中山佐知子 2012年9月30日

女人禁制について

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

中禅寺湖の女人禁制が解かれたのは明治5年、
西暦にすると1872年になる。
日光を開いた勝道上人という修験者が
男体山の頂上からはじめて中禅寺湖を見下ろしたのが782年。
以来、およそ1100年も女人を拒否してきたのだ。

男体山の頂上から見る1000年前の景色を想像する。
世界の果てが自分を取り巻くような360度の視界。
日が昇ると真っ先に明るくなり
月が沈む最後の光まで眺めていられる。
吐く息も清められ、命が磨かれる心地がしただろう。
1000年の昔、高い山の頂は神々と精霊の聖域だった。
そこへ足を踏み入れたとき、人は人でないものになるのかもしれない。
そして眼下に見下ろす中禅寺湖は、当時は魚も棲まず
冷たい水に自然の色彩を映す一枚の鏡であり
それもまた聖なる姿に思えたのだ。

やがてその孤独なまでに清浄な湖のほとりに寺を建て
修行の場に定めたとき
禁じたのは女人だけでなく、牛と馬も一緒に禁じた。
これは生物として清浄か不浄かの議論以前に
労働力と考えればわかりやすい。
中禅寺湖は標高1200メートルの寒冷地帯で
米も麦もできず、人が住みつくのに適していなかった。
けれどもここに寺を建て修行する人々が集まるならば
その食べものを運ばねばならない。
牛も馬も禁じているのにどうやって?

修験者たちの修行というのは
命のギリギリの芯だけを残して
余分な部分をどんどん削っていくことだったのだ。
牛や馬を禁じることは大量に荷物を運ぶ手段を封印することであり
女人禁制は
お粥を煮る手も、機を織り衣を繕ってくれる手も
ことごとく拒否することを意味している。
あまり知られていないが
魚の棲まない中禅寺湖に魚を放流して食料を確保することも
禁じられていたのだ。

湖の西にブナやニレの林がある。
そこにナデシコの白い小さな花が咲く。
ナデシコには子供の意味がある。
撫でてかわいがりたい子供の意味がある。
女人禁制の湖のほとりにそんな花が咲いてはいけないのだろう。
その白い花にはセンジュガンピというむづかしい名前がついている。

1872年、女人禁制が解かれたと同時に
中禅寺湖には鯉やヒメマスが放流された。
それから人が住みつくようになり
女人禁制が解けて12年後
中禅寺湖畔ではじめての子供が生まれた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

一本の線

一本の線

              ストーリー 渡部芳章(東北芸術工科大学)
                 出演 地曵豪

地図をひらくと、山形県と新潟県にはさまれた
一本の線のような福島県を見つけることができます。

その線は飯豊山の頂へと至る
幅がわずか91センチメートルほどの登山道です。

でも、なぜ?
誰がこんなふうに決めたのだろう。

飯豊山は神の山として、麓の人々に崇められてきました。
山そのものがご神体で、
みんながお参りする飯豊山神社には
山頂に奥宮が、麓には麓宮が置かれています。

ところが、明治のころ、廃藩置県によって飯豊山に境界線が敷かれ
麓の麓宮は福島県に、
山頂の奥宮は新潟県に分けられることになりました。
麓の村の人々は猛反対をしました。
「飯豊山神社は、麓と山頂、ふたつでひとつの神社である」と
訴えたのです。
その訴えは認められました。
奥宮のある頂上とそこに至る登山道、
地図で見ると一本の線のような福島県には
いまもたくさんの登山者がやってきます。

東北を知ろう。東北へ行こう。

飯豊とそばの里山都http://www.town.yamato.fukushima.jp/

福島の旅http://www.tif.ne.jp/

福島県山都町http://www.naf.co.jp/yamato/muni/welcome.stm

日本百名山飯豊山
http://17.pro.tok2.com/~vems/100/019%20iidesan/iidesan.html


*「東北へ行こう」は
自分のとっておきの東北を紹介し、
あなたを東北におさそいする企画です
下のバナーもクリックしてみてください

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

地曵豪くんの映画特集というわけでもないが(収録記 2012.07.21-6)

若松孝二監督の映画特集となると
まあその、地曵豪くんの特集といえないこともなく。

いま下北沢のトリウッドで若松特集が上映されていて
土日は「実録連合赤軍」も上映するんで
おすすめなんです。
26日の日曜16時40分からは監督のトークショーもあるようです。

映画館は涼しいですし、
ちょいと週末の映画いかがでしょうか(なかやま)

トリウッド
http://homepage1.nifty.com/tollywood/commingsoon.html

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

芋煮会

芋煮会
     
         ストーリー 伊藤 薫(東北芸術工科大学)
            出演 地曵豪

山形の秋と言えば、
やはり馬見ヶ崎(まみがさき)川で開催される芋煮会が目玉だろう。
秋の週末はいつも河原で鍋を囲む光景が見られ、
川が一年で最もにぎやかな季節になる。
山形市民の芋煮会に対する執着は相当なもので、
地元に住んでいれば小学校の遠足や部活の打ち上げ、
会社の宴会など、多種多様な目的で芋煮会が開催される。

中でも特筆すべきは山形在住でなくても聞いたことがあるはずの
日本一の芋煮会フェスティバルだ。

毎年9月の第一日曜日に開かれるこのイベントは、
3t の里芋と1,2t の山形牛を贅沢に使い
3万食分の山形風のすきやき芋煮が「同じ鍋で一度に」作られる。

これだけの量を一度に煮る様子をイメージできない人も多いと思うが、
実際の芋煮会を見てもらえると即座に理解して頂けるだろう。
このためだけに作られた専用の巨大芋煮鍋「鍋太郎」は、
なんと直径6m。
人の手では調理が出来ないため、
機械油ではなくサラダ油を潤滑油に使った芋煮専用ショベルカーもある。

山形市民の芋煮愛が具現化したかのような迫力あるこのイベント。
秋に山形にきたなら、
是非、馬見ヶ崎川まで足を運んで頂きたい。

東北へ行こう

日本一の芋煮会フェスティバルhttp://www.y-yeg.jp/imoni/

東北観光博http://www.visitjapan-tohoku.org/

山形十二花月http://www.kankou.yamagata.yamagata.jp/db/

山形県酒造組合http://www.yamagata-sake.or.jp/


*「東北へ行こう」は
自分のとっておきの東北を紹介し、
あなたを東北におさそいする企画です
下のバナーもクリックしてみてください

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

大好き青森

大好き青森

          ストーリー 青山成美(東北芸術工科大学)
             出演 地曵豪

なに?青森?青森なんて田舎だよ!
正直言って夏のねぶた以外は活気無いし、
それ以前に人いないし、
天気いつも良くないし、
雪多いし、
冬が寒いからって夏が涼しいわけでもないから普通に暑いし、
冬寒いせいなのか料理の味付け濃いし、
交通の便悪すぎで車ないとどこにも行けないし、
流行のお店は基本的に無いし
スタバだって最近出来たんだよ。
それに民放も3局しかなくってフジとかテレ東映んないし、
「いいとも」も夕方とかに放送されてるんだよ?
しかも再放送。意味分かんない!
第一方言とか訛りが凄くて何言ってるのか本当に分かんない。
Öえ?そんなに嫌わなくてもって?

ううん、好きだよ、大好き。青森。

東北へ行こう

あおもり案内名人http://www.atca.info/

青森県観光情報http://www.aptinet.jp/index.html

青い森の写真館http://www.aosya.com/


*「東北へ行こう」は
自分のとっておきの東北を紹介し、
あなたを東北におさそいする企画です
下のバナーもクリックしてみてください

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

中山佐知子 2012年7月29日

ひとつめの太陽が沈むころ

              ストーリー 中山佐知子
                 出演 地曵豪

ひとつめの太陽が沈むころ
トラディショナルなマティーニを頼んだ。
バーテンダーは300種類のマティーニをつくり分ける技術を
プログラミングされているが、客はいつも僕ひとりだ。

ふたつめの太陽が沈むころ
出鱈目なマティーニの名前を言ってみた。
アップルマティーニ
りんごサワーの味がするマティーニが出てきた。
それじゃあ、アップルパイマティーニ
こんどはカルバドスの香りのするマティーニだった。
この違いの意味がわからない。
バーテンダーは会話をプログラミングされていないので
説明は一切なしだ。

みっつめの太陽が沈むころ
「ウィンストン・チャーチルのマティーニ」をオーダーした。
すると、即座にジンのストレートがカウンターに置かれ
ベルモットの瓶が右斜め横に並んだ。
150年前の政治家がベルモットを横目で睨みながらジンを飲んだという話は
歴史の時間に学んだことがある。
侵略や革命や戦争が教科書から消えて以来
歴史は過去のファッションやグルメのことになってしまっている。
チャーチルはマティーニを飲む以外に何をやったんだろう。

よっつめの太陽が沈むころ
また出鱈目に「アポロ13号マティーニ」と言ってみた。
出てきたマティーニは粉末ジュースの味がした。
宇宙開発黎明期の初期型飲料が使われているらしかった。
もう二度と頼まないぞ、と思った。

いつつめの太陽が沈むころ
僕はどれだけ飲んだのかわからなくなっていた。
実を言うと、いまいくつめの太陽が沈んでいるのかも定かではなかった。
この星は18個の小さな太陽が出たり入ったりしているので
まぶしい昼も闇に沈む夜もなく、
一日中夕暮れのようにぼんやりとしている。
体内時計はとっくに壊れ、カレンダーも思い出せないが
予約した迎えの船が来るのはまだ何ヶ月も先だということだけは
チケットのタイマーが知らせてくれている。

僕が六つめだと思っている太陽が沈むころ
バーテンダーに時間をたずねたら
黒いオリーブの入ったミッドナイトマティーニをつくってくれた。
僕は今日も何も書くことがない。
お天気さえ最初に「晴れ」と書いたきりだ。
ここでは雨も降らず、風も吹かず、災害もなく季節もない。

この星に入植した開拓者たちは
苦労の末に去ったのではなく、退屈の果てにこの星を捨てたのだ。
彼らのストーリーは三行で終わる。
「ここに来た、ここで暮らした。ここから去った」

すでにいくつめだかわからなくなった太陽が沈むころ
僕はジャーナリストマティーニを飲んでいた。
むかし東京の外国人記者クラブの遺跡から
165本のジンと5本のベルモットの空き瓶が発掘され、
その33対1の比率で混ぜ合わせたドライマティーニを
ジャーナリストマティーニと呼ぶようになったのだ。

ジャーナリストはドラマがあればそれを書けるが
退屈を描くのは不可能だ。
だから僕は一行も書けずに毎日酔っぱらっている。
誰もいなくなった星にひとりで来て
なすすべもなく酔っぱらっている。

僕はジャーナリストマティーニを飲みながら
もし自分が小説家だったら
この退屈を書くことがでるだろうかと考えた。

出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ