工の光もなく、月の出ていない夜に、星空
を見ることである。たとえば中央アジアのシルクロード
行きたかった。まだ実現していない夢だ。コピーライ
ターズストリートに、「すばる」の話を書かせていただ
くことになったとき、ある人と少し会話をした。そのと
き、次の話を聞いた。
世界には、星空保護区と呼ばれる場所があるという。ア
フリカの古い砂漠、ニュージーランドの湖、そしてアイ
ルランドの半島、その三か所だけである。
もしも北半球に住んでいる私が、アイルランドの海に突
き出した半島で、空いっぱいの星空を見たら、「すばる」
を見つけられるだろうか。彼女たちのささやきを、聞く
ことが出来るだろうか。
もしも聞くとこが出来たら、きっと次のような、ささや
きだろうと思う。
もうひといき、もうひといき、もうひといき。
そろそろ一年が終わろうとしている。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP所属

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中山佐知子 2021年11月21日「酒杯」

酒杯

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

村上天皇の孫にあたる姫君で
伊勢神宮の斎宮になったかたがいらっしゃった。
斎宮は神に仕える巫女、というよりは
神の意思を天皇にお伝えする媒体のようなものだった。
神は決して言葉を発することはない。
ただ姫君の肉体を使って意思を示すのみだった。
この姫は11歳で斎宮に選ばれ、13歳で伊勢へ来た。
お名前はよし子。
その事件が起きたときは26歳だった。

夏の終わりの嵐が吹き荒れたその日、姫君は突然狂気に陥り
わたしの身体に神が取り憑いたと訴えはじめた。
自分の言葉は神のお言葉である。
その言葉を天皇に伝えよ。

お言葉はおおむね次のようなものだった。
その一、斎宮の長官夫妻が自宅で勝手に神を祀り
偽りの教えで人々を惑わしているから直ちに流罪にせよ。
その二、都でも狐を伊勢の神と称してあやしい宗教を広める輩がいる。
しかるべく取り締まれ。
その三、天皇が伊勢神宮の神を蔑ろにしている。
その四、伊勢の民を殺した犯人の処罰があまりに遅いのは
行政の怠慢である。

神のお言葉としては具体的すぎるようにも思えるが、
これは伊勢神宮代表の姫君が天皇に仕掛けたケンカである。
知らせを受けた朝廷は上を下への大騒ぎになり、
事情聴取や処分の決定が今度ばかりは迅速に行われた。
天皇は陰陽師や胡散くさい祈祷師をおそばに近づけて
明らかに伊勢の神さまを粗略にしていたが、
あわてて反省の態度を示した。

さて、11歳で両親から離され
神にお仕えしてきた姫君が
このように世間を知った行政批判
や不正の告発をなさるのは
不思議なことだと誰もが思う。

斎宮の姫が神がかりを装って告発するだけの情報が
どこからやってきたのかは謎のままだが
その勇気がどこからもたらされたのかは判明している。
姫は神がかりになってお言葉を発せられている間、
何杯も何杯も杯を重ね
酒をお飲みになっていたことが記録されているからだ。

この事件がひとまずの決着をみたのは
夏が過ぎ、秋も深まった旧暦の9月だった。
思い出せば、13歳で都を出て近江から鈴鹿を越え
赤や黄色に色づく山の木々を眺めながら伊勢へ旅をしたのも
この季節だったが
天皇にケンカを仕掛けて勝利したこの年の紅葉ほど
思い出深く美しいものはなかったと想像される。

姫君は31歳で斎宮の役目を終えて都へ戻られた。
46歳のときに右大臣藤原教通の妻になっているのをみると
政治家の妻として優れた素質があり、
しっかりしたお人柄だったことが想像される。
大酒飲みだったという記録はない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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三島邦彦 2021年11月14日「紅葉の客」

「紅葉の客」 

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

お久しぶりですね。
ずいぶんと伸びましたね。
今日はどんな感じにしましょうか。
ちょっと変わりたい。
なるほど。
そうですね、
髪型というより、
色を変えてみるのもいいかもしれませんね。
紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。

美容師のYは、
ちょっとイメージを変えたいという客がいたら
いつもそう言うことにしていた。
変化したいなら、紅葉くらい鮮やかにやってしまえばいい。
Yはいつもそう思っていた。
しかし、誰も髪を紅葉のように染める客はいなかった。
赤く染めては、と言われたら従った客もいたかもしれないが、
紅葉と言われると誰もが冗談だと受け止めた。
7年間、Yは紅葉色の髪を何人もの客に繰り返し勧めた。

7年と1日が経った秋のある日、一人の客がやってきた。
初めて見る、80歳くらいの白髪の女性だった。

ちょっと変わりたい。
とその客は言った。

少し迷いながら、Yはいつものセリフを繋げた。

なるほど。
そうですね、
髪型というより、
色を変えてみるのもいいかもしれませんね。
紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。

紅葉か。それもいいかもしれない。
老婦人は鏡に映る少しだけ毛量が減った銀色の髪を見つめながら言った。

Yは驚いた。
息を飲み込み、
いいですよね、紅葉。
と、なんとか間を空けすぎないタイミングで相槌を打った。

老婦人は少し微笑み、口を開いた。

暗い冬が来る前に、
一度燃え上がるような紅葉になってみるのも悪くない。

老婦人の過激な一言に、Yはうろたえた。

いえ、そんなつもりでは。とYは言った。

いいのよ。本当のことですから。
さあ、私を紅葉にして頂戴。

それから長い時間をかけて、Yは老女の髪を染めた。
これまでにYが経験したことがないほど丁寧にその作業は行われた。

紅葉色の頭の老女が生まれた。
それはどこまでも鮮やかで、少女のようにすら見えた。

ありがとう。元気になるわ。

そう言って、新しい髪の毛を老女はやさしくさわり、何度もうなずいた。

すっかり傾いた夕日の中に真っ赤な頭の老女は消えていった。
Yはその後ろ姿をいつまでも見ていた。
頭が目立つので、かなり遠くまで見ていられた。

変化を求めるという客に、Yは今日も繰り返す。
その老女以外に一度も受け入れられたことはないけれど。それでも。

紅葉(もみじ)みたいな色にしてみるとどうでしょう。
誰もが変化を感じますよ。紅葉ですから。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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