薄組・石橋涼子

石橋涼子 20年2月23日放送

2. 富士山のはなし 富嶽三十六景 

今日は富士山の日。
今月から新しくなった日本国パスポートも、
富士山のデザインになった。
各ページに、葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち
24作品が印刷されているのだ。

世界的にも有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、
日本各地から眺めた富士山が楽しめる。

北斎は50代で江戸から西国(さいごく)へ旅して、
東海道の各宿場から富士山をスケッチしたという。
その後も構図を練り続け、
富嶽三十六景が完成したのは北斎72歳の時だった。

当時、あまりの人気のため、十景が追加され
富嶽三十六景は全部で46種類になった。

町人文化が花開き、五街道や宿場町が整ったとはいえ、
それでも旅に出られる人は限られていた。
庶民は旅への憧れも込めて、北斎の浮世絵を求めたのかもしれない。

遠い場所を思ってワクワクする楽しさは、
富士山の絵を眺めていた江戸の頃も、令和の今も、
きっと変わらない。

topへ

石橋涼子 20年2月23日放送

1. 富士山のはなし 銭湯の富士山 

今日は富士山の日。
初夢で「一富士二鷹三茄子」と言うように
富士山は昔から縁起の良いものと決まっている。

富士山といえばお風呂屋さんの壁を思い出す人も
多いのではないだろうか。

銭湯の壁画には、商売繁盛の願掛けも込められている。
末広がりのカタチが運気を上げるということで
多くの銭湯で富士山の絵が好まれた
逆に、お客が去るを意味する動物の猿や、
運気が下がると言われる夕日などは描かれない。

銭湯の壁に初めて富士山を描いたのは、東京のとある店だった。
その始まりは、こどもたちに喜んで湯船に入ってほしいから、
という、意外にもシンプルな理由だった。

topへ

石橋涼子 20年1月26日放送



白のはなし  雪の不思議

今年の冬は雪が少ないが、
それでも日本各地で真っ白な風景を見ることができる。

そんな景色を眺めていた、とある子どもの疑問。
なぜ雪は白いの?

確かに。
雪の結晶を拡大すると、氷と同じように透明なのに、
ふんわりと積もった雪は真っ白だ。

これは、複雑な形をした雪の粒が、光の波長を乱反射させて
すべての色が混じって見えるから。
「光の三原色」で教わるとおり、
光は、すべての色が混じると白になる。

何色でもない白は、いろんな色でできている。
雪の不思議は、光の不思議。

topへ

石橋涼子 20年1月26日放送



白のはなし 白い雁

古代中国の有名な思想書『老子』には、
こんな言葉がある。

白い雁は水を浴びずとも白し。

これは、人が自分自身であるために
何かをする必要はない。
ありのままの自分でいれば良い
という教えだ。

まだ始まったばかりの令和2年。
ああなりたい、こうしたい、と張り切るのも良いけれど、
程よく力を抜いて、
まっさらな自分と向き合おう。

topへ

石橋涼子 19年12月29日放送


kazutan3@YCC
年の瀬のはなし  29日のひと休み

年の瀬といえば大掃除。
13日から28日の間に済ませる地域が多い。

特に本日、29日は「く」が苦しむに通ずることから、
大掃除は避けられがち。
だけでなく、
もちつきや正月飾りの設置も日をずらす方が良い、
というご家庭が多いのでは。

一方で、お風呂のある家が少なかった時代は
銭湯に行って一年分の垢を落とし、
身を清めるのも年の瀬の風物詩だった。

さて、令和元年も、そろそろ終わり。
今日は慌ただしい師走を一休みして、
お風呂でゆっくりしてはいかがでしょう。

topへ

石橋涼子 19年12月29日放送



年の瀬のはなし  年の瀬の縁起担ぎ

さて、令和元年も、そろそろ終わり。
年越しの予定はいかがでしょうか。
日本では年越しそばが定番だが、
世界では様々な料理で縁起を担ぐ。

たとえばスペインでは年越しの12時の鐘に合わせて
ぶどうを12粒食べて幸運を招くのだとか。

イタリアやブラジルでレンズ豆を食べるのは、
コインに似たかたちが豊かな一年を招いてくれるから。

幸運の象徴のザクロを食べる国もあれば、
お金を象徴する丸い果実を食べる国もある。

日本でも、年越しそばといえば冷たいおろしそば、
という地域があれば、
具沢山のつゆほど縁起が良いとされる地域もある。

新しい一年がより良いものになるならば、
年越しは何でもいいはず。
自宅でのんびりも良し、大勢で賑やかに過ごすも良し。
自分らしい年の瀬を、ご準備ください。

topへ

石橋涼子 19年11月24日放送



紅葉のはなし 石橋涼子

フランスの作家で哲学家でもある
アルベール・カミュ。

読後感が決して明るくはない不条理文学と、
トレンチコートにくわえタバコで気難しい顔をしたイメージだが、
彼自身の言葉には、生きることに前向きな輝きがある。

カミュが生まれ育ったのは、
地中海に面し、自然に恵まれたアルジェリアだ。
家は貧しかったが、たっぷりの太陽と海に育まれたことが
彼の根底にある。

今は11月も末、
木々の葉も黄色やオレンジを経てすっかり赤くなり
本格的な寒さが身に沁みる季節に
美しくも温かい、カミュの言葉を贈ります。

 “L’automne est un deuxième printemps 
où chaque feuille est une fleur.”

秋は、すべての葉が花になる、二番目の春である。

topへ

石橋涼子 19年11月24日放送


Steppschuh
紅葉のはなし 落ち葉

昔むかし、英語を話す国々には
秋という単語が存在しなかった。

日本ほど四季がはっきりしていないため、
暑い「夏」と寒い「冬」を表す言葉しかなかったのだ。

それでも木々は芽吹き、葉っぱは色づき、枯れれば散っていく。
当たり前のように繰り返される自然のサイクルに
16世紀の人々は、そろそろ名前をつけたいと考えた。

こうして
春は「葉っぱが生える」Spring of the leafを略してSpringに、
秋は「葉っぱが落ちる」Fall of the leaf を略してFall
になったという。

そう、Fall、秋は落ち葉の季節だ。

topへ

石橋涼子 19年10月27日放送



銀座のはなし  銀座の始まり

文化とモノが集まる華やかな街、銀座。
その始まりは、徳川家康が江戸幕府を開いた時代に
さかのぼる。

幕府のために銀貨を造り、管理する組織である
「銀座役所」が、この地につくられたのだ。
さらには、幕府から特権を受けて金貨をつくる「大判座」や
金銀の計量に欠かせない分銅をつくる「分銅座」も集められた。

当時の地名は新両替町だったが、
通称である「銀座」が親しまれ、今に残っている。

華やかな街の始まりは、すこし意外だが、
幕府御用達のお役所だった。

topへ

石橋涼子 19年10月27日放送


松岡明芳
銀座のはなし  銀座と能

銀座の楽しみと言えば、ショッピングやグルメに加えて
伝統芸能ではないだろうか。
特に古典芸能のひとつである能は、銀座に縁が深い。

能は、室町時代から武士の嗜みとして保護されたが、
徳川家康が特に好んだことでも知られている。

家康は、人質として今川家に預けられていた幼少時に
観世流の稽古を受け、親しんでいたという。
足軽から出世すると共に能を学んだ秀吉とは、
思い入れの性質が異なったかもしれない。

江戸幕府を開くとすぐに
駿府にいた能役者たちを大勢呼び寄せ、
銀座に屋敷を与えて住まわせた。

観世流の屋敷は銀座2丁目付近にあったと言い、
金春(こんぱる)流の屋敷は8丁目付近に位置した。
観世能楽堂は長らく渋谷に移転していたが、
2017年、150年ぶりに銀座へ戻った。

topへ


login