ストーリー

佐倉康彦 2014年9月14日

sakura1409

お伽

      ストーリー 佐倉康彦
         出演 石橋けい

母が私の胸の裡(うち)に、
今もヒヤリと遺していったものは、
王子様、という存在だった。
いつか私を迎えに来る、それらしきなにか。

幼い頃、
私にとって夜は鍵穴のような存在だった。
穴のむこうに広がる
薄墨(うすずみ)色の寝惚(ねぼ)けた闇のようなものと
その穴から、
こちら側にいる私をのぞき込む誰かの視線。
その眼差しに慄(おののい)いていたのか。
それとも、
別の何かを感じていたのか。
目を固く瞑(つむ)れば瞑るほど、
その鍵穴が
私の中のあちらこちらの隙間に拡がっていく。
そうなると、
母がつくってくれる
ぬるめのホットミルクを
どんなにいっしょうけんめいに
こくこくと飲んでも、
眠ることができなかった。
そう思っていた。

そんな夜に
母が必ず私の枕元で語ってくれた
数え切れないほどのお伽話。
そこには、
いつも最後のほうで王子様が現れた。
どんなに不条理で
辻褄が合わない話の筋でも
必ずそれは登場し、
すべてを丸く収めた。
私を見つめる鍵穴のせいで
固く凍った幼い私の胸の裡も
母の甘い声に乗って登場する
王子様によって
瞬く間に溶けていき、
蕩(とろ)けるように眠りにつけた。
そして、彼が、王子様が、
翌日の光り輝く朝へと
深い眠りと共に私を連れて行ってくれる。
と、思い込んでいた。

朝まで王子様と過ごした私は、
幸せな気分でベッドから抜けだし、
母のいるキッチンへ向かった。
そこで私は、
いつも同じ光景を目にした。
ダイニングテーブルの片隅で
背中を丸めて朝食の支度を調える母は、
幼い私の目にも
明らかに深く憔悴しているように見えた。
今、思えば、
私以上に眠れなかったのは
母のほうだったのではないだろうか。

眠れない私のためのお伽話。
それは、
寝室にいる父の相手をすることが
適(かな)わなかった母の、
偽りの「伽」だったのかもしれない。

いけ好かない
ストレートパートの口髭を生やし、
いつも机に向かって
ペンを走らせていた父のような男。
その指先から生み堕とされた
手袋をはめたネズミで
世界中を魅了してしまった父のよう男。
彼もまた、
王子様の存在とその万能を信じ続けた
裸の王だったのではないか。と、今は思う。

王子様を期待し、
自ら眠れない夜を求め彷徨(さまよ)った幼き日々。
私のベッドと並んであった
お揃いのステンシルで型染めされた
もうひとつのベッドには、
ぐっすりと眠る姉がいた。
いつもは背中を向けて眠る彼女が
眠れない私の方に向きなおりながら、
そっとふわり呟く。
「王子様なんて、
いないんだからね…」
お伽話がはじまる前、
母が私たちの閨(ねや)にやって来る寸でのところで
私を
このあとはじまる母の呪文から解き放つために
あらかじめ用意され、
私の胸の裡にまぶされることば。

ありのままに生きる姉の視線は、
いつも私を自由にしてくれたように思う。
私にまぶされるそのことばと
姉という存在がまさに鍵穴だった。
姉が、ことばが、
幼い私の中に
深く静かに拡がってゆく。
しかも、
それは冷たくなどなかったのだ。
とてもとても温かなものだったのだ。
私の胸の裡を凍らせることなどありえなかったのだ。

今、私の王子様は
自らからの冷たさのせいで結晶した
厚い厚い氷の中に閉じ込められたまま、
ピクリとも動きはしない。

母は、
ライトアップされた居丈高なお城の中で、
王子様と共にきっと眠ったままだろう。

姉と私は、
浦安に聳(そび)え立つ
あのお城には、
未だ行ったことがない。

出演者情報:石橋けい 03-5827-0632 吉住モータース


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井村光明 2014年9月7日

imura1409

「夏一番の働き者」

         ストーリー 井村光明
            出演 遠藤守哉

最近の若者は酒をあまり飲まないのだそうだ。
それどころか、この夏のコンビニでは、
常温の飲み物がブームなのだと聞く。
体には良いのだろうが、精神的にはどうなのだろうか。
来る日も来る日も残業で終電帰り、もちろん休日も返上で、
しかも真夏で蒸し暑い、こんな夜。
家に着いたらキンキンに冷えたビールを
飲みたいとは思わないのだろうか。
オンとオフの切り替え、というやつだ。
コーラやコーヒーで、この疲れが切り替えられるわけがない。
ましてや常温など、どう考えても日常が延長するだけじゃないか。
・・・きっと若い奴らには、オンとオフを切り替える必要など無いのだ。
自分の都合ばかり優先し、仕事は適当、いつもオフなのだから。
その尻拭いが私に回ってきて、
今日もこんな時間まで働くはめになっている。
こっちはビールでも飲まないとやってられないんだよ!
・・・オッサン臭いだろうか。
実際、私は四十を過ぎ、しかも独身だ。
家に帰っても、妻の料理も子どもの笑顔も待ってはいない。
でも、狭いワンルーム、ドアを開ければ、目の前に冷蔵庫。
その中で、冷たいビールが私を待ってくれている。
靴さえ脱げばこっちのものだ。
スマホをいじりながら歩いている、
いかにも常温のお茶を飲みそうなOLを追い越し、
私は家路を急いだ。

なのに、まさか。
私を待っていたのは、常温のビールだった。
キッチンの床に水が広がり、お漏らしをしてしまったボケ老人のように、
冷蔵庫が立ちすくんでいる。
が、その老人から、いつもの低いモーター音が聞こえていないことに、
私は気づいた。
冷蔵庫が、死んでいた。
霜や氷が溶けだし、ビールが完全に常温になっているのを見ると、
死亡推定時刻は数時間前、
あるいは朝出勤の頃にはもう死んでいたのかもしれない。

・・・だったら、早く言えよ!
ビールを買って帰ることもできたじゃないか!
深夜まで働いて、キンキンに冷えたビールを楽しみにしてたのに。
よりによって真夏に死ぬことはないじゃないか!
私のオフをどうしてくれるんだ!!
・・・オフ?
そうだ、スイッチが切れているだけかもしれない。
元気を出して、冷気を出してくれ!
そう思い直し、私はスイッチを探した。
が、無い。
冷気の強弱を調整するつまみ以外は、何も見つからない。
あ、冷蔵庫にスイッチは無いんだった・・・
そうか、冷蔵庫には、オンもオフもないのか・・・
無駄だと思いつつ、私はコンセントを抜き、また差し込んでみた。
冷蔵庫の中が一瞬暗くなり、また明るくなっただけだった。
普段気にも留めていなかった、ブーンという音が無いだけで、
部屋全体が死んでしまったようだった。

上京してすぐ大学の生協で買った一人暮らし用の冷蔵庫。
そのうち結婚でもして買い替えるのだろうと思ううちに、
もう25年使っていたことになる。
思えば、スイッチの無い家電なんて、冷蔵庫くらいのものだろう。
部屋の中、どんな小さな家電にだって、スイッチくらいある。
ベランダの外、夜通し光る街灯も、朝になれば消える。
24時間働いてる信号機ですら、赤と青は交代交代休んでいる。
なのに、こんな身近な冷蔵庫に、休みが無いなんて・・・
いや、無くはないか、引っ越しの時はコンセント抜いたもんな。
とはいえ、引っ越したのは2回だけだが。
25年間に、休みはたったの2日だけ・・・
その日ですら、ビールを冷やそうと、
引っ越して一番にコンセントを差し込んだのは、
やはり冷蔵庫だった気がする。
一度コンセントを差し込んだら、
オフにする術が無いなんて、
片道分の燃料で出撃する特攻隊のようではないか・・・
そして、オンだのオフだの言ってる私たちも、
本当は同じなのかもしれない・・・・・・
(悲しいため息)
いたたまれない、こんな夜は・・・やはり、ビールしかないだろう!
オッサン臭いかもしれないが。

コンビニへ行き、冷たいビールを飲んだ私は、
常温の飲み物を買って帰り、冷蔵庫へ入れてやった。
もう冷やさなくていいから、オフを楽しんでくれよ。
この8月、新しい祝日ができるそうだが、
「冷蔵庫の日」があってもいいのではないか、と私は思った。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/

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中山佐知子 2014年8月31日

nakayama1408

おまえ、まだいたのか。

        ストーリー 中山佐知子
           出演 大川泰樹

Twitterで検索をかけていると
いないと思っていた顔と名前が画面に出てくることがある。
なんだ、おまえ。まだいたのか。

プロフィールのアイコンは、写真のかわりに似顔絵で
特徴が意地悪なくらいデフォルメされている。

おまえ、まだいたのか。何してんだよ。

とぼけた顔に向かって、声を出さずに話しかける。

 何もしてねえよ、いるだけだよ。

あいつが言いそうな言葉がすらすら出てくる。
ひとり漫才か、これは。

で、元気だったか。
 元気なわけねえだろ、俺はもう死んでんだぜ。

3年前に葬式に出た。
ご両親がつらそうだった。

死んでんならそんな顔で出て来んなよ。
 悪かったな、この顔は死んでも直らねえよ。

いや、だから、そうじゃなくてさ。
 だから、死んじゃってんだから。削除できねえんだよ。

たまにこういうことがある。
本人はとっくにいなくなって、アカウントが取り残される。
3年前のリアルタイムが凍結されている。
死ぬ前の何ヶ月かは病院にいて
発信するニュースが乏しかったのだろう。
誰かのTweetに対する受け答えが多い。

「ありがとうごぜえますだおかだ」
「コモンセンスのない顧問だね」
「中国へ行ってる人に忠告したよ」

おまえさ、これ持ってとっとと成仏しろ。
 これって何だよ。
おまえの恥ずかしいダジャレまみれのTwitterだよ。
 おまえ、知らないの? 
 Twitterを成仏させるのは自分が成仏するよりむづかしいんだぜ。
なんでだよ。
 だってさ、死んだとたん煩わしいこと全部忘れちゃうだろ。
 パスワードとか。

あいつが考えそうなパスワードはいくつか思いつく。
ためしてみるか?削除してみるか?
しかし、なんでそんな責任を引き受けないといけないんだ?
Twitterのアイコンが、そうだよな、と、
ノーテンキにわらっている。

あいつのTwitterは、
「三陸に仕事をプロジェクト」のリツイートで終わっている。
3年前の夏がそこにある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/ 

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中村直史 2014年8月24日

「夢のパスワード」

     ストーリー 中村直史
        出演 遠藤守哉

現実の社会が、ハイパー電脳フィールドに満たされてしまった
22世紀の社会では、
リアルとバーチャルの境目は完全になくなっていた。
毎朝目が覚めると、私は家族におはようを言う前に、
家族それぞれの電脳フィールドにジャックインする必要があった。
まず妻フィールドに、そして娘フィールド、最後に息子フィールドに。
私は自らの電脳フィールドを通じて、ジャックインする。

電脳フィールドにジャックインするためには、
私しか知りえないパスワードが必要だった。
そしてパスワードは、安全のために毎日変更する必要もあった。
22世紀のハイパー電脳社会では、
ウイルスメイカーや国際的なサギ集団による
ありとあらゆるパスワード探査装置が開発済みであり、
自分の属性に付随するパスワード、つまり生い立ち、家族関係、
友人関係、趣味、好きなもの、嫌いなもの、
DNAの塩基配列にいたるまで・・・・
自分の肉体と歴史に関わるいかなるものも、
それを用いたパスワードにしてしまえば、
24時間以内にほぼ100パーセント見破られるのだった。
生きていく上で欠かせない日々のパスワードを
どのように用意するのかは、21世紀の終わりごろから、
最大の社会問題のひとつとなっていた。

問題解決の糸口となったのが、
今から約40年前の2102年に
カンボジアン・ナショナル・アカデミーの
ヴィエン・シュッツ・パーリ博士が提唱した、
パスワード制作プロセスだった。
博士の提唱はさまざまな実験段階を経て、
世界中で実践されることとなった。
その制作プロセスは、眠っている間に見る「夢」に着目していた。
人間が見る夢は、現実で起こった出来事を情報源としている。
けれど、夢となってあらわれる映像には脈絡がなく、
その脈絡のなさが、希望の光となった。
誰も知りえない脈絡のないものを毎日準備する。
現段階では、個々人の夢が最適かつ最強の脈絡のなさだった。

人々は、国家的な取り組みとして、
幼いころから夢を覚えておく訓練を、徹底的に行わされた。
3歳の誕生日から、国の施設に通い始め、
夢にあらわれたことを記憶にとどめておくこと、
また、見た夢を決してだれにも話さないことを完全に習慣化するよう、
くりかえし行わされた。
法律上定められた、電脳フィールドにジャックインしてもよい
6歳という年齢に達するときには、だれもが、
昨夜見た夢の映像をパスワード化することを習得していた。

今朝もまたいつものように、昨夜の夢をパスワード化した私は、
自分の電脳フィールドでパスワードの変更を行うと、
家族の電脳フィールドにジャックインした。
電脳フィールドに入ってしまえば、
わざわざ息子の部屋まで行くことも、わざわざ実際に声を出すこともなく、
まだ眠っている息子の背中をゆすりながら
「朝だぞ」と声をかけることが可能だった。
家族が朝食のテーブルにそろうときには、
もちろん、家族のそれぞれが、自分の電脳フィールドで
新しいパスワードを設定済みだった。
相互ジャックインされた電脳フィールドのおかげで、
今日もこれから一日、家族のだれがどこにいようと、
私たちは見るもの、聞くものを共有し、
物理的にいっしょにいるかのように、過ごすことができる。
それは21世紀の行きすぎた資本主義社会で崩壊した
家族の絆を取り戻す力があった。
ただし、家庭の会話の中から「あのね、昨日こんな夢を見たよ」
という会話が消えてしまったことが、どんな影響を及ぼすのか、
それを想像できる人間はだれもいなかった。
             

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/


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直川隆久 2014年8月17日

全 解 除

        ストーリー 直川隆久        
           出演 大川泰樹

―おれはこの世を解除するパスワードを見つけた。

早朝。誰もいない学食のテーブル。
話がある、と俺をよびだした小田が、開口一番そう言った。

―何の…パスワード?
―この世を解除してしまうパスワードだ。

普段から言葉のききづらい奴だが、今日はいつにもまして声が低い。

―意味がわかるように話せよ。
―これを見ろ。

議論は時間の無駄とばかりに、
小田はポケットから卵を一つ取りだした。
そして、目をつぶり何秒か天をあおいだかと思うと、
その卵の表面を人差し指の先で、文字を書くような仕草で撫で始めた。

―ほら。

と小田がこちらに卵を向けると、
殻の表面にきゅるりと直径3センチほどの穴があいた。
その穴の向こうから、人の目玉がぎろりとこちらを覗く。
俺は、うわ、と声をあげて思わず後ろに飛びのき、
隣のテーブルでしたたかに腰を打った。

―ああ、これは、窓だったのか。

そう言いながら小田は、卵をポケットに入れ直した。

―窓?
―窓かどうかは、パスワードを解除してみないとわからない。

そう言いながら小田は、
ポケットからもう一つ別の卵を取りだした。

―一個一個パスワードも違えば、
ロックがかけられる前が何だったのかも違う。

さっきと同じ動作を繰り返してテーブルの上に置く。
見ていると殻の表面にいくつもの亀裂が入り、
…ちょうど団子虫が丸い状態から元に戻るかのように変形した。
白い甲羅の裏に、何百本かの毒々しい赤い脚がもぞもぞと動いている。

―うへ。

小田はそれだけ言って、
すばやい仕草でテーブルにあった紙ナプキンで虫を包むと、
足で踏み潰し、ゴミ箱に捨てた。

小田の話を要約するとこういうことだった。
この世のあらゆるモノは、その「ふり」をしているにすぎない。
卵に見えるものも、机に見えるものも、すべては仮の姿であり、
すべてのモノが固有のパスワードを持っている。
このパスワードを入れることで、そのロックが解除され、
モノ本来の姿が現れる、というのである。

―つまり、お前は全てのモノのパスワードを知ってるというのか?
―正確に言うと、知ってるわけじゃない。分かるんだ。
手を触れると。このあいだ猫を解除したときは、興奮したよ。
腹から裏返って、巨大なエイみたいな生き物になった。
ひでえ匂いがしたけどね。

動物にもあるのか。と俺が言うと、 

―人間にもあるんだぜ。

と小田が、にやりと笑った。

―お前にもある。
そのつもりはないだろう?でもそれは気づいていないだけなんだ。
お前にもパスワードがあって、そのパスワードをここに入れれば…

と言って小田はおれのおでこに指で触れた。
思わずのけぞると、小田はげらげらと笑った。
そして、紙ナプキンにすらすらと何か書き、
折りたたんでこちらによこした。
おれはそれを、手で払いのけた。
小田は、くく、と喉がきしむような笑い声をたてた。

―俺も最初は、おまえと同じことが知りたかったよ。
 でもな、それは、わからないんだ。
―俺と同じ…って?
―だれが、こんなパスワードをつくったか。
 そして、なぜ、俺にそれを教えるか、さ。
 でも、そいつは結局わからない。だからおれはあきらめた。
 だが、ひとつ、おもしろい発見があった。

小田の顔が、微妙にゆるんだ。

―たまに、ごくたまに、解除した後、本当に、なんというのかな…
エネルギーの…エネルギーの塊のようなものが現れることがあるんだ。
あたたくて…なんだか、えも言われん、
喜びという気持ちが空間の中に独立して存在しているような…。
あれは、本当に、いい。すばらしいんだ。

小田はうっとりと虚空を見つめ、

―もしあれに俺がなれたとしたら…

そう言って、何か遠いところを見る目をした。
しばしの後小田はこちらを向き、どういう意味か、うなずいた。
そして席を立ち、食堂を出て行った。

※      ※         ※

その後、小田の姿を見たものは誰もいない。
おれの「パスワード」が書かれたナプキンは、自宅の机の引き出しにある。
――まだ開いていない。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/ 

 

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岩田純平 2014年8月10日

けっぺいくん

      ストーリー 岩田純平
         出演 吉川純広

静かにしているな、と思ったら、
息子は絵を書いていた。
息子は3歳で、名をけっぺいと言う。

「何書いているの?」
「アンパンマンと、とりにくだよ」
「とりにく?」
「そう」
「なんでとりにく?」
「アンパンマンはとりにくが好きなんだからだよ」
「へえ・・」

初耳である。

「けっぺーくんね、英語あんまり好きじゃないの」

息子との会話は唐突に話題が変わる。
保育園での英語の時間のことを言っている。
外人の先生が来てくれる。

「先生はおもしろくしようとしてるんだけどねえ」

シニカルな評価である。

「パパ、サメのマネできる?」
「さめ?」
「けっぺーくんできるよ」

そう言って息子はパーに開いた手を額の上にのせ、
睨みをきかせたこわい顔をする。

「あはは、サメだ」

僕が写真を撮ろうとスマホを取り出すと、
息子はサメのマネをやめて、
スマホを取り上げいじりだした。

でたらめにパスワードを入力してはミスになり、
「パスワードがちがいます」
と言いながらケタケタ笑っている。

そういえば、
この前仕事中に妻から電話がかかってきた。

「けっぺいがチョコレートを見つけちゃって、
ダメだよ、って言うんだけど、
 だったらパパに聞いてごらん、っていうから電話したの。
 ・・・・あ、けっぺい、コラー」

妻が僕に電話を掛けている隙に
けっぺいはチョコレートのふたを開け、
2~3個食べてしまったそうだ。

なかなかの知能犯である。

そうこうしているうちに、
息子がいじっているスマホに電話が掛かってきた。
上司の名前が見える。

僕はあわててスマホを取り返そうとしたが、
もみ合っているうちに電話は切れた。

「あーあ」
と息子は無責任な感じで言って
スマホを返してくれた。

折り返そうとしたが、スマホは動かなかった。
パスワードの間違いすぎで
セキュリティが掛かってしまっていた。

「なぜ折り返さないんだ!」
と怒る上司の顔が浮かんだ。

息子はと言うと、
そんな父の不安に気づくはずもなく、
「ブロックで自動販売機つくろっか」
と楽しそうにブロックの箱をひっくり返した。

出演者情報:吉川純広 03-5456-3388 ヘリンボーン所属

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