直川隆久 2021年10月16日「凧」

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

あの日も、こんなふうに、空が高い日だったですよ。
ぼく、荒川の河川敷で凧をあげてたんです。
当時はやっていた…ゲイラカイト、ってわかりますかね。
そうそう、あの、デカい目玉が描いてある、ビニール製の、凧。

その日はね、土曜日だったんだけど、朝からいい風が吹いてましてね。
学校から帰って、ランドセルおいて、凧もって、
とびだして、河川敷に行きました。
当時はまだ土曜日は半ドンでしたから、小学校も。

こりゃあ高く上がるんじゃないかと思ってたんだけど、案の定。
助走して、ぱっと手を放したら、とたんにすーっと、
すごいスピードで凧、空にのぼっていきましたね。
ぐんぐんぐんぐん上っていってね。凧糸もびーんと張りっぱなし。
もう、下手したら、
風でこっちの体が持ってかれちゃうんじゃないかと思うくらいで。

凧はどんどん小さくなってね。
ありゃあ、いったいどれだけの高さに行ったのか、と思ってると、
またひとつがくん、と糸が引っ張られた。
上空では、すごく強い風が吹いてるみたいでね。
体が引きずられ始めた。
ずるずるずるずる、そのまま何十メートルか…
わ、こりゃ、やべえ、と思ってたら、自転車止めがあって、
そこにがんとぶつかってようやく止まりました。
で、あわててそこに紐をくくりつけた。
ものすごい力が要ったけど、なんとかくくり終わって、へたりこんじゃった。
糸はもう、びんびんに張ってますよ。

えらいもんだなあ、と思って空を見上げてるとね。
後ろに、だれか立ってる感じがした。
振り向いたら、同じクラスのコズミが立ってた。
コズミって、なんか、いつもぼろっちいカッコしてて、
暗い顔してるから、あんまり友達いないやつでしてね。
お母さんが早くに死んだとかで、
お婆さんと二人で暮らしてるって話でした。
凧?って訊くからね、うん、て答えた。
すげえ、っていいながらコズミは、糸の先を見上げ、
自転車どめにくくった糸を見て、また、空を見て、って繰り返してるんです。
こっちも居心地わるくなってね、貸してやろうか、って言ったんです。
そしたらね、うなずいて…
うなずくだけで、ありがとう、も何もなかったけどね。
自転車どめの方に歩いて、くくってある糸をほどきにかかりました。
で…
気ぃつけろよ。体がもちあがるぞって言おうとしたそのときですよ。
コズミの体がうわっと空へ持っていかれた。
ほんと、なんていうか、ふわーっと、持っていかれたんですよ。
たいへんだ!…と思ったときにはもう…
糸の端っこには手が届かなくて、
コズミはビルの4~5階くらいの高さにいた。あっという間に。

もう、どうしたらいいかわかりませんよ。
おーい、コズミ、降りろよー
って叫んでもね、返事しないんだ。
落ちたら死ぬ高さですよ。
見てるだけで、金玉のあたりがすーっと冷たくなる。
ぼくも、わけわかんなくなってね。
ばかやろー。って怒りだした。
ばかやろー、おりてこい。
コズミは、なにも答えなかった。聞こえてるのかどうかもわからない。
ぼくも半泣きになりながらね、
おりろよー、って。
おりろよー、おまえんちの婆さんにいいつけるぞー
て、意味わかんないこと言ってた。
でも、効果なしだ…効果なしどころかね、
コズミは、凧糸を手繰って上に、上に行こうとしてるんですよ。
なにやってんだよー、かえれなくなるぞー、って叫んだんだ。
そしたら、コズミの声が聞こえました。
いいよー、って。
いいよー。
コズミの、あんな明るい声、聞いたことなかった。

そのまま、どんどん…どんどん小さくなっていくのを、追いかけました。
カナブンくらいの大きさのが、もう、アリみたいになって…
そこで川にぶつかって、それ以上進めなくなった。
糸にぶら下がったコズミはそのまま、ずーっと流されて行って…
見えなくなった。
河原でぼくは、どうしたらいいかわからなくて、ただ、泣いてました。
泣きながら、泣いたって意味ないよな、ってわかってはいましたけどね。
でも、泣くよりほかにできることがなかった。
水辺の芦の茂みが風であおられて、ざーざー鳴ってたのを覚えてます。

コズミの行方はそれきりわからないです。
警察も四方八方探したみたいだけど、遺体も出てこなかった。
ただ、僕のゲイラカイトだけはね、
10キロほど離れた中学校の屋上で発見されたそうです。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年7月18日「お天気」

お天気
    
    ストーリー 直川隆久
      出演  清水理沙

わたしの夢  2年C組  大崎沙耶

わたしは将来、気象調整士の資格をとって、気象省で働きたいと思っています。
社会見学でお邪魔した気象省で、お話をうかがって、
とても感激したからです。
みんなが幸せになるように、天気を操作できるというのは、
とても素晴らしい仕事だと思います。

わたしのおとうさんは
「気象省からなら、将来は文字どおり天下りだなあ」などと
嫌なことを言うのですが、
わたしは、気象省の人たちは、そんなことはしないと思います。
「天気というのは、公共財なんです」とお話を伺った方はおっしゃっていました。
ですから、一部の人たちだけの有利になるような操作はできないのです。
ビール業界は、晴の日が多いほうが嬉しい。
傘をつくる会社は、雨が多いほうが嬉しい。
テーマパークは、晴のほうが嬉しい。
農業や林業は、雨がなければ困る。
このように、多種多様な利益のバランスをとるのが、気象調整の仕事で、
それはとてもやりがいのあることだと思うのです。

ちょうど先週、来年の天気の年間予定が発表されました。
晴の日が300日、雨の日が20日しかありません。
わたしは晴が好きなので嬉しいのですが、
おとうさんは「いまの気象大臣が、観光業界と癒着してるからだ」
などと怒っています。
わたしは、そんなふうには思いません。
気象大臣も、気象省の人も、そんな単純なことで天気を決めるとは
考えられないからです。もっと深い考えがあるはずです。
でも、わたしが気象省のお仕事でいちばんあこがれて、やってみたいなと思うのは、
虹を作る仕事です。

特に、C-ウイルス治療の最前線で戦われているみなさんを励ますために、
空に大きな虹をかける「レインボーオブホープ」は、とても感動的で、
ほんとうに憧れます。
あの仕事に関われるのは気象省の中でも一部の方だけ、
ということなので、難しいかもしれませんが、
がんばって一流の気象調整士になりたいです。

空にかかる大きな虹をみんなで見上げると、一体感がうまれて、
わたしは、こんな素敵なことができる国に生まれてよかったなあと思います。
例によっておとうさんは「政権の人気とりだ」などと言いますが、
おとうさんもきっとわかってくれると思います。
先日、公安省の方にメールを送ったので、
おとうさんを再教育施設に入れていただけそうです。
再教育はほんの1週間で済むので、「リフレッシュ」みたいなものだそうです。

おとうさんが再教育施設から帰ってきたら、いっしょに虹を見たいと思います。
わたしの将来の夢への懸け橋であるあの虹を。



出演者情報:清水理沙 アクセント所属:http://aksent.co.jp/blog/

 

Tagged: , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年6月20日「蕎麦屋炎上」

蕎麦屋炎上

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉

商店街の端っこにある古ぼけた蕎麦屋。
木造の建物は若干傾いでいて、
その外壁を茶色く枯れた蔦がびっしりと覆っている。
店には、八十がらみの頭髪の薄い主人が一人だ。

俺は、ときどきこの蕎麦屋で昼飯を食う。
行きつけの古本屋から近いからだ。
蕎麦は、正直まずい。
いつもべたべたしていて、ざるの上の二、三本を箸でつまめば、
全部の蕎麦が一斉に持ちあがる。
つゆの量もけちくさくて、蕎麦猪口に二分目ほどしか入っていない。

いちど、ある客がそばつゆのお替りを頼んだときだ。
主人は厨房から出もせず、
「あーあ、蛇口ひねりゃつゆが出てくるとでも思ってんのかね。
あがったりだよ。あがったり」
という、聞えよがしの独り言をよこしてきた。
こんなホスピタリティのかけらもない店を、
なぜこの主人は開け続けているのか。

古本屋が言うには
「昔、この商店街が賑わっていたころは、あの店もそこそこうまかった」
のだそうだ。
――「いや、でも、ご多聞に漏れずここいらも人が来ないようになってさ。
起死回生ってことで、商店街の会長がマンションデベロッパーと組んで、
端っこの何軒かの立ち退きをすすめて。
ほかの店は、ま、従ったんだけど、一軒だけゴネたのが、
あの蕎麦屋だったみたいね」
確かに、蕎麦屋の建物は、通りに向かう面以外の三方を
マンションの敷地にぎっちりと囲まれており、
その境界の壁が不自然に高い様子は、
なにやら異様な圧迫感を放っている。

それを知ると、蕎麦屋の主人が店を閉めない理由もわかる気がした。
意地である。いや、意地といえば聞こえはいいが、
「おまえらの思うようにはならない」という攻撃的な反応が
常態と化した、というべきか。
この社会、この世間は、主人の自尊心を、長年かけて、
やすりでこするように毎日削り取っていったのだろう。
その世間に吠えかかるかわりに、
主人は、来る日も来る日も暖簾を掲げ続けているのだ。
さも、不本意な顔で。

コロナ禍となって、しばらくその商店街から足が遠のいていたのだが、
先日久しぶりに古本屋を覗きに行った。
そして、いつものように蕎麦屋の前までやってくると、
何か異様な熱気に店が包まれているのに気づく。
開け放たれた引き戸から中をうかがうと、
どういうものか、店はすし詰めだった。
そして、客は全員真っ赤な顔をして大声で喋りあっている。
あらゆるテーブルの上に、ビール瓶、日本酒の瓶がならび、
転がっていた。
この緊急事態宣言下、酒をだせば、この蕎麦屋でも超満員になる。
酒の力は恐ろしい。
路上には、スーツ姿の市役所職員らしき一群が
メモやらカメラで記録に忙しく、近所の住人であろう人たちが、
マスクの位置を直しながら警戒心もあらわに店の前を通り過ぎていく。
喧騒の奥、見たことのないようなにこやかな顔で、
主人が酒瓶を手に走り回っていた。
俺は、蕎麦屋の中には入らず、もと来た方向へ引き返した。
笑ってはいながらもやけに遠くに焦点のあったような主人の目の残像が、
頭から離れなかった。

一週間後、新聞で、その蕎麦屋が火事となり全焼したというニュースを読んだ。
何者かがガソリンをまいて火を放ったらしい。
俺はもう一度その記事を読み、死傷者はなく…
店の主人の遺体も未だ発見されていない、ということを確認した。

焼けた蕎麦屋に足を運んでみると、炭になった柱の残骸以外、
そこに建物があったことを示すものはほとんど無くなっていた。
足元に、見覚えのある品書きが、踏みしだかれ、
ずぶ濡れになっているのを見つけた。
周囲には焦げ臭い匂いが濃厚に漂っている。
マンションとの境界の壁は、煤で真っ黒に染まっていた。
ガソリンの命を与えられた炎が、
その壁に執拗に噛みつく様子が目に浮かんだ。

誰の犯行かも、主人の行方も、わからない。
だが…俺は、火を放ったのが、
当のその主人であってほしいと考えずにいられなかった。
不本意に続けた店を、本意から焼いたのであって欲しかった。
長年の鬱屈を反動として、
主人の生命が爆発的アクションを見せたのであって欲しかった。

そう思わずにいられなかった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

Tagged: , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年5月16日「西へ」

西へ  

   ストーリー 直川隆久
      出演 遠藤守哉
  
列車は、みっしりと乗客を詰め込んだ長い体躯を、
舞い散る砂ぼこりをかき分けながらいかにも大儀そうに
西へ西へと押し進めていた。
乗客…とはいっても、我々の扱いは「貨物」だ。
東部地域を脱出しようとなだれをうった人間をさばききるには、
通常の旅客車両では追い付かない。
 
わたしも、その「貨物」の一人だ。
人の群れは車両を埋めていたが、
冷たい鉄の床の上になんとか座る場所を確保することができた。
壁際ではないのでよりかかって眠ることはできないが、
およそ20時間の旅のあいだ立ちっぱなしになることに比べれば、
何ほどのこともない。
周りを見渡す。皆黙りこくっている。
終着地に着きさえすれば清浄な空気を思うさま吸えるのだから、
それまではなるだけ息を殺していよう、ということか。
以前なら、こういうときスマートフォンを触っていない人間を
探すほうが難しかったものだが、
今は誰もが、ただ、ぼんやりと空中を眺めているか、
床の上の油じみを凝視している。

隣国からの度重なるサイバー攻撃で、ネットの機能が全面崩壊し、
デジタル空間のすべての情報の真/偽、新/旧の判別が不可能になった。
われわれは豊かな情報の海から途絶された――いや、むしろ逆か。
情報は無限にあるが、
その一片とて信用するに足るものとして扱うことができない。
燃えさかる太陽の下、海のただなかに放り出され、
はてしない量の水に囲まれているのに
それを一滴も飲むことができない漂流者に、我々は似ていた。

西へ行けば、澄んだ空気と仕事がある――それも単なる推測だった。
それを主張する者たちの唯一の論拠は、
「西へ行って帰って来た者はいない」ということだった。
「あっちがひどい場所なら、戻って来るはずじゃないか」と。

「あなた、ワコーさんじゃないかね」
誰かかがわたしに話しかけた。
顔を上げると、顔を煤だらけにした若い男がこちらを見ている。
わたしはかぶりを振った。
男は、これならどうだ、と言わんばかりに懐から、
何か白い――いや、以前は白かったのだろうが
今やすっかり手垢で薄黒くなった封筒を取り出した。
わたしが怪訝そうにその封筒を見ていると、男は
「ユニタからの手紙だ。あなたがワコーなら、渡したい」
と言う。
「わたしはワコーじゃないし、ユニタという知り合いもいない」と私が答えると
男はさして気落ちした様子もなく「そうかい」とだけ言い、
また手紙を懐にしまった。

わたしは長旅の退屈を紛らわせる気になり、少し男に関わることにした。
「なぜわたしに?ほかにも乗客はいるのに」
「きいてた背格好が似てたんだ。悪かったな」男は長く話すつもりはないようだ。
だが、わたしは食い下がった。
「どんなメッセージを預かってるのかね」
男は、不審げな眼でこちらを見返してきた。お前に何の関わりがある?
わたしは、手持ちの大麻タバコ――合成ものだが――を男に一本差し出す。
「中身は知らない」男はひときわゆっくりと煙を吸い込み、
そしてさらに倍ほどの時間をかけて吐き出した。
「ユニタってのも、通りがかりの町で会った女だ。
西行きの列車に乗るなら届けてくれないかと言われた」
つまり、ユニタという女は、「西へ行く」と言って旅立ったまま
連絡絶えて久しいワコーという人間に手紙を書き、
この若い男に託したということだった。

ユニタとワコー。恋人同士か、あるいは、夫婦か。
どんなのっぴきならない事情があって、親しくもない人間に手紙を――
おそらくある程度の金を払って――託したのか、
わたしには想像がつかなかった。
手紙などという悠長で牧歌的な存在は、明日、今夜、
いや、1分後でさえ何が起こるか見通せないこの世界には、
およそそぐわない物に思える。
だが…これを預けたユニタという人間にとっては、
そうではないということらしい。
時も場所も隔てた二人の人間がつながりあえると信ずる、
その無根拠さそのものが
――深い井戸の中へと落とされた一本の蝋燭のように――
唯一、未来という暗闇に光を投げかけるものだったのだろうか。
さらに言えば…届くかもしれない/あるいは届かぬかもしれない、
と未来を曖昧にし、先伸ばしすることにしか、希望の根拠はないということか。

一方、この若い男も…とわたしは、思った。
その手紙を預かったことで、何か希望の欠片のようなものを、
旅の駄賃とすることができた――だから金を持ち去ることもなく、
渡し主との約束を守り続けているのだ、と。

がく、と衝撃を感じた。
製鉄所で聞いたことがあるような、金属のきしむ音が響いた。
と、つぎの瞬間、体が右に傾き、
目の前の乗客の群れがトランポリンで嬌声をあげる子どもたちのように、
宙を舞い――轟音とともに回転する車両の天井に激しく叩きつけられ、
わたしは意識を失った。

脇腹の激痛で目を覚ます。
暗闇の中で、うめき声があちこちから上がっている。
全身を手で探る。髪は血で濡れていたが、傷は浅そうだった。
肋骨が何本か折れたようだが、命に別状はない。
体を起こす。
そのとき、誰かが、扉を開け、
砂ぼこりを通過した光が車両の中になだれ込んできた。
傍らに、さっきの若い男が横たわっているのが見えた。
首が不自然な方向にねじれ、
半分開いた眼の中で瞳は糊付けしたように動かなかった。
 
わたしは、上下さかさまになった扉から、外へ出る。
黄色い砂漠。焦げ臭い匂いが鼻を襲う。
列車は、レールを大きく逸脱し、車輪を空にむけて――
白い腹を見せて死んでいるトカゲのように――横たわっていた。
そして、呆然とした様子の乗客たちがその周りを取り囲んでいる。
車両の先頭からは、黒煙が遥か上空にまで立ちのぼっていた。
 
攻撃。事故。いくつかの単語が脳裏に浮かぶが、
もはや原因を詮索する気力を残す者はいなかった。
この状態になったのは、この列車だけなのか。
東地域も、西も、同じ惨状なのか。救助は来るのか、来ないのか。
何も、わからない。
だが、このあたりの夜の寒さは、人の命を奪う。
たちどまっている時間はなさそうだった。
 
わたしは、もと来た車両に取って返し、先程の男のところへ戻った。
上着の内ポケットをまさぐる。手紙はそこにあった。
封筒を手にしてみると、想像していたよりも分厚く、そして重い。
男の体温もまだいくばくか残っていた。
「ユニタ。ワコー」と口の中で繰り返した後、
「あんたの名前もきいておけばよかった。すまない」そう男に声をかけ、
ポケットへ手紙を押し込み、外へ出た。
 
生き残った乗客たちは、線路をたどり、歩き始めていた。
わたしは、傍らで足をひきずる老人に肩を貸し、
西へと向かう一群の末尾に加わった。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

Tagged: , , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年4月18日「春の悦楽」

春の悦楽

   ストーリー 直川隆久
     出演 遠藤守哉

松枝(まつがえ)さん、さきほどからくしゃみを立て続けにされてますが…
あ、花粉症。
去年から、突然?
ああ、そういうこと、あるらしいですな。
高齢になってからの突然の発症、増えているそうですよ。
目がかゆい?
そうでしょうなあ。

いや、じつはかく申す私も、花粉症もちでして。
きょうも、じつは…
じ…
…ふぁああっくしょーん。ひぇっくしょーん。
かなり、来てますな。
(鼻をすする音)
あー。
鼻がもう、むずむずむずむずと…

いや、私の場合は長年でして。
毎年、この季節になるのが憂鬱でした。

「でした」…と申しますのはね。
数年前、ある手術をうけまして。
ええ、外科手術なんですれども、それを受けましてから、花粉の季節が、むしろ待ち遠しくなり…なり…
ふぁああっくしょーん。
ひぇっくしょーん。
…なりました。

え、どんな手術か?
はいはい、これがですな…ま、説明するよりご覧いただきましょうか。
では、ちょっと、鼻をつまみまして、こう、引っ張りますと…
(鼻をつまむ)
よ、と。

…松枝さん、松枝さん。
いやいや、すみません。驚かせてしまった。

そうですな、目の前の人間がいきなり鼻をはずしてしまったら、そりゃびっくりなさる。
まあ、顔の真ん中に、こんなくぼみをつくった状態でお話するのは
いささかお恥ずかしいですが。

いや、最近の医療技術の進歩というのは目覚ましいもので。
こんなふうに、鼻の取り外しができるようになったのです。
え?
いや、これは、正真正銘わたしの自前の鼻でして。
プラスチックとかそういうのじゃありません。

ちゃんと神経も通っていましてな。
しかも、ブルートゥースかなんかが埋め込まれてまして。
手の上の鼻をこう、触ったり、つまんだりしても…
ちゃんと、鼻をつままれた感覚がいたします。

いや、なんでこんな手術をしたのかと申しますとね。
長年来、夢想しておったのです。
花粉症で、むずむずするたびに。

鼻を、内側の肉ごとごぼっと取り出して、つめたーい水でじゃぶじゃぶじゃぶっと洗う…
そんなことができたらどれだけ気持ちが良いものかと。

そんな戯言を、ある日、病院を経営しております高校時代の同窓生に話してみたところ、
なんと、できるかもしれないと言うんですな。
で、早速医者を紹介してもらいまして。
こういう鼻になったといういき…いきさ…
ふぁああっくしょーん。
ひぇっくしょーん。
(鼻をすする音)
いきさつでして。
ああ、むずむずしますなあ。
でも、こういうときなのです。
むずむずが猛烈になったそのときこそ、格好のタイミングでして。
こういうときにですな。
こちらに、…冷水をいれた水筒がありますので、
これを…開けて…と…
この鼻の、内側をですな、この、冷たい水でもって…
じゃばじゃばじゃば…

あーーー!

じゃばじゃばじゃばじゃば…

あーーーー!

清冽!
にして、爽快!

いや、この歳になって、こんな楽しみが新たにできるとは。
長生きはしてみるものです。
ではちょっと失礼して、この顔の真ん中のくぼみも洗わせていただきましょう。

上を向きまして、こちらのくぼみに、先ほどの冷水を…

じょぼじょぼじょぼ…

あー、よい気持ちだ。
本当に、よい気持ちだ。

ちゃぽちゃぽ。ちゃぽ。…とゆすいで、
ばしゃ。と捨てる。

仕上げに鼻のほうを、も一度やりまして、元に戻すことにいたしましょう。

じゃばじゃばじゃば…

ふひー…む。(鼻を戻す)

…清涼なること、薫風深山をわたるに似たり…
いやあ、お見苦しいところを。
しかし、松枝さんももし花粉症でお悩みなら、検討なさるのも一興かと思いますな。
わたしが手術を受けた頃よりは、さらに技術も進歩しているはずですから…

え。
なんです?
ええ。
後頭部を…
はたけ?
…はたく?とは…あ、たたくと同じ。え?
…平手で?
たたけとおっしゃったのですか?
松枝さんの、後頭部を?
わたしがですか?
いや、そんなこと、まさかでき…

はい。
わかりました。
ま、そこまでおっしゃるなら……

えい。

…え、もうちょっと強く?
いや、それはさすがにでき…

わかりました。
ま、そこまでおっしゃるなら……

いきますぞ。
ええい!

わ!
松枝さん!
松枝さん!

…目!
目玉が飛び出した!
目…

え、なんですと?
去年、手術を受けられた?
「花粉症で目がかゆくなったときに、目玉をとりだして冷水でじゃぶじゃぶ洗えたらどんなに気持ちがよいかと考えて」…?

なんとそうでしたか。
はっはっはっはっは。
まあ、松枝さんもお人の悪い。
はあっはっはっはっは。

では、こちらの冷水で。
いや、これもね、熊本から取り寄せておりますミネラルウォーターなので、ものは悪くありません。
じゃぶじゃぶじゃぶっと、いきましょう。

よろしいかな。
じゃぶじゃぶじゃぶ…

ああ、これは、気持ちよさそうだ…
本当に気持ちよさそうだ…

じゃぶじゃぶじゃぶ…

ううむ…松枝さん。
どちらで手術受けられたか、私にも教えていただけませんでしょうかな?



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

 

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ

直川隆久 2021年3月7日「旅人たち」

旅人たち

   ストーリー 直川隆久
     出演 遠藤守哉

参った。
給油スタンドを出て300㎞のところでエンジンが止まってしまった。
昼までには次の町に着きたかったが。
イグニションキーを何度回しても、
ぎよぎよぎよといううめき声があがるばかりだ。

クルマを降りる。
先を見やれば、道は、地平線へとひたすらまっすぐに伸びている。
今来た方向を見ても、道は、地平線へとまっすぐに伸びている。
両側には、赤茶色の土の平原。
ところどころ黄色い枯草が風に揺れている以外には、生き物の気配はない。
太陽は分厚い灰色の雲のむこう側に隠れたまま。
前を見ても、後ろを見ても、まったく同じ光景。
傍らに停まったクルマがもしなかったら、
自分がどっちから来たのかさえわからなくなりそうだ。

地平線に目をこらす。
動くものはない。
あきらめて、クルマの中に戻る。
シートに身を沈め、前方、空と地表の接線にひたすら視線をあわせる。
どんなクルマが来ても、いち早く飛び出て、救援を求めなければいけない。
見る。
見る。

30分もそうしていたろうか。
遥か彼方、路上に、何か黒い点が現れた。
傍を走り去ってからでは遅い。おれは、クルマを飛び出る。

だが…
その黒い点は、なかなか大きさを増さない。
クルマじゃないのか?
動物だろうか。
ひょっとして、熊とかだったりしたら、危ない。
20分ほどじっと見ていると、形がある程度判別できるようになった。

あれは…リヤカーだ。
屋台のリヤカーだ。

屋台が、地平線の彼方から、こちらに向かってきている。
ラーメン屋?
この平原に?
ゆっくりゆっくりと、近づいてくる。
ぎっちらこ、ぎっちらこ、という車軸のきしみが、
かすかに風に乗って聞こえてくる。
その音は、一定のリズムを刻み、速くも遅くもならない。
目を凝らすと、腰をほぼ二つ折りにしながら、
屋台を引っ張っている人間が見えた。
ぎっちらこ、ぎっちらこ。
ハンドルに寄り掛かるようにしながら進んでくる。
着ているのは割烹着らしい。
婆さんのようだ。

さらに待つこと、1時間。
ぎっちらこ、ぎっちらこ、と屋台が傍らまでやってきた。
だが、近づいても、屋台は止まる様子はない。
行き過ぎかけるリアカーに慌てて声をかける。
「あの。あのう」
ぎちら、と音をたてて屋台が止まった。
「へえ」婆さんは、腰を二つ折にしたまま応える。

「おばあさん、これはなんの屋台ですか」
「くみ上げ湯葉どす」
「湯葉」
「へえ、お嫌いどすか」
「…いや…。嫌い、じゃないけれどもね。嫌いじゃないけれども」
この荒野の真ん中で、エンストのクルマを抱えて
露頭に迷っているときに出会ってうれしいものではない。

見ると、屋台には、四角いステンレスの鍋が据え付けられてあり、
そこには白い液体がなみなみと湛えられ、白い湯気を上げている。
豆乳だろう。
「お召し上がりになられおすか」
と婆さんが訊く。
腹はたしかにすいているが、しかし、いま食べたいものは湯葉ではない。
口ごもっていると、婆さんがやおら腰を伸ばす。
白粉を塗りたくった顔が俺の胸元の高さまで持ちあがった。
婆さんは俺の返答を待つつもりもない様子で、長い竹箸を手にとると、
釜の中の豆乳の表面をなぜる。
と、その端に、白く薄い膜がまとまわりついた。
婆さんは、それを小皿に乗せ、あさつきネギを散らし、
ポン酢らしきものを振りかけて、こちらによこした。
食べる。
湯気のたった湯葉はたしかに、できたてで、うまい。
大豆の風味が生きている。ポン酢も、昆布だしがきいて上品だ。
…しかし、やはり、これは今俺に必要なものではない。

「お婆さん、いま、エンストで困ってるんです。
こちらを通りがかりそうなクルマは、ありませんでしたかね」
「へえ、うち、ようわからしまへん」
「わからないかね」
「860円頂戴します」
婆さんが、また、深々と体を二つに折って頭を下げる。
これ以上訊いても無駄なようだ。
860円。一皿の湯葉にしては、高い。
だが、地平線の彼方から屋台を引いてやってきた、
その労賃を鑑みれば安いような気もする。
「よく売れるものですか。路上でも」
と、金を渡しながら愛想がわりに尋ねると、婆さんは受け取りながら
「売れるわけおへんがな。湯葉どっせ」と吐き捨てるように言った。
婆さんは、リヤカーのハンドルに手をかけると、
またぎっちらこ、ぎっちらこ、と屋台を引き始めた。

ゆっくり、ゆっくりと、その後ろ姿は来たときと同じ時間をかけて小さくなり、
やがて、地平線の上の黒い点となり、ついには、見えなくなった。

その姿を見送った俺の頭に、ユーバー・イーツ、という言葉が浮かぶ。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

Tagged: , , ,   |  コメントを書く ページトップへ