小野田隆雄 2010年6月26日ライブ



追憶

ストーリー 小野田隆雄
出演 坂東工

ヨウシュヤマゴボウは、
いつも、ひとり。
群れたり、仲間を集めたりしない。
いつも、ひともと、高くのびて
大きな葉を茂らせて、枝を広げ、
小さな白い花をいっぱいつける。
花が散ると、黒に近い紫色の実を
山ブドウのように実らせる。
昔、子供たちは、この紫色の実を、
色水遊びの材料にした。

ヨウシュヤマゴボウの白い花が、 
サラサラと散り始めると、
夏が盛りになってくる。
そう、その頃になると
江の島電鉄の小さな車両は
潮の香りに満ちてくる。

白い麻のスーツに
コンビの靴をはき、
大きな水瓜をぶらさげて

三浦半島の油壺のおじさんが、鎌倉の
雪の下の、僕たちの家にやってくるのは
そういう季節だった。
「やあ、太郎くん、
大きくなったねえ。いくつになったの」
太郎と言うのは、僕の名前である。
両親が四十歳を過ぎて
ひょっこり、生まれた、
ひとりっこである。あの頃、
小学生になったばかりだった。

おじさんは、父のいちばん上の兄で
銀行の重役だったけれど、
定年退職すると
三浦半島に引っ込んで、
お百姓さんになってしまった。
おじさんは、ひとりだった。
いつも、おしゃれだった。

「あれは、たしか
東京オリンピックの年だったねえ。
兄さんが、定年になったのは」

いつだったか、母が言っていた。

「兄さんは、女性のお友だちが多くてね。
それで忙しくて、とうとう結婚するひまが
無かったんだって。
なぜ、お百姓さんになったんですか、
ってね、聞いたことがあるの。
そしたらね、そりゃあ、あなた、
野菜はかわいい。文句をいいませんから。
だって」

僕は、おぼろにおぼえている。
せみしぐれが降ってくる、
昼さがりの縁側の、籐椅子に腰をかけて、
おじさんと父が、
ビールを飲んでいた風景を。

おじさん 「おーい、よしこさん。
 水瓜は、まだ、冷えませんか」

父 「でも、兄さん、三浦の水瓜って、
 どうも、あまり、甘くありませんな」

おじさん 「喜三郎(きさぶろう)、おまえねえ。
 水瓜なんてえものは、青くさい位が、
 ちょうどいいのさ。そういうものさ」

よしこ、というのは母。喜三郎と
いうのは父。おじさんは、
喜太朗という名前だった。

あの頃から、何年が過ぎ去ったのだろう。
父も母も、おじさんも、もういない。
僕は、ぼーっと夢みたいに生きて、
ほそぼそと、イタリア語のほん訳を
して生活している。
雪ノ下の家は手離して、
東京の白金(しろかね)のマンションにひとり。
ついこのあいだ、五十(ごじゅう)も過ぎて……

こうして、机にほおづえをついていると、
マンションの窓から、
入道雲が見える。
ああ、今年も夏になるんだなあ。
鎌倉に行ってみようか。
大町(おおまち)のお寺にある、三人のお墓に行ってみようか。
小さな丸い御影(みかげ)石が三個、
芝生に並んでいるお墓の上に、
きっと今年も、大きなヨウシュヤマゴボウが、
涼しい影を作っているのだろう。
その草の陰に、ちょっとだけ僕も、
休ませてもらおうかな。

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中山佐知子 2010年6月26日ライブ


カサカサの音をゆりかごにして
             

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

カサカサの音をゆりかごにして
少年は幼虫の時代を過した。

夜、自動車の音が途絶えると
その茂みは同じ蝶の子供が葉っぱを食べる音で
いっぱいになる。
カサカサ カサカサ….
少年は自分にいちばん近いところから聞こえるカサカサが
とてもなつかしく思えた。
それは自分の音よりも小さくやさしい心地がした。

秋の扉が開くころ
もう食べたくないと少年は感じた。
お気に入りのカサカサも聞こえなくなっていた。
もうサナギになる時期だった。
サナギは身を守る手段を何も持たずに眠るので
蝶にとっては一度死ぬことに等しい。
少年が不安そうに葉っぱのまわりを這いまわっていたとき
カサカサのかわりに
おやすみなさい、と小さな声が聞こえた。
その翌日、少年も垣根から突き出した木の枝にぶらさがって
やすらかにサナギになった。

少年がやっとサナギから出て羽根を広げ
オオカバマダラという蝶になったのは
2週間もたってからだった。
お休みなさいと声をかけてくれたサナギはからっぽで
さがすことなどできそうになかった。

オオカバマダラは
一日ごとに南へ移動する太陽と
日に日に短くなる日照時間で渡りの時期を知る。

秋に生まれたオオカバマダラの少年も
南へ飛ぶ本能を何よりも優先させて
北からやってくる秋に追い立てられるように
移動をはじめた。

仲間は次第に増えはじめ
ときに数百万の群れに膨らんで地元の新聞の特ダネになる。
嵐の夜が明けたときには
大きな木の根元に落ちている無数の羽根が
傷ましい事件として
朝のニュースに取り上げられることもあった。

それでも少年は運良くリオグランテを越え
あくびをしているメキシコ湾のなかほどまで飛んで
熱帯の花が咲くチャンパヤン湖で
まぶしい季節を過した。

暦が春を告げるころ
オオカバマダラは北へ飛びたくなってくる。
もう命も尽きようとしているのに
どうしても、どうしようもなく
楽園で死ぬことを本能が拒否してしまうのだ。

少年はもう少年ではなく
羽根も破れてくたびれ果てていたが
こんどはメキシコ湾の海岸沿いに北の湖をめざした。

突風にあおられてイバラの茂みに落ちたのは
一瞬のことだった。
羽根が折れ、
もう一度飛ぶことはできそうになかった。

少年がしげみでじっとしていると
カサカサとなつかしい音がした。
先に落ちた蝶が蟻に抵抗して
羽根をうごかしているのだった。
それは卵を生み終えて命を使い果たした雌の蝶だった。

蟻は地面に蝶を見つけると生きたまま胴体を切り分けて
自分たちの巣に運ぶ。

カサカサの音のあとに
おやすみなさいと小さな声が聞こえ
それからもう一度、カサカサと最後の音がした。

少年はそのカサカサの音を揺りかごにして
静かに目と羽根を閉じた。

太陽がいちばん高く昇る6月
春に生まれたオオカバマダラの子供たちは
まだ北をめざす旅の途中にある。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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小野田隆雄 2010年6月26日ライブ



九十九里の、アジのひらき

ストーリー 小野田隆雄
出演 小野田隆雄

千葉県の九十九里町は、嵐になると
一日中、海が町の上から降ってくる。

あの日、六月の終わりに近い頃、
梅雨前線の影響で、
コマーシャルの撮影は中止になった。
スタッフのひとりだった私は、
正午に近い時刻に、砂浜まで
海の様子を見に行った。
雨は止んでいたが、風は強く、
雲は早く流れ、前線は逃げるように
九十九里から離れつつあるようだった。
けれど、まだまだ、海は灰色だった。
あとからあとから、高波が押し寄せる。
遊泳禁止の赤い旗が、
海岸線にずらりと、並び立てられ、
その旗が、ときおりのぞく太陽に、
キラキラ、キラキラ、はためいている。

砂浜に近い、小さなおみやげ屋さんに
おじいさんがひとりいた。
アジのひらきを売っていた。
私と目が合うと、房総なまりの言葉で言った。
「もう梅雨もしまいだべ」
私はそのアジのひらきを買い求めた。
「新しいよ」おじいさんは、そう言ったが、
旅館に帰って、よく点検してみると
どうやら、冷凍物のようでもあった。

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山本高史 2010年6月26日ライブ



タケシ

ストーリー 山本高史
出演 山本高史

                     
 両親はきちんと見えてるようだから、オレが生まれつき目が見えないというのは何かのはずみだ。な-んにも見たことがない。そうして17年間生きてきた。
「不自由な思いをさせて」と親に悲しそうな声で泣かれたりしてきた。もちろんオレが自由だとは思わない。でも自分のできることはすべてできる。ギターも弾けるしね。チャーハンくらいならひとりで作れる。いいことと悪いことを自分なりに判断もできる。自分のできないことが多いことを不自由と呼ぶのならば、ぼくもそうだが目の見える人も不自由ってことだろう。同じだ。目は見えないが耳や鼻はその分優秀らしい。小学2年生のとき友達の家のかすかなガス漏れに気づいたこともある。自分としてはお利口な犬のお手柄みたいでちょっと嫌だったが、命拾いした仲間たちにはそれからしばらく「ゴッド」と呼ばれた。目が見えなくて耳と鼻が少しいい人生がどういうことか、他人の人生と比較のしようがないのでオレにはわからない。いいも悪いもオレにはこれしかないんだから、満足も不満足もない。もしオレの目が見えていても、きっとそういうことだろう。

 ある日大ニュースがあった。オレの目が見えるようになるらしい。医学の輝かしい進歩だ。両親はオレの手をとって、泣いていた。オレは生まれつきのことだから慣れっこになっていたのか、もしくはこれはこれで問題もなかったので見えることを激しく望んだことはなかった。しかしいいニュースに違いない。わくわくもする。これを喜ばなければ何を喜ぶべきか、って感じ。入院して手術して成功した。あっけなかった。手術前は「怖くないですよ」とか「痛くないですよ」と吉田先生や看護師の岡本さんにむしろ脅された。目の中にメスという名の刃物を入れるらしい。しかしオレはメスというへんな名前のヤツはおろか自分の目ん玉も見たことはないのだ。見たことないもの同士で彼らの言う恐怖をどう組み立てていいのかも想像もつかない。そんな感じも含めて手術はあっけなく終わった。岡本さんが言うには、吉田先生は名医で経過は順調だということだった。岡本さんは可愛い声の人で、ハタチだと言っていた。オレはまだ17だから働いている女の人がみんな年上なのはしょうがない。体温とか血圧とかでカラダを触られると、正直どきどきした。包帯というヤツで目の回りはぐるぐる巻きだったが、病院の中を普通にあちこちうろうろもできたし、もともと見えないからね、入院生活もイヤな感じじゃなかった。

 そしてメインイベントにしてクライマックス、目の包帯を取る日がやってきた。オレとしては何が見えるということよりも、見えるという感覚はどういうものなんだろということでアタマがいっぱいで、でも想像してみたところでわかるわけなくまあい
いか程度の気分でいたが、母親や岡本さんのほうが興奮していることは声のトーンでわかった。テレビの感動ドキュメンタリ-にありそうな話なのだ。そのうちオレのまわりで、オレが最初に見るべきものは何であるかということが議論が始まり、オヤジが「やっぱり自分の姿だろう、自分の存在をはっきり自覚できるから」と言い、なんだよちょっと待てよオレはそもそもここに存在しているではないかということを口にしようとしたが、まわりの連中は一気に納得したみたいでオヤジは満足げに咳払いをした。「じゃあ始めます」とカウントダウンしかねないようなウキウキした声で岡本さんがオレの包帯を取った。「さあゆっくり目を開けてだいじょうぶだよ」という吉田先生の声でオレが自分の目で生まれて最初に見たものは、壁にかかった板だ。つるんとしている。これが鏡というヤツか。ものや人を映すものと聞いたことはあるがもちろん見るのは初めてだ。映すとはこういうことか。そしてつまりその鏡という板にへばりついているヤツがオレということになる。これが鼻か。穴はこういうふうに開いていたのか。以前から目と鼻の位置関係はほぼつかんではいたものの、正確にはこういうふうになっているのか。試しに口を開いてみた。なんだこの肉の色。なるほどそうかこういうのを色というのだな。その奥は見えない穴だ。こんなところに食べ物を放り込んでいたのか。食べ物ってのは何なのかね。何だったのかね。固かったり軟らかかったり乾いていたり濡れていたり。そう思いながら、オレはガッカリしたし疲れた。オレは自分がこんなに物体だとは思わなかった。食べ物と同じ物体だ。固かったり軟らかかったり乾いていたり濡れていたり、何なのかねオレ。外の世界のないオレには想像力しかなかったから、でも想像力は無限につながっていってオレを飽きさせることはなかったから、自分は大きいも小さいも固いも柔らかいもなく表わしようもないくらいとてつもないものだと思い込んでいたけど、目の前のこの物体じゃあなあ。…醒める。タケシという名前はコイツこの物体につけられた名前だ。オレじゃない。それにしても鏡。おまえ何映してんだ?ほんとおまえつまらねえヤツだな。オレは鏡を叩き割りたい衝動を押さえるように目を閉じた。すっごく落ち着いた。

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一倉宏 2010年6月26日ライブ



できることのなかでいちばんよいことをする

ストーリー 一倉宏
出演 一倉宏  ピアノ・歌 村上ゆき

 あれは 雨の降る日曜日だった
 私は 妻とスーパーマーケットから帰ってクルマを降り
 傘を開き 荷物を下ろしたその直後…
 彼女が威勢よく閉めたドアに 指をはさまれ
 悲鳴をあげた

 その夜 私の右手中指は 一晩中泣いていた
 私もまた 怒りながら笑いながら 泣いていた

 翌朝 病院に駆け込み事情を話すと
 医者も 同情と微笑みを浮かべながら 私に訊いた
「それで 昨夜は どうされましたか?」

「とにかく とりあえず グラスに詰めた氷で冷やしました」
 と答えると 医者は うなづきながらカルテを書きながら
「そうですか それは… 
 できることのなかでいちばんいいこと を 
 されましたね」と 言ったのだった

 そうか… 
 痛みに耐えられず ほかにどうしようもなく
 ロックグラスに氷をいっぱいに詰めて 泣く指を冷やした
 あれは できることのなかでいちばんいいこと だったのか

 できることのなかでいちばんよいことをする

 それから私はときどき この経験を思い出すのだ
 しんみりと 雨の降る日と
 こころの 泣きたい夜には…

 上司が ただ
 威厳を示したかったのか 機嫌がわるかったのか
 誰も幸せにしない 思いつきを口にしたとき

 あるいは
 取引先の担当課長が 週末を費やしたプレゼンテーションに
「こんなところですか 検討しますよ…」と
 資料を流し見て 立ち上がったとき

「ごくろうさま」のひとこともない 上司に
「ありがとう」のひとことも言えない 取引相手に
 
 情けなくて 悔しくて 
 こころの 泣きたい夜と
 しんみりと 雨の降る日には…

 左手にカバンを持ち 右手に傘を差して
 あのときの痛みを思い出してみる

 そうだ それでも
 できることのなかでいちばんよいことをしよう  

 左手に情けなさを持ち 右手に悔しさを握りしめて
 繰り返し 思い出してみる

 だけど それでも
 できることのなかでいちばんよいことをするんだ
 絶対に 私は

 どんなに こころが泣いても…
 おたんこなす

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上田浩和 2010年6月26日ライブ



4の回。

ストーリー 上田浩和
出演 高田聖子

数字の4は、鏡の前に立つのが好きではない。
数字の32にだんだん似ていく自分を見たくないのだ。

鏡のなかの4は一見数字の4なのだが、かたむける顔の角度によっては、
32の面影がうっすらとではあるがさす瞬間があり、
その加減が日に日に強まっているような気がするのである。

32÷8。
この計算の結果産まれたのが、この、4である。
だから、32に似ていたとしてもなんの不思議はない。
むしろ当然のことだし、4も32と8には心から感謝している。
ふたりがきっちり割り切れたおかげで、
余りもない小数点もない身軽な生き方をこれまでしてこれたのだから。

それでも、それとは別の割り切れない思いを、
4は4なりにずっと持ち続けてきたのも事実だ。
どうして、あの場面で、32と8は、
割り算ではなく掛け算をしてくれなかったのだろうか。

そうすれば、4ではなく、
256というジゴロな生き方もできたはずなのに、
と思わずにはいられないのだ。

出演者情報:高田聖子 03-5361-3931 ヴィレッヂ

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