‘熊埜御堂由香’ タグのついている投稿

熊埜御堂 由香 13年4月21日放送



出会いのはなし  12代目市川團十郎と母千代

今年2月に亡くなった歌舞伎役者12代目市川團十郎。
彼の母、千代さんをモデルにした小説がある。
作家の宮尾登美子が1988年から新聞に連載した『きのね』。

「花の海老様」といわれた9代目海老蔵。
その正妻となった千代さんのあまりに地味な姿を
不思議に感じ、宮尾は小説化を思い立った。

小説では、使用人だった女性がトイレでひとり子を産みおとし
それがのちの12代目團十郎となる。
センセーショナルな内容で、
どこまでが実話なのかとつい気になるが
そんな邪推をふきとばすエピソードがある。

宮尾は、この作品を書くためにずいぶん取材をし、
12代目團十郎のへその緒を切った
当時90歳のお産婆さんにも話をきいた。
出産直後にかけつけると、千代さんは正座し、
横には座布団の上にきれいにぬぐわれた赤子がいたという。
その姿をみてこう思った。

 ああ、聖母子のようだ。

世に生をうけ、
子が母に抱かれる。
その出会いの奇跡が
未来をつくっていく。

topへ

熊埜御堂由香 13年3月10日放送



出発のはなし1 野口英世の言葉

 モノマネから出発して、独創にまでのびていくのが、
 我々日本人のすぐれた性質であり、
 たくましい能力でもあるのです。

明治時代に海外で活躍した数少ない日本人、
細菌学者野口英世の言葉。

この言葉は野口自身の言葉であり
同時に明治の昔に
国を背負って海外で働く人間の言葉としても
納得できる。

「学ぶ」と「真似る」は
日本では同じ語源をもつ言葉だという。

「真似る」からの出発を恐れることはない。

topへ

熊埜御堂由香 13年3月10日放送



出発のはなし2 三浦しをんの就職活動

直木賞作家、三浦しをん。
就職活動で、提出した作文の面白さが
編集者の目にとまり、作家になるよう勧められた。
結局、かたっぱしから受けた出版社は全滅で、
フリーター兼作家になった。

本は売れないし、バイトしながら
年を重ねていくのかなと、弱気になっていたとき、
中学からの女友達がさらりとこういった。

 いざとなったらあんた一人ぐらい食わせてあげるよ。

ふっと心が軽くなり、
それから彼女はどんどん小説を書いた。

誰かが自分を見守ってくれる。
そう思ったときが三浦しをんの出発点だった。

topへ

熊埜御堂由香 13年2月3日放送


riacale
ユーモアの話 ミヤコ蝶々と南都雄二

芸人・ミヤコ蝶々。
昭和50年まで20年間放送された
長寿番組『夫婦善哉』の司会で名をはせた。

一般の夫婦をゲストに
蝶々の弟子だった南都雄二(なんとゆうじ)と、
漫才のようにエピソードをひきだしていった。

ある回、実は、司会の2人が夫婦であることを
番組内で明かすと、まるで結婚式のように
観客から祝福の歓声が飛んだ。

しかし番組開始から4年、
雄二の浮気が発覚し蝶々は離婚を決意する。
今度は離婚を隠し、おしどり夫婦を演じて司会を続けた。

数年後、思い切って離婚を明かすと、蝶々に同情があつまった。
口達者な蝶々さんと、浮気者でダメな雄さんという
新しい芸風でさらに司会を続けていく。

蝶々は雄二が48歳でなくなるまで家族以上に親身に世話をし、
最後には『夫婦善哉』の司会をひとりでつとめあげた。
男と女のおかしさを伝え続けた番組だった。

蝶々がよくサインに記していたフレーズがある。

 おもろうて、やがて哀し。

topへ

熊埜御堂由香 13年1月20日放送



夢のはなし 横光利一の鋭い指摘

新感覚派の天才といわれた
小説家横光利一がこんなことを言った。

 夢の話というのはひとりがすると
 からなず他の者がしたくなる。
 すると前に話したものは退屈するのだ。
 なぜならそれは夢に過ぎないからだ。

そう、夢とは取るに足りず、
ひとりよがりで、
自分にとってはおもしろおかしく、
ときに恥ずかしく、
それでも許されるものなのだ。

topへ

熊埜御堂由香 13年1月20日放送



夢のはなし 漂う石牟礼道子

著書、苦海浄土(くかいじょうど)で知られ、
水俣に住み、水俣病と向き合ってきた作家、
石牟礼道子(いしむれ みちこ)。

故郷への真摯な愛から、
土着派とも呼ばれた石牟礼は、
意外にもこう言う。

水俣にこだわり続けるほどにそこから
ふわりと浮きあがり、漂う民になったように
感じる、と。
そしてこんな夢を見るのだ。

 毎夜、ねむり入るときまぼろしに誘われ、わたしは
 インカやトルキスタンのとある時代の
 砂漠の井戸を汲んでいる想いがする。

夢の世界でも、
石牟礼の意識は漂流しながら、
帰る場所を探している。

topへ

熊埜御堂由香 12年12月23日放送



愛のはなし 太宰治の恋愛論

恋愛とは何か?
人間の普遍のテーマに作家・太宰治はこう答えた。

それは非常に恥ずかしいものである。

恥にまみれながらも、
愛さずにはいられない。
それは太宰の生き方そのものだ。

topへ

熊埜御堂由香 12年12月23日放送


そのまんま狸
愛のはなし 100万回生きたねこ

作家・佐野洋子のベストセラー絵本
100万回生きたねこ。
主人公のねこはいろいろな飼い主に愛されながら、
100万回死んで100万回生きかえる。
100万回目の生で
はじめて恋をして愛することを知った。
野良ねこと結婚し、子どもをつくり、そして老いていく。
ラストの一文はこうだ。

 ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。

分かりやすいハッピーエンドではないのに
なぜか心が温まる。それは愛の一番美しい形が
描かれているからかもしれない。

topへ

熊埜御堂由香 12年11月04日放送



空のはなし 横尾忠則 天空からの視線

生まれてすぐに養子になり、
50代の両親にひとり息子として
大切に育てられてきた。
自分がいかなる星のもとに生を受けたのか
少年はよく空想した。

アーティスト、横尾忠則。
イラストレーター、グラフィックデザイナー、小説家など
自分から湧き出る表現の限りをつくしてきた。

70年代のはじめに
横尾は超常現象に深く興味をもつようになる。
UFOが見たい、そう心に決めて以来
何年もただひたすら空を見上げていた。
あるとき、やっとUFOが見えた。
見えだしたら、もうやたらと
見えるようになった。
友人が、僕もUFOを、探しているけど見えないな
とからかうと、横尾は真面目にこう返した。
1年や、2年じゃ話にならないよ、と。
祈りをこめたのか、無心なのか、とにかく横尾は空を見上げた。
この徹底的な繰り返しはのちに横尾の芸術スタイルにもなった。

そして現在76歳。
横尾忠則はこう言う

 ぼくは常に星からの視線を感じながら生きている。
 あの宇宙から出発してあそこへ還るのだなぁという実感である。

topへ

熊埜御堂由香 12年10月7日放送


Thomas Hawk
色のはなし  ハッピーホ―リ!

インド全土で、春のあるいち日だけ。
人々が壮大に絵の具を掛けあう
ホーリーとよばれるお祭りがある。
人も車も犬も牛も、街中が
たちまちカラフルに汚れていく。
けれど怒りだすひとなんていない。

その日の合言葉は、
ハッピーホーリー!

色、色、色の世界の中で
みんなが、無邪気に遊ぶ日だ。

topへ


login