‘熊埜御堂由香’ タグのついている投稿

熊埜御堂由香 14年10月12日放送

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tamachanhaazarashi
陶芸のはなし 白洲正子

随筆家、白洲正子。
町田市の古い農家を買い取って
能や古美術を愛して生きた。
焼きもののコレクターとしても知られた正子。
その世界に深く惹かれるようになったのは、
美術評論家の青山二郎からいわれたこんな言葉だった。

誰がもっていても一流というのではなく、
自分が持っているから値打ちがある。
そういうものを目指したらどうですか?

名のある茶碗と、名のない茶碗。
両方とも元はといえばアジアの片田舎の生まれた飯茶わんなのに、
農家の台所に埋もれているものもあれば、
展覧会のガラスケースの中に収まるものもある。
その事実に、正子は、
世の中にこれほど自由な存在があるだろうかと
胸が躍ったという。

白洲正子はこう言った。

 焼きものは、すべて発見です。

陶芸とは、それを選ぶこと自体も
芸術たりえる、創作活動なのかもしれない。

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熊埜御堂由香 14年10月12日放送

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Yumi Kimura
陶芸のはなし 飛田和緒

ごはんをよそうという言葉は、
装うからきているらしい。
料理を装う、和の器にみせられた
料理研究家の飛田和緒(ひだかずを)は
こう言っている。

 器に誘われて料理を作る。
 そうすると、とびきりおいしくなるんです。

陶器に魅せられ、はじまる、
そんな食欲の秋も悪くない。

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熊埜御堂由香 14年9月28日放送

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日本の「食」 小林カツ代の和の洋食

日本の家庭料理の第一人者、料理研究家の小林カツ代。
20代後半から仕事に追われながら、
年子2人の子育てに奔走した。

そんな彼女が忙しすぎて心が荒んだ時、夕食につくるのが
「やさしい気持ちになるコロッケ」。

つぶしたじゃがいもを手の上でコロコロするうちに
落ちついた気持ちになれたという。
秘密の隠し味は「練乳」。
こっそり入れると、ほっこり甘くなる。

子どもたちが大好きな和の洋食。
家族をつなぐ、そんなレシピが、
きっと、どこのうちにもある。

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熊埜御堂由香 14年9月28日放送

140928-04
U.S. Army Garrison Japan
日本の「食」 ラーメンという食文化

 ラーメンを売るな。食文化を売れ。

日清食品の創業者、安藤百福。
世界初のインスタントラーメンを手に、
社員に檄を飛ばした。

それから、56年、
日本のラーメンは、世界も認める
立派な日本食に成長した。

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熊埜御堂由香 14年8月10日放送

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mumchancegaloot  
5.香りのはなし ある調香師の仕事論

世界的に有名な調香師、
ジャン=クロード・エレナ氏は、自らの仕事を
こう定義している。

 調香師とは、香りの文筆家のようなものだ。
 そして、香水とは、匂いの書いた物語だ。

彼の代表作として知られる、エルメスの庭シリーズ。
『ナイルの庭』『地中海の庭』『屋根の上の庭』。
まさに小説のタイトルになりそうな名をもつ。

彼の調香スタイルは、愛用のモレスキンの手帳を携え、
南仏のグラースに構えたラボラトリーから、旅に出ること。

『地中海の庭』の調香をはじめた時のことだ。
チュニジアにある友人の家でパーティをしていると、
庭にでて、微笑みながら、いちじくの葉をちぎって、
香りをたしかめている女性を見かけた。
その瞬間、香りのイメージが、浮かんだ。
急いで、ラボラトリーに戻り、香りを組み立てていった。

こうした瞬間が重なって、
エルメスの香水の売上を三倍に跳ね上げたとまで
いわれる香水群は世に生まれた。

彼は自分の仕事について、こうも語っている。

 もらった自由は、仕事の成功でしか、返せない。

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熊埜御堂由香 14年8月10日放送

140810-06

6香りのはなし グルヌイユの恋

46カ国語に翻訳された小説、
パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』。
愛する女性の香りを永久に保存するため殺人を犯す
孤独な男の物語だ。
異常に鋭い嗅覚をもつ主人公、
グルヌイユは、苦悩し、こう独白する。

 見たくないなら目をふさげばいい、
 聞きたくないなら耳をふさげばいい、
 しかし鼻はそうはいかない、
 それは呼吸に関わっているからだ。

香りとは、ときに、ひとを、
抗いようのない、
甘美で悲しい恋に誘う。

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熊埜御堂由香 14年6月8日放送

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M6 Panda
家の話 いしいしんじの町家

幻想的な味わいの作品を発表する作家、
いしいしんじ。

数年前から、京都の
古い町家に住んでいる。

彼にとって家は仕事場。
書いているとふとこう思うという。

 家というよりも、「不思議なトンネル」
 の中いるような感覚になる。

家の中でも、遠くにいける。
それは、町家の魔法かもしれない。

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熊埜御堂由香 14年6月8日放送

140608-02
Kemon01
家の話 ドリス・デュークのシャングリラ

ドリス・デューク。
1925年、12歳のときに父を亡くし、
膨大な遺産で、世界一裕福な女の子といわれた。

彼女の伝記にこんな一節がある。


日記を書くように、ドリスは家を建てた。

世界中に6つの家をたて、
自家用ジェットで世界中を飛び回った。
そんな彼女が一番手をかけた家がハワイにある。
イスラム美術を集め、50年かけて内装をしあげていった。
カハラ地区にある、その邸宅はシャングリラと呼ばれる。

2度の離婚に、子どもの死。
最後まで、家族をもたなかったドリスにとって、
家とは、生活の場ではなく、
夢を見る場所だったのかもしれない。

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熊埜御堂由香 14年5月18日放送

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学びの話3 高峰秀子

昭和を代表する女優、高峰秀子。
5歳で子役デビューして、あっというまに人気者になった。

それは彼女を、「学校」から遠ざけた。
小学校はもちろん、いわゆる義務教育を
満足に受けることができなかった。

彼女が26歳のときに発表したエッセイ集、「私の渡世日記」。
文章の巧みさに世が驚いた。
出版社に、ほんとうに本人が書いているのか?と
問い合わせが殺到したほどだった。

高峰は、子役時代から、自分の出演する映画の脚本を、
あたりまえのように読んできた。
さらに、キャリアを積み出演作を選ぶようになると、
より脚本を精緻に読み込むようになったという。
出演作は400作を超えた。

さらに結婚した映画監督、松山善三が病に倒れると、
脚本の口述筆記を一手に引き受けた。
右手の中指に、ペンだこが固まって
指がいびつに太くなっても、
夫の言葉をかきとめ続けた。

彼女は言う。
 私の生きてきた道は常に文章と道づれでした。

女優として、妻として、
読んで、書いて、生きた。
厳しく、清らかな、学びの姿勢がそこには、ある。

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熊埜御堂由香 14年5月18日放送

140518-04
カノープス
学びの話4 谷川俊太郎

 はなののののはな はなのななあに
 なずななのはな なもないのばな

谷川俊太郎の「ことばあそびうた」という
詩集の一節だ。
子どもたちの口から口へと
伝わっていきそうな、素朴な楽しみに満ちた
ことばがならぶ。

学ぶとは、真似るを語源にするが、
そういう遊びと学びのあいだの行為から、
ひとはことばの扉を開けるのだろう。

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