ストーリー

直川隆久 2015年10月11日

naokawa1510

天国への階段

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

げえ。
止まっちまったよ。

まじか。

4階の自宅まで、いつもは階段で上がるのに…
1秒でも早くトイレに行こうと思ったのが、
裏目にでた。

うう…。

「あ、止まってしまいましたね。非常ボタン、押しましょう」

ちくしょう。
しかも、よりによって、
この狭いエレベーターに
女性と二人きりだなんて。
だれだっけ、この人…3階の…奥田さんだったか。

階段使えよ!
…い、いや、怒ってもしょうがない。
まずは、無駄にあやしまれないように、快活に。

「とまっちゃいましたね。大丈夫ですよ。ここの非常ボタンを押せば、
警備会社のコールセンターにつながるはずですから。
あ、わたし、4階の原田です」

非常ボタン。非常ボタン。

「あ、あの、すみません。こちら、レジデンス欅台です。
エレベーターが止まってしまいまして…はい。どれくらいで来れます?
…い…1時間?もうちょっと早くなりません…かね?あはははは」

なぜ笑ったのかわからないが、それほどに、動揺している。
もう一刻の猶予も許されない状態なのだ。

「す、すこし時間がかかるみたいですね…
 わ、わたし、4階の原田です。…あ、さっき言いましたね」

うう。下腹部が震えてきた。
持ちこたえられるだろうか。
早く!
早く来てくれ!

いかん…
奥田さんが…不審げな目でこっちを…

だめだ。
ここで…
ここで漏らしたら…
おれの社会人生命は…おわりだ…

う。
うおお。
神よ…!
助けてください…
わたしに…
手をさしのべてください…!!
ここから出る…手立てを…
う…

……

まぶし…

なんだ?

え?

目の前に…
階段!?
エレベーターの中だったのに…

き…奇跡だ。
神よ!
感謝いたします!

奥田さん。
助かりましたよ!

よかったですね!
わたし、ちょっと急を要する用事がありまして…!
お先に、のぼらせていただきます!

よいしょ…

よいしょ…

よいしょ…

ふう…

ふう…

ふう…

ふう…

ふう…

ふうふう…

ふうふう…

な…

ながいな…

ど、
どこまで続くんだこの階段…

ああ、また、下腹部っううう
も…漏れ…

いかん、落ち着け。
神は俺に救いの手をさしのべてくださったんだ。
裏切るはずはない。

もう、すぐそこのはずだ…
きっとすぐ、そこに…

あ。あんなところに、
張り紙が…。

ふう…

ふう…

ふう…
ふう…

な…なんて…なんて書いてある…

…「ようこそ、安住の地へ」…

やった…!
たすかった…
天国はあったんだ…!

あれ…もう一行…書いてる…

「がんばれ、あと3万段」…?

ううっ、
か…

神よ…!!

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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勝浦雅彦 2015年10月4日

katsuura1510

幻の炎

      ストーリー 勝浦雅彦
         出演 石飛幸治

テーブルの上で小さな燭台の火が揺れている。
店には雄一たちの他に、客は誰もいなかった。
「ようやく連絡が取れたと思ったら、この店だもん。びっくりしちゃった」
咲枝は屈託なくえくぼを見せる。
自分の妻なのに、雄一はどんな顔で向き合えばいいのかわからなかった。

「ひとつ聞いていい?」
「ん?」
「なんでそんな派手な服を着て来たの?」
咲枝は赤に白いラインの入った鮮やかなワンピースを着ていた。
「え、だって可愛いから。好きでしょ、こういうの」
雄一は瞬時に苛立ちを覚え、思わず語気を強めた。
「あのなあ、嫌みかよ。旦那が荷物を持って出ていき、
もう三カ月も連絡がありません。
急に話があるから、と初めて出会った店に呼び出しました。
これでさ、何を話すと思ったの?」
咲枝は黙っている。
「どうしてそうなんだよ、そもそも勝手なのは俺なんだから、
怒ったり、問いつめたりしたって」
遮るように咲枝はつぶやいた。
「最後・・・」
「え?」
「最後かもって思って、着てきた」

咲枝と付き合いだして一年半で結婚を持ち出されたとき、雄一は即座に断った。
好き嫌いではなかった。不完全な状態のまま型に組み込まれ、
足下だけが固まっていくことが想像できなかった。
咲枝の「そのふわふわした感じ、二人ならはやく抜け出せるかもよ」
という一言が雄一を翻意させた。逃げ道を探してもいた。
そうして、二人は式も挙げず、周囲にも殆ど知らせることもなく、
紙とボールペンと判子だけで夫婦になった。

「・・・別れない」
「え?」
「私、別れないよ」
「やめろよ、そういうの。なんかさ、怖いよ。
これからどうする?定職についていない夫。
それを支える妻、そんなありがちな構図が美しいのはせいぜい20代までだろ。
第一、さっきこれで最後かもしれないって自分で言ったじゃないか」
「でも、別れられないもん」
この感じだ、と雄一は思った。目の前にいる、触れ合ってもいる、
だが、現実感が無くなっていく。いつしか雄一は目の前にいる咲枝を、
妻でも、女でもない得体のしれない生き物のように感じ始めていた。
二年をかけてお互い違う何かに変わってしまったのだ。

「終わ・・・」
雄一の口が、そうひらきかけたとき、何かが顔に投げつけられた。
呆気にとられる雄一を置いて、咲枝は店の外に弾けるように飛び出した。
カツンッ、カツンッ、カツンッ・・・
階段を降りる聞き慣れたせっかちな足音が遠ざかり、
手元には白い封筒が残された。ひらくと、離婚届が入っていた。
咲枝の文字は薄く角張っていた。こんな字だったかな、と思った。
いつしか燭台の炎は消えていた。
よく見ると、それは紙でつくられた炎がランプの灯で揺れていただけだった。

区役所に向かうバスの中で、雄一は封筒をひらいた。
雄一と咲枝の名前が並んでいる。「離婚」という文字がなければ、
仲良くそこに座っているようにも見える。
窓の外は、赤や黄色の大小の風船をもつ親子連れが目に付いた。
きっと何かのイベントがあるのだろう。
ふと、咲枝の旧姓欄の名前が松岡のままであることに
気づいた。しまった。たしかここは本来咲枝の旧姓である高田
が入るのではなかったか。
これが書き損じの場合、どうなるのだろう。まさかもう一度書いてもらう?
雄一はだんだん腹がたってきた。それは咲枝に対してというよりは、
休日のバスの中でこんなことを考えている自分に対してだった。

「松岡さん、松岡さーん」
老齢の係員が大きな声で雄一を呼び出した。
「松岡さん、大変申し上げにくいのですが」
「何か・・・」
「離婚届は無効になります」
目の前が真っ暗になった、またやり直しか。
「あ、それはその書き損じが・・・?」
「いえ、違います。松岡さんは、結婚されてないんです」
雄一は一瞬、その言葉の意味がわからなかった。
結婚・・・していない・・・?
「この二年前の日付に、婚姻届が出された記録はありませんでした。
ですので戸籍上、奥さんとはご夫婦ではありません。
結婚されていない以上、離婚もできないんです。
失礼ですが今まで、住民票や謄本をとられたことはなかったのでしょうか」
思い当る節はあった。すべて咲枝に任せていた。保険も、手続きも。
蒼白の雄一に、係員は付け加えた。
「三年たてば、事実婚という考えも出てくるのですが、それは民法上の・・・」
その言葉を言い終わる前に、雄一は窓口を離れていた。

陽が落ち、赤く染まった道を雄一は歩いていた。
ひんやりしたアパートの階段を登る。カン、カン、カン・・・。
見慣れたドアはそのままだったが、人の気配はなく、
取り外された表札の白い跡が目に痛かった。
咲枝とかわした会話が脳裏をよぎった。

「私、明日一人で出してくるよ。婚姻届」
「え、いいよ。二人で日を決めて出しに行こうよ」
「日っていつ?」
「え?」
「雄君みてるとね、その気はあるんだけど、足が動かないんだろうなって思う。
ほら、よく子どもがエスカレーターから降りる最後の一歩が出なくて
戸惑ってるときあるでしょ、あんな感じ」
「俺はガキかよ」
「男の人の方があるんじゃないかって。どうしても最後の一歩が出ないこと。
紙一枚のことなのにね。出してくるから家で待ってて。
帰ってきたら、お帰り、奥さん、って出迎えて」

別れられない、当たり前だ。一緒になってなかったんだから。
なぜ届けを出さなかった。どんな気持ちで毎日俺と過ごしてたんだ。
ただ、それを聞きたかった。
あったはずの二年間は幻のように消えた。咲枝も消えた。
あの夜、自分が吹き消したのだ。

玄関の前にしゃがみこんだ。動けなかった。
せめて、あのせっかちな階段の音が聞こえないかと、耳をすませてみたが、
夕闇の住宅街を切り裂く風だけが、雄一の肩先を通りすぎていった。

出演者情報:石飛幸治 http://www.studio-life.com スタジオライフ

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中山佐知子 2015年9月27日

1508nakayama

野分情報です

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

それでは野分情報です。
秋の花の色もますます美しくなった昨日から今朝にかけて
激しい野分が吹き荒れました。

光源氏がお住まいの六条院では
ご滞在中の秋好中宮(あきをこのむちゅうぐう)が風の音におびえつつも、
お庭の草花を哀れに思し召され
不安な一夜をお過ごしになりました。

光源氏の長男、夕霧中将は
野分のはじめに父の館を見舞ったところ
御簾を吹き上げた風のおかげで
紫の上のお姿をかいま見ることができました。
夕霧中将は
「ひと晩眠れないほどの美しさだった。
 私もあのような妻を得て幸せになりたい」と
夢を語っています。

なお、和泉式部のもとにはこの夕暮れ
恋人の敦道親王から
うれしいおたよりが届いたもようです。

昨日の昼から次第に勢いを増した野分は
日暮れとともに勢力を増し
都の人々は、大木の枝が折れる音や
屋根瓦の割れる音などにおびえながら一夜を過ごしました。
深夜から未明にかけては断続的な雨も加わり
午前中にはわずかに日が射したものの
空の色は重く、霧に閉ざされています。

さて、この野分の被害ですが
風速は40メートル以上と推定され
建物の損傷、倒壊など風による被害が目立っています。
庭は飛び散った瓦や倒れた垣根で危険な状態です。
歩くときはくれぐれもご注意ください。
死者、行方不明者の報告はまだ届いておりません。
海外渡航の船舶についての報告ですが
天台宗の僧侶寂照さんは無事に中国に到着しています。
宮中式部省の広報によりますと
予定されていた秋草の宴は中止になる見込みです。

つづいて新刊情報です。
紫式部「源氏物語第一部」間もなく刊行。
ご予約はお早めにね。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2015年9月20日

1509naokawa

答 弁

       ストーリー 直川隆久
          出演 遠藤守哉

えー、ただいまご質問にありましたような、いわゆる戦争への利用というのは、
これは、まったくあたらないわけであります。

わかりやすいように、このフリップを見ていただきたいのですけれども、
たとえばですね、公海上において日本のご家族が乗り込まれたクルーズ船が
台風に遭遇したとします。
このとき、おかあさん、そして子どもたちの命を誰が守るのかという問題なんですね。

そのためにこそですね、この台風を吹き飛ばすために、
核爆弾の平和的爆発措置をとるわけですね。
国民の生命が重大かつ緊急な危機にさらされている状態なわけですから、
国としてこのような措置を講じるのは、当然であります。

(間)

台風というのは、待ってはくれないわけですね。
ですから、この核の平和的爆発措置を講じるにあたっては、
迅速かつ柔軟な運用が鍵となります。その都度都度の判断はですね、
総理大臣である私が、法律にもとづいてしっかりと行ってまいります。

(間)

はい。クルーズ船が台風にまきこまれるという事態が、
そんなに頻繁に生じるのか、というご質問ですけれども、
先の震災で我々が得た教訓というのはですね、
やはり、自然というものは人間の予測を超えている。
それに対し、考えうるかぎりあらゆることを想定して、
ことにあたらねばならないということですね。

(間)

はい。台風を核爆弾で消滅させたら、
船も巻き添えを食うのではないかというご質問ですけれども、
これについてはですね、個々の状況において専門家の意見をいれながら、
台風と船の間の距離をですね、十分にとりながら、慎重に判断してまいります。

何度も申しておりますが、
これは、戦闘行為に核を使うという話ではなくてですね、
国民のですね、繰り返しになりますけれども、
国民の生命が緊急かつ重大な危機にさらされ、
その危機を取り去るのに、ほかに有効な手立てがない、
その場合においてのみ、使用を許されるということは、
きちんと条文に書かれております。
個別具体的な状況においては、この定義にもとづいて、
総理大臣である私が、全責任をもって、フィーリングで判断いたします。

(間)

「フィーリングで」などとは申しておりません。

(間)

ですから、そのようなことは申し上げておりません。

(間)

もちろんわが国は、非核三原則は堅持していくわけです。
しかし、この場合の平和的爆発措置にもちいる核は、
非核三原則でいうところの核にはあたらないわけですね。
なぜなら、兵器ではないわけですから。
兵器でないもので、他国の攻撃はできないわけですね。
兵器ではないですから。兵器ではないもので連中をギッタギタにしても、
これは攻撃にはあたらないわけですね。

(間)

「ギッタギタ」などとは申しておりません。

(間)

言ってない。

(間)

もういいでしょ。
やめましょうよ。
こういう形式主義。
結論は決まってんだから。

(かなり長い間)

ええ、ただいまのですね。
発言は、取り消させていただきます。
議事録からは削除をお願いいたします。

議事録からは削除をお願いいたします。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

 

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小山佳奈 2015年8月13日

1509koyama

「台風の目」

       ストーリー 小山佳奈
          出演 清水理沙

台風の目と目が合ったのは、夏の終わりの夕暮れだった。
台風の目はまじまじと私を見ると、唐突に言った。
「つけまつげつけたの、似合う?」
たしかにひじきのような黒々としたものが、
上まぶたにも下まぶたにも張りついている。
「あんまり似合わない」
そういうと台風の目はシュンとなった。
風が少しやんだ。
私はちょっとかわいそうになって慌てて付け加えた。
「台風はさ、台風のままが一番かわいいと思うよ」
そういうと、台風の目は嬉しそうにその目をしばたかせた。
びゅんと風が巻き起こった。
「本当はジェルネイルとかもしたいんだけど」
「やめて、これ以上爪痕残さなくていいから」
台風の目がまたシュンとなった。
「そういうの、もう少し大人になってからでいいと思うよ」
苦しまぎれに言った私の言葉に、台風の目は伏し目がちに答えた。
「これ以上大きくなったら私、台風じゃなくなっちゃうの」
台風のしくみがよくわからなかった私は、あいまいにうなずいた。
「いいよね人間は。ちゃんと大きくなれるんだもの。
 台風って大きくなったら後は消えてなくなるしかないの」
「そうなんだ」
「本当は大きくなったら、恋もしたいし、デートもしたい。
 好きだから嫌い、嫌いだから好き、みたいなのしたい」
「めんどくさいよ」
「めんどくさいの」
「めんどくさいよ。
 だから私はこんな日にこんな崖の淵に立っているんだよ」
「好きだったんだ」
「嫌いだった」
「めんどくさいね」
「そう、めんどくさいの」
「さらってあげようか」
「いい。なんかそういうのもめんどくさい気がしてきた」
「いいな、そういうめんどくさいこと、うんとしたかった」
台風の目は遠くを見つめていた。
「もう少しで私いなくなっちゃうの。
 だから少しでもこの世にいた証拠を残したくて暴れちゃうんだ」
「迷惑だよ、それ」
「知ってる」
台風の目が笑ったので、私もつられて笑った。
「っていうか、こんなにここで無駄話してていいの」
「たぶんどこかがすごいことになってる。
 嫌われちゃうからそろそろいくね」
「うん」
台風の目は何回かまばたきをしてから、
北の方へ向かっていった。
風がごうと吹いた。

その日の夜、宿に戻った私は、テレビのニュースで、
台風が温帯低気圧に変わったことを知った。
私は古ぼけたコンビニにかろうじて置いてあった変な色のネイルを
はげかけたペディキュアの上から丁寧に塗った。

出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

 

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小松洋 2015年9月6日

1509komatsu

野分
          
      ストーリー 小松洋
         出演 地曵豪

トラック島の港を出たところで
サイレンがけたたましく鳴り始めた。
基地上空に米軍機多数襲来。
あっという間に兵舎が炎上する。
滑走路にいた輸送機も爆破された。
まもなく敵機はこの船団を追ってくるだろう。
巡洋艦「香取」、「赤城丸」、
駆逐艦「舞風」、
そして自分の乗った駆逐艦「野分」。
一刻の猶予もない。
北の水道を目指して急ぐ。

と、双眼鏡にアメリカ国旗を掲げた船影が映る。
戦艦2隻、巡洋艦2隻。
勝ち目はない。
トラック島上空からは、戦闘機が追いすがってくる。

砲撃!
右舷に高い水柱が上がる。
船体が傾き、床になぎ倒される。
双眼鏡が音を立てて割れる。
さらに砲撃。
甲板を転がりながら必死でロープにしがみつく。
船は急角度で舵を切り、速度をあげる。
水柱が何本も上がり、しぶきが顔にかかる。

後方で機銃掃射の音と爆発音。
見ると太い黒煙が立ちのぼっている。
味方がやられたのか。
起き上がって船縁につかまり、目を凝らす。
風圧で海に振り落とされそうだ。

不意に故郷の山形を思い出す。
秋になると、猛烈な風が吹いた。
吹き飛ばされないように前のめりになって歩く。
馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)で魚を突くためだ。
同級生の醤油問屋の息子と一緒に、親には内緒で出てきた。
こんな荒れた日に、大物が獲れるのだ。
風の中で、互いに好きな子の名前を、大声で言いあう。
「へえ、あいつか」
同じ子でないことに二人とも安心し、
「あいつのどこがええんかのう」
などと言っては笑う。
自分は海軍、醤油問屋の息子は陸軍。
いまはどこで、どうしていることか。

「伏せろ!」と誰かが叫ぶ。
目の前で巨大な水柱が天まで持ちあがり、体が宙を飛ぶ。
のどの奥からひとつの言葉がほとばしる。

午後五時二十五分。
うす暗い軍需工場の隅でねじを磨いていた少女は、
自分の名前を激しく呼ぶ声を聞いた。
ふりむくと、南向きのまだ明るい窓に、薄い月が出ている。
月の前を、船のような形の雲がゆっくりとよぎる。
「そこ、よそ見するな」
監督の将校が少女に杖の先を向けた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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