澁江組・松岡康

松岡康 19年10月20日放送



武将の白髪染め

10月20日(はつか)、今日は頭髪の日。

日本ではじめて白髪染めをしたのは、
平安末期の武将、斎藤実盛だといわれている。

1183年、実盛は木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、敗北。

味方が総崩れとなる中、実盛は老齢ながら一歩もひかずに戦ったが
ついに討ち取られた。

敵方の武将が首を切り、付近の池にて洗わせたところ、
実盛の黒い髪の毛がみるみる白髪に変わっていった。

実盛は出陣前からここを最期の地と覚悟しており、
「最後こそ若々しく戦いたい」という思いから
白髪の頭を黒く染めていたという。

いつの時代でも、戦う気持ちに年齢は関係ない。

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松岡康 19年10月20日放送



かみのけ座

10月20日(はつか)、今日は頭髪の日。

小学生のころ、星図版で「かみのけ座」があることに気づき
不気味に感じた人も多いのではないだろうか。

かみのけ座は、ペレニケという紀元前8世紀ごろの
エジプトの王妃のかみのけを星座の名前にしたもの。

ペレニケは、戦場へ赴く夫の戦勝を祈願し、
その見返りとして髪の毛を神殿に捧げることを誓った。

ペレニケの祈りが通じ、王は生還。

髪を切ってしまった妻を見た王は悲しみ、
同時にその心遣いに感動しました。

ペレニケが神殿に捧げた髪の毛が、
星座になったという。

「かみのけ座」。
不気味な名前だが、そこには純粋な愛の物語があった。

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松岡康 19年8月18日放送


郡上市観光課
終戦の日の盆おどり

日本三大盆踊りの一つ、郡上おどり。
数万人もの人が、午後8時から翌朝5時まで徹夜で踊り続ける。

太平洋戦争中、このような盆踊りも次々と規制され、
郡上おどりも例外ではなく、規模が縮小された。

8月15日、終戦の日。
この日、郡上おどりは玉音放送のため休止となっていた。

夕方、街にだんだんと人が集まり、盆踊りが始まった。
踊りの輪は次第に広がり、二百三十人ほどが
午後十一時半ごろまで踊り続けたという。

辛く、長かった戦争。
終戦の日、彼らはどの様な思いで踊ったのだろうか。

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松岡康 19年8月18日放送



花火大会のはじまり

夏のお祭りといえば花火大会。

大空という大画面に、大迫力の光の演出。
日本人は花火が大好きだ。

しかし、この花火大会、
なぜ夏に行われるのかを知っている人は
少ないのではないだろうか。

花火大会のはじまりは、
送り盆の時期に、魂の鎮魂のために打ち上げられたものだといわれている。

もともとは先祖をお送りする送り火のための花火だったのが、
いつしか夏のイベントに育っていったのだ。

花火を見ると切なくなる気がするのは、
そういった歴史があるからかもしれない。

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松岡康 19年6月16日放送


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6月の和菓子

今日は和菓子の日。

4月は桜餅、5月は柏餅と誰もがしっているが、
6月を代表する和菓子といえば、何かご存知だろうか?

答えは「水無月」という三角型のお菓子。
白い半透明のういろうの上に、小豆を乗せた
どこか涼しげな姿のお菓子だ。

室町時代、旧暦6月1日の「氷の節句」の日に、
氷室から氷を切り出して食し
暑気払いをする宮中の風習があった。

当時氷は大変高価なもの。
庶民たちは見た目を氷に似せた水無月をつくり
みなで食したという説がある。

むしむしと熱さが増すこの季節。
平安時代に想いをはせながら、
水無月を食べて涼んでみてはいかがだろうか。

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松岡康 19年6月16日放送



源氏物語のお菓子

今日は和菓子の日。

源氏物語に、日本最古といわれるお菓子が登場する。

餅を椿の葉で挟んだ、椿餅だ。

「若菜上」という帖で、
平安貴族たちが蹴鞠をした後
椿餅を食べる場面がでてくる。

今も食べられている椿餅。
平安を味わっていると考えると、
その味にも深みがでるだろう。

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松岡康 19年4月21日放送



利休の光

千利休が設計をしたといわれる、
現存するただ一つの茶室が妙喜庵の待庵だ。

この待庵、茶席はたったの二畳、
勝手と控えの間を入れても四畳半大という狭小の空間だ。

待庵はその狭さを感じさせない
ドラマティックな空間によって、
建築的にも傑作とされている。

ポイントは煤で汚れた黒い壁。

黒い壁は光をあまり反射しない。
だからこそ、窓から入る光が反射光に邪魔されず
まるでスポットライトの様に印象的に入ってくるため
亭主や茶道具を効果的に照らしだす。

マルチな才能を持った利休。
点前をドラマティックに見せるという彼はまた、
舞台演出家でもあったのだ。

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松岡康 19年4月21日放送



戦国のリラックス法

仕事に追われる日々の中で、
自分に合ったリラックス法を持っていることは
とても大切なこと。

戦国の世を制し、天下統一を果たした豊臣秀吉。
彼のリラックス法は茶道を嗜むことだった。

抹茶に最も多く含まれているうまみ成分「テアニン」。
このテアニンを摂取すると、リラックスの指標であるα波が発生。

精神や肉体的ストレスを減少させ、
認知活動や気分が改善されるといわれている。

織田信長というかなり手ごわい上司をもっていた秀吉。
大きなストレスを抱えていたことは想像に難くない。

平均寿命が30代という戦国の世。
62歳まで生きた秀吉は、ストレスと上手に付き合っていたようだ。

現代に生きるあなたも、秀吉の様に、
リラックス法としての茶道を嗜んでみてはいかがだろうか。

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松岡康 19年2月10日放送



暗い家

デンマークの家は、暗い。
シーリングライトで部屋全体を照らしたり、
蛍光灯で白く明るく照らすのではなく、
低い位置にやわらかい照明を使用することがほとんどだ。

夏、緯度が高いデンマークでは、
太陽が沈んでも濃く青い空が数時間も続く。
デンマークの人々は、その時間をブルーアワーと呼び、
とても大切にしている。
暗くやわらかい照明は、
そのブルーアワーを引き立ててくれるのだ。

日本では明るい家が多い。
たまには家の蛍光灯を落として、
デンマークの人々の様に
日没後のうつろう空の色を楽しんでみてはいかがだろう。

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松岡康 19年2月10日放送


ruminatrix
休憩の文化

スウェーデン人は
フィーカと呼ばれる休憩時間を
とても大切にしている。

フィーカの時間には、家族、恋人、同僚などと一緒に、
スイーツとコーヒーを楽しむ。
たとえ仕事中であっても、みんなちゃんとフィーカをとるため、
フィーカが行われる朝10時と午後3時には、
メールを出しても返信が遅くなるらしい。

さらにフィーカをしていないと、
上司から怒られることもあるんだとか。
しかもスウェーデン、
世界的に見てもトップクラスの生産性を誇る。
休憩を上手に使い、上手に働く。
日本人が彼らに学ぶことは多い。

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