佐倉康彦 2008年10月24日



   鏡

                
ストーリー さくらやすひこ
出演 片岡サチ
             
試着室のドアをそっと閉める。
店の女に勧められるままに選んだ
真っ白なマキシ丈の
ワンピースを手にしたまま、
わたしはゆっくり目を閉じる。
姿見とわたしの距離は、
どのくらいだろう。
        
わたしは、
目を閉じたまま
真っ新な服に素早く袖を通す。
そして、
時間が過ぎるのをただ待つ。
わたしがこれまで生きてきた
気の遠くなるようなときに比べれば、
一瞬にも満たない時間。
         
新しい服を纏った自分を
鏡に映して試し替えし
吟味する女を
つかの間、やり過ごす。
わたしの前には
おそらくわたしの背丈よりも
高くて大きな鏡があるはずだ。
その鏡が微かに軋む。
小さな悲鳴のような振動が
目を閉じたままの私の
耳朶(みみたぶ)を震わせる。
閉店間際に飛び込んだ一見の客に
少しだけ苛ついている
店の女のダルな声が、
鏡の悲鳴に重なる。
「いかかですかぁ?」

ドア越しに聞こえる女の声を遮り
わたしはドアを開け、
そっと告げる。
「これ、いただきます」
惚けたようにわたしを見つめる
店の女に
値札の倍の金を払い
さっきまで着ていた服の処理を頼む。
店の入口でわたしを待つ男は、
ウィンドウに映る己の姿を
眺めながら
ひとり悦に浸っている。
          
「知り合いの店に
いいワインが入ったらしいんだよ」

ショウウィンドウに映るのは、
脂下がった男の姿だけ。
男の前ではにかみ俯く
白いワンピース姿の女はいないはずだ。
タクシーで移動の途上、
向かうはずの場所が
「知り合いの店」から
完成したばかりの外資系のホテルへと
すり替わる。
在らぬ方向を見つめたまま
何食わぬ顔で男は行き先を変えた。

飲み過ぎたのか
男は、わたしの足下に仰臥している。
はだけた胸元から
透けるような白い肌が見え隠れする。
男の言う「いいワイン」のせいだろう。

わたしの真っ白なワンピースの胸元には
小さな赤いシミが出来た。
これもきっと
「いいワイン」のせいだ。

わたしの口元から零れて落ちた
その小さな雫が、
わたしの赤い乾きを癒やす。

わたしの強さと弱さは、
抗(あらが)えない掟に従っているから。
男の心が傷付き、
そしてその躯から血が流れれば
わたしの心だって一緒に血を流している。
男の暖かい命で
わたしは生き続ける。

抜かれることのなかったワインは、
テーブルの下に
男と並んで転がっている。

わたしはワインと男を
リビングに残したまま
バスルームに向かう。
そして、
鏡には映らないわたしと対峙する。
誰も映ってはいない鏡を凝視し続ける。

鏡が、
また、小さな悲鳴を上げはじめた。

出演者情報:片岡サチ 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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小松洋支 2008年10月17日



Twilight
                     
ストーリー 小松洋支
出演 浅野和之

夢を見ていた。

小学校の廊下だった。
右手の窓からは校庭が見えた。
左側は工作室になっていて、高学年の生徒たちが
角材とボール紙とセロファンで何かをこしらえていた。

つきあたりが給食室で、
マスクとエプロンと三角巾をした母親くらいの年齢のひとたちが、
湯気の中でいつも忙しく立ち働いているのだった。
自分がそこに向かっているのは、
ミルクが入った大きなケトルとか、パンが並べられた木箱とかを
教室に運ぶ当番だからに違いない。

給食室の間近までくると、
かすかに漂っていたアルコール発酵の匂いが
不意に輪郭を濃くするのだった。
遠い日の甘い記憶に浸るようなあの匂いが好きで、
コッペパンをふたつに割り、
穴を穿つように白い実をむしって食べ、
微細な空気孔の無数にあいたやわらかなパンのくぼみに
鼻をおしあてて、
深々と息を吸いこんだりしたものだった。

夢の中なのにこんなにもはっきりと匂いを感じるのは何故だろう。
そう思ったところで目がさめた。
目の前にパンのひろがりがあった。
つま先からあごの下までおおきな四角いパンが覆っているのだった。
横たわっているのもパンの上のようだった。
粘性のあるひんやりとした膜状のものが体を包んでいた。
それが生ハムであることは確かめなくても分かることだった。
眠っている間に蹴ったのであろうレタスが足もとの方にまるまっていた。

夕暮れだった。
そう思ったが、それはそうではなかった。
すこし離れたところにあるワイングラスを透過した光が、
あたりいちめんにさしていた。

ほどなく、最前より深い眠りが訪れた。

出演者情報:浅野和之 03-5423-5904 シスカンパニー

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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小野田隆雄 2008年10月10日



ベネチアングラスのワイングラス
            
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳  

  
ワインって楽しいお酒だなと、
思うことがあります。
赤いワイン、白いワイン、
バラ色のワイン、そのほかにも色いろ。
同じブドウから作られるのに、不思議です。
ビールや日本酒と比較してみてください。
でも、ワインについて
なんだか変だなあって、思っているのは、
あのワイングラスのことです。
チューリップみたいな形をして
ほとんどが透明度の高いクリスタルグラス。
あの無色透明で、清潔すぎて、
すこし冷たい感じ。
あのグラスが、赤ワイン用、白ワイン用と、
テーブルに並んでいるのを見ると、
なんだか、理科の実験室を
思い出してしまうのです。
どこのレストランにいっても
ワイングラスって、ほとんど同じスタイル。
なにも飾りがなくて、無機的で。
ワイングラスは、世界中どこでも
あんなに同じなのでしょうか。

「いいえ、そんなことはないのですよ」
私のワイングラスについての話を
黙って聞いていた彼が、
ニコニコしながら言いました。
それは五年程前のこと。
私はあの頃、横浜にある小さな
グルメ関係のタウンマガジンの、
駆け出しの記者でした。
彼は、イタリアのワインを
輸入している商社の
若い社長さんでした。
彼にインタビューしたのは、
イタリアの食材の特集号を
企画していたからです。
インタビューは、伊勢佐木町に近い
馬車道にある彼のオフィスで行われました。
秋の夕暮のことでした。
「最近のレストランで使用している、
あのワイングラスは、もともとは、
ソムリエコンクールのための
標準規格のグラスなんです。
お酒の色がよく見えるし、
香りも逃げない形なのですね。
ま、その点は便利ですが、
あなたのおっしゃるように
味もそっけもない、そのことも確かです。
ただね、すべてのワイングラスが
あれと同じでは、ありませんよ」

そう言って彼は、席を立ち、
すこし古びた、木の箱を運んできました。
ふたをあけると
ワイングラスがふたつ。
彼は、それを取り出し、
応接セットのデスクに置きながら、
言いました。
「ベネチアングラスです」
そのグラスは、ブルゴーニュの
赤ワイン用のグラスほど大きくはなく、
なつかしいソーダガラスで作られていました。
茎と言われるカップと台をつなぐ部分には、
ドルフィンが二匹、
カップの部分をささえるように
からみあっています。
そして、カップの部分には
エーゲ海を思わせるような、
あざやかな青い色の小さな花が、
ちりばめられて。
 「ワインは、ひとが作るものだから、
グラスにも手作りのぬくもりが
欲しいと、僕も思っていました。
でも、今日まで、グラスについて、
あなたのようなことを
おっしゃる方に初めて会いました」
それから、遠くをみるような眼で
彼は言いました。
「いつか、僕はこのグラスで、
誰かと、夜明けの白ワインを
飲みたいと思っていたのです」

あれから五年すぎて、どこかの誰かが
彼と、夜明けの白ワインを
もう、飲んでしまったのかなあと、
ときおり、いまも、気になっています。

*出演者情報久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  動画制作:庄司輝秋

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一倉宏 2008年10月3日



難破船の救命ボートを選ぶなら

                    
ストーリー 一倉宏                      
出演  地曵豪

   
あなたをもうなんども怒らせた 
そのたびに あなたは不思議な解釈で追いかけて
ぼくの理不尽を見失ったボールにする
そして あなたはなぜ怒ったのかさえ忘れる
いつのまにか ぼくたちのワインは残り少なくなる
やがて あなたは眠くなる

女性たちよりも美しい酒があるなんてたわごとを
ぼくはいちどだって吐いたことはないさ
そう言って人生を寝過ごした友人もいたけれど
本気で思っていたらもうすこし楽だった 
彼も…

たとえばぼくたちの乗った船が難破するとして
目の前に2艘の救命ボートがあるとしよう
片方のボートには1本のワインが載せられていて
それは ちょうどぼくたちが結婚した年の
「シャトー・ムートン・ロートシルト」さ
もう片方のボートにはざっと3ダース
名前も知らないチリ・ワインがどっさり

さあ クイズだ
あなたならどちらのボートを選ぶだろう?
ぼくならどちらのボートを選ぶと思う?
言うまでもなくこのたとえ話は 筋書き通り
どこかの無人島に流れ着くとして
   
もう寝てしまったあなただから
こんなことを言ってるぼくに怒るにも怒れないね
申し訳ないけれど どうしたって
ぼくはチリ・ワインのボートを選ぶのだから
せめてそれだけは見失わないでほしい
たとえあなたがついに理解できないにしても
人間たちのちょっとしたエピソードの
ほんとうはなにが嫌いでなにが好きかということを 
   
たとえどんなに怒ってもいいから
難破船の救命ボートだけは間違わないでくれないか
そうしたらぼくたちはいつか無人島で
たったふたりの夕焼けに乾杯できるのだから
夕陽よりも紅いチリのワインで

死ぬまで憶えておくことはたったひとつでいいさ
できれば忘れてしまうほうがいい
他愛ない日々のことばのしっぽ そしてあの昔話の嫉妬も
一日の始まりと終わりに必要なことばだって
たった4文字なのだし おはようとおやすみ
あるいは やれやれ… 
   
くりかえし見る夢をあなたに話しただろう
そこにでてくる誰かをあなたは知ろうとしたが
顔も名前も仮のものさ 夢だから
ひょっとしてあなた自身であったかもしれない
あるかもしれない可能性については
ぼくらは話さなかったね
  
その解釈だけはしなかったあなたが
むこうを向いて寝ている

出演者情報:地曵豪(フリー)http://www.gojibiki.jp/links.html

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中山佐知子 2008年9月26日

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鏡は大きな蛇のように
                 
                
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

鏡は大きな蛇のようにその光を歪めて放った。
人々はこれを闇夜に立つ虹と呼んだ。

大王はこれを怪しみ
黒い森を流れる川の岸辺に人を遣わして虹の根元を掘らせた。
神殿から失われていた鏡と鏡を持って逃げた女は
こうして発見された。

女は神殿の巫女だったので
その躰ははじめから神に捧げられており
自分にとっては
祭壇に供えた白い米や塩、
白い布となんら変わることはなかった。
意志というものがあるようにも見えず
赤い血を流すこともないと思った。

自分は女の声を聞いたことがなく
着物の裾にさえ触れたことはない。
けれどもときどき、いや、もっと頻繁に、
女の目の光が矢のように皮膚を刺すことはあったのだ。
ただ、その目を見返す勇気がなかった。

ある日、大王から遣わされた人が
女を問いただすことがあった。

誰かの顔をまともに見たことはあるか
誰かに声をかけたことは
誰かに部屋の敷居をまたがせたことはあるか
女は何を訊かれても知らないと答えるしかなかった。
ものごころつく以前から人と交わらず
巫女になることが決められていた女である。
たぶん、訊かれていることの意味もわからなかっただろう。
相手はやがて最後の問いを発した。
その腹の子供はだれの子か

女はその夜、鏡と共に姿を消した。

神殿を取り巻く黒い森は
この世がはじまって以来誰も木を伐ったことのない森で
原始の闇につつまれていたが
その聖域をふたつに分けるように一本の川が流れている。
女はその川の水明かりをたよりに暗い夜を走り
岸辺に鏡を埋めると自分で自分を殺してしまった。

黒い森からあらわれる鏡の光が闇夜の虹となり
虹の根元に鏡と女が見つかったとき
女の腹にはなにもなく、ただ透き通った水と小さな石があった。
それによって人々は女の潔白を噂したが
水こそ鏡のはじまりである。

女は誰しも鏡を抱いているのか。
その鏡は女の思い描く世界を映すのか。
女はその鏡によって自分の躰を自由に変えるのか。

この国の黎明期の歴史の書には
罪もなく死んだ女と鏡の物語が記されているが
目すら見返さない男の影を鏡に宿して
命を持たないものを身籠る女の躰のあやしさが
私はいとしいというよりつくづく恐ろしい。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP

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山本高史 2008年9月19日



タケシ

                      
ストーリー 山本高史
出演 岡田優

両親はきちんと見えるようだから、オレが生まれつき目が見えないというのは何か
のはずみだ。な-んにも見たことがない。そうして17年間生きてきた。「不自由な
思いをさせて」と親に悲しそうな声で言われたりしてきた。もちろんこれが自由だ
とは思わない。でも自分のできることはすべてできる。ギターも弾けるしね。チャ
ーハンくらいならひとりで作れる。いいことと悪いことを自分なりに判断もできる。
その限りにおいては不自由じゃない。自分のできないことが多いことを不自由と呼
ぶのならば、ぼくもそうだが目の見える人もそういうことだろう。同じだ。目は見
えないが耳や鼻はその分優秀らしい。小学2年生のとき友達の家のかすかなガス漏
れを発見したこともある。自分としては利口な犬のお手柄みたいでちょっと嫌だっ
たが、命拾いした仲間たちにはそれからしばらく「ゴッド」と呼ばれた。目が見え
なくて耳と鼻が少しいい人生がどういうものか、いいものか悪いものか他人の人生
と比較のしようがないのでオレにはわからない。いいも悪いもオレにはこれしかな
いんだから、満足も不満足もない。もしオレの目が見えていても、きっとそういう
ことだろう。
 ある日大ニュースがあった。オレの目が見えるようになるらしい。医学の輝かし
い進歩だ。両親はオレの手をとって、しばらく泣いていた。オレは生まれつきのこ
とだからあきらめていたのか、もしくはこれはこれで問題もなかったので見えるこ
とを激しく望んだことはなかった。しかしいいニュースに違いない。わくわくもす
る。これを喜ばなければ何を喜ぶべきか、って感じ。入院して手術して成功した。
あっけないほどだった。手術前は「怖くないですよ」とか「痛くないですよ」と吉
田先生や看護師の岡本さんにむしろ脅された。目の中にメスという名の刃物を入れ
るらしい。しかしオレはメスというへんな名前のヤツはおろか自分の目ん玉も見た
ことはないのだ。見たことないもの同士で彼らの言う恐怖をどう組み立てていいの
かも想像もつかない。そんな感じも含めて手術はあっけなく終わった。岡本さんが
言うには、吉田先生は名医で経過は順調だということだった。岡本さんは可愛い声
の人で、ハタチだと言っていた。オレはまだ17だから働いている女の人が年上な
のはしょうがない。体温とか血圧とかでカラダを触られると、正直どきどきした。
包帯というヤツで目の回りはぐるぐる巻きだったが、病院の中を普通にあちこちう
ろうろもできたし、もともと見えないからね、入院生活もイヤな感じじゃなかった。
 そしてメインイベントにしてクライマックス、目の包帯を取る日がやってきた。
オレとしては何が見えるということよりも、見えるという感覚はどういうものなん
だろということでアタマがいっぱいで、でも想像してみたところでわかるわけなく
まあいいか程度の気分でいたが、母親や岡本さんのほうが興奮していることは声の
トーンでわかった。テレビの感動ドキュメンタリ-にありそうな話だ。そのうちオ
レのまわりで、オレが最初に見るべきものは何であるかということが議論が始まり、
オヤジが「やっぱり自分の姿だろう、自分の存在をはっきり自覚できるから」と言
い、なんだよちょっと待てよオレはそもそもここに存在しているではないかという
ことを口にしようとしたが、まわりの連中は一気に納得したみたいでオヤジは満足
げに咳払いをした。
 「じゃあ始めます」とカウントダウンしかねないようなウキウキした声で岡本さ
んがオレの包帯を取った。さあゆっくり目を開けてだいじょうぶだよ」という吉田
先生の声でオレが自分の目で生まれて最初に見たものは、壁にかかった板だ。つる
んとしている。これが鏡というヤツか。ものや人を映すものと聞いたことはあるが
もちろん見るのは初めてだ。そしてつまりその鏡という板にへばりついているヤツ
がオレということになる。これが鼻か。穴はこういうふうに開いていたのか。以前
から目と鼻の位置関係はほぼつかんではいたものの、正確にはこういうふうになっ
ているのか。試しに口を開いてみた。なんだこの肉の色。なるほどそうかこういう
のを色というのだな。その奥は穴だ。こんなところに食べ物を放り込んでいたのか。
食べ物ってのは何なのかね。何だったのかね。固かったり軟らかかったり乾いてい
たり濡れていたり。そう思いながら、オレはガッカリしたし疲れた。オレは自分が
こんなに物体だとは思わなかった。食べ物と同じ物体だ。固かったり軟らかかった
り乾いていたり濡れていたり、何なのかねオレ。オレには想像力しかなかったから、
でも想像力は無限につながっていってオレを飽きさせることはなかったから、自分
は大きいも小さいもなく表わしようもないくらいとてつもないものだと思い込んで
いたけど、目の前のこの物体じゃあなあ。タケシという名前はコイツこの物体につ
けられた名前だ。オレじゃない。それにしても鏡。おまえ何映してんだ?ほんとお
まえつまらねえヤツだな。オレは鏡を叩き割りたい衝動を押さえるように目を閉じ
た。すっごく落ち着いた。

出演者情報:岡田優(劇団海亀の産卵)

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