中山佐知子 2007年3月30日



桜をさがして

                  
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

桜をさがして山を分け入ったら、桜のない里があった。

その里では山から流れ落ちる水が水路となって家々を取りまき
冷たい水にときおり桜の花びらが浮かんだ。

桜もないのに花びらの流れる不思議を尋ねると
この山の奥の奥、人の行かない滝の上に
1本だけ桜の木があるのだと年寄りが言う。
花を流して居所を訴える桜ならば
誰かを待つに違いない。
そう考えるといても立ってもいられず
ろくに足ごしらえもしないまま登りにかかった。

険しい山の中ほどまで来ると
木を切り倒して焼いている人がある。
ここらの里では春になると山に入り
焼き広げた土地を畑にして粟や稗を撒いている。
畑の場所は毎年変わるので山道の景色も違ってきて
ときに迷うこともあるが
水の流れを辿ると必ず滝に出るのだという。

その滝の、原生林を切り裂いてまっさかさまに水が落ちる滝壺には
むかし龍が棲んでいた。
里の人間は龍を恐れて滝に近づくことはなかったが
ある日照りの夏
雨と引き換えに女がひとり、送りこまれた。

龍は女を気に入り、目が離せなくなった。
たまたま霧にまかれて滝に迷いでた里人を見ると
女を連れに来たかと怯え
女が小声で歌うのを聞いても
誰に合図をするのだろうかと胸が騒いだ。
そんな息苦しい日々の中で
龍は次第に気が弱り、龍の心が曇っていった。

この滝壺から出るべきだった。
でも、それならば....
龍は女を滝のてっぺんに連れていき桜の木に変えてしまった。
これでもう、誰も女に近づくことはない。
龍はやっと心を鎮め、地に潜んで行方をくらました。

日が暮れても水の流れは白々と明るく
行くべき方角を示していた。
ざんざんざんとたぎる水音が迫ってくると
髪にも肩にも花びらが降りかかってきた。

桜が龍を呼んでいた。
そして、あの滝壺に出た。

滝壺の上はぽっかり天井が抜けたように空が広がり
中空の月が満開の桜の臈たけた姿を照らしていた。
そうだ、この桜こそむかし自分が置き去りにした女に違いない。
そう気づいたとき
女は、桜は、滝壺に身を乗り出すと
北国の雪のように惜しげもなく花を散らして泣いた。

私は女を抱き取るために一度滝壺に沈み
それから龍の姿になって駆け上がった。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

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一倉宏 2007年3月23日



国語の先生がしてくれた「桜」の話

                      
ストーリー  一倉 宏
出演     山下容莉枝

もうすぐ卒業するみなさん おめでとう
もうすぐ この学校とも先生たちとも
さよならをする日が来ます

そしてその日 校門を出れば あのバス通りの交差点が
みなさんの 最初の別れ道になるでしょう
信号を渡るひと 待つひと 駅へと曲がるひと
どんなに名残惜しくても そこはもう別れの道です

3年前 新入生のみなさんを迎えたのは 
校庭の桜の 花吹雪でしたね
あの桜は 今年みなさんを見送るために
咲き急いでいるかもしれません

最後に贈る言葉として
「桜」の話をしようと考えました

国語の授業のあるときに
日本の古典文学で ただ「花」とあることばは
「桜」のことを指していると 
お話したのを憶えていますか
「花」といえば「桜」 は 暗黙の了解でした

それほど 
日本人は「桜の花を愛してきた」といえます
しかし この「愛する」ということばを
ただの「大好きな気持ち」とは考えないでください

きょうは その話をしたかったのです

日本の昔のひとのつくった詩 歌を読むと
「桜」という花を 単純に「好きだ」ということはなく
むしろ「悔しい」とか「悲しい」「切ない」
という気持ちで 表現しています
「桜の花」は美しいけれど あまりに短い時間で散ってゆく
そのことに「胸を痛める」歌ばかりなのです

先生は これが「愛する」ということばの
ほんとうの意味ではないかと思います

桜の花は 咲いて散るまで わずか数週間
けれど 私たちのいのちだって やはり
限りあるものです

日本人が 桜の花からもらったものは
そんないのちの いま生きている時間の
かけがえのなさ 愛おしさ 
だったのではないでしょうか

もうすぐ卒業式 別れの時
ちいさな翼のはえはじめたその肩を 
桜色のまぶしい風が押すでしょう

そのいのちを 大切に
卒業 おめでとう

出演者情報:山下容莉枝 03-5423-5904 シスカンパニー

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国井美果 2007年3月16日



赤ちゃん警察     
                      

ストーリー 国井美果
出演    西尾まり

西暦20XX(にせんえっくす)年、
政府は、生まれたばかりの赤ちゃんが持つその特別な脳力を、
国家の治安維持に役立てるべく研究を重ね、
桜田門の警視庁本部の地下に「赤ちゃん警察」という極秘の組織を発足していた。

赤ちゃんが、並外れた嗅覚を持っていたり、
双子をひとめで見分けたり、という
以前から分かっていたこと以上につぎつぎと驚愕の能力が判明し、
その能力は難解な事件を解決へと導いていった。

そんな赤ちゃん警察の悩みは、人材確保だった。
赤ちゃんが1歳を過ぎると特別な能力はだんだん消えてしまう。
しかし新人赤ちゃんを採用したくても、出生率の低下のため、
赤ちゃんの存在は貴重なものになっていた。

・・・と、まあそんなことを、平凡な一市民の私が知るはずもなく。
私は、ついさっき、はじめての子を5時間かけて産みおとし、
真夜中の産院のベッドでひとり、ウトウトしていた。
そこへ、その男はやってきた。

「こんばんは」
「はいっ・・・あれ?あなた誰ですか?」
「私は、政府の特命で参りました。こういう者です」

というと、ピンクの手帳を軽く掲げた。
赤ちゃん警察という文字と、桜のマークが見えた。

「突然ですが、あなたの赤ちゃんの能力を、国家の役に立ててください」
男は無表情で言った。私が助産師さんを呼ぼうとすると、
「院長の許可は得ています」
私は、不思議と恐怖はなく、ただ無性に腹がたった。
「どんな任務だか知らないけど、お引き取りください。大声だしますよ」
すると男は、冷たく光る目で「そんなことしたら」と言った。
「国家反逆罪ですよ」
あーあ。たぶんこれ、夢なんだ。
いや、マタニティブルー?それともドッキリ?
にぶい意識の反対側で、フルスピードで考える。
ただ、自分の本能の方が、もっと速かった。

傍にあったケータイやデジカメやペットボトルを
片っ端からその男めがけて投げつけ、
「ざけんなテメエ!」
と、男の目をチョキで突いたところまでは覚えている。
あとはまったく思い出せないが、気がつくと朝のまぶしい光があふれ、
助産師さんが明るく力強い笑顔で部屋に入ってきた。
どうせ誰に言っても、ホルモンの仕業だねえ。
と同情されるだけなので、黙っていた。

あれから、桜が咲くたびに、あのピンクの手帳を思い出す。
あれは何だったのか。あの男は本当にいたのか。
とっくに赤ちゃんじゃなくなったコドモは、10メートル先で飛び跳ねている。

夢だったのかどうか、じきにわかるだろう。
私は、予定日間近のはち切れそうなお腹を撫でながら、
満開のソメイヨシノを見上げた。

*出演者情報 西尾まり  03-5423-5904 シスカンパニー

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麻生哲朗 2007年3月9日



桜のアパート

         
ストーリー 麻生哲朗
出演    マギー

いくつか見せてもらった部屋の中から
一番古くて、一番手狭だったこのアパートを選んだのは
窓の外を眺めていた僕に、不動産屋がつまらなそうに言ったからだ。
「あぁそれですか?桜の木ですよ」
夏の終わりの、蒸し暑い日だった。
僕にはしわくちゃのまま固められたようにしか見えなかった、
二階の部屋の、窓のすぐ外に見える、たった一本の細い木は、
まだ若い、桜の木らしかった。

会社の同僚たちが、遅い引っ越し祝いにかこつけて、大挙して訪れ
缶ビールを空けながら
「もうちょっといいとこがあったろう」とか
「どうも畳がしめっぽいよ」とか、好き勝手に盛り上がる中で
ひとつ年下の、少し前に長かった髪をバサリと切った
今まであまり話しをしたことのなかった女の子が、
窓の外を眺めてぽつりと言った。
「あれ、桜の木ですよね」

それからしばらく、夏が過ぎて、冬が来ても、
僕とその彼女は普通の同僚だった。
「あの桜がそろそろ咲くよ」
会社の中ですれ違った時の
それが僕なりのせいいっぱいの一言だったけれど
彼女がその言葉を待っていたのかどうかは、よくわからなかった。

そのアパートでの始めての春に
窓の外の、一本だけの桜は確かに咲いて
彼女は、4月最初の休日に、ケーキを手に、僕の部屋へやってきた。
僕たちの付き合いは、静かに始まった。

それから何度か、僕たちは桜の季節を一緒に過ごし
満開の時も、葉桜も、ふたりでそれを窓から眺めた。

桜の季節には、桜の話しをして
桜の咲かない季節には、それ以外の話しをした。

僕たちは普通の恋人同士で
僕たちの間にも普通の恋人同士のように、普通に色々なことがあった。

2年前、僕は窓の桜を、思えば初めて、一人で眺めた。
僕たちの付き合いは、終わり方もまた、静かだった気がする。

去年、やっぱり僕は窓の桜を一人で眺めていて
その桜がすっかり散った頃、
彼女が、故郷の誰かと結婚したという話を、人づてに聞いた。

夕方、ガムテープがなくなって買い物に出ると
まだ風は冷たく、春と呼ぶには少し早かったけれど
あと3週間も経てば、また桜は咲き始める。

ひと月前に新しく決めた部屋の窓から、桜の木は見えない。
代わりに、東京タワーの先っぽだけが、雑居ビルの隙間からのぞいている。

荷造りはほとんど終わった。
荷物は思ったより少なかった。
後は明日の朝、業者のトラックが来るのを待つだけだ。
最後にカーテンを外して段ボールに入れた。
むき出しになった窓の外には、あの頃より少し立派になった
まだ咲かない桜の木があって
その、別に毎年、春など待ってはいなかったような素っ気ない姿に、
僕はなんとなく、小さく会釈をした。

*出演者情報:マギー 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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小野田隆雄 2007年3月2日



さくらづくし

            
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳        

サクラという、美しい男性のママの店を出
ると、新宿三丁目の夜は雨だった。桜雨と言
うのだろうか、柔かく絶えまなく降ってくる。
 二~三分小走りに歩き、堀田という小料理
屋に飛び込んだ。ここの美しい女性のおかみ
は、千葉県佐倉市の出身である。佐倉は江戸
時代、堀田家の城下町だった。おかみの名前
は、うららという。
♪「桜の花の咲く頃は、
  うららうらら、みなうららー
  のうららです」(歌詞の部分はうたう)
と、自己紹介してくれたのは、三年前、初め
て行った時である。
「あらあら、ずいぶん濡れちゃって。はい、
 タオル、髪ふいたほうがいいわ」
 私は鹿児島の女子高校を出て上京し、大学
卒業後、神保町の小さな出版社に入った。も
うかれこれ二十年近く働いている。みごとに
うば桜になってしまった。
「これ、おいしく煮えたわよ」
 おかみがそう言って、タコの桜煮を出して
くれた。
「ところで今夜はひとり?葉桜君は?」
 葉桜君は、私と同い年の、まあ恋人である。
なんだかぼーっとしていて、およそ花が無い
ので、いつのまにか、そう呼ばれている。鹿
児島で市内の高校の、文芸部のサークルで知
りあった。なんだか、明治の書生が生き残っ
たような男で、ぬけているが、ひたむきなと
ころが気に入った。いまは、売れないシナリ
オライターをやっている。
 今夜は、サクラで落ち合って、堀田で桜鯛
を食べる約束だったが、二時間待ってもサク
ラに姿を現さなかった。携帯は持たない男で
ある。
「どうしたのかねえ」と、おかみ。
「いいんだ。会えなくても」と、私。
 でも、そう言ったとたん、急に体が寒くな
った。花冷えというのだろうか。クシャミと
一緒に涙も出た。
「大丈夫?あったかい桜粥でも作ろうか」
 おかみのやさしさが、しみてくる。今夜は、
ほかにお客もいない。でも、私は言った。
「もう、さくらはいいよ。ほんとが欲しいよ。
私、帰る」私は、すねていた。
 とまり木から腰をあげたとたん、ドアがけ
たたましくあく音がした。葉桜君が入ってき
た。
「すまん、すまん。
コタツで居眠りしとったもんで」
 きみとの関係、
 サクラチルにしようかなあ。

*出演者情報 久世星佳  03-5423-5904 シスカンパニー所属

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中山佐知子 2007年2月23日



しょくらあと/心と言葉 

                   
ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

               
いまごろ女は石段を数えながら上っているだろう。
注意深く足音を忍んではいるが
こんなに乾いた冬の日はどうしても下駄の音が高くひびいて
ああ、今日も大和路さんが出島に呼ばれていくのだと
あたりの家では噂をするだろう。

丸山の筑後屋が抱える遊女大和路。それが女の名前だった。
もちろん仮の名で本名は知らない。
女は生まれた土地の話もせず、両親の家も語らず
無理に尋ねようとすると
口だけでなく耳も目も閉ざしたようになってしまう。
馴染みをどれほど重ねても
女の心の入り口を探り当てることができなかったので
もう、心も言葉もこの女にはないのだと思うことにした。

心がない女の躰は従順だった。
その冷えた指をあたためようと私の躰のあちこちに置いてみたり
雪原のように凍った胸に手を差し入れてみても何の抵抗も示さず
そのかわり温もりもなかった。
その冷たさはひとり寝の夜にたびたび夢に出ることがあって
目が覚めると使いを出してまた女を呼び
ゆうべ夢の中であれほど踏み荒らした雪原が
再び冷たい静寂にもどっているのを確かめずにはいられなかった。

こうして冬が過ぎようとしていたある日
出航の予定が突然決まった。
私は思いがけず狼狽した。
女は私との日々の痕跡を留めず、他の客に寄り添うだろう。
私がさがせなかった女の心を他の男がさぐり当てることもあるだろう。
凍りついた女の肌を溶かすのはもう私ではなく見知らぬ男だろう。
別れた後の女を想像すると胸が焦げる思いがした。

私は女の従順さに満足していたので
躰がそばにあるときは心を望もうとせず
躰が離れるときになってはじめて女の心が欲しいと思ったのだ。

私は女を呼んでチョコレートを与えた。
 これは「しょくらあと」です。
 「しょくらあと」は誰かの心が欲しいときの贈り物です。
女は長い間じっとうつむいていたけれど
受け取らなかった。
無理に渡そうとすると、全身を固くして拒否の姿勢を示した。
私は言葉を変えた。
 「しょくらあと」は
 私の心をあげたいときの贈り物です。
 
すると女は同じ姿勢のままぽたんと涙を床に落とした。
私は女の心が少しだけ動いたと思い
そのわずかな心のしずくに自分が溶けていく感覚を覚えた。

そうして、日本には
1797年に長崎の丸山の遊女が
チョコレートをもらった記録が残っている。

出演者情報:大川泰樹 03-3478-3780 MMP

 *動画が出来ておらず、すみません。

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