2018 年 6 月 のアーカイブ

厚焼玉子 18年6月30日放送

180630-01

チャイカの日 選抜

1962年の春、当局は女性候補者を5人に絞り込んだ。
技術者2名、教師1名、タイピスト1名、
残るひとりは織物工場の工員だった。

それからおよそ1年、5人は教育を受け
トレーニングも積んだ。
ロケット理論、宇宙船工学、戦闘機による飛行、
120回のスカイダイビング。

1年後、織物工場の工員だった女性が選ばれ
そのミッションのコードネームが与えられた。
コードネームは「チャイカ」
世界初の女性宇宙飛行士の誕生だった。

1963年6月、
宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワは
ボストーク6号から
ヤー・チャイカ(私はカモメ)と呼びかけた。

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厚焼玉子 18年6月30日放送

180630-02

チャイカの日 心拍

例えば、面接。例えば初めてのデート。
さまざまな運動。
ドキドキする、つまり心拍数が上がるシチュエーションは
日常にいくらでもある。

安静にしている女性の心拍数は65から75。
20代の女性が運動をしているときの心拍数は
135ならラクな運動、
150で、ちょっときつい運動だそうだ。

1963年6月
当時26歳だった世界初の女性宇宙飛行士
ワレンチナ・テレシコワが
ボストーク6号に乗り込んだときの心拍数は140。
宇宙飛行を単に運動と考えれば決してきつくはない。

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厚焼玉子 18年6月30日放送

180630-03
Ωméga *
チャイカの日 ランデブー

宇宙のランデブーは
2機以上の宇宙船が速度を合わせ
同一の軌道を飛んで接近することをいう。

世界初の女性宇宙飛行士
ワレンチナ・テレシコワがボストーク6号で宇宙へ出ると
そこにはボストーク5号が待ち受けていた。

テレシコワのボストーク6号は
ブイコフスキーの乗るボストーク5号に5kmの距離まで接近し、
お互いに交信をし合った。

 (テレシコワのコードネームは「チャイカ(かもめ)」
  ブイコフスキーは「ヤーストレフ(鷹)」)

1963年6月のことだった。

当時はランデブーと騒がれたこのミッションだが
ランデブーには接近度が足りず
今では共同飛行と呼ばれている。

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厚焼玉子 18年6月30日放送

180630-04

チャイカの日 20年

1963年6月
世界初の女性飛行士として宇宙へ飛んだワレンチナ・テレシコワは
その年の秋に結婚し、娘を出産。
空軍大学を卒業し、博士号を取り
共産党中央委員会の一員に選ばれた。
それから離婚も経験した。

テレシコワが離婚した1982年、
世界で二番めの女性宇宙飛行士が二人の仲間とともに
宇宙へ飛んだ。
スベトラーナ・サビツカヤ、当時34歳。
アクロバット飛行チームで世界チャンピオンにもなったパイロットだった。

繊維工場の工員だったテレシコワ。
超優秀なパイロットだったサビツカヤ。
世界初と二番めの間にはおよそ20年の隔たりがあった。

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厚焼玉子 18年6月30日放送

180630-05

チャイカの日 秘密

1963年6月
ソ連のボストーク6号は
世界初の女性宇宙飛行士テレシコワを乗せて
宇宙へ向かった。

宇宙開発のミッションは極秘で進められていたので、
宇宙飛行士の候補に選ばれたことさえ
テレシコワは家族に打ち明けることができなかった。
打ち上げ当日も「パラシュートの競技会に参加する」と
家族に説明した。

テレシコワが無事に地球に帰還し
政府がそのニュースを全世界に発表したとき
テレシコワの母は娘の偉業を初めて知ったのだ。

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茂木彩海 18年6月24日放送

180624-01

空のはなし 青空の空

雲行きの怪しい日もあれば
悲しみの雨に濡れる日だって。
人の心は空模様のように日々変わり続ける。

 雲の向こうは、いつも青空。

小説家、ルイーザ・メイ・オルコットの言葉である。

どんな日だって、青空は広がっているはず。
その青空が見たくて、今日も人は上を向く。

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熊埜御堂由香 18年6月24日放送

180624-02
t-mizo
空のはなし 虹の色、空の色

虹の色といえば、日本では7色。
けれど、アメリカでは6色、ドイツでは5色、
アフリカのバサ族には
赤と黒の2色に見えるそうだ。

虹だけでなく、空そのものも色も、
太陽の光量や、目の色など
さまざまな要因がからみあって感じ方が変化するらしい。

空は、人間の感性の違いをおおらかに受け止める
カラフルなパレット。
今日の空は、あなたにはどんな色に見えますか?

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小野麻利江 18年6月24日放送

180624-03

空のはなし 星座の空

人工的な照明によって
夜空が薄明るくなる、はるか前。
人間にとって、空はコンパスであり、時計だった。

夜空を動く、星の流れ。
遊牧民族はそれらの動きで自分の位置を知り、
農耕民族は、作物の種まきや収穫の時期の目安とした。

いまどの星が、空のどこにあるのか。
それを分かりやすく、伝えやすくするために、
いつしか生み出されたのが「星座」。

隣り合う明るい星を、いくつかのまとまりにして。
さらに覚えやすくするために、
そこに、祖先から伝わる伝説などのモチーフを当てはめた。

星座は、世界じゅうで発生したどの文化にも存在しているという。
しかし、現在もっとも良く知られている88の星座の多くは、
古代メソポタミア文明からエジプトを経由し、
古代ギリシアで神話が追加されたものがベースとなっている。

人工的な照明によって
夜空は薄明るくなってしまったが、
数々の星座の存在は今もなお、
空の豊かな物語の、目次となっている。

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茂木彩海 18年6月24日放送

180624-04

空のはなし 荘子の空

古代中国の思想家・荘子(そうし)の言葉が、
こんな格言になっている。

 管を用いて天をうかがう  

細い管から空をのぞいて、
それを天だと思い込む。

しかしそのような狭い視野で、
空全体を知ることは到底できない。

たとえ話にすると、想像するだけで滑稽だ。
しかし案外、普段の私たちが、陥りがちな状況だ。

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石橋涼子 18年6月24日放送

180624-05
Bundesarchiv Bild 183-H28795
空のはなし トーマス・マンと夜空

ドイツのノーベル賞作家、トーマス・マン。

自分に厳しく、小説を書くにあたっても
周到な下調べや、細かな根拠づけを欠かさなかった。
文章を書くときは書斎にこもり神経を研ぎ澄ます。
家にいる子供たちにも静寂を求めたという。

なんだか堅物な印象のトーマス・マンだが、
こんな言葉も残している。

 いま、私が一番好きな仕事は
 夜に星空を眺めることです。
 なぜと言って、
 この地上から、
 この人生から眼を逸らすのに
 これほど良い方法があるでしょうか。

偉大な父も時には、やれやれ、と息をつきながら
星空を眺めたものか。
もしくは、もっと視野を広げなければなどと、
堅苦しいことを考えたりしたものか。

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