![1107_1](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2010/11/1-300x213.jpg)
近藤京子
音痴な人なんて、いません。
ヴォイストレーナーの近藤京子はそう言って、
歌うことが苦手な人を変えてきた。
あなた、それじゃあ、ただ上手いだけよ。
近藤京子はそう言って、
歌うことが得意な人を変えてきた。
音楽の授業では、音程をとる上手い下手で
成績がつけられていたけれど。
彼女は、音程よりも声量よりも、
気持ちが伝わることを大切にする。
想像力と身体のすべてをつかって、
歌に想いをのせるための
アドバイスはシンプルだ。
話すように、歌いなさい。
歌うように、話しなさい。
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ハインリヒ・フォン・クライスト
ドイツ語による最も美しい散文と称された
クライストのエッセイ「マリオネット芝居について」。
その中で彼は、ある少年が
無垢な優美さを一瞬にして失う様を描いている。
少年が足を拭こうとして足代に足をのせた瞬間、
大きな鏡をチラと一瞥して、
自分の姿が彫刻のように美しいと意識する。
もう一度それを人に見せるために
ふたたび足台に足を上げると、
もはや違う動きになっていた。
こんなエピソードをもちいて
クライストは語る。
意識が人間の自然な優美さに
どんな混乱を惹き起こさせるかは心得ている。
魅力や長所は、意識した瞬間に、自惚れや気取りになる。
そのときに失うものはあまりにも大きい。
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サトウハチロー
サトウハチローの「小さい秋見つけた」という詩には
子供の視点で発見した秋が描かれている。
呼んでる口笛 もずの声
お部屋は北向き くもりのガラス
はぜの葉あかくて 入り日色
この歌を口ずさんでいた子供のころ、
秋はもっと手に取りやすいものだった。
落ち葉をふみしめながら、どんぐりを拾ったり
赤い紅葉を本にはさんだり。
もくもくしていた入道雲が、
薄くとけたような空をながめたり。
大人になって、
夏の締めくくりと冬の支度に気を取られていると、
秋はするりと逃げていく。
サトウハチローが50歳をこえてから作詞した
「ちいさい秋みつけた」は、
忙しい大人が
秋を見つけるための歌なのかもしれない。
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島田紳助
「学ぶ」の語源は、「マネブ」。
「真似る」から派生したものだという説がある。
島田紳助がまだ駆け出しのころ。
彼は、過去の漫才をできる限り集めて、
面白いと思うものを2種類にわけた。
マネできるものと、マネできないもの。
面白いと思えて、
自分にもマネできそうな漫才だけを分析した。
なぜ、ウケるのか。
セリフが上手いのか、間の取り方がいいのか。
そこから紳助が創り上げた漫才は、
若い世代を虜にした。
大物芸人の最初の一歩は、
マネからはじまったのだ。
![1107_5](http://www.01-radio.com/vision/wp-content/uploads/2010/11/5-300x200.jpg)
大平健
精神科医である大平健は、童話をつかって治療をおこなう。
心の病の原因や対処法を、
患者自身に気付いてもらうために、物語をつかうのだ。
たとえば、
老後のくらしが不安で眠れなくなった67歳の老婦人。
夫と老人ホームに入って、
新しい暮らしを始めるのが不安な彼女には、「ももたろう」。
子どものいないおじいさん、おばあさんが、
尋常ではない方法で子供を授かるこの物語。
年をとっていても希望はもてる、
老婦人がそう思えたとき、睡眠薬はいらなくなった。
不登校になった女子高生には、「ねむり姫」。
どんなに手を尽くして防ごうとしても
100年の眠りにおちてしまった眠り姫のように、
予想外の問題は誰にでも起こる。
それでも、最後には幸せになれる。
そう思えたとき、
不登校の女子高生と母親は快方にむかった。
先人の知恵がつまった童話を紐解くと、
絡まった心の紐のほどき方が
見えてくるのかもしれない。
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アルフレッド・ノーベル
ノーベル賞は、ダイナマイトを実用化した
アルフレッド・ノーベルの遺言からはじまった。
という話は有名だが、
ノーベル賞に数学賞がない理由は、
あまり知られてはいない。
数学を重要な学問だと思っていなかった、
数学者が嫌いだったなど、諸説がある。
ノーベルの恋敵だった
ミッターク・レフラーが数学者だから、
という説もある。
想い叶わず生涯独身を通した彼は、
ノーベル賞が恋敵に贈られるのはたまらなかった。
だから数学賞が、存在しないのだ。
そう考えると、
ノーベル賞のいかめしさが消えて
親しみやすくなる。
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村上隆
芸術に、評価基準なんてない。
そう思うのは、素人なのかもしれない。
村上隆は、美術界の歴史を読み解いて、
次の手を戦略的にうつ。
新しい、美しいだけでは、作品は売れない。
過去の評価基準の先にある新しい価値を
プレゼンテーションして、売るのだ。
彼は、こう語る。
世界基準の文脈を理解するべきである。
価値をうむのは、才能よりサブタイトル。
それが東京芸大の博士課程をおえたあと、
コンビニの賞味期限切れ弁当を食べて暮らしながら
作品をつくりつづけた村上の結論。
若いうちに奔放にのばした才能を、
戦略的にパッケージングしたから1億円で売れたのだ。
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カラカウワ王
フラダンスは踊りながら、話している。
ひとつひとつの動きに意味があるフラダンスは、
まるで手話のよう。
踊りながらハワイの自然の美しさを称え、
恋人への想いを伝え
古い伝説も語り継いでいく。
今では癒しの象徴とされるこのダンスは、
アメリカ人の宣教師たちに
異教の踊りとして半世紀近くも禁止されていた。
フラダンスを復活させたのは、
外交に長けていたハワイ王国のカラカウワ王。
近ごろでは日本でも学ぶ人が多いフラダンス。
滅びなくて本当によかったと思う。