2009 年 4 月 25 日 のアーカイブ

江口順也

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江口順也の仕事
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http://www.youtube.com/watch?v=rbvJRP4a5Ag&feature=channel_page



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厚焼玉子 09年4月25日放送

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アントワネットの結婚式

ウイーンの春は木に咲く花からはじまる。
桜が咲き、リンク通りのカエデが満開になり
レンギョウの枝が黄色の花でいっぱいになると
もう4月だ。
木蓮の大きな蕾も膨らむ。

マリー・アントワネットの結婚式も4月だった。
1770年の4月、
王宮のアウグスティーナ教会に到着した花嫁は
14歳と6ヶ月、
花婿は婚約者のフランス皇太子ではなく
皇太子と同い年の兄、フェルディナンドが
代理をつとめていた。

王宮の庭ではリラの花が咲いていた。

アントワネットを歴史の舞台に送り出す準備は
こうして進められていく

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ウイーンの四月に

4月のウイーンは冬と春のせめぎあい。
日が延び、木々も芽吹き
カフェもテラスにテーブルを出しているのに
冬は最後の意地で道路を凍らせたりもする。

おかげでこの街のクルマは
4月15日まで冬のタイヤでないと罰金を取られることに
なってしまった。

14歳だったマリー・アントワネットの4月は
別れの月だった。
母に、家族に、さようなら。
そして生まれた国にも別れを告げて 
迎えの馬車に乗り、フランスに向かった。

57台の馬車と367頭の馬が
まだ少女だった未來のフランス王妃を守っていた。
3日間走り続けたその道は
春の花が散り敷くあたたかい道だったのか
馬の蹄も凍る冷たい道だったのか。

1770年4月
マリー・アントワネットはフランスへの旅の途中。

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はじめてのプロポーズ

ランバッハの修道院は
モーツァルトの楽譜が発見されたことで有名だ。
1769年、13歳のモーツァルトが
宿泊と食事のお礼に楽譜を置いていったのだという。

モーツァルトは6歳のときに
一度だけアントワネットに会っている。
ウイーンの王宮に招かれて演奏したときのことだ。
転んだモーツアルトを助け起こした
ひとつ年上のかわいい王女に
「僕のお嫁さんになってください」とプロポーズしたのは
有名な話。

やがて1770年
14歳のアントワネットもまたランバッハの修道院を訪れる。
それはフランスへ向かう旅の二泊め。
楽譜のことを知るよしもない。

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クグロフのうた

クグロフは不思議なお菓子。
パン屋さんで買うとパンのようなクグロフ、
お菓子屋さんで買うとお菓子のクグロフ。

クグロフには包容力がある。
卵とバターと粉があれば、
チョコレートチップ、くるみ、干しぶどう
あとは何でも好きなものを入れて
作る人の好みの味になってくれる。

クグロフは名前がかわいい。
口の中でころころころがる。

クグロフはウイーンがふるさと。
マリー・アントワネットのお嫁入りと一緒に
フランスまで旅をして
それから世界の人気ものになった。

アントワネットはお菓子が好きだったけれど
ウイーンがお菓子の街で、お母さまもお菓子好きで
生まれたお城にはヨーロッパのお菓子職人が集まっていたから
これはもう、しかたがない。

でも食べてみればわかるけれど
クグロフは決して贅沢なお菓子ではありません。

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ゲーテが目にしたもの

国境はライン川の真ん中だった。
その見えない国境を越えて向こう岸に渡ると
ストラスブールの街があった。

ストラスブールの大学に学んでいたゲーテは
マリー・アントワネットの婚礼の行列が街を行くのを目撃し
馬車の窓越しにアントワネットの姿もかいま見ることができた。
真っ直ぐ前を向いて姿勢正しく座る14歳の少女の姿は
ゲーテの心をとらえ、一生忘れることがなかった。

アントワネットは、ストラスブールの街へ入る前、
ライン川の中州につくられた建物の中で
オーストリアのドレスを脱ぎ捨てて
肌着から靴まで、すべてフランスのものを
身につけなければならなかった。

国境まで付き添ってきた家臣たちもすべて帰し
たったひとりで、フランスへの一歩を
踏み込んだばかりだった。

1770年4月
マリー・アントワネットは旅をつづけている。

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ドナウ川の緑の渓谷の上で

メルクの修道院は
ドナウ川の緑の渓谷の断崖の上にある。
バロック様式の建物は大きく、中も外も豪華に装飾されて
修道院というよりはお城のようだ。

メルクはもともとオーストリアの首都であり
修道院も国王の城として建てられていた。

マリー・アントワネットは
ウイーンを出発して8時間後にメルクの修道院に到着し
家族と離れたはじめての夜を過ごした。

絢爛たる天井画も図書館の10万冊の本も
修道院の生徒が歌うオペラも慰めにはならず
ただ悲しそうな顔をしていたと記録されている。

1770年4月
マリー・アントワネットはフランスへの旅の途中。

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ゲーテが目にしたもの2

アルザス地方の中心地ストラスブールが春を迎えるころ
アントワネットがフランスの王太子と結婚するために
この街を通るという噂があった。

街の大学生のグループは
アントワネットが休息する建物をのぞき見たいと考えて
行列が到着する数日前に
門番を言いくるめて中に入った。

その大学生の中にゲーテがいた。
ゲーテは部屋を飾るタペストリーを見て
声をあげて驚いたそうだ。

タペストリーには
ギリシャ神話のなかでももっとも不吉な結婚をする
王女メディアの物語が織り込まれていた。

1770年4月
アントワネットの旅はつづいている。

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