直川隆久2019年10月6日「猫の恩返し(リバイバル)」

猫の恩返し

            ストーリー 直川隆久
               出演 清水理沙

「卒業制作、すすんでますか」
中央食堂前のベンチでコーヒーを飲みながらぼんやりしていると、
見知らぬおやじが話しかけてきた。
いまどきベレー帽にマフラー。油絵科の教授か?にしては、服がぼろい。
いいかげんな返事をしていると、わたしの隣に腰掛けてきた。
「見覚えありませんか」
おやじが帽子をぬぐと、頭に大きなやけどのあと。
そこだけ髪の毛が生えていない。
「…ない。です。見覚え」
「若い頃、あなたに助けていただいたものです。
 ここの学生にいじめられているところを――」
そう言われて、あ、と思った。
3年ほど前、野良猫のひたいをタバコで焼いている映画学科の学生がいて、 
そいつらとものすごく喧嘩したおぼえがある。 
「現代版世界残酷物語を撮るんだ」とかわけのわからないことを言うバカ達だった。
「はい。その猫です」
ええー。なんだ、ずいぶんふけているな。
「すみませんね、猫は歳とるのがはやくて」
「いえ」
「長年このキャンパス内でうろうろさせてもらいましたが、
 残飯の味が悪くなったんで、河岸を変えようかと思いましてね。
 でもその前に一言あなたにお礼が言いたくて」
 
おどろきはしたが、感激はしなかった。
近頃、恋愛も卒業制作も行き詰っているせいで、
心の余裕がなくなってきたんだろうか。
「最後の機会ですから、何かお願いとか、ないですか」
「お願い?」
「ええ、お礼として…ひとつぐらいならなんとかなるかもしれません」
「今月の家賃とか、なんとかなりますか」
「…う~ん…」
猫おやじはかなり長いあいだ考えていたけれど
「…猫なもんで…」と言った。
「いや、まあ、そりゃそうですよね」
「すみません――ヌードモデルとかは不要ですか。デッサンの」
「特に…」
ああ、とおやじは肩を落とした。
「お役にたてること、なさそうですね」
「いいですよ。気つかわなくて」
「あ、そうだ。せめてちょっとした卒業制作のアドバイスをさしあげましょう」
「なんです」
「――あなたの指導担当の岡崎先生はね、4回生の清本さんとできていますからね。
 彼女とテーマがかぶらないほうがいいですよ。
 このあいだ、3号棟の実習室で二人が乳くりあってるのを窓から見てしまいました」
「へえ」
「かぶると、どうしても自分の女のほうをひいきしますから…なんて、
 すみませんね。こんなことしかもうしあげられなくて。さようなら」
「さよなら」
おやじは礼をして、歩き去った。
たしかに、猫背だった。
さて、わたしも恩返しをしなければならない――岡崎先生にだ。
清本と二股かけてくれてて、ありがとう。
これから、彫刻刀を研いで、岡崎の研究室に向かうことにする。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

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直川隆久 2019年9月22日「督促」

督促

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

あ、もしもし、田中さんのお宅でしょうか。
川添市立市第2図書館の藤村と申します。

深夜に、申し訳ございません。

用件は、もう、おわかりだと思いますが、
当館よりお借りになられました「括約筋しめるだけダイエット」、
貸出期限を大幅に過ぎております。

7か月と1週間、の超過です。
これで、お電話、10回目となります。

田中さん、ひょっとして、若干、意地になっておられますか。
税金で運営している図書館ごときに、返せ返せと指図されるのは業腹だ、
と、こうお考えでしょうか。
いや、きっと、そう、お考えなのでしょう。
じつは、昨日も、そのようなご意見の方が、おられました。
“なんでリクエストした本が入らないんだ。
 眠たい仕事するな、この税金泥棒“
という貴重なご意見を頂戴しました。

ま、考え方というのは人それぞれです。
市立の図書館の仕事も、対市民のサービス業という側面は確かにございます。

ですが、田中さん。
借りたものは返す。
それは、人としての道義です。
人としての道義に、納税者も公務員も関係ありません。

事ここに至って…
私も、手立てを講じさせていただくことにいたしました。
ついては、
田中さんに「括約筋しめるだけダイエット」を返却いただけるまで、
30分ごとに、こちらにお電話をさせていただきます。

(しばらく間の後)
田中さんねえ。
わたし、もう、我慢しないことにしたんです。

あっちこっちで、堪忍袋の緒を切る音が聞こえるような世の中でしょう。
それで、相手より早く切ったもん勝ちっていう、そういう世の中でしょう。

そんな風潮に流されてはいけない。
そう思って、今日まできました。

でも、わたしは疲れてしまったんです。
だから、もう、我慢しません。

(突如大きな声で)田中!

だれが税金泥棒だ!
おまえが、泥棒、なん、だよ!
借りパクうんこ野郎!

(しばし間の後)

はっはっはっは…

こんなことをしたら、来年の定年を待たずして、クビになるかもしれませんな。
はっはっは…

それでは、次回は30分後の午前1時10分に、お電話いたします。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2019年8月18日「撃つ」

撃つ

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

ええ。
いや、電話かけてこられた理由は、わかってますよ。
次の出稿、どうするかってんでしょ。
いや、まさにねえ、どうしようかなあ、
と思ってるんですよね。
こないだは、ちょっと…注目率がね。
不満だったよね。
あんまり、戦略的に重要な局面じゃなかったし。
しかもさ、けっこう高度の高いとこで、迎撃されちゃったでしょ。
うちの社名ロゴ、しっかり見えなかったよね。
撃ち損だったよね。あれは。
そんなこともあってさ、
次はもっとデジタルに予算割けっていう突き上げがさ、
きつくなっちゃって。
社内説得の材料が、もちょっとないとさあ。

え?なに?
次は、初めての…なに?
陸地?
え、マジ?
初の、陸地?
国境、超えちゃうんだ?
あらー…、それは…。
マジですか。
テレビ中継は?
ある?生?
特番?
えー、マジか。
それは、注目度高いよね。
え、なに?
もう、手、挙がってるとこがある?
一社提供で?
どこよ。
どこ。
教えてよ。
…え。
またまたー。
カマかけてんじゃないの?
いや、だって、おかしいもの。
あそこ、いま、キャンペーンやるような新商品、ないはずだよ?
え。
マジで?
うーん。
…。
そうか。
(独り言)うちも、「オカカちゃん」で、
秋のおにぎりキャンペーンやるんだよな…
あ、ごめん、ごめん、ちょっと考えちゃって。
うん、なに?
もうひとつ初めて?
ほう。何。
あ、一社提供だと、ネーミングライツも、ついてくるんだ。
あ、うちが好きな名前つけていいんだ。
うーん、いや、それ聞くとちょっと…ぐらついちゃうなあ。
でもさ、でもさ。
…あの。
着弾地って、もう決まってるの?どの辺かって。
…。
え、マジ?
なんか、それ、聞いたことあるよ。
イッテQか、ふしぎ発見かで見たと思うけど。
そこは、人、いないわけ?
「統計上は、人口ゼロ地帯」…?
そうなんだ。
あの、それさ、信じていいのね?
だって、後になってさ、人住んでました、っていうことになったら、
炎上ですまないからね。
爆発だからね。
(笑)ほんとですね、じゃないよ。
(笑)お願いしますよ。

昔はうちもさ、花火のスポンサーとかやってたけど、
ま、あれは、その場で見てる人だけのためのものだもんね、基本。
ミサイルはさ、やっぱり日本人みんなの心をひとつにするもんね。
おれもね、それは理解してるんだよ。
いや、マジで(笑)
おたくに、さんざん洗脳されてきたから(笑)
え、そりゃ想像しちゃいますよ。
わが大東亜食品の「オカカちゃん」のロゴをね、
あしらったミサイルが飛んでいく姿。
たまらないねえ。
1社提供なら、ミサイルのどてっぱらに、単独でどーん、でしょ?
「日本の夢を乗せて飛んでいく、オカカちゃん1号!
さあ、感動はもう目の前だ!
たのんだぞ、オカカちゃん1号!
がんばれ、オカカちゃん1号!
オカカちゃん1号、今!
みごとに!
着弾!
着だーーーーん!!
どーーーーーーーーーん!!
秋の行楽のおにぎりに、
ごはんにまぜるだけ『オカカちゃん」をどうぞーーーー!」
…(荒い息遣い)
あー…ごめん、ごめん。
興奮しちゃってつい(笑)。

あー、でもなー。
あんたも知ってるように、新しい部長は、アナログ懐疑派だから。
あんたの顔を立ててあげたいのは、やまやまなんだけどさ。
…うん。
え、なに?
今日、銀座で?
いやあ、今日はちょっとなあ、忙しくて…
いや、うん。
いや、うん。
うん。うん。
うん。
…まあ、そこまで言われちゃあなあ。
7時?に、じゃあ、いつもの寿司兵衛でね。
あ、いい、いい。
私、予約とっときますから。
じゃあ、7時に。
あ、でもね、こういう接待で発注決めるほど、俺、甘くないからね。
「わかってます」って…もう、あんたがしつこいからだよ、ほんと(笑)
はい、じゃ、失礼しまーす。
…あ、ごめん、でさ、帰り、タク券は大丈夫?
あ、はい、了解でーす。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2019年7月21日 「水を売る」

水を売る

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

水って、基本じゃん?
人間の体は90%水でできてるわけだからさ。
飲む水が悪いと、悪い体になるし、
いい水を飲めば、いい体になるんだよね。
っていうと、ほら、あるでしょ?
水素水っていうのが。
水素が入った水。
すごい、はやったじゃん。
でも、じつは、もっとすごいものがあるの。
水素よりもっとすごいもの。
わかる?

それって、元素なんだよね。
元素。
元素だよ。
きいたことあるでしょ?
元素は大事なの。
元素はいいんだよ、体に。

元素って、みんな言葉としては知ってるんだけど、
その本当の力を知らないんだよね。
元素ってのは、元気の素って、書くじゃん?
つまりさ、元素が足りなくなると、元気が足りなくなるの。
だから、じつは、イオンなんかより、ずっと元素のほうが重要なんだよね。

むかしの人はね、体の中に元素をいっぱいもってたんだよね。
それがね、現代人は、体の中の元素が少なくなってるんだって。
それって、なんでかわかる?
これ、おれもすごいびっくりしたんだけど…「感謝」なんだよね。
昔の人はね、いろんなことに感謝してたんだ。
太陽、ありがたいなあ。
雨、ありがたいなあ。
ごはんが食べられる、ありがたいなあ。
で、じつは、感謝をすると、人間の脳内である変化がおきんのね。
脳内ホルモンのセロトニンていうのが出るの。
これが、体の中の元素を活性化させるんだよね。
ところが、おれを含めて現代人って、
昔の人とくらべて、感謝をしなくなってるじゃん?いろんなことに。
今は、みんなさ、「わたしがわたしが」「権利が権利が」でしょう。
つまり、自分のことばっかりで、感謝がないんだよね。

そうするとどうなるかっていうと、
脳内ホルモンのセロトニン、これの分泌が減るのね。
で、セロトニンが減ったことによって何がおきるかっていうと、
体の中の元素がね、一酸化元素、っていうのに変化するのね。
この一酸化元素が、じつは、すっごい悪さをするのね。

一酸化元素は、おたがいに、ひきよせあっちゃう性質があるんだ。
アメリカのカリフォルニア大学の研究で明らかになったことなんだけど、
癌細胞の中には、通常の細胞の100倍の一酸化元素があるんだって。
つまり、癌細胞の中の一酸化元素が、ほかの癌細胞を呼んで、
どんどん癌が大きくなっちゃう。
それだけじゃなくて、これは、カーネギーメロン大学の研究で
明らかになったんだけど、
社会的に成功しなかった人の血液の中には一酸化元素が多いんだって。
これは、貧乏の人の一産化元素が、
ほかの貧乏な人をよびやすいせいだろうと言われてるの。
だからこのことによって得られる結論は、一酸化元素が多い人は、
癌にもなりやすいし、貧乏にもなりやすいっていうことなんだよね。

で、開発されたのが、この元素水なの。
元素を、水の中に閉じ込める技術ってのがアメリカで3年くらい前に開発されて。
この元素水っていうのはね、
すっごい、新鮮な元素が入ってるんだって。
いや、もう、すごいらしいんだ。
とにかく、もう、AIでも数えられないくらい元素が入ってるんだって。
これは、飲む価値あると思うんだよね。
毎日この元素水を3リットル飲むと、体の中に、元素が凄く増えるんだって。
おれ、これを飲み始めて、すっごい変わった、と思う。
うん、まず、肝臓の数値が下がったのと、
あと、水虫がきれいになった。不思議なんだけど。
あとね、宝くじに2回当たった。
それも、結構大きな金額。
これも、元素水のせいかなあ、って思ってるんだよね。

で、話きいてみてどう?
なんか怪しいなって思う?

そう。
いや、そうなんだよ。
実際信じられないのは、無理ないと思う。
おれもそうだったもの。
ネット調べても、一酸化元素なんてでてこないしさ。
だから、最初この元素水を先輩から勧められたときも、かなり疑ってたのね。
でもさ、ふと思ったんだよね。
疑うだけじゃ、何も変わらないし、成長もないよね?
だから、おれは、自分で飲んでから判断しようと思ったのね。
それで、一か月飲んでみたの。実際に。

そしたら…飲んでるあいだに、あれ、けっこう、いいこと…あるじゃん?みたいな。
悪いこと、ないじゃん?みたいな。
で、ふと思ったわけ。
飲んで悪いことあるんなら、やめたらいいんだけど、
今のとこないし、それで続ける理由としては十分じゃないのかな。
で、今まで飲み続けてる。
そんな感じ?
だからお前も、自分で判断してほしいんだ。
やっぱり、自分の納得っていうのが、一番だもん。

あ、そう、飲んでみたい?
…うん。ぜひ、飲んで飲んで。きょう、持ってきたんだよね。

どう?
なんか、すごい…やわらかいでしょ。
ね?
なんか、すーっと…すーっと、こう、入ってこない?
浸透圧的なあれが、けっこうあるみたいなんだよね。
うん。
おれはね、いろいろ言ったけど、単純に、おいしいから飲んでる?そんな感じ。

で、この元素水って、まだ日本の代理店がなくて、
アメリカから直で買うしかないんだけど、
1リットル入りのペットボトルで一本1,000円とかすんのね。
でも、それってむずかしいよね?
一日3リットル飲まないといけないわけだからさ。毎日、3,000円だもん。
で、そこでちょっとこのパンフレット見てほしいんだけど、
元素水サーバーっていうのを使えば、水道の水を元素水に変えることができんのね。
これが、今、80万円で販売中…

なんだけど、
なんだけどね。
おれ、実はここのサーバーを製造してるアメリカの会社の
エグゼクティブ・アンバセダー資格っての持ってんのね。
だから、日本の一般の会社には卸せないこのサーバーを、
特別に会員価格で支給してもらえるの。
1台、32万5,000円。
どうかな。
高い?
うん。だけど、でも、これは一生使えんのね。
ていうのは、このサーバーは空気から元素をつくるから。
だから、必要なのは、水道水だけなの。
かかるのは、電気代と水道代くらい。
うん。
もちろんもちろん。
破格の割引とはいえ、やっぱり、金額的には大きいからさ。
ゆっくり考えて。
いやあ、でも、おまえと今日話せてよかったよ。
10年ぶり?
これって、ひょっとしたら元素水がひきよせてくれたのかもしれないよな。

で、話をきいてくれたお礼にさ。元素水の、20ケース、プレゼントさせて。
届けるから。宅配で。
いいのいいの。
こうやって今日、おまえと話せたことへの感謝のしるしだから。
それを飲んだ上で、おまえの答え、きかせてほしいんだよね。
うん。
じゃ、ここに住所書いて?
たぶんね、3日以内には着くと思う。
うん。
いや、今日はほんとどうもありがとう。
これから、また、長い付き合いしていこうぜ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2019年5月19日「寄り道」

寄り道

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

電車の扉が開いて降りた客は、その男一人だった。
無人駅。
かすかに、潮の匂いがする。
岬の展望台までは、きつい登り坂だそうだが、
歩いて2時間もかからないだろう。
早すぎるな、と男は思った。
暗くなるまでにはまだずいぶん時間がある。
経験がないから確証はないが、
飛び込みを図るなら、
やはり人目につきにくい時間のほうがいいだろう。

男は、腹が減っていることに気がつく。
これから死のうというのに、何か食うのもおかしな話だろうか。
だが、時間もつぶしたい。
男は、なにか店を探すことにする。

改札機に切符に吸い込ませて、駅の外へでる。
駅前には、公衆便所と、パンや日用品を売る小さな商店が一軒あるきりだ。
線路と並行に、一本の道路が走っている。
とりあえず右の方向に歩き出ししばらくすると、
「500m先 手打ちそば」と書かれた看板があった。
そばか。悪くない。最後の晩餐、いや、昼飯に、
枯れた感じが似つかわしい。
男は、看板に描かれた矢印を確認し、足どりを速めた。

道路わきに、愛想のないつくりの、四角い建物があった。
アルミサッシが埋め込まれた壁は、
建てられた頃は白かったのだろうが、今は全体に黒ずんでいる。
「そば」と書かれたのぼりが、鉄の傘立てに突っ込んで立てられ、
入り口の引き戸のガラスには「名物山菜そば700円」と書かれた紙が
セロテープで貼られている。

引き戸を横にすべらせて中に入ると、薄暗い。
店の床はコンクリートの土間で、年代物のテーブル…
といっても、キャンプのときに使うような、
足の細いもの…が8つほど並ぶ。
誰もいない。

―すみません。
と男は店の奥に声をかける。
すると、厨房らしきところから、もそもそと一人の男がでてきた。
見たところ70ほどか。店主だろう。
七分丈の調理用白衣の前身頃がネズミ色に変色している。
ずいぶん長い間、洗濯していないと見える。
―あの、そば、頼みたいんだけど。
店主は、返事もせず奥に引っ込んだあと、
メニューとコップの水を両手にそれぞれ持って戻ってきた。
男はメニューを眺める。
かけそば。もりそば。たぬき。山菜。コロッケそば。唐揚げそば。

唐揚げそば。
どうも、そば屋らしい職人的こだわりには無縁の店のようだ。
―山菜そば、ひとつ。
男の注文をきいて店主は、口元の形をほとんど変えることなく
「え」とも「う」ともつかぬ小さな音を発した。
「はい」という言葉の発音にかける労力を長年かけて節約し、
最終的にその形に落ち着いた、ということのようだった。

店主が奥に引っ込むと、男は手持ちぶさたになる。
テーブルの天板の下には、古い漫画雑誌がつっこまれているので、
めくってみる。
だが、連載ものの話の途中からでは、ついていけもしない。

麻雀漫画の表紙が目に飛び込んで、男は反射的に雑誌を閉じた。
男が死ななければならない原因が、
そのゲームでできた借金だったからである。

店主が、丼を片手に持ってふたたび現れた。
さっき同様、盆にのせず、直接手に持っている。
両手をつかうのが癪にさわるのだろうか、
かえって重いだろうに。と男は思う。
店主がテーブルにそばを置いて去る。
男は、割りばしで、そばをたぐる。
すすったそばをかみしめると、
舌の上にざらざらといらだたしい感触を残しながら、
粘土のように歯にまとわりついた。
うへえ、と男は思った。
男は、十割そばというものを食べたことがなかった。
食べたことはないが、それはラーメンやうどんとは違って、
やや口ざわりのなめらかさに欠けた食べ物ということは知っていた。
この食感は、本格的なそばの証拠…なのだろうか。
だが、やはり、もう一口食いたいという気持ちがどうしてもおこらない。
こんなものをありがたがる人間が世の中にそう多いとは思えず、
要するにこれは単にひどく不味いだけのそばなのだ、
と男は結論づけた。

そばの上にのった山菜を食べる。
ビニールのパックで売っているやつで、食べなれた味だった。
かまぼこも、かまぼこらしい味がした。
出汁をすすってみる。
これに味がなかった。出汁というより、ほぼ湯であった。

男は、だんだん、情けなくなってきた。
おれの人生最後の食事が、この不味いそばなのか。
運命というやつに、どこまでも小馬鹿にされているような気がしてくる。
男は、箸をおき、コップの水を一口のんだ。
席を立つ。丼の中のそばはほとんど残っている。
勘定のとき、こんなまずいものを出して、よく平気でいられるね。と
嫌味の一つも言ってやろうと男は思った。
あんたにとっては、どうということもない一杯のそばだろうが、
俺にとっちゃ深い意味があったんだよ。

レジに、店主が入る。男のだした1000円札を受け取る。
男が、よし、一言、と息を吸い込んだその瞬間――
店主は破顔一笑し、あーりがとうございましたー、と高らかな声をあげた。
さっきまで、口を動かすのも億劫だ、と言わんばかりの態度だったのが
信じられない豹変ぶり。
現金と引き換えにだけ、感情表現という労働をする…
それがこの店主のルールらしかった。
300円の、ぉー、おぅかえしでぇす。
男はタイミングを狂わされ、黙ってつり銭を受けとるしかできなかった。
まぁたおこしくぅださいませぇ。
店主の声を背中で聞きながら、男は引き戸を開け、店の外に出た。

まだ、日は十分に高かった。むしろ、ようやくそろそろ昼という時間。
腹はまだ、満ち足りていない。

男は、このそば屋の人生をしばし思った。
愛想と労力の出しおしみをしながら、ただ不味いだけのそばをつくる人生。
あの男にも、若く希望に満ちた頃があったのだろうか。
ひょっとすると、他人から受けた度重なる裏切りや、
思いにまかせぬ事々が、
長年の間に彼の心をいびつな形にねじり固めてしまったのかもしれない。
が…他人の人生はわからない。
余人にはうかがいしれない、彼なりの生きがいが、
そこにはあるのかもしれぬ。

男は決めかねていた。
来た道を戻るか。
もう少し先まで歩いてみるか。
目の前の道路を、ぶおん、と音をさせてトラックが1台通り過ぎる。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

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直川隆久 2019年4月21日「夕方の匂い」

夕方の匂い

   ストーリー 直川隆久
      出演 清水理沙

お向かいの徳永さんは、空き家になったままだ。
道路から中をうかがうと、
新たな家主である雑草たちは野放図にのびさかり、
鮮やかな緑色で庭を覆いつくしつつある。
ふと気づく。今日は豚の角煮を煮る匂いがしない。

この家に引っ越してきた頃、
徳永家は、ご夫婦と幼いお嬢さんの3人暮らしだった。
けれど、お嬢さんが高校生の頃、
一人で北海道旅行に行ったまま、
行方不明になってしまったのだという。
わたしが物心つく前の出来事だ。
徳永の奥さんは、それから毎日、豚の角煮を作り続けた。
角煮が娘さんの大好物だったから。
いつあの子がもどってきても、角煮をたべさせてやれるように。
徳永さんのご主人は、何年かして、出て行ってしまった。
それでも、角煮の匂いはおさまらなかった。
砂糖と、醤油と、豚の脂と、八角の混ざりあった、
粘り気の強い匂い。
塾の帰り、部活の帰り、バイト先からの帰り…
わたしは、毎日、お向かいから漂ってくるその匂いを
嗅ぎながら生きてきた。
それは去年の暮れ、徳永の奥さんが入院するまで続き――
年を越すことなく、奥さんは亡くなった。

我が家と徳永さんの家とは付き合いがなく、
ときどき、家の前の道路を掃除する奥さんと挨拶をかわすくらいで、
そのお宅に上がったこともない。
それでも、生垣の切れ目からのぞくその庭が、
徐々に荒れていく様子を見るのは、悲しかった。
わたしは、門の前に進んだ。
門の扉を押してみる。すると、抵抗なく開いた。
入って…みようか?
周囲に誰もいないことを確認して、庭に入ってみる。
足元から、バッタが何匹か跳ねて逃げた。
庭の方を見ると、レンガで区切ったごく小さな花壇がある。
ふだん道路から覗くときは生垣に隠されて見えなかった。
草しかはえていない花壇に、
色あせたプラスチックのショベルが落ちていた。
昔、娘さんが使っていたものだろうか。
庭に面した側は雨戸で塞がれていて、中の様子はわからない。
道路側を振り返ると、生垣越しに自分の家が見える。
こんな角度と距離で自分の家を見たことがない。
すぐそこにあるのに、なぜかとても遠いところに感じる。
わたしは、玄関に戻り、ドアの取っ手に手をかけた。
ドアを引く。
鍵がかかっていてほしい、と思う自分もいた。
だが、ドアは、そのままこちら側に開いた。
中の空気が流れだす。
それは、あたたかく、今まさに料理をしている人と、
火の気配をふくんだ空気だった。
そして…わたしは、嗅いだのだ。
角煮の匂いを。
いま、まさに、くつくつとお鍋の中で煮込まれている。
その匂いの密度で、
もう、出来上がりの近いことがわかる。

「りかちゃん?」と女性の声が奥からする。
「りかちゃん、帰ったの?」
そして、ぱたぱたと軽やかな足音がこちらへ向かってきた。
わたしは、扉を閉め、玄関から道路に走り出る。
ごめんなさい。
ごめんなさい、徳永さん、わたしは、りかさんじゃないんです。
道路でわたしは、うずくまる。

何秒後か何分後かわからないが、
わたしは車のクラクションで我に返った。
振り返ると、見慣れた徳永さんの家が見える。
角煮の匂いは、もうしなかった。
庭の雑草が、傾きかけた太陽の光にまぶしく照らされている。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

 

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