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伊藤健一郎 16年11月19日放送

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Lover of Romance
両さんの話(生きるモード)

今年9月に40周年を迎え、
連載を終了した『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。

主人公の両津勘吉は、
仕事よりも遊びに精を出す非模範的な警官だが、
たまに時代をバッサリと切る。

これは、今の若者に対する両さんの言葉。

 何か悩むとすぐ生きるべきか死ぬべきかだからな!
 目の前がすぐ真っ暗になり二者択一だ!
 悩んだらまず「生きる」モードに切り替えてからスタートだ!
 それから、どう生きるかを探せばいい!

この国には両さんが、まだまだ必要ですが…、
ひとまず、両さん、長い間お疲れさまでした。

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伊藤健一郎 16年11月19日放送

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Japanexperterna.se
両さんの話(両津式遊び学)

2016年9月。200巻刊行をもって
連載を終了した『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。

主人公の両さんは、弱者の味方で正義感が強い警官だが、
勝負事となれば、話は別。
相手が誰であろうと、どんな手を使ってでも勝ちにいく。

両津式遊び学によると、
 「ずるい」「ひきょう」は、敗者のたわごと!
 遊びでも勝たねばならん!

だそうです。

遊びの天才、両さん。長い間、お疲れさまでした。

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伊藤健一郎 16年11月19日放送

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panDx1
両さんの話(元気上等)

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』通称『こち亀』の主人公、
両さんは、それはそれは悪ガキだったという。

無断で借りたバイクで、隅田川にダイブしたり…。
先生を驚かせるために、教室にトラを連れ込んだり…。
信じられない悪事を繰り広げたそう。

そんな両さんに、あるとき子どもが自転車でぶつかってきた。
ふと、自分の幼少期を思い出した両さんは、
ばつが悪そうな少年にこう言った。

 ガキは元気で上等!

公園で遊ぶ子どもに対して「うるさい!」と苦情が殺到する昨今。
大人たちこそ『こち亀』を読むべきだろう。

子どもの味方、両さん。長い間、お疲れさまでした。

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伊藤健一郎 16年11月19日放送

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ajari
両さんの話(ギャンブル)

この秋、連載40周年をもって幕を閉じた『こちら葛飾区亀有公園前派出所』。
主人公の両津勘吉は、仕事の合間にギャンブルに勤しむ型破りな警官だ。

あるとき、
子どもをギャンブルに巻き込んだ両さんは、
部下から注意を受けた。
しかし両さんは、反省するどころか、
こんな正論で切り返す。

 ギャンブルのどこが悪い!
 入試、就職、結婚、みんなギャンブルみたいなもんだろ!
 人生すべて博打だぞ!

ときに子どもは、学校では教えてくれない大真理をマンガから学ぶ。
人生の先生、両さん。長い間、お疲れさまでした。

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伊藤健一郎 16年11月19日放送

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K.K.Chu
両さんの話(引き際)

「えええ~!ショックが大き過ぎる」
「いやだ、いやだ、寂しいよ~」

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載終了が決まったとき、
終了を惜しむ声がたくさん寄せられた。

連載期間40年。そして、200巻刊行という
偉業を成し遂げようとする中、
主人公の両津勘吉は、こう叫んだ。

 こういうときだけ「最近読んでないけど好きだった」とか、
 「もっと続いてほしかった」とか言いやがって…うれしいけど。

最後の最後まで、世の中をぶった切ってみせた。
両さん、長い間、本当にお疲れさまでした。

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伊藤健一郎 16年7月23日放送

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生涯、冒険家。(ウォルター・ローリー)

私にはシェークスピアに匹敵する分厚い本は書けない。
 しかし、私ならではの本を書くことはできる

ウォルター・ローリー。
その男は、貴族であり、政治家であり、詩人だった。
そして16世紀イギリスで、新世界への扉をひらく冒険家でもあった。

幾度となく大海原を旅したウォルターは言う。

情熱とは海だ。浅きものはつぶやき、深きものは黙す

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伊藤健一郎 16年7月23日放送

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NOAA Photo Library
生涯、冒険家。(大場満郎)

いつ死んでも不思議じゃなかった

北極海単独徒歩横断。
大場満郎は、見果てぬ夢を追いかけた。

凍傷になり足の指をすべて失った。
凍った体で遺言を書いた。

3度の失敗を重ね、大場は学んだという。
畏れ、謙虚、感謝こそ、前人未到の旅を成し遂げるカギであると。

4度目の挑戦で北極海を制覇し、
その2年後には、南極大陸の単独徒歩横断を成功させた大場。

彼は言う。

冒険家が大胆なだけだったら、それは死に直結してしまいます

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伊藤健一郎 16年7月23日放送

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Tasmanian Archive and Heritage Office
生涯、冒険家。(エドモンド・ヒラリー)

エドモンド・ヒラリー。
1953年に、世界で初めてエベレスト登頂を成し遂げた冒険家だ。

地球上で最も高い地点に立った男は、
特別なトレーニングをしていたわけではなかった。

本業としていた、養蜂業。
来る日も来る日も蜂の巣箱を運ぶ作業が、
強靭な足腰を育てたという。

積み重ねることの大切さを知るエドモンドは言う。

山はこれ以上大きくならないが、私たちはいくらでも成長できる

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伊藤健一郎 16年7月23日放送

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Martin D Stitchener PiccAddo Photography
生涯、冒険家。(ジェームズ・スティーブ・フォセット)

男は、自分の力だけで世界一周を果たした。
気球で、船で、飛行機で。乗り物をかえ、
たった一人、地球を何度もぐるりと旅した。

男の名は、ジェームズ・スティーブ・フォセット。
金融サービス業で財をなし、その後の人生は冒険家として生きた。

87もの航空世界記録を持つジェームズは言う。
目標を高く設定して、そんなことは不可能だという周囲の言葉に惑わされるな

2007年、ジェームズは、
車のスピード記録に挑戦するための実験コースを探しに
小型機で飛び立ち、帰らぬ人となった。
その生涯は、冒険の中で幕を閉じた。

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伊藤健一郎 16年7月23日放送

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Sergey Ashmarin
生涯、冒険家。(ラインホルト・メスナー)

僕は自分自身のために登る。僕自身が祖国となり、僕のハンカチが国旗となるからだ

8000メートルを越える山々、全14座を完全登頂した男。
ラインホルト・メスナー。

彼は決して、ボルトを山に打ち込まない。
酸素ボンベを持ち込まない。

ラインホルトは語る。

死の危険がなかったら、クライミングはもはやクライミングではない。
 山に登っているとき、僕は死を求めているのではなく、
 それとは正反対に、なんとか生きようとしている

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