中山佐知子 2020年11月29日「たくさんのベンチ」

たくさんのベンチ

    ストーリー 中山佐知子
       出演 大川泰樹

久しぶりに田舎に帰ったら
駅前のデパートが今月限りで店じまいすると聞かされた。
そのデパートができたおかげで潰れた地元のデパートは
ピカピカの建物の銀行になっていた。
その銀行は地元の銀行だ。
少しホッとした気持ちになったが、
資金繰りの厳しいデパートと地元の銀行の関係を思うと
それ以上のことを考える気になれない。
地元のデパートで、僕はいつも母の日の贈り物を買っていた。

賑やかだった商店街は半ばシャッターがしまっていた。
商店街を抜けると橋のたもとに公園があった。
公園は橋の左右にあった。
どちらの公園にもベンチがたくさんあった。
用もなく佇むのにちょうどよかった。

橋を渡るとまた公園があった。
向こうの橋まで続く川沿いの細長い公園で
ここにもベンチがたくさんあった。
背もたれのある木のベンチに石のベンチ。
木陰のベンチ、川を見晴らすベンチ、
日当たりのいいベンチ、
道路から見えにくいシャイなベンチ。
ベンチとベンチの間を鴨がヨタヨタ歩いていた。
鴨はまったく人を怖がらず、むしろ近づいてきた。
風が強くなって
頭の上で乾いた木の葉がカサカサ音を立てた。
久しぶりの生まれ故郷だった。
駅前のロータリー以外は人が少なかった。
笹掻き牛蒡のうどんを食べさせる店も
おばちゃんひとりで頑張っていたステーキ屋もなくなって、
お好み焼き屋だけが奇跡的に残っていた。
そして、ベンチがやたらと増えていた。

駅へ戻る途中の道に歩道橋があった。
歩道橋の下には信号のある横断歩道があるから
誰もが横断歩道を渡る。
歩道橋を渡ったところには小さな花壇があって
そこにまたベンチがあった。
すぐそばのバス停にもまたベンチだ。

僕はやっと理解した。
どうやらこの街は年寄りが多いのだ。

ベンチはやさしい存在だと思う。
ベンチは疲れた足を休ませてくれる。
向き合う相手がいないことを目立たなくしてくれる。
目的のない散歩の終点にもなってくれる。
ベンチはやさしい。
ベンチには未来をあきらめた穏やかさがある。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2020年11月22日「ベンチで笑う人」

ベンチで笑うひと

         ストーリー 直川隆久
          出演 地曳豪

真っ白に塗られた顔。真っ赤な口紅。口紅と同じ色の、赤い髪。
彼は、国道沿いのファーストフードチェーンの店先におかれたベンチ、
その中央にゆったりと身をくつろげ、背もたれに腕をかけている。
夏も、冬も。
晴れた日も、雨の日も。
彼は、その色褪せたベンチに座って、じっと笑っている。

その人形…いや、彼は、いつからここに座っているんだろうか。
10年前。いや、20年前からか。
「おいでよ。一緒に写真を撮ろう」とさそいかけるように、
こちらに笑顔をむけ続けている。
たしかに、隣に座れば、
彼に肩を抱かれているように見える写真が撮れるのだろう。
だが、彼の両側はいつも空席のままだ。

昔は、そのチェーンのマスコットとして、
コマ―シャルにもでていて、「人気者」というキャラ設定だったそうだ。
正直、それが納得できない。
彼の、ピエロを模した風貌。
はっきり言って…怖すぎないか?
江戸川乱歩の「地獄の道化師」からスティーブン・キングの「IT」まで、
ピエロは現代においてはむしろ恐怖のアイコンのはずだ。

ベンチに座っている「彼」を見ていると…
脚を不意に組み替えるのではないか、
腕を背もたれから離すのじゃないか…
そんな妄想がうかんで、皮膚の下をなにか冷たいものが走る気がする。
そして、そういう目で見ると、その口を真っ赤に濡らしているものは、
口紅でも、ケチャップでもないもののように見えてくるのだ。

きょう、最終バスを逃した。
タクシー乗り場で待ったが、いつまでたってもクルマはこない。
家まで歩けば30分ほどだが—-ひとつ、問題がある。
家に戻るには、あのファーストフードの店の前を通らなければいけない。
だがこの時間、店は閉まっており、灯りは消えているはずだ。
つまり、暗闇の中「彼」の前を…微笑む「彼」の前を、通らなくてはならない。
それは、どうにか避けたかった。
だが、クルマはこない。
さらに30分待ったところでわたしはあきらめ、家に向かって歩き出した。

駅前の閑散とした商店街をぬけ、橋をわたって区をまたぎ、国道に出る。
しばらく歩くと、右前方にあの店の看板のシルエットが見える。
近づく。
看板も、店内も、すべての電灯が落とされている。
わたしは、視界の右端にその店を感じながら、なるべく前だけを見て歩く。
店の前を通り過ぎる。
そのとき、わたしの目が反射的に…普段とちがうなにかを感じとって、
店のほうを見やった。
視線の先にはベンチがある。
いつもの、あのベンチだ。
だが…なにかがちがう。
そうだ。
「彼」がいないのだ。
誰も座っていないベンチが、そこにある。

どこへ行ったのだ。
…歩いていったのか?
まさか。
おそらく撤去されたのだ。
長年の雨ざらしで、傷んでいたのだろう。

そのとき…足音がきこえてくる。
店の前の駐車場のほうから、
とっと、とん。
とっと、とん。
…と、軽やかなステップの音。
タップダンスを踏むような。
わたしは、視線を、その足音の方向からそらすことができない。
駐車場に植えられた樹の陰からその音は聞こえてくるようだ。
そして、一本の樹の裏から、にゅ、と、赤い靴が飛び出た。

靴は、はずむような動きで、樹の裏に引っ込んだり、また出てきたりを繰り返す。
そして、不意に「彼」が現れた。
黄色と白のしましまの服。真っ赤な紙。真っ白な顔。真っ赤な唇。
笑っている。
笑っている。
アニメキャラのようなリズミカルさで、上下に体をはずませながら、歩く。
ウキウキ!
ワクワク!
という擬音語の書き文字が横に書いてあるようだ。

声をあげることができない。
彼は、ベンチまですすむと、その真ん中にすとんと腰を下ろす。
そして、ぴょこりと素早い動きで脚を組む。満足そうな笑みを浮かべ、
言葉を発しない手品師がよくやるような、思わせぶりな仕草でわたしに手招きをする。
自分の左側の場所を手でたたく。「ここへお座り」と言っているようだ。
逃げられず…わたしは、彼の隣に腰をおろす。
シャツの中を、冷たい汗が何筋か流れ落ちる。
彼は、手の中の何かを別の手の指で触るような仕草をする。
わたしがスマホを出すと、にやにやと笑いながら、
わたしと、スマホと、自分を交互に指さす。
写真を撮れ、といっているのだ。
彼の顔が、こちらに近づき、その腕が、わたしの肩に回された。
とても冷たい。
スマホをかざし、わたしと彼をフレームに収める。
なぜか、魚のような生臭いにおいが一瞬漂った。

彼は、スマホで撮られた自分とわたしの姿を見ると、声をたてず大笑いをし、
ぴょんとベンチの上に飛び乗った。
その足は陽気な仕草でステップを踏み、その口は何かの唄を唄っているように、
パクパクと音もなく動いた。
そして、ベンチを飛び降りると、踊るような足取りで、駐車場へと向かっていく。
とっと、とん。
とっと、とん。
ととっと、とん、とん。
ぴたりと足がとまる。
彼は振り向いて、こちらに手をふると…
おどけた仕草で木立の中へ消えていった。
わたしは、全身の力が抜け、気が遠くなり―――

翌朝、目をさました私は、ベンチに座っていた。
あのまま気を失って、朝までこうしていたらしい。
不自然な姿勢で長時間いたせいか、体が痛い。
のびをしようとする…が、体が動かない。
自分の体なのに、まったく自分の意志が通じない。
わたしは、自分の体の状態をスキャンした。
どうやら今わたしは…腕をベンチの背もたれにかけ、脚を組んでいる。

ドライブスルーにスピードを緩めて入ってくる一台のクルマが見えた。
そのクルマのフロントガラスに映ったのは、
ベンチに座った、ピエロの顔をした男。
白と黄色のしま模様の服。真っ赤な髪。真っ白な顔。真っ赤な唇。

なんということだ。
わたしは…「彼」になってしまった。

長きにわたってこのベンチという牢獄に捕らえれてきた「彼」は、
夕べ、私という後釜をみつけ…晴れて自由の身となったのだ。かわりに、
わたしを、このベンチに、身動きできない状態で残して。
傍らには、わたしのスマホが残されていた。
だが、それを手にとることは、もうわたしにはできない。

以来、わたしは、このベンチに座り続けている。
雨の日も。晴れた日も。
春も。夏も。秋も。そして冬も。
道行く人にこう、誘いかけ続けているのだ。

さあ、おいでよ。
一緒に写真を撮ろう。
一緒に写真を――



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

 

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三島邦彦 2020年11月15日「嫉妬」

「嫉妬」 三島邦彦

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

9回の裏、同点で迎えたツーアウト満塁。
サヨナラ勝ちのチャンスで監督の烏賊山(いかやま)は悩んでいた。

打順はピッチャーの鯵沢(あじさわ)。
代打を出さなくてはいけない場面。
ベンチに残された選手は2人。
一人はルーキーの鰻田(うなぎだ)、もう一人は7年目の蟹丘(かにおか)。

烏賊山はこの二人のことが嫌いだった。

ルーキーの鰻田は、高校時代に東京の有名校のキャプテンとして
甲子園でベスト4に駆け上がり
甘いマスクと爽やかなインタビューで全国的な人気者になった。
大学に進学し、満を持してプロにやってきたのだが、
本来ならまだまだ二軍で鍛えたほうがいいレベルだった。
しかし、グッズが売れるという理由で球団からの指示があり
一軍のベンチに入っている。
鰻田には、大学時代からグラビアアイドルと付き合っているという噂があった。

7年目の蟹丘は、本来ならレギュラー格の選手なのだが、
開幕からの不調が続き、ここ数試合はスタメンを外れていた。
そしてちょうどこの日の昼、
週刊誌に人気アナウンサーとの熱愛スクープが出た。
相手はスポーツ番組の担当で、球場に取材に来るたびに
烏賊山が可愛いなあと思っていたアナウンサーだった。
週刊誌の「不調の蟹丘、プライベートは絶好調!」
という見出しを見たときには心拍数が急上昇した。
偶然だが、その週刊誌の表紙は鰻田と付き合っているという噂の
グラビアアイドルだった。

鰻田と蟹丘。グラビアアイドルとアナウンサーと付き合う二人。
烏賊山はそういう奴らが嫌いだった。
四国の名門私立高校に入ったものの一度も甲子園には行けず、
社会人野球で頭角を現してドラフト6位でプロ入り。
チームの勝利を第一に考える献身的なプレースタイルで
16年間のプロ生活を地味に終え、コーチ生活を続けてきた烏賊山。
報われない選手たちの気持ちがわかるということで選手たちの信頼は厚く、
監督にまでなることができた。
妻は中学の時の野球部のマネージャーだ。

鰻田のバッティングはまだ大学生レベルに過ぎない。
しかしここで万が一にも打てば開花のきっかけになるかもしれない。
ただ、グラビアアイドルと付き合っている。
蟹丘は不調とはいえ実力はある。
ここで打つ可能性は鰻田よりもあるかもしれない。
だけど、人気アナウンサーと付き合っている。

どちらも嫌いだ。心から嫌いだ。
しかし、ここはどちらかを使わなければいけない。
鰻田か、蟹丘か。
グラビアアイドルか、アナウンサーか。
烏賊山は迷っていた。

鰻田と目が合った。あどけない顔をしているな。烏賊山はそう思った。

「鰻田、行って来い。」烏賊山は言った。

蟹丘の「えっ」という声が聞こえた気がした。
烏賊山は蟹丘に目を向けることなく、グラウンドを見ていた。

鰻田が打席に入る。震えているようにも見える。
プレイボール。ピッチャーが振りかぶり、初球を投げる。
147キロのストレートが、鰻田の尻を直撃した。
悶絶する鰻田。
サヨナラ勝ちの歓声が球場を包む。
選手たちはベンチから飛び出し、
ガッツポーズをしながらホームに還ってくるサードランナーを迎えた。
その光景を前に、ベンチの中で烏賊山は笑っていた。
心の底から笑っていた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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渋谷三紀 2020年11月8日「ベンチにて」

「ベンチにて」

ストーリー 渋谷三紀
   出演 藤谷みき

「キスをするのに最適な身長差について考えてみたんです。」
ベンチに座るなり、タカシは話し始めた。

「映画やドラマのキスシーンを見ていると、
キスをする時、男性は顔を横に傾けるようです。
自分の顔を自然に横に傾けてみると、角度はおよそ45度。
顔を45度傾けると、唇が何センチ下に下がるのかを
数学の三角比を使って求めてみます。
僕の首の付け根から唇までの長さを測ると12センチなので、
計算式は12-12sin45°で、およそ3.5。
キスをする時、男性の唇の位置は3.5センチ下に下がることになります。」
地面に図形や数式を書きながら、タカシは説明をつづけた。

「次は女性です。
女性は男性と回転軸が異なり、顔を上に向けるようです。
試しに顔を上に向けてみると、角度はおよそ30度。
女性の首から唇までの長さを8センチとすると、
計算式は8sin30°で、およそ4。
キスをする時、女性の唇の位置は4センチ上に上がります。

男性が低くなる3.5センチと女性が高くなる4センチを足すと、
キスをするのに最適な身長差は、7.5センチ。ですが、

ここでさらに考えてみます。
キスをするシチュエーションについて。
立ってキスをするとすれば、おそらく室内より屋外ですから、
必然的にもう一つの要素が加わります。
そう、靴です。
周囲の男女の靴をつぶさに観察したところ、
男性の靴底は平均1.5センチ、
女性のヒールは平均6センチで、
男女の靴の高さの差は4.5センチでした。
つまり、先ほどの7.5センチに4.5センチを足した12センチが、
キスをするのに最適な身長差だと、僕は結論づけました。」

わざわざ休日に公園のベンチに呼び出して、
この人は何を言っているのだろう。
唖然とするマチコに、タカシはうつむいて言った。
「僕とマチコさんの身長差はまさに12センチです。」 

もしかして、これは回りくどい告白なのだろうか。
それには気づかないふりをして、マチコは静かに言い返した。
「確かに私とタカシくんの身長差は12センチです。
ただし、タカシくんが163センチで、私が175センチ。
女性の方が高い場合は、計算が違いますよね。」

「もちろん、それも計算済みです!」
突然ベンチから立ち上がり、タカシは言った。
「高さ24センチのこのベンチの上に立てば、
僕はマチコさんより12センチ高くなります!」

果たして、タカシのそれは正解だったのだろうか。
マチコの採点が始まろうとしていた。



出演者情報:藤谷みき フクダ&CO所属

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中山佐知子 2016年5月22日

1605nakayama

遺言

     ストーリー 中山佐知子
        出演 大川泰樹

遺言
私の全財産は、使用人に遺す一部をのぞいて
これから遺言
設立する世界ベンチプロジェクトとその活動に
残すことをここに記す。
世界ベンチプロジェクトは世界中の景勝地、
つまり眺めのいい絶景ポイントに
ベンチを設置するプロジェクトとして活動する。

このプロジェクトが発足すれば
人々はデスバレーを見下ろす断崖の上に、
地中海の樹齢千年のオリーブの木の下に、
カトマンズの桜並木に
楼蘭のさまよえる湖の岸辺に
ベンチを見出すようになる。

パタゴニアでは
1日2メートルの速度で湖に流れ込む氷河の上に
ベンチが置かれる。
ホワイトサンズの白い砂漠では
人々は砂に埋もれかけたベンチをさがすことになる。
北欧のフィヨルドの海にせり出した絶壁でも
ギアナ高地の979メートルを落下する滝の下でも
ベンチははるばるやってきた人々を迎える。

やがて、みんなは誰でもわかる簡単なことに気づくはずだ。
絶景だからベンチがあるのではない。
私のベンチがあるからそこが絶景なのだ。
ベンチが風景に評価を下しているのだと。

人々は風景を見に旅をするのではなく
ベンチを見つけに旅をするようになる。
見つけたベンチの数を自慢し、
ベンチがなかった旅は誰も羨ましがらない。

そして10年もすると
ベンチのない場所には誰も行かなくなるだろう。
そのときが来たら
私の愛するあの土地に私の遺骨を埋葬するよう
ここに遺言するものである。

出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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直川隆久 2016年5月15日

naokawa1605

ベンチ進化論

      ストーリー 直川隆久
         出演 遠藤守哉

 21世紀の中頃、日本中にベンチが大量発生した。
 ふつうならポツンと一台ベンチが置かれていた公園やバス停に、ひしめくようにベンチが集まっている、という不審な出来事が瞬く間に全国に広まったのだった。
 ベンチが集団行動をとるという例はそれまで報告されていなかったので、当初は保健所も無視を決め込んだ。が、新幹線の線路上にまるでアブラムシのごとくベンチが群生しているという事件が頻発するに及んで、国が本腰を入れざるを得なくなった。

 なぜベンチが大量発生したのか?
 ある生物学者は、「生存の危機」をベンチが本能的に感じとったからではないか、と述べた。
 ベンチなるものは場所および維持費用を無駄に食い、人々の怠惰を煽り、社会の生産性を下げる存在である…という国民的合意のもと、21世紀半ば以降新しいベンチが世の中に供給されなくなっていたため、ベンチは絶滅への途上をたどっていた。種の存続が危ぶまれるに及んで、ベンチの生存本能が刺激され、劇的な繁殖活動におよびその結果この大量発生にいたった、というのがその博士の見解だ。
 しかし、その学者もほどなく論文詐称で学会から抹殺されたので、真偽のほどは明らかではない。
  
 事態を打開すべく国内の叡智が結集し、新種のベンチが開発された。座っている人間の頭蓋に商品広告メッセージを響かせるテクノロジーを搭載した「iBench」である。
 iBenchは非常に強い自己複製志向のプログラムを搭載していたので、旧世代のベンチと猛然たる交配を繰り返し、次々と次世代のiBenchが生まれた。
 iBench達は、統率のとれた行動をとり、日本中の歩道を埋め尽くした。歩行者の移動は困難にはなったが、その分あらゆる場所がマーケティング的な意味でのコンタクトポイントになった。iBenchは人々に新商品情報と休憩の時間を惜しみなく与え、システムには平和が戻ったかに見えた。
 だが事態は、収束しなかった。
 地表をうめつくすiBenchに路上生活の場を奪われたホームレス達が、逆襲とばかりにこのiBenchを寝ぐらとして改造し始めたのである。ベンチで寝れば雨の日も地面からの浸水に怯えなくてよいので、都合がよかったのだ。瞬く間に、日本中の歩道がブルーシートで覆われた。政府は業を煮やした。ホームレス達は、可処分所得が0に近いので、いくら商品情報を提供しても、貨幣循環すなわち経済システムの維持に資するところがないからである。
 日本政府は特別予算を計上し、国内のすべてのベンチを撤去することを決定した。
 半年後、政府は事態の収束を宣言した。だが、市民の不安は払拭されたわけではなかった。べンチがいつ国外から持ちこまれ、繁殖しだすとも限らないからだ。
 そこで、生まれたのが「全歩道動く歩道化計画(ぜんほどう うごくほどうか けいかく)」である。すなわち、歩道のすべてを動く歩道にすれば、何人たりともそこで立ち止まれない。ベンチが道を占領しようとしても、押し流されてしまう。おまけに、大量の公共事業が発生する。この夢のような目標にむかって国民の心は一丸となった。
 かくして日本人は、その知恵と決断によって、ベンチの絶滅に成功した。

出演者情報:遠藤守哉 青二プロダクション http://www.aoni.co.jp/


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