2009 年 7 月 のアーカイブ

五島のはなし(27)

僕が小学生のころに出た「ちびっこ相撲大会」で、
ひとつ下の学年にも関わらず、
圧倒的強さで優勝した少年がいました。

ぼくは3回戦で彼と対戦し負けたのですが、
いまではこれ、けっこう自慢です。
彼は大人になり、立派な幕内力士になったのです。
小柄ながら、地道な練習に支えられたテクニックを持ち
4度の技能賞に輝いた時津海。
数年前、相撲を見ようと国技館に両親を連れていったとき、母は
気が狂ったように「ぎばれ、時津海!」と叫んでました。
五島の英雄ですからね。

現在は時津風親方として、まだ若いながらも、
新生、時津風部屋を率いています。
今、時津風部屋を率いることは、どんなに困難なことかと想像します。

ぎばれ、時津風親方!

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海のむこう、広告のむこう。 ~ vol.6

細田さんの激戦の模様はひきつづきお楽しみに。

こちらのやじきた珍道中はようやくショートリスト。

ショートリストが始まると、
少しは人が増えるかと思ったらやっぱりそんなことはありません。
ブーイングとも人が少ないから、みんなこわごわ。
隣を気にしながら「ひゅ~」とやるから、迫力がない、盛り上がらない。
中身の方はスクリーニングの時にいいなと思ってたものが
ちっとも残ってなかったりして、すこし自分が不安になります。

その裏ではセミナーをやってて、
アナン元国連事務総長が来てたらしい。
見たかった。
生アナンはとってもかっこよかったらしい。
ウィッキーさんとは違うらしい。

ショートリスト全部見ると一日がかりなのですが、
さすがに最後の方になってくると目が回ってきます。
ぐるぐるしてたら変なイタリア人のじいさんに「茶でも飲まないか」と
さらわれそうに。
いけません、また路頭に迷って今度こそ帰ってこられない。

夜は真っ暗なお店で、手探りで野菜やお肉を食べました。
外国のお店はたいがい暗いけれど、ここは暗すぎる。
この草は、飾りものかサラダなのか。
この黒い点は、胡椒なのか焦げてるのか。
あんまり暗いとすべての輪郭がぼやけてきて
美味しいのかどうかもひどく曖昧になってくる。
まぁいいのか。
それもまたカンヌ。
あぁ、蛍光灯がなつかしい。

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五島のはなし(26)

Visionの原稿を書くために入った図書館で、
たまたま手に取った雑誌にすっかりやられてしまいました。

別冊太陽「白川静の世界」。
サブタイトルは「漢字のものがたり」。
白川さんは漢字の学者なんですが、彼によると
漢字とは「呪的儀礼を文字として形象化したもの」なんだそうです。
神さまの世界と日常とをつなぐ「儀礼」をかたちにしたものが漢字。
すごくないですか?
僕は単純に「もののかたち」が文字になったのが漢字だと思っていたので
かなりショッキングな話でした。

いろんな漢字にいろんな呪的バックグラウンドがあるのですが、
いちばん驚いたのは「道」。
「道」は自分のテリトリーから外に出る際に
外の世界に満ちた霊的パワーに負けないように(簡単に言うとおまじないとして)、
「生首を手に持って歩く様」なんだそうです。
すごすぎませんか?

この白川静さんという学者もすごいのですが、
彼の特集を組んだ「別冊太陽(2001年12月発行)」のできばえも質が高く、
編集者たちを尊敬してしまいました。

・・・今日は全く五島のはなしでなかった。
なにはともあれ、がんばれ、五島!

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五島のはなし(25)

五島の実家に帰っている子どもたちから電話があった。
夏休みはやはり気分が開放されるものなのか
はげしく元気である。
「いま登場ごっこやってんの!」と叫んでいた。
どんな遊びかわからないが、楽しそうではある。

妻と子どもたちは、夏になると速攻で五島に帰る。
今年は子どもの終業式さえほっぽらかして早々と帰った。

横浜にいるとき、子どもらはよく
「五島に帰ろうよ~」と言ってくる。
ふたりとも五島の病院で生まれたし、赤ちゃんのころは大半を五島で過ごしたから
「帰る」は間違いでないのだけれど、
18まで五島で育った僕と違い、ふたりは横浜で育っている。
そのうち「行く」になるんだろうなと想像する。
そのとき、僕がどんな気分になるのかは、ちょっとわからない。

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保持壮太郎 09年7月26日放送

Xaver_Mozart


フランツ・クサーヴァー・モーツァルト   

きょう7月26日は、
モーツァルトが生まれた日。

ただし、
わたしたちがよく知る
モーツァルトではなく、
彼の息子、
フランツ・クサーヴァー・モーツァルトの。

偉大なる父と同じ道を歩み
モーツァルト2世を名乗るハメになった
作曲家の苦悩は想像に難くない。

ただ、彼の墓石にはこうある。

 彼の父の名をここに記す。
 父への尊敬は、
 彼の人生そのものだったから。


chips


カアラン・ケイ   

新着メールはありません。

ありません。

ありません。

ありません。

いつまでたっても
鳴らないケータイの画面を
ぼんやりと見つめながら
僕はなぜだか
計算機科学者の
アラン・ケイの言葉を
思い出していた。

 テクノロジーというのは
 あなたが生まれたときに
 存在しなかった全てのものだ。

つまり
土曜日の夜の
この孤独も、
たぶん、
ひとつのテクノロジーで。

新着メールはありません。

Emperor_Norton


ジョシュア・ノートン 

1859年、
サンフランシスコの新聞紙面で、
ジョシュア・ノートンという名の男が
こう宣言した。

 大多数の合衆国市民の要望に応え
 朕ジョシュア・ノートンは、
 この合衆国の皇帝たることを自ら宣言し布告す。

そしてノートン皇帝による
アメリカ統治がはじまった。

 通りに街灯をつけるべし。
 広場にクリスマスツリーを。
 オークランドとの間に橋を建設せよ。

新聞紙面上で発せられる勅命の数々。

サンフランシスコ市民は突然現れた
このふうがわりな皇帝を
なぜか愛してやまなかった。

20年後、彼の葬儀には
3万人が参列したという。
当時の新聞記事にはこうある。

 彼は誰も殺さず、誰からも奪わず、誰をも追放しなかった。
 彼と同じ称号をもつ者で、この点において彼以上の者はいなかった。

donki


ジョルジュ・デュアメル 

自らを伝説の騎士だと勘違いし
できそこないの兜で、
ロバに打ちまたがり旅にでた男。

やがて彼は
ラ・マンチャの丘に立つ風車を
獰猛な巨人と思い込み、
槍をかまえて突進してゆく。

小説ドン・キホーテに描かれた
主人公のエキセントリックな行動を、
フランスの作家、
ジョルジュ・デュアメルはこう評している。

ドン・キホーテは、自らの狂気をはっきり知っていた。

だとすれば、
僕たちの世界の滑稽さにも説明がつく。

その大量消費がめざすものは?
そのマネーゲームがめざすものは?
その戦争がめざすものは?

すべては、ある種の狂気をはらんでいる。

ドン・キホーテの物語は、今もまだつづいている。

money


カール・マルクス 

世界を語ろうとするとき、
自らの足もとのことは
おざなりになるもので。

ゆえに恋愛小説家は
ときに幸せな恋愛を
あきらめなければいけないし、
医師たちは人類の健康増進のために、
自らの健康を犠牲にする。

「資本論」を記した
経済学者カール・マルクスもまた、
その例に漏れない。

学生時分の彼が
一年で浪費した
700ターラーという金は、
当時、ベルリンの市会議員の年収に
匹敵する額だったし。

叔父から3,000マルクもの
遺産を相続したときも
翌月には、たった40マルクの金を
借りるべく友人に泣きついている。

そして
マルクス経済学は、
彼自身の経済的な問題に
明確な答えを与えぬまま、
いまも世界の経済を語りつづけている。

nasa


スタンリー・キューブリック 

人類が月に行ったなんて嘘だ。
月面着陸のあの映像は、
NASAがスタンリー・キューブリックに頼んで
スタジオで撮ったものなんだよ。

そんな話を
どこかで聞いた。

もしも、
その話が本当だとしても。

完璧主義者の
キューブリックのことだから
NASAがつくった
スタジオセットの完成度なんかに
満足できるはずもなく。

結局、
月面で撮影することに
なったんじゃないかな。

そうに違いない。

concert


ミック・ジャガー 

ひとつを選ぶということは、
いくつもの可能性を
捨てることでもあるから。
人生はときどき悩ましい。

一人の青年がいた。
もっか彼の悩みは就職だった。

国税局に入るか。
それとも、
プロのミュージシャンになるか。

彼が、
後者を選んでくれたことを、
僕たちは感謝せずにはいられない。

Happy Birthday Sir Michael Philip “Mick” Jagger.

きょうは彼の
66回目の誕生日。

Stendhal


スタンダール

作家や詩人として
生きることの不幸は、
死ぬときにあるのでは
ないだろうか。

なにしろ“辞世の句”である。

最期に何を言いのこしたか。
その読後感だけで、
人生すべてが
語られたりするのだから。
おいそれとは死ねない。

フランスの小説家
スタンダール。
彼ももれなく
そんな苦悩をかかえていた。

おかげで彼は
59歳で死ぬまでに
毎年遺言を書き直す
はめになったという。

そんな彼の墓石には
こう刻まれている。

 生きた。書いた。恋した。

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山口千乃 09年7月25日放送

1hiranotomi


平良とみ


おばあさん。
沖縄語で、おばぁ。


沖縄のおばぁ役として
活躍する女優、
平良とみは、


若い人たちに
沖縄の言葉、「うちなーぐち」を語り継いでいる。


 なまや 自然も環境も いっぺぇ変わとぉーぐとぉ、
 うちなーぐちびけーる うちなーんかいや ぬくぅてぃうらんさー

 いまは、自然や環境が、どんどん変化して、
 言葉にしか沖縄が残っていないんです。

穏やかに流れる波のような、
おばぁのうちなーぐち。

言葉は世界遺産にならないものか。

2marco


マルコ・パンターニ


明日はツール・ド・フランス最終日。
地球上で最も過酷なレースと言われる
戦いの王者は誰かと、
パリ中のビストロで噂が飛び交っている。


10年前。
その栄冠を二本の足でもぎ取った
イタリアの英雄、

マルコ・パンターニ。

<走る哲学者>と呼ばれた彼は、

「なぜ、そんなに速く走れるのですか」
インタビュアーの質問に、こう答えたという。


 1秒でも速く、この苦しさから解放されたいのさ。

人はなぜ走るのか。

そのとき、世界中が考え込んでしまった。

3Ferdinand Beyer


フェルディナンド・バイエル


彼が作った多くの曲は、
コンサートホールで演奏されることもなければ、
レコードやCDでかけられることもない。


しかし、最も多くのピアニストたちに弾かれている曲。

「バイエル ピアノ教則本」

今日は、その作者、
フェルディナンド・バイエルの誕生日だ。

ショパンやヴェルディといった大作曲家たちが
貴族や王族に捧げる大作で覇を競い合う中、
バイエルは生涯をかけて、
庶民のための小さな曲をこつこつと作り続けた。

そんなことは露知らず。

今日も、小さな手をしたピアニストたちが、
彼の曲から生まれている。

4Snufkin


スナフキン


旅の達人が、言った。


 何でも自分のものにして、
 持って帰ろうとすると、難しいものなんだよ。
 ぼくは、見るだけにしてるんだ。
 そして、立ち去るときには、
 それを頭の中へしまっておくのさ。
 そのほうが、カバンをうんうんいいながら運ぶより、
 ずっと楽しいからね。

旅に必要なものは、
孤独を恐れないこと、ほんの少しの音楽、
そして、とんがりぼうし。

旅を楽しむ人、スナフキンの荷物は軽い。

5Noel Gallagher


ノエル・ギャラガー


90年代ブリティッシュ・ポップを代表する
oasisのギタリスト、ノエル・ギャラガー。

まだデビューも
おぼつかないころに
こう言ったそうだ。


 ALL AROUND THE WORLDは、3rdアルバムに入れる。

数年後、
リリースされたサードアルバムは、
ヒットチャートを席巻。
そこにその曲は、
確かに収録されていた。

ロックスターは、
過剰な自信家であるべきだ。

6Walt Disney


ウォルト・ディズニー

悲しいことに、
人には、向き不向きがある。

時にそれは、人から夢さえ奪うことも。

ウォルト・ディズニー。


彼は若い頃、夢にも思わない理由で、
新聞社での仕事を失っている。


 「ウォルトは想像力に欠け、よい発想は全くなかった。」

しかしその後、
彼が別の道で想像力を発揮して、
夢の国を作り上げたのはご存知の通り。

しあわせなことに。
人には、向き不向きがある。

7stiviewonder


スティービー・ワンダー


目を閉じて、聞いてごらん。

スティービー・ワンダーは、言った。


 目が見えなくて良かったと思っているんだ。
 この方が、人生がよく見えるからね。

彼は、肌の色や身なりの違いで
人を判断することが
いかにばかげたことかを教えてくれた。

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五島のはなし(24)

さきほど、編集者をしている親友から電話がありました。
「五島うどんのことを取材することになった。五島うどんについて教えて」

よしきたまかせろ、と思ったけれど、
正直、五島うどんについてほぼ何も語れない。
会社でも同僚から「五島うどんって美味しいらしいね、日本3大うどんのひとつだってね!」
と言われることがあり、そのたびに、
「ええ、うまいですよ!トビウオのだしで食べるんです!」
なんて、さも毎日食べてました的勢いで答えるのだけれど、
実は島を出るまで、トビウオのだし(アゴだし、と呼びます)で
うどんを食べたことがありませんでした。

・アゴだしで食べる。
・ほそい。
・うまい。
・上五島が名産地。
・五島うどんは、讃岐、稲庭に並ぶ日本3大うどんのひとつ。
・いやいや、讃岐、稲庭、水沢うどんこそが日本3大うどんという説もあり。
・そもそも日本に、「〇〇うどん」って、上記の4つくらいしか存在しないんじゃないか?
・だから水沢うどんと五島うどんで3つ目の座を争わず、いっそ「日本4大うどん」でいいんじゃないか?

以上が五島うどんに対する僕の全知識(とギモン)でありまして、
もちろん「うまい店情報」など全くなく、
友人の電話も、彼が調べた情報に対して
「うん」「そう」「かもね」の3ワード(正確にはワーズ)でなんとか乗り切りました。

原因は産地である上五島のことを、よく知らないということです。
五島は北東側の島々を「上五島」、南西側の島々を「下五島」と呼び、
僕は下五島出身。上五島には、部活の練習試合で2,3回行っただけ。
なので、ここの話も本来なら「下五島のはなし」でないと、
上五島の方たちに、申し訳ない感じなのです。

まあそういうことは置いといて、
今では島に帰るたびに土産物屋さんで「五島うどん」をゲットし、
横浜に持ち帰っては食べてます。
乾麺と即席の粉末アゴだしスープでも抜群においしいので、
産地の上五島で、本物のできたて五島うどんを食べたらどんなにうまかろう
と想像します。

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