‘熊埜御堂由香’ タグのついている投稿

熊埜御堂由香 15年4月26日放送

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ねむりのはなし ベンジャミンフランクリンのベッド

現在の100ドル紙幣に肖像が描かれ、
アメリカ合衆国建国の父と呼ばれる、ベンジャミンフランクリン。
政治の世界だけでなく、物理学、気象学の分野でも
活躍した。サマータイムの原型をつくったり、
嵐の中で凧をあげて雷が電気であることを確認するなど、
数々の偉業を成し遂げた。
24時間、365日、考え続け、働き詰めだったのでは?と
思える知の巨人には、じつは、ちょっと変わったねむりの好みがあった。

それはつねに冷たいシーツの上でねむること。
切なる願いを叶えるためにフランクリンは考えた。
ベッドを数台並べて置いて、ふとんの中があたたまってくると
隣のベッドに次々移動するという名案を思いついたのだ。
それからは、ひんやりして清らかなシーツの感触に
ずっと包まれたまま、ゴロリゴロリと夜を明かした。

時は金なりの言葉を残した
フランクリンだが、彼にとって睡眠の時間は
まさに、数台のベット代も厭わない
極上の時間だったに違いない。

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熊埜御堂由香 15年3月15日放送

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Bob Jagendorf
旅のはなし 桐島一家の長い旅

エッセイストとして活躍する桐島洋子さん。
3人の子どもをシングルマザーで育てた。
40歳目前をむかえたとき、一番下の男の子は8歳になったばかり。
忙しい毎日で、子どもと向き合えない苛立ちを抱えていた。

そしてふっと、決心した。
よし、この1年は静かな田舎町で、徹底的に子どもと向き合おう。
失業を心配するまわりには、こう返した。
この休暇は、私たち親子にとって最上の投資よ。

流れ着いたのは、アメリカのイースト・ハンプトン。
森の中で転げ回り、大雪の日には、かまどの火で家族で暖まった。
英語が全くできなかった子どもたちは、街の人気者になった。
旅先が、いつのまにか第二の故郷になり、
最後には、学校が終わる来年の夏まで帰らないと譲らなかった。
1年ですっかりたくましくなった子どもたちを前に
さみしくて、うれしいと洋子さんは思った。

末の男の子だった桐島ローランドさんは
その時をふりかえってこう言った。

 僕の母は、何も諦めないひとでした。
 僕たちも母に鍛えられ、悪くない育ち方をしたと
 思っています。

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熊埜御堂由香 15年2月7日放送

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名前のはなし 忘れられた日本人

民俗学者、宮本常一(みやもとつねいち)。
1930年代から1981年に亡くなるまで、
日本全国の小さな村々を、歩いてきた。
その距離は地球4周分ともいわれる。

宮本を突き動かしたのは、民俗学とは、庶民の生きた生活を
とらえることにあるという信念だった。
知らない村に出向いては、農作業を手伝い、村の寄り合いに顔をだした。
立ち話をしながら、字の書けない古老の話をきき、その言葉を書き留めた。
橋の下で暮らす牛飼いの色恋の話、
村から村へ放浪しながら生きてきた農民の話。
その内容の面白さは、宮本の創作なのではないかと
疑いがかけられたほどだった。
民俗学の本流ではないと冷遇された時期も、
自分は無名の伝承者でかまわない、そう思い歩き続けた。

宮本が脚光をあびるきっかけになった
著書にはこんなタイトルがつけられている。
「忘れられた日本人」
今でも読みつがれるその名著は、
名もなき人々の足跡に、
忘れ去られない名前を刻んだ。

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熊埜御堂由香 15年2月7日放送

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名前のはなし 由比ケ浜海水浴場

鎌倉土産の定番、鳩サブレを販売する
製菓会社が、鎌倉の海岸の命名権を獲得した。
名前を募集したら、そのままがいいという声が多く、
そのままにした。

だからきっと、今年の夏も、みんなは
「由比ガ浜海水浴場」にでかける。
場所の名前には、みんなの思い出もたまっていくのだ。

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熊埜御堂由香 15年1月25日放送

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Bakkai
はじまりのはなし 南木佳士と川

 長男が生まれたころ、私は死のことばかり考えていた。

芥川賞作家、南木佳士(なぎけいし)。
当時、研修医として大学病院に勤務していた。

生まれて数カ月の長男をお風呂に入れていると、
病院からの呼び出しがかかり、患者のもとへ駆けつける。
人間の出発と臨終を交互に見せつけられる
生活をおくるうちに、心が凍りついてしまった。
これ以上、病院にいられないと思い詰めていたとき、
ふと、裏手にある川の岸に出てみようと思った。
川に目をこらすと、水中を泳ぐアユの群れやハヤの子が見えてきた。
この川の先にある、自然淘汰の厳しさにもかまわず、
精一杯、前に前にと泳いでいた。
小さな命を眺めているうちに、病院に戻ろうという気力が戻ってきた。

そのころから、南木は小説をかきはじめる。
そして、ひとの死を看取ることを専門とする「緩和医療」の道へ進んだ。
「生と死を見つめる」。
おなじ出発点から、彼は、小説家として、医師として
歩き続けた。

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熊埜御堂由香 15年1月25日放送

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はじまりのはなし 江國香織と絵本

小説家、江國香織。
今では恋愛小説の名手ともいわれる彼女だが、
童話作家として、キャリアをスタートした。
彼女のルーツともいえる本を紹介した1冊、

 絵本を抱えて 部屋のすみへ

そのタイトルからは、小さなころから
本の虫だった江國さんの
かわいらしい姿が浮かんでくる。

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熊埜御堂由香 14年12月21日放送

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クリスマスのはなし クリスマスツリー農園

カナダやアメリカでは、クリスマスツリーに
自然のもみの木を使う家庭も多い。
そのため、クリスマスツリー農園とよばれる林で、
毎日、毎日、ツリーになるためのもみの木を大切に育てている。

11月になるといよいよ、お客さんが農園にやってくる。
さぁ、どうぞと、農園の地図を渡して、
のこぎり、ものさし、そりやカートも用意する。
自分にピンとくる最愛の1本を、
お客さんみずからが探し出すスタイルなのだ。

そして収穫あとには、
小屋で、あたたかいリンゴジュースや、
クリスマスクッキーをふるまう。

アメリカ、メイン州のある農園主は、
お客さんが農園のなかにはいっていくのを見送りながら
いつもこう祈るそうだ。

 わたしたちは、そっと思います。
 どうか、すてきツリーが見つかりますように。

そう、クリスマスツリー農園のもみの木、1本1本には、
メリークリスマス!の思いがつまっている。

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熊埜御堂由香 14年12月21日放送

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クリスマスのはなし  クリスマスのまえのばん

世界中で読まれている絵本、「クリスマスのまえのばん」。
1822年に学者クレメント=ムアが、
イブの日に、自分の子どもへ即興で書いた物語だ。
彼の描いたサンタは実にチャーミング。

 はなは ぷっくり さくらんぼのよう。
 わらいだしそうな くち、まっしろなひげ。

いつもは難しい専門書ばかり書いている学者が、
煙突からドスンと登場するドジなサンタを生みだした。
クリスマスには、誰もが子どもになる魔法がある。

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熊埜御堂由香 14年11月30日放送

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spinster cardigan
美味のはなし 平松洋子の手

フードジャーナリストとして知られる平松洋子さん。
手にペンを握り、世界中を旅して食文化を伝えてきた。

平松さんが料理をするとき、
一番活躍するのは、やっぱり彼女自身の手だ。
手で食材を扱うことで、料理が美味しくなることを
よく知っていた。野菜や、豆腐や、肉も、包丁で形をそろえて切るよりも
割ったり、ちぎったり、握ったりして、食感を楽しめる工夫をこらす。

そんな彼女が、手で調理する喜びを1冊の本にした。
タイトルは、

 世の中で一番おいしいのは
 つまみ食いである。

台所での彼女の手は、とっても働き者で、
くいしんぼうなのである。

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熊埜御堂由香 14年11月30日放送

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Sanjo
美味のはなし 世界のお弁当

美食の都、パリでも、最先端の街、ニューヨークでも、
流行っている日本の食がある。
それは「BENTO」(ベント)」お弁当のこと。

日本人のだす、お弁当店に、昼時に行列ができるほど。
おいしいものは、こうして軽々と、国境を越えていく。

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