中山佐知子 2021年10月24日「又三郎」

又三郎

       ストーリー 中山佐知子
           出演 地曵豪

村から子供をひとり連れて来いと言われたので
ガラスのマントと靴を脱いで
三郎は新学期の山の学校に転校生としてやってきました。
お父さんは鉱山技師という触れ込みでした。
鉱山技師なら鉱脈を探して日本中をあっちへこっちへと渡り歩き
短い滞在を繰り返しても不思議ではありません。

一年生から六年生までの子供の中で
三郎が目をつけたのは同じ五年生の嘉助でした。
嘉助は人がよく、いつも好奇心でいっぱいの子供だったので
新しい境遇をすぐに受け入れそうな気がしたのです。
つまり、ガラスのマントと靴をもらって
自分と同じ風の子供になっても
嘉助なら「こりゃなんだべ」と言いながら
うれしがってくれるんじゃないかと思ったのでした。

チャンスはすぐにやってきました。
山育ちの子供らでもハアハア息を切らす山道をどんどん登って
男の子が五人、上の野原の草刈り場へ行きました。
放牧されている馬を追って遊ぼうと言ったのは三郎でした。
子供たちに追われて一頭の馬が柵を飛び出して
遠くへ駆け去ってしまい、
嘉助と三郎は馬を追って草の中を走りに走りました。

三郎とはぐれ、息を切らした嘉助がとうとう草の中に倒れたとき
空はぐるぐるまわり、雲はカンカンと音を立てていました。
冷たい風が吹いて、霧が出て
それから嘉助はススキのざわめく向こうに
聞いたこともない大きな深い谷が口を開けているのを見ました。
もしこの谷へ降りたら、と嘉助は思いました。
馬も自分も死ぬばかりだ。
それから自分たちを捜す声を聞きました。

もとの上の野原にもどると
嘉助の爺ちゃんが団子を焼いていました。
爺ちゃんは子供たちを叱りもせず、
よかったよかったと何度も言いながら
団子をたんと食べさせてくれました。
爺ちゃんは嘉助が異界の入り口まで誘いこまれ、
それでも無事に戻ってきたことを知っていたのでしょう。

嘉助を守ったのは山の暮らしの知恵であり、
この村の人々に共通する
あたたかく思いやり深い生きかたでした。
共同体に守られた子供は
又三郎のような異分子にはなれないのです。

三郎のチャンスはもう一度ありました。
谷川の水の中で鬼ごっこをしたときのことです。
三郎は嘉助の手をつかんで水の中に引きずり込もうとしましたが、
すでに嘉助を狙うことにあまり熱心でなくなっていたせいか
嘉助はゴボゴボとむせただけで、
それをきっかけに小さい子も大きい子も
みんな川から上がってしまいました。

それから天地がひっくり返るような夕立になりました。
風もひゅうひゅう吹きました。

三郎が学校に来てから十二日めの月曜日、
ゆうべから吹き荒れている風と雨の中を
従兄弟の一郎と学校へ行った嘉助は
三郎が転校して遠くへ行ったことを先生から知らされます。

日本列島の東、山から冷たい風が吹き下ろす地域では
その風を三郎、或いは又三郎と呼ぶそうです。
ひとりで帰っていった又三郎、
またどこかの転校生になっているでしょうか。



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川野康之 2021年3月14日「道」

       ストーリー 川野康之
          出演 地曳豪

最初に「旅」をしたのはいつだったろうか。
その朝、僕が寝坊をして起きてくると、
兄はもうキッチンで朝食を食べていた。
手に持った小さな白い紙を真剣な顔をして読んでいた。
兄が急に大人っぽくなったように見えた。
「今日から旅を始めるよ」
と、僕を見ると言った。
「わかってる」
自分が緊張してくるのがわかった。
兄は時計を見て、
「時間だ」
と言って立ち上がった。
兄が出発した後、僕はキッチンに一人で座った。
時は少しずつ、過ぎていく。
鞄が置き忘れてあった。
その横には兄が読んでいた白い紙も。

問題
兄は毎分50メートルの速さで歩いて学校に向かいました。
兄が忘れ物をしたのに気づき、弟が5分後に走って追いかけました。
何分後に追いつけるでしょうか。
弟が走る速さは時速6kmとします。

家を出て5分後に、僕は兄に追いついた。
「忘れ物だよ」
手渡した鞄を受け取ると、兄はほっとしたように笑った。
二人ともなんだか照れくさくてあたりをキョロキョロ見回したりした。

それから僕たちは、いくつもの「旅」をした。
学校と家との間を何度も往復した。
だんだん慣れてくると、行動半径が広がった。
ある時は学校の帰りに図書館に寄って本を借りたり、
ある時は公園の池のまわりを歩いたりした。
兄も僕も、いつも正確なペースで歩くことができた。
僕たちは決められた時間に正確に出会い、追いつき、そして追い越された。
こういうことを旅と呼んでもいいのだろうか、と僕は兄に尋ねたことがある。
「いいんだよ。昔からこれは旅人算と呼ばれているんだ」
「なんで旅人なの?」
「わからない。でもそういう風に呼ばれているんだ」

一度、僕は「旅」の途中で子犬を見つけて、道草をして遊んだことがあった。
風が吹いてきて、子犬の柔らかい毛をふわふわと運んで行く。
気がつくと時間を忘れていた。
土手沿いの道をあわてて走った。
兄は、僕と出会うはずだった公園の入り口で、一人で待っていた。
足もとに白い紙が落ちていた。

それから兄はときどき僕を誘わずに、一人で「旅」に出かけるようになった。
他の人と「旅」をしていたようだ。
兄が忘れて行った紙を僕はちらっと見たことがある。

みちるさんは10km離れた隣町に住んでいます。
みちるさんは兄に会うために時速3kmで歩き始めました。
兄はみちるさんの町に向かって自転車で出発しました。

その頃から僕も一人で旅をしたいと思うようになった。
括弧付きの「旅」ではなく、ほんとうの旅を。

ボートハウスの前で兄は待っていた。
手にした白い紙を見つめて何か考え事をしているようだった。
池の水に朝の光が反射して、兄の顔の上で揺れた。
彼は顔を上げ、まぶしそうな目で僕を見た。
僕たちは背中合わせに立った。
道にライラックの花が咲いていた。
兄は僕に紙を手渡した。
「さあ、歩こう」
池を一周する道を僕たちは正反対の向きに歩き始めた。

問題
ある池のまわりを、兄は時計方向に、弟は反時計方向に同時に歩き始めた。
1分間に兄は50メートル、弟は30メートル歩くとすると、
二人が出会うのは何分後か。
ただし池のまわりの長さは・・・

そこまで読んで、僕は紙をくしゃくしゃに丸めてポケットにつっこんだ。
池の周囲は1.2kmだ。
何度も歩いたから知っている。
僕たちは15分後に出会うだろう。
しかし、僕はわかっていた。
もう兄と僕が出会うことはないだろう。
その前に僕はこの道を外れ、遠くに向かって歩き出すのだ。
池の向こうを彼が歩いているのが小さく見えた。
その姿がどんどん遠ざかって行って、
ライラックの茂みに隠れて見えなくなった。



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直川隆久 2021年2月21日「レインボーマン」

レインボーマン

          ストーリー 直川隆久
             出演 地曳豪

バイト先の居酒屋が閉店することになり、
従業員同士でお別れ会が開かれることになった。
チェーンのほかの店舗に移るメンバーもいたが、
だいたいの人間は明日からまたバイト先探しを始めなければならない。
そんなどんよりした会が一時間ほど進んだ頃だ。
最後の責任を果たすつもりか、チーフのカミヨシが
「よし、こうなったら、みんなで一発芸でしょ」と
余計な音頭をとった。
半沢直樹ネタとあまちゃんネタで
たいがいのメンバーがお茶をにごしたあと、
順番がタシロに回って来た。

タシロ。
バイト仲間でもいちばん、「体が動かない」と評判のタシロ。
しまった、タシロがいること忘れて出し物披露なんて始めてしまった、
と周囲に罪悪感をいだかせるほどのタシロ。
ホールを2時間でクビになり、
その後半年はひたすら皿を洗っていたタシロ。
会場の舞台にひきずりだされたタシロは、
聞きとりにくい声で、
手品をします。
と言った。
《え?あいつ、手品って言った?》
《タシロが?》
無言の声が一斉に上がる。
そんな周囲の不安をよそに、タシロが右の手のひらを前につきだし、
次にそれをぐっとにぎりしめた。
そして、ぱっとひらくと…
手のひらの上に、緑や赤の光が見える。
…虹?
え?なに?
なにやってんの?
皆がざわつく。
いや、あの、手の上の虹、という手品でして。
とタシロが申し訳なさそうに言う。
ちょっとライトが強いと見にくいんですが。
きょとんとした周囲の反応も意に介さずという感じで、
タシロは席にもどった。
さっきのざわめきはたぶん、
タシロがバイトを始めてから周囲に起こした波風の中で
一番大きかったと思う。
だけど、体育会系のバイトメンバーが
自分のブリーフを引き裂くという芸をやりはじめた瞬間、
もう誰もタシロのしたことを覚えていなかった。

帰る人間がちらほら出ると、
歯抜けになった会場はいくつかのグループに集まっていった。
タシロは、一人ぽつんとアイスクリームか何かを食べている。
わたしは、思い切って近づいてみた。
あの、さっきの虹なんだけど。
と声をかけると、タシロは、あ?という顔でわたしを見る。
あれ、もいっぺん見せてくれない?
タシロは、特にもったいをつけるでもなく、
手のひらをにぎり、ひらいた。
確かに、手のひらの上に、小さい虹がかかっている。
これ、どうやってんの?
わかんない。
わかんない?
わかんないんだ。
わかんないことないでしょ、手品なんだったら。
いや、手品じゃないんだ。
タシロがいうのには、この虹は本物で、
小学校くらいから「でる」ようになったそうだ。
でも、どういう仕組みなのかは本人にもわからないらしい。
ただ、緊張するとでやすいらしい。汗が関係してるんだろうか。

なんで手品なんて嘘つくの。
いや、どうせ、信じてもらえないし。説明すんの面倒だし。
人に見せるの久しぶりなの?
うん。まあ、こういう日だから。
みんなにも見る権利あるかなって。
タシロとしては「見せてやった」という意識だったらしい。少し驚く。
ねえ、その虹、さわるとどうなんの?
触ってみたら、とタシロは言って、
もう一度手のひらを握って、開いた。
また、虹。
その上に手をおいてみた。
虹は消えた。
かわりに、タシロのじっとりした手の平の感触がぶつかってきた。
思わず手をひっこめてしまう。
ひっこめながら、やばい、と思った。
さすがに、ちょっと悪いことした気がして、
ごめん、と言いかけてタシロの方を見る。
わたしをじっと見て、タシロは一言言った。
なんでもないよ。別に。
タシロは、それ以上なにも言わず、
会費の2500円をテーブルに置くと、
立ち上がり、そのまま出て行った。
わたし以外、誰もタシロが出て行ったことに気づかなかった。



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公庄仁 2020年12月13日「娘の手帳」

娘の手帳

ストーリー 公庄仁
     出演 地曳豪

12月になると、つい手帳を見返してしまう。
どの月も、打ち合わせやプレゼンの予定ばかり並ぶ、
特におもしろくもない手帳だが、
数年前から、僕の知らぬ間に、
娘が書いた落書きが残っており、
それを発見するのが楽しい。

ある年の手帳は、ちょうど娘が
文字を覚え出した頃のようで、
まさに釘が折れ曲がったような文字で、
「パパ」
と書いてあるのが読めて、
なんとも愛らしかった。

「パパだいすき」
とでも書いてくれたのだろうかと思い、
じーんとしながら、一文字一文字ゆっくり解読すると、
「パ パ お な ら く さ い」
と書いてあることが判明し、
声を出して笑ってしまった。

いま僕は、家庭の事情で
子どもと離れて暮らしている。
僕は東京、娘は北近畿の小さな山間(やまあい)の町。
新幹線をつかっても、片道5時間。
距離にして500キロ以上はあるだろうか。
子どもにとっては途方もなく遠い距離だ。

あるとき、僕は有給を取り、
娘の小学校へのお迎えに、
サプライズで登場した。
さぞ喜ぶだろうと思ったら、
「なんでパパが来たん?」と、
もう一丁前に覚えた関西弁で、
さらりと答えた。
ずいぶん大人になったものだ。
そういえば、少し背が伸びたように感じた。
友達や先生にバイバイをして、
二人で歩き出すと、
娘は「なんでパパが来たん?」と
もう一度言い、
今度は顔をくしゃくしゃにして、
喜ぶどころか泣き出してしまった。

季節が何度か変わり、
久しぶりに奥さんと娘が東京にやってきた。
楽しく過ごしたが、やはり時間はあっという間に過ぎ、
またすぐに離れる時間がやってくる。

東京駅までタクシーで向かう間、
後部座席では娘が、「ひひひ」と笑いながら、
手帳に何かを書いていた。
見ようとすると、
「ぜったい見たらあかんで!」と
また関西弁で言った。
どうせまた「おなら」だのなんだのと
書いてあるに決まっている。

駅のホームから、西へ向かう新幹線を見送った。
窓越しに、娘は見えなくなるまで、
ずーっと手を振っていた。
とっくに新幹線がいなくなった線路を、
僕はぼんやり見ていた。
また一人になってしまった、と思った。
アラフォーおじさんとはいえ、
久しぶりの一人はやっぱり寂しい。

湿っぽくなるのが嫌で、
さて仕事でもするか、と手帳を開く。
ページをめくると、
「おなら」ではなく、
「パパだいすき」でもなく、
「パパがんばれ」と書いてあった。

寂しさにくしゃくしゃ泣いていた子が、
相手の寂しさを心配できるように
なったのだなあと、感心した。

いつの間にか、文字はすっかり
上手になっていた。



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直川隆久 2020年11月22日「ベンチで笑う人」

ベンチで笑うひと

         ストーリー 直川隆久
          出演 地曳豪

真っ白に塗られた顔。真っ赤な口紅。口紅と同じ色の、赤い髪。
彼は、国道沿いのファーストフードチェーンの店先におかれたベンチ、
その中央にゆったりと身をくつろげ、背もたれに腕をかけている。
夏も、冬も。
晴れた日も、雨の日も。
彼は、その色褪せたベンチに座って、じっと笑っている。

その人形…いや、彼は、いつからここに座っているんだろうか。
10年前。いや、20年前からか。
「おいでよ。一緒に写真を撮ろう」とさそいかけるように、
こちらに笑顔をむけ続けている。
たしかに、隣に座れば、
彼に肩を抱かれているように見える写真が撮れるのだろう。
だが、彼の両側はいつも空席のままだ。

昔は、そのチェーンのマスコットとして、
コマ―シャルにもでていて、「人気者」というキャラ設定だったそうだ。
正直、それが納得できない。
彼の、ピエロを模した風貌。
はっきり言って…怖すぎないか?
江戸川乱歩の「地獄の道化師」からスティーブン・キングの「IT」まで、
ピエロは現代においてはむしろ恐怖のアイコンのはずだ。

ベンチに座っている「彼」を見ていると…
脚を不意に組み替えるのではないか、
腕を背もたれから離すのじゃないか…
そんな妄想がうかんで、皮膚の下をなにか冷たいものが走る気がする。
そして、そういう目で見ると、その口を真っ赤に濡らしているものは、
口紅でも、ケチャップでもないもののように見えてくるのだ。

きょう、最終バスを逃した。
タクシー乗り場で待ったが、いつまでたってもクルマはこない。
家まで歩けば30分ほどだが—-ひとつ、問題がある。
家に戻るには、あのファーストフードの店の前を通らなければいけない。
だがこの時間、店は閉まっており、灯りは消えているはずだ。
つまり、暗闇の中「彼」の前を…微笑む「彼」の前を、通らなくてはならない。
それは、どうにか避けたかった。
だが、クルマはこない。
さらに30分待ったところでわたしはあきらめ、家に向かって歩き出した。

駅前の閑散とした商店街をぬけ、橋をわたって区をまたぎ、国道に出る。
しばらく歩くと、右前方にあの店の看板のシルエットが見える。
近づく。
看板も、店内も、すべての電灯が落とされている。
わたしは、視界の右端にその店を感じながら、なるべく前だけを見て歩く。
店の前を通り過ぎる。
そのとき、わたしの目が反射的に…普段とちがうなにかを感じとって、
店のほうを見やった。
視線の先にはベンチがある。
いつもの、あのベンチだ。
だが…なにかがちがう。
そうだ。
「彼」がいないのだ。
誰も座っていないベンチが、そこにある。

どこへ行ったのだ。
…歩いていったのか?
まさか。
おそらく撤去されたのだ。
長年の雨ざらしで、傷んでいたのだろう。

そのとき…足音がきこえてくる。
店の前の駐車場のほうから、
とっと、とん。
とっと、とん。
…と、軽やかなステップの音。
タップダンスを踏むような。
わたしは、視線を、その足音の方向からそらすことができない。
駐車場に植えられた樹の陰からその音は聞こえてくるようだ。
そして、一本の樹の裏から、にゅ、と、赤い靴が飛び出た。

靴は、はずむような動きで、樹の裏に引っ込んだり、また出てきたりを繰り返す。
そして、不意に「彼」が現れた。
黄色と白のしましまの服。真っ赤な紙。真っ白な顔。真っ赤な唇。
笑っている。
笑っている。
アニメキャラのようなリズミカルさで、上下に体をはずませながら、歩く。
ウキウキ!
ワクワク!
という擬音語の書き文字が横に書いてあるようだ。

声をあげることができない。
彼は、ベンチまですすむと、その真ん中にすとんと腰を下ろす。
そして、ぴょこりと素早い動きで脚を組む。満足そうな笑みを浮かべ、
言葉を発しない手品師がよくやるような、思わせぶりな仕草でわたしに手招きをする。
自分の左側の場所を手でたたく。「ここへお座り」と言っているようだ。
逃げられず…わたしは、彼の隣に腰をおろす。
シャツの中を、冷たい汗が何筋か流れ落ちる。
彼は、手の中の何かを別の手の指で触るような仕草をする。
わたしがスマホを出すと、にやにやと笑いながら、
わたしと、スマホと、自分を交互に指さす。
写真を撮れ、といっているのだ。
彼の顔が、こちらに近づき、その腕が、わたしの肩に回された。
とても冷たい。
スマホをかざし、わたしと彼をフレームに収める。
なぜか、魚のような生臭いにおいが一瞬漂った。

彼は、スマホで撮られた自分とわたしの姿を見ると、声をたてず大笑いをし、
ぴょんとベンチの上に飛び乗った。
その足は陽気な仕草でステップを踏み、その口は何かの唄を唄っているように、
パクパクと音もなく動いた。
そして、ベンチを飛び降りると、踊るような足取りで、駐車場へと向かっていく。
とっと、とん。
とっと、とん。
ととっと、とん、とん。
ぴたりと足がとまる。
彼は振り向いて、こちらに手をふると…
おどけた仕草で木立の中へ消えていった。
わたしは、全身の力が抜け、気が遠くなり―――

翌朝、目をさました私は、ベンチに座っていた。
あのまま気を失って、朝までこうしていたらしい。
不自然な姿勢で長時間いたせいか、体が痛い。
のびをしようとする…が、体が動かない。
自分の体なのに、まったく自分の意志が通じない。
わたしは、自分の体の状態をスキャンした。
どうやら今わたしは…腕をベンチの背もたれにかけ、脚を組んでいる。

ドライブスルーにスピードを緩めて入ってくる一台のクルマが見えた。
そのクルマのフロントガラスに映ったのは、
ベンチに座った、ピエロの顔をした男。
白と黄色のしま模様の服。真っ赤な髪。真っ白な顔。真っ赤な唇。

なんということだ。
わたしは…「彼」になってしまった。

長きにわたってこのベンチという牢獄に捕らえれてきた「彼」は、
夕べ、私という後釜をみつけ…晴れて自由の身となったのだ。かわりに、
わたしを、このベンチに、身動きできない状態で残して。
傍らには、わたしのスマホが残されていた。
だが、それを手にとることは、もうわたしにはできない。

以来、わたしは、このベンチに座り続けている。
雨の日も。晴れた日も。
春も。夏も。秋も。そして冬も。
道行く人にこう、誘いかけ続けているのだ。

さあ、おいでよ。
一緒に写真を撮ろう。
一緒に写真を――



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中山佐知子 2020年10月25日「石蕗」

石蕗(ツワブキ)

   ストーリー 中山佐知子
      出演 地曵豪

「とくさ」という駅から歩いて
山をひとつ越えたところが津和野だった。
どれだけ歩いたのかはわからない。
いま鉄道の路線で見ても十二、三キロほどあるから
山道を歩くとなると、さあな…と言って祖父は首を傾げる。

これは祖父が若かったころの話だ。

津和野を見下ろす山から坂道を下っていくと
町の入り口あたりに茶店があった。
開け放ってある入り口から中に入ると
まだあどけないくらい若い娘がひとりで店番をしながら
長い野菜のようなものを刻んでいた。
お昼はとうに過ぎて腹を減らしていた祖父は迷わず中に入り
飯を頼んだら、名物の蕗飯と切り干し大根の汁と蕗の佃煮がでた。
津和野とは石蕗の野と言う意味で、
山や野原の日当たりのいい場所には石蕗が群生している。
アクが強く手間はかかるが
蕗飯と佃煮はあたりの名物だった。

その蕗飯をあっという間に一膳平らげ。
おかわりを運んできた娘にひとりかと尋ねたところ、
娘は多少の身の上話をし、
三月前に亡くなった父親の百か日が過ぎたら
奉公先を探すつもりだと答えたそうだ。

祖父はその晩、友人が紹介してくれた家に泊まり
いろいろおもてなしにあずかったが、
昼間食べた蕗飯が頭から離れず
翌朝、益田まで歩いて列車に乗る前に
娘の茶店へ行き、また蕗飯を食べながら少し話をした。

東京に帰ってしばらくすると娘が本当に訪ねてきた。
祖父の母は娘を見るなり
おばあさまにお願いしましょうと言って
娘を祖父の祖母に預けた。
祖父の祖母はむかしお旗本に行儀見習いに上がっていたという
しっかりもので、
女ひととおりの教養を身につけているかわりに
たいへん厳しい人だったが、条件付きで娘を引き取った。
条件というのは、祖父と娘が会うのを禁じるというものだった。

会うのを禁じられても、行けば娘がお茶を出すし、
たまには蕗の佃煮が届くようになる。
一年も過ぎる頃には
娘は簡単な手紙の代筆ができるようになり、
その字を見て祖父の母が感心するような具合になってきた。

三、四年も経ったころ、祖父は結婚を命じられた。
相手はあの茶店の娘だった。
すでにあどけなさは消えて、
ふっくらと優しげな面立ちのきれいな娘になっていた。
姿勢の正しさと歩きかたが
なんだかばあさまそっくりだ、と、祖父はひそかに思ったそうだ。

この結婚はうまく行った。
僕が知っている祖母は優しいがしっかりした人で
どこかのんびりした祖父は
この人のおかげで大過なく生きてこられたと思う。
祖父の家の庭の、日当たりのいい場所には
艶々した緑の葉を広げた石蕗があり、
10月には黄色い花を咲かせていた。

石蕗は丈夫でいつも青々としているせいか
日陰の暗い場所に植える人が多いが、
日向に移してやると毎年花が咲く。
祖父はたぶん、庭の石蕗を植え替えるように
娘を日が当たる場所に移してやりたかったのだ。
それは祖父のいっときの気まぐれだったかもしれないが、
娘は辛抱を重ねて花を咲かせたのだろう。
いま僕はそんな風に思っている。



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