ゲンジボタル

「ゲンジボタル」

        ストーリー 田村友洋(ともひろ)
           出演 地曵豪
       
ぼくは宮城県の天然記念物、ゲンジボタル。
生まれは岩手県との県境にある登米市(とめし)。
市の中心を流れる鱒渕川の浅瀬が僕らの町。

梅雨が明ける6月の終わり。
まだ蒸し暑さが残る夕暮れどきから、仕事に出かけます。
人生をかけた仕事、フィアンセ探し。
意中の相手に振り向いてもらえるよう、光で精一杯話しかけます。

実はこの光、地域によって光る周期が変わるのです。
光の方言とでもいいましょうか。
ぼくのいる東日本では4秒に1回、西日本では2秒に1回光ります。
西日本の方がおしゃべりな蛍が多いのかもしれませんね。

川辺に人が集まってきました。
天然記念物になっている僕たちにはサポーターがいて
僕たちが生きやすい環境を守ってくれています。
観光客がイタズラをしないようにパトロールをするのも
サポーターの皆さんです。
毎晩のように僕たちの数をかぞえ、全国に発信してくれます。
そして僕らにとってはプロポーズを見守ってくれる証人でもあります。

百数十匹の仲間たちが一斉に飛び始めました。
川面や茂みの上をふわりと光の曲線を描いています。
ぼくもゆっくりしていられません。
期限はおよそ1週間。
好みの蛍に出会えますように。

東北へ行こう。


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自分のとっておきの東北を紹介し、あなたを東北におさそいする企画です
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中山佐知子 2010年7月25日



夜鴉

ストーリー 中山佐知子
出演 大川泰樹

夜鴉はゴイサギだということを僕は図鑑で知った。
祖母のいる田舎の家で蛍を追っていると
暗闇の向こうで奇妙な声が聞こえることがあった。
祖母はそれを夜鴉という鳥だと僕に教え
僕はその不吉な名前におびえた。

夜鴉はゴイサギだ。
知ってしまえば怖がる理由もないと父は言って
僕に鳥の図鑑をくれた。

僕はその年の夏休みのほとんどを祖母の家で暮らしていた。
父は仕事で忙しかったし
母はなめらかな皮膚と黒い髪を持っていたけれど
この星の人ではなく
あきらかに去年より凶暴だった。

小学校の学年が上がるに連れて母は僕を攻撃するようになっていた。
学校で国語や理科の時間を終えて
放課後に鉄棒を3回ほどまわって家に帰ると
水を一杯飲まないうちに母の手が僕をつかんだ。
頭を撫でるかわりに髪をひっぱり
抱き寄せるかわりに突き飛ばし、平手で打った。
理不尽な言葉を吐き出しては投げつけてきた。

僕は母に打たれる原因がどうしてもわからなかった。
どんな僕になったら母の攻撃が止むのかがわからなかった。
母の暴力は日課になり、僕を痛めつけた。
母は僕の敵だった。
敵だと思うことで、僕は自分を強くしていられた。

それでももしかしたら、と僕は考えたことがある。
母の生まれた星ではこうして子供をかわいがるのかもしれない。
それから、あわててそんな考えをやめた。
敵の事情を知ることは自分を弱くすることになる。
宇宙人の図鑑がどこにもなくてよかった。

僕が小学生だったその年の夏
さらさらと流れる川の音を伴奏に
朝は鳥が鳴き、昼間は虫の声が聞こえ
夜は蛍が飛ぶ単純な時間の区切りのなかで
僕は久しぶりに子供らしい日々を過ごしていた。
電話さえ滅多に鳴ることがなかった。

そこに父が来た。
父は、母が星に帰ることになったと僕に言った。
数日後、母が来た。
母は僕の知らない人たちと一緒に来て
僕を見るなり飛びかかろうとした。
それからむりやりクルマに乗せられて
おおんおおんという奇妙な鳴き声をあげながら去って行った。

その晩、僕が蛍を見に行くと田圃に夜鴉がいた。
図鑑によると夜鴉はゴイサギで、
ゴイサギは灰色の翼をたたんで田圃の杭に止まっていた。
近づいても逃げようとせず、片方の目で僕を長い間にらみ
それから、勝ち誇った声で一度だけ鳴くと
バサバサと大きな羽音を残して暗い空に飛んだ。

ゴイサギはやっぱり夜鴉だと僕は思った。
図鑑でどれだけ知識を得ても
どんな名前で呼んでも夜鴉はやっぱり夜鴉で
夜鴉の目は最後に母を見た僕の目に似ている気がした。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/  03-3478-3780 MMP

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神谷幸之助 2010年7月18日

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ぶ~ん

ストーリー 神谷幸之助
出演  坂東工

あー、ハエがうざい。

ここ、ニュージーランドでは
毎日、大量のハエとの闘いだ。
こっちのジョークに
「口を開けてるとハエが入るから、食事中は口を閉じなさい」
なんてのがあるくらい。

だからといっても
きょうは異常に多すぎる。
これも温暖化のせいなのかなあ。

ハエで思い出したけれど
きのう見た
「ヒカリキノコバエ」の赤ちゃん、きれいだったなあ。
ヒカリキノコバエの幼虫は真っ暗な洞窟の天井に住んでいる。

そして、カラダから粘液を出すんだ。
粘液は長いものでは30cm以上も、たらーりと下にたらす。
その粘液が暗闇で、ポアアって青白く光る。
それは洞窟の中に銀河ができたような、幻想的な宇宙。
この粘液の正体は、
日本の蛍の発光成分とおなじ。
日本人は、ヒカリキノコバエを通称「土ホタル」って呼ぶ。

だけどその美しい光は、おそろしい罠なんだ。

光にうっとりした虫をおびき寄せ、粘液でとらえ
身動きできなくして、ポリポリ食べるんだ。
成虫になるまで半年から一年もかかる。
そして、

成虫には、なんと「口」がない。

口そのものを持っていない。

ひたすら交尾をし、産卵を終え、
エネルギーを使い果たし、数日間の短い一生を終える。
ただ生まれて子孫を残すだけのシンプルな生きもの・・・。

あー、しかしこのハエの多さは気が狂いそうだ。
うわーって叫びたいけれど声が、・・出ない。

声が・・・出ない?
NA:
「ここからふたつのエンディングをお楽しみください。
 まず、エンディング/タイプAをどうぞ」

声が出ない?

そうか出せないはずだ。
このたくさんのハエは、
ぼくという「死体」に、たかっていたんだ。
ぼくはいつどうやって死んだんだろう。
ま、いまさらどうでもいいか。

そんなことより
あー、ハエがむかつく。
ぼくを食べるな。

NA:
「次のエンディング/タイプBをお楽しみください。」

声が出ない?

声がでなくてあたりまえ。
だって
ぼくはヒカリキノコバエの成虫。
もともと「口」というものがないんだ。
だいじょうぶ。
口がないから、人にはかみつけない。

そんなことより
交尾して一生を楽しまなくちゃ。

それ、交尾、交尾♪

出演者情報:坂東工 http://blog.livedoor.jp/bandomusha/

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動画制作:庄司輝秋


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小野田隆雄 2010年7月11日

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ホタルブクロ

 
ストーリー 小野田隆雄
出演  久世星佳

 「いらっしゃいませ。
 まあまあ、みなさん、
 ずいぶんお濡れになって。
 まだ、梅雨明(つゆあ)けにならないのかしら。
 はいはい、とりあえずのビールですね」

三軒茶屋にある「小町(こまち)」という名前の
小さなスナックのママが、
ゆっくりビールを注(つ)いでくれた。

それは七月上旬の夕暮で、
私たち仕事仲間が、おけいこの帰りに
いつものように顔を出した。
「小町」は古くからあるお店で
ママも、かなりの年齢である。
和服姿がよく似合う。
カウンターには季節ごとの
野に咲く花がいけてある。
その日は、竹の花瓶(かびん)に
ほそ長い釣鐘(つりがね)の形をした
うすむらさきの花が
ひっそりと、咲いていた。

「この花の名前は、
ホタルブクロといいます。
この釣鐘型(つりがねがた)の花の中に、
ホタルを入れましてね、
薄紙で蓋をして、
昔、子供たちが遊びました。
それで、ホタルブクロなんです。
私は、多摩川の上流にある
五日市(いつかいち)という町で、
少女の頃まで育ちました。
あの頃、昭和十年代の初め頃は、
まだまだ、自然がいっぱい
残っていました。私の家の近所に
私をかわいがってくれる
お姉さんがおりました。
いまで言えば、中学校の三年生、
くらいだったのだと思います。背の高い
美しいひとでした。
そのひとが、私を、ホタル狩りに
連れていってくれたのです」

そこまで話すと、ママは私たちのために、
ケンタッキーバーボンの、
ハイボールをつくってくれた。
それからレコードをかけた。
この店にCDはない。クラッシックな
ジャズが流れ始めた。
そして、ママもゆっくり話し始めた。

「暗い田んぼ道を、お姉さんと、
多摩川に注(そそ)ぐ小さな川の川岸(かわぎし)まで
ホタル狩りに行くのですが、
ときおり、大きな赤くひかるホタルが、
二匹、並んでひかっているのです。
これはね、カエルを追いかける
ヘビの眼なのです。
それがすーっと近づいてきたりして、
ほんとうにもう、びっくりします。
それから、捕ってきたホタルを
ホタルブクロの花に入れましてね。
ふたりで蚊帳を吊って、その中に入り、
電燈も消して、息をひそめて、その花を
見つめるのです。すると、
ふたりの呼吸のように、ホタルブクロが、
ひかったり、消えたり、ひかったり、
消えたり。こわくなるほど、きれいでした。
それから、しばらく、遊んだあとに、
ふたりで庭に出ましてね、しっとりと
夜露に濡れた草の上に、ホタルを全部
逃がしてやるのです。その理由(わけ)を
お姉さんが話してくれました。
『ホタルはね、ときおり、
 死んでしまった恋人の魂になって
 生きている恋人の所に、
 飛んできてくれるんだって。
 だから、大切にしないとね』」

そこまで話すと、ママは自分用に
ハイボールをつくり、そのグラスを
「カンパイ」という感じに差し出し、
ホタルブクロの花に、ちょっと触れた。
それを見ていて、私は、ふと、思った。
あの後(あと)、お姉さんはどうしたのだろう、と。
なんとなく、ホタルの灯(ともしび)のような、
恋の匂いがしたように思った。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5904シスカンパニー 所属

shoji.jpg  
動画制作:庄司輝秋


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一倉宏 2010年7月4日



蛍の想い

ストーリー 一倉宏
出演 春海四方

1945年 戦争の終わる夏
日本の各地には たくさんの蛍が飛んだ
たくさんの たくさんの たくさんの蛍が
せめてそうやって ひそかに故郷に帰りたいと願った
若者たちがいたことを 私たちは知っている

その頃は東京にだって
山手線の外側には まだ田んぼがあり小川があった
蛍たちは 水を飲んで渇きを癒し そして切なく光った
玉川上水の近くに住んでいたおばあさんは
その夜をきのうのことのように 憶えている

1960年代 オリンピックがあり 高度成長がはじまる
それでもまだ 蛍たちはいた
全国いたるところの里山に 田園に たしかにいた

やがて 川の水は汚れ
東京の用水や上水は ことごとくコンクリートの蓋をされた
だから 蛍たちは姿を消したのだという
誰もが そう信じている
だけど そうだろうか? ほんとうに?

蓋をされない玉川上水を いまも散歩するおばあさんはいう
「みんな 戦争のことを忘れたからだ」と
「戦争のことを 思い出さなくなったからだ」と
戦争で死んだ 若く 寡黙な 無念な 若者たちのことを

1960年代には まだ 戦争は語られた
思い出された若者たちの数だけ 蛍は飛んだ
くりかえし語られて 夏の闇に蛍は光った
そうじゃなかったろうか?
70年代 80年代と 戦争が語られなくなるたびに
あの蛍たちは どこかに消えたのではなかったろうか?

2010年のいま
どうしてあの戦争は 語られなくなったのだろう
どうして蛍たちは こんなに少なくなってしまったのだろう
このままだと 絶滅してしまうかもしれない
あの蛍たちは
あの若者たちの 痛恨の思い出は

それでも 東京のあちこちで
今年の夏も「ホタル観賞の夕べ」が開かれるだろう
一生懸命に 限られたわずかな環境を整え 飼育された蛍たち
私も数年前 近くの公園でそれを見た
二晩だけの限定の催し 長い列に並んで1時間待ち
7つほどの舞う光を たしかに見た
その夜 7つだけ 若者たちの魂の残光を見た
何万 何十万のうちの たった7つだけ

そして いつの日か
20XX年の日本に たくさんのたくさんの蛍の飛ぶ日が
ふたたびやってくることは あるのだろうか

私たちはそれほど 賢いだろうか?
あるいは それほど 愚かだろうか?

忘れないでください
源氏 平家の昔から 戦争で死ぬ若者たちの残した想いが
この世の蛍となることを

出演者情報:春海四方 03-5423-5904 シスカンパニー所属

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2010年7月(ホタル)

7月4日 一倉宏 & 春海四方
7月11日 小野田隆雄 & 久世星佳
7月18日 神谷幸之助 & 坂東工
7月25日 中山佐知子 & 大川泰樹

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