ストーリー

三島邦彦 2020年11月15日「嫉妬」

「嫉妬」 三島邦彦

    ストーリー 三島邦彦
       出演 遠藤守哉

9回の裏、同点で迎えたツーアウト満塁。
サヨナラ勝ちのチャンスで監督の烏賊山(いかやま)は悩んでいた。

打順はピッチャーの鯵沢(あじさわ)。
代打を出さなくてはいけない場面。
ベンチに残された選手は2人。
一人はルーキーの鰻田(うなぎだ)、もう一人は7年目の蟹丘(かにおか)。

烏賊山はこの二人のことが嫌いだった。

ルーキーの鰻田は、高校時代に東京の有名校のキャプテンとして
甲子園でベスト4に駆け上がり
甘いマスクと爽やかなインタビューで全国的な人気者になった。
大学に進学し、満を持してプロにやってきたのだが、
本来ならまだまだ二軍で鍛えたほうがいいレベルだった。
しかし、グッズが売れるという理由で球団からの指示があり
一軍のベンチに入っている。
鰻田には、大学時代からグラビアアイドルと付き合っているという噂があった。

7年目の蟹丘は、本来ならレギュラー格の選手なのだが、
開幕からの不調が続き、ここ数試合はスタメンを外れていた。
そしてちょうどこの日の昼、
週刊誌に人気アナウンサーとの熱愛スクープが出た。
相手はスポーツ番組の担当で、球場に取材に来るたびに
烏賊山が可愛いなあと思っていたアナウンサーだった。
週刊誌の「不調の蟹丘、プライベートは絶好調!」
という見出しを見たときには心拍数が急上昇した。
偶然だが、その週刊誌の表紙は鰻田と付き合っているという噂の
グラビアアイドルだった。

鰻田と蟹丘。グラビアアイドルとアナウンサーと付き合う二人。
烏賊山はそういう奴らが嫌いだった。
四国の名門私立高校に入ったものの一度も甲子園には行けず、
社会人野球で頭角を現してドラフト6位でプロ入り。
チームの勝利を第一に考える献身的なプレースタイルで
16年間のプロ生活を地味に終え、コーチ生活を続けてきた烏賊山。
報われない選手たちの気持ちがわかるということで選手たちの信頼は厚く、
監督にまでなることができた。
妻は中学の時の野球部のマネージャーだ。

鰻田のバッティングはまだ大学生レベルに過ぎない。
しかしここで万が一にも打てば開花のきっかけになるかもしれない。
ただ、グラビアアイドルと付き合っている。
蟹丘は不調とはいえ実力はある。
ここで打つ可能性は鰻田よりもあるかもしれない。
だけど、人気アナウンサーと付き合っている。

どちらも嫌いだ。心から嫌いだ。
しかし、ここはどちらかを使わなければいけない。
鰻田か、蟹丘か。
グラビアアイドルか、アナウンサーか。
烏賊山は迷っていた。

鰻田と目が合った。あどけない顔をしているな。烏賊山はそう思った。

「鰻田、行って来い。」烏賊山は言った。

蟹丘の「えっ」という声が聞こえた気がした。
烏賊山は蟹丘に目を向けることなく、グラウンドを見ていた。

鰻田が打席に入る。震えているようにも見える。
プレイボール。ピッチャーが振りかぶり、初球を投げる。
147キロのストレートが、鰻田の尻を直撃した。
悶絶する鰻田。
サヨナラ勝ちの歓声が球場を包む。
選手たちはベンチから飛び出し、
ガッツポーズをしながらホームに還ってくるサードランナーを迎えた。
その光景を前に、ベンチの中で烏賊山は笑っていた。
心の底から笑っていた。



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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渋谷三紀 2020年11月8日「ベンチにて」

「ベンチにて」

ストーリー 渋谷三紀
   出演 藤谷みき

「キスをするのに最適な身長差について考えてみたんです。」
ベンチに座るなり、タカシは話し始めた。

「映画やドラマのキスシーンを見ていると、
キスをする時、男性は顔を横に傾けるようです。
自分の顔を自然に横に傾けてみると、角度はおよそ45度。
顔を45度傾けると、唇が何センチ下に下がるのかを
数学の三角比を使って求めてみます。
僕の首の付け根から唇までの長さを測ると12センチなので、
計算式は12-12sin45°で、およそ3.5。
キスをする時、男性の唇の位置は3.5センチ下に下がることになります。」
地面に図形や数式を書きながら、タカシは説明をつづけた。

「次は女性です。
女性は男性と回転軸が異なり、顔を上に向けるようです。
試しに顔を上に向けてみると、角度はおよそ30度。
女性の首から唇までの長さを8センチとすると、
計算式は8sin30°で、およそ4。
キスをする時、女性の唇の位置は4センチ上に上がります。

男性が低くなる3.5センチと女性が高くなる4センチを足すと、
キスをするのに最適な身長差は、7.5センチ。ですが、

ここでさらに考えてみます。
キスをするシチュエーションについて。
立ってキスをするとすれば、おそらく室内より屋外ですから、
必然的にもう一つの要素が加わります。
そう、靴です。
周囲の男女の靴をつぶさに観察したところ、
男性の靴底は平均1.5センチ、
女性のヒールは平均6センチで、
男女の靴の高さの差は4.5センチでした。
つまり、先ほどの7.5センチに4.5センチを足した12センチが、
キスをするのに最適な身長差だと、僕は結論づけました。」

わざわざ休日に公園のベンチに呼び出して、
この人は何を言っているのだろう。
唖然とするマチコに、タカシはうつむいて言った。
「僕とマチコさんの身長差はまさに12センチです。」 

もしかして、これは回りくどい告白なのだろうか。
それには気づかないふりをして、マチコは静かに言い返した。
「確かに私とタカシくんの身長差は12センチです。
ただし、タカシくんが163センチで、私が175センチ。
女性の方が高い場合は、計算が違いますよね。」

「もちろん、それも計算済みです!」
突然ベンチから立ち上がり、タカシは言った。
「高さ24センチのこのベンチの上に立てば、
僕はマチコさんより12センチ高くなります!」

果たして、タカシのそれは正解だったのだろうか。
マチコの採点が始まろうとしていた。



出演者情報:藤谷みき フクダ&CO所属

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中山佐知子 2020年10月25日「石蕗」

石蕗(ツワブキ)

   ストーリー 中山佐知子
      出演 地曵豪

「とくさ」という駅から歩いて
山をひとつ越えたところが津和野だった。
どれだけ歩いたのかはわからない。
いま鉄道の路線で見ても十二、三キロほどあるから
山道を歩くとなると、さあな…と言って祖父は首を傾げる。

これは祖父が若かったころの話だ。

津和野を見下ろす山から坂道を下っていくと
町の入り口あたりに茶店があった。
開け放ってある入り口から中に入ると
まだあどけないくらい若い娘がひとりで店番をしながら
長い野菜のようなものを刻んでいた。
お昼はとうに過ぎて腹を減らしていた祖父は迷わず中に入り
飯を頼んだら、名物の蕗飯と切り干し大根の汁と蕗の佃煮がでた。
津和野とは石蕗の野と言う意味で、
山や野原の日当たりのいい場所には石蕗が群生している。
アクが強く手間はかかるが
蕗飯と佃煮はあたりの名物だった。

その蕗飯をあっという間に一膳平らげ。
おかわりを運んできた娘にひとりかと尋ねたところ、
娘は多少の身の上話をし、
三月前に亡くなった父親の百か日が過ぎたら
奉公先を探すつもりだと答えたそうだ。

祖父はその晩、友人が紹介してくれた家に泊まり
いろいろおもてなしにあずかったが、
昼間食べた蕗飯が頭から離れず
翌朝、益田まで歩いて列車に乗る前に
娘の茶店へ行き、また蕗飯を食べながら少し話をした。

東京に帰ってしばらくすると娘が本当に訪ねてきた。
祖父の母は娘を見るなり
おばあさまにお願いしましょうと言って
娘を祖父の祖母に預けた。
祖父の祖母はむかしお旗本に行儀見習いに上がっていたという
しっかりもので、
女ひととおりの教養を身につけているかわりに
たいへん厳しい人だったが、条件付きで娘を引き取った。
条件というのは、祖父と娘が会うのを禁じるというものだった。

会うのを禁じられても、行けば娘がお茶を出すし、
たまには蕗の佃煮が届くようになる。
一年も過ぎる頃には
娘は簡単な手紙の代筆ができるようになり、
その字を見て祖父の母が感心するような具合になってきた。

三、四年も経ったころ、祖父は結婚を命じられた。
相手はあの茶店の娘だった。
すでにあどけなさは消えて、
ふっくらと優しげな面立ちのきれいな娘になっていた。
姿勢の正しさと歩きかたが
なんだかばあさまそっくりだ、と、祖父はひそかに思ったそうだ。

この結婚はうまく行った。
僕が知っている祖母は優しいがしっかりした人で
どこかのんびりした祖父は
この人のおかげで大過なく生きてこられたと思う。
祖父の家の庭の、日当たりのいい場所には
艶々した緑の葉を広げた石蕗があり、
10月には黄色い花を咲かせていた。

石蕗は丈夫でいつも青々としているせいか
日陰の暗い場所に植える人が多いが、
日向に移してやると毎年花が咲く。
祖父はたぶん、庭の石蕗を植え替えるように
娘を日が当たる場所に移してやりたかったのだ。
それは祖父のいっときの気まぐれだったかもしれないが、
娘は辛抱を重ねて花を咲かせたのだろう。
いま僕はそんな風に思っている。



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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直川隆久 2020年10月18日「10月のたのしみ」

10月のたのしみ

         ストーリー 直川隆久
            出演 遠藤守哉

え?
あ、インタビュー?
はいはい、いいですよ。

ああ、いい陽気だね。
え、これからどこへ?
近所の小学校にね、見物に行くんですよ。
運動会だよ。
10月といえば運動会でしょ。

いや、そうなのよ。
今年はさ、たいがいの小学校、コロナで中止なんだよね。運動会。
たるんどるね、まったく。
でもね、この先の「すめらぎの園 小學校」はね、敢行しとるんですよ。運動会を。
コロナをものともせずね。感心にも。

え?
いや、保護者じゃないよ。
純粋に鑑賞に行くわけ。

運動会でわたしが楽しみなのはね、ま、組体操とか騎馬戦もあれなんだけど、
一番好きなのは、行進だね。
え?なにが楽しい?
わからんかねえ。
こどもたちってのはさ、元来、自由奔放に、放埓に生きたいもんじゃないの。
その子どもたちがだね、ぴしっとこう、集団行動を美しくするように調教…
調教っつたら、あれか(笑)、
教育、そうそう、教育されてる、その有様を見られるのが、行進なわけよ。

おいっちにぃ、おいっちにぃ、みぎ、ひだり、みぎ、ひだり…
ぜんたーい、とまれっ!
きをつけー!
まえへーならえっ!
(満足げな笑い)
いやー、その様子を見てるとね、ああ、美しいなあ。としみじみ思うんだなあ。

小学校学習指導要領を読むとね、この「集団としての行動」が非常に重要な、
教育のですな、項目として考えられている、ってことがわかるわけ。
こどもの成長にしたがって、少しずつ与えられる課題が高度化していく。
その計画がねえ、非常に緻密に組み立てられててね、
ほとほと感心するんだな。

あぁた、知ってる?
文部科学省が発する学習指導要領のだね、
「各学年の目標および内容」ってのを見てごらんよ。
ググればいいでしょ。
うん、で、そこにさ、小学生の体育の内容として、
こういうことをおやりなさい、ってことが書いてあるじゃない。

第1学年と第2学年のとこを見るとだ。ま、いろいろあるんだけど、
その中のひとつに「縦隊」…縦にならんだ隊列、ね?「縦隊の集合、
整とんなどの集団としての行動ができるようにする。」ってのがある。
そう、たてにまっすぐ並んでね。前へならえ!ってできるようにしましょうと。
これが、こどもが学ぶべきことだ!と、はっきり書いてある。
小学校1年からだよ?
すばらしいなあ。
縦隊ってのはあれだよ、軍事用語だからね?
大日本帝国陸軍の伝統がね、学習指導要領にはこんにち、なお、
脈々と息づいている!
うちてしやまむ!
月月火水木金金!
伝統の裾野は、小学校1年の幼子にまで及んでいるわけよ。

で、第3学年、第4学年のとこを見るとどうか、というとだ。
「縦隊の集合、整とん、行進などの集団としての行動ができるようにする。」
とあるわけ。

え、さっきと同じ?なに言ってんの、もう。
「行進」てのが加わってるでしょう!「行進」が!
ここで、いよいよ、行進がでてくるわけ。いや、はっきり言いましょう。
行軍ですよ、行軍。
小学校3年生から、行軍のシミュレーションをしているんだよ、
わが国の少年少女は!
これがけなげと言わずして、なんだという話だよね。

で、第5学年と第6学年の学習内容として、「縦隊及び横隊の集合、整とん、
列の増減などの集団としての行動ができるようにする。」って書いてある。
ね、縦隊に加えて横隊!さらに列の増減!
こうやってさ、丁寧な段階を踏むことによってだね、日本の子どもたちは、
規律と統制を身につけていくわけだな。
横溢する生命の躍動はさ、枷をはめられてこそ、美しく輝くんだ。
たまらんねえ。

え、なに?
歳?わたしの?
今年、70だね。
ああ、だから先の大戦のときはまだ生まれていませんよ。

あ?なに?
「実際の戦争を知らない」?
そりゃ知りませんよ。生まれてないんだから。
生まれる前のこと知ってたら、オカルトだろ。

いや、わたしは勉強してますから。
本、すごい読んでますから。

あれ?

ひょっとして、あれか?
おたくら、「戦争の現実を知らない世代が、戦争賛美」みたいな、
そういう浅い批判をしようと思ってる?
そういう系のメディアの人たち?

なんだよ。
なに。

なにが悪い!
軍服着てカメラぶらさげて、何が悪いんだ!
自由だろう!それが自由じゃないのか!
ステロタイプで人を判断するな!
表現の自由を侵害するんじゃないよ!

もういい、もういい。
反論してくんな。反論してくんな。
あーあ、しゃべって損した。
忙しいんだ、わたしは。
早く行って、ローアングルで女子たちを狙えるポジションを
確保しなくちゃならんのだから。

はい、失敬しますよ。失敬、失敬!



出演者情報:遠藤守哉(フリー)

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小野田隆雄 2020年10月11日「10月の露天風呂」

  10月の露天風呂

     ストーリー 小野田隆雄
       出演 大川泰樹

今年の10月1日は、
昔の暦では8月15日になる。
昔の暦の10月1日は、
現代の暦では11月15日である。
現代の暦は地球が太陽をひと回りする、
約365日を基本にしている。
昔の暦は月の満ち欠けに必要な
約29日を基準にして作られているので、
1ヶ月が30日にならない。
そのために、1ヶ月の日数を29日か30日として、
1年を12ヶ月または13ヶ月とした。
たとえば10月が二度ある年もできたりしたのである。
そうすることで、日数を調整し、
季節を合わせるようにした。
18世紀には世界の多くの国が現代の暦を使用していた。
日本は鎖国をしていたので、
ずっと昔の暦を使用していた。
それで別に問題もなかった。
けれど鎖国を止めて、
世界の国々と交流するようになると、
よその国との関係で、不便なことも重なったのだろうか。
明治政府は明治5年1872年の12月3日を、
1873年の1月1日と定めた。
古い暦を捨てたのである。
暦が変わって、人々がいちばん影響を受けたのは、
季節感だったかもしれない。
昔の暦では、1月から3月まで春、
4月から6月まで夏、7月から9月まで秋、
10月から12月までが冬だった。
奈良や平安の時代から江戸時代まで、
1000年以上も、
日本人は春に始まり冬で終わる一年の暦の中で、
季節感を育ててきたのだと思う。

暦のことに少しこだわった理由は、
私の季節感の中で、10月のイメージが、
あいまいになってしまうからだった。
暑い夏が去ってひんやりと秋の風が吹いてくる9月。
空気の冷たさが冬の訪れと
秋の終わりを知らせてくれる11月。
秋の代表的な季節感は、
みんな9月と11月に持っていかれてしまう。
私はいつも、そんな感じを持っていた。
そのくせ、10月という名前に強く秋を感じてしまう。
この落ち着かない気持ちは何だろうか。
この落ち着かない、けれどはかない気持ちは何だろうか。
そのような10月のイメージが、
昔の暦では10月を冬の始まりとしていることを知って、
なんとなくホッとしたのは高校時代、
古文を学ぶようになった頃だったと思う。
その10月について、次のような記憶がある。
なつかしいが、少し恥ずかしい記憶でもある。
大学受験に失敗して浪人していたとき、
9月の模擬試験で、最悪の点数を取った。
それを理由として、気分転換のために旅に出た。
群馬県の長野原から山深く入った温泉宿を目指した。
家族旅行で何度か訪れた旅館である。
長野原の駅に降りたったとき、
北関東の団体らしい人たちが
大声で話しているのが聞えた。
「今夜は仲秋の名月じゃないかい?」
とすれば、あの日は10月の15夜だったのかもしれない。
なぜか、あの大声が、今も耳に残っている。
旅館について夜になり、夕食のとき、
私はビールを一本つけてもらった。
高校を卒業してジュース、というわけにはいかない。
旅館の人は、私を大学生だと思っている。
「今夜はお月さまがきれいですよ。
ゆっくり露天風呂で見るといいですよ」
私と同年配のような女中さんが、
最初の一杯だけビールをついでくれて、席を立った。
食事が終わって一人、NHKテレビを見ていた。
山深い場所では民放は写らない時代だった。
参考書を開く気にもなれず、
私は露天風呂に行ってみようと思った。
「男湯」の看板がかかっている曇りガラスの戸を開け、
脱衣所から浴室へ。
浴室の先に露天風呂の入り口が見える。
大きな岩の間をくぐり抜けると、
谷川の流れる音が聞こえて、
川筋を見おろすように露天風呂が広がっていた。
月の光をあびて、川の流れが見える場所に、
ゆっくりと腰を沈めた。よく晴れた夜。
虫の声と川の流れる音を聞く。
客は私ひとりだった。
しばらく眼を閉じていた。
5分ほど過ぎた頃、
突然にはなやいだ女性の声が、
驚くほど近くで聞こえた。
振り返って、露天風呂の入口の方向を見ながら、
私は思い出した。
ここの露天風呂は、
入口は男湯と女湯に分かれているけれど、
湯船はひとつだったのである。
湯船は広い。それでもお互いの顔は、はっきりと見える。
すぐにその場で、風呂から出ればよかった。
しかし女性たちの前を、
お湯をかき分けて進む勇気が出てこない。
私は顔をあげてお月さまを見あげていた。
「お邪魔さまです」
「ごめんなさい、お兄さん」
彼女たちはくったくなく私に声をかける。
私は月を見あげたまま受け答えをしていた。
話を聞いていると、
彼女たちは生命保険の女性セールスマンのようだった。
私はついに、やっと「お先に」と言い、
ジャブジャブと湯船を歩いて、露天風呂を出た。
そして脱衣所にたどり着いた。
浴衣を着るまでの記憶はあった。
情けないことに、私はそのまま失神してしまったらしい。
温泉の湯気に当り、脳貧血を起こしたのだ。
気づいたときは、自分の部屋に寝かされていた。
宿の人と生命保険の女性たちが、
心配そうに私の顔をのぞいている。
きっと露天風呂を出ていく私の様子に、
彼女たちは不安なものを感じ取ってくれたのだろう。
「ああ、よかった」
誰かがつぶやいた。
私は布団をかぶってしまいたかった。
翌日の早朝、
私は長野原の西にある鳥居峠に向かって少し歩いた。
この峠を越えれば長野県である。
青空に強い風が吹き、
色づき始めた雑木林の枯れ葉が、
小鳥のように飛んでいく。
昨夜の彼女たちは、
今日は赤城山にいくと話しているのを思い出した。
私は宿に戻った。
彼女たちに「ありがとう」を言おうと思った。



出演者情報:大川泰樹(フリー) http://yasuki.seesaa.net/

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正樂地 咲 2020年10月4日「10月のOJJM」

10月のOJJM

   ストーリー 正樂地 咲
      出演 地曵豪

松山さんが 大きめジージャンを 羽織ったから
ようやく ぼくにも 秋が来た
大きめジージャンを 羽織った松山さんは  ぼくに
くりごはんより さんまより さつまいもより
今が秋なんだと 知らせてくれる

“大きめジージャンの松山さん”
略して「OJJM (オー ジェイ ジェイ エム)」
「OJJM」は 綿菓子とチョコレートパフェの
かわいさを足して倍にして そこに
子猫も トッピングしたような …
  
まぁ しかし 今年の長引く暑さには 
ヒヤヒヤした 暑いのに ヒヤヒヤ
9月に入っても 涼しくならず
今年は「OJJM」なしのまま
「FFCM(エフ エフ シー エム)」
”ふわふわコートの松山さん”に 突入かと 
春の花見も 夏の海水浴も なかった今年…
って 毎年どっちも 関係ないけども
「OJJM」まで失ったら
季節の移ろいなんて あってもなくても同じだろ
それが この10月に入った途端
不意打ちの「OJJM」解禁
鮎釣りの解禁 潮干狩りの解禁と並んで
世界3大解禁のひとつ
ニュースキャスターは 伝えます
待望の「OJJM」 いよいよ 解禁です
そして さらに 臨時ニュースです 
臨時ニュース? なんだそれ?
下品な関西人であり 友人でもある 広瀬氏の 
LINEによれば
例の松山さんの大きめジージャン
あれ彼氏のらしいで(笑)

ぼくの秋は今 終わった 冬だ 永遠の冬が始まった



出演者情報:地曵豪 http://www.gojibiki.jp/profile.html

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