2010 年 6 月 20 日 のアーカイブ

石橋涼子 10年06月20日放送

セオドア・ヘスバーグ

1.父の役割 セオドア・ヘスバーグ

父親の役割は何だろう。

いつもはどっしり構えて、
いざというときに体を張って家族を守る?
定期入れに家族の写真を入れ、
毎日汗水流して働く?

牧師であり哲学者でもある
セオドア・ヘスバーグは、こう語る。


 父親が子どもたちのためにできることで
 一番重要なことは、
 子どもたちの母親を愛することである。

お父さん、
たっぷりお母さんを愛して
父の威厳を示しませんか。

今日は、父の日です。

福沢諭吉

2.父親の楽しみ  福沢諭吉

明治の啓蒙思想家であり学者でもある
福沢諭吉。

昔の偉人と言うと、
家庭を顧みないイメージを抱きがちだが、
諭吉はとにかく子煩悩だった。
9人の子ども全員の育児日記をつけ、
毎晩、一番小さい子どもと一緒に眠った。

寝付きの悪い娘が夜中に目を覚まして
眠れないと泣きついたとき、
諭吉は、天井をさして言った。


 ごらん、お月さまがお部屋にきてくれたよ。

それはストーブの煙突のために開けられた穴が
外の明かりを受けて丸く光っていたのだが、
娘は、小さなお月さまに見とれているうちに
眠りに落ちた。

教育者としてではなく、父として。
諭吉を動かしたのは、理論より愛だった。



3.父から息子へ レオポルト・モーツァルト

音楽界一の教育パパとして有名なのは、
あのモーツァルトの父、
レオポルト・モーツァルト。

幼い息子が音楽の才能を備えていることに気付いた彼は、
自分の出世も人生も捨てて、
息子の才能を開花させることにすべてを捧げた。

しかし、神童モーツアルトの成長に伴って、
教育者として、プロモーターとして
レオポルトにできることは少なくなる。

成人した息子にできることは、
父としてのアドバイスだけ。
仕事の相談から、生活のこと、
世間知らずな息子への叱責まで。

恋に盲目になった息子には、
「お前の手紙はまるで小説みたいだ」
と書いてさとし、
失恋した息子は、父に宛てて
「今はただ泣きたい」
と手紙を送った。

後に偉大な作曲家となったモーツアルトが
後世に残したのは、膨大な名曲たちと
数百通にわたる、父との手紙だったという。



4.ふたつの光 ジェームズ・サーバー

シニカルだけどあたたかいユーモアたっぷりな
短編を得意とした作家、ジェームズ・サーバー。
彼が残した言葉。


 光には2つある。
 ものを照らす鮮やかな光と、
 おおい隠すギラギラした光と。

確かに近ごろ、夜はあるが、闇は少ない。

今は、一年でもっとも夜が短い季節。
今夜は電気の代わりにろうそくを灯して、
暗闇を楽しんでみませんか。

J-WAVEは100万人のキャンドルナイトを応援しています。

topへ

熊埜御堂由香 10年06月20日放送

忌野清志郎

5.おもしろい夜 忌野清志郎


 やってみようじゃないか。おもしろい夜になりそうだぜ。

ロックミュージシャン・忌野清志郎は言った。
2003年、はじめての「100万人のキャンドルナイト」で、
東京タワーのライトダウンイベントに誘われ、すぐさまOKした。

NGOナマケモノ倶楽部が日本ではじめたこのイベント、そのきっかけは
あるアメリカ人から1通の「おもしろい」メールが届いたから。
件名は「ひとりひとり暗闇で手をつなごう」。

ブッシュ元大統領の石油エネルギー政策に抗議する
そのメールは世界中に転送された。
それは声高に環境保護を訴えるものではなかった。
夏至の日の夜、電気を消し、暗闇の時間を自分の感性で
楽しもうというメッセージ、だから世界に広がった。

そして今夜は8年目のキャンドルナイト。
静かな闇の中だから浮かんでくる気持ちが
誰の中にもあるはず。

清志郎も歌っていた。


 暗い暗い夜はいつでも
 甘い甘い夢が暖めてくれるさ。

ウィルヘルム・ブッシュ

6.父にならなかった男 ウィルヘルム・ブッシュ


 父親になることは難しくないが、
 父親であることは極めて難しい。

近代漫画の始祖と言われたドイツ人
ウィルヘルム・ブッシュは言った。

1865年にブッシュが発表した絵本、
「マックスとモーリッツ」は、
ふたりのいたずら小僧が主人公だ。
ブラックユーモアに満ちた内容で、
最後にはふたりは臼で潰されて、
アヒルの餌にされてしまう。

気難し屋のブッシュは生涯独身だった。
父親らしくあること、その難しさを
躊躇せずに、彼が父親になっていたら?
常識破りの面白い親父になっていたかもしれない。



7.父の存在 日本中のおとうさん

ある小学校6年生がこんな詩を書いた。


 おとうさんのあとに風呂にはいった。
 底にすこし砂があった。ぼくたちのために働いたからだ。

おとうさんが家族を守っている。
いつもは目に見えないその事実に、
思いがけず、気づく瞬間がある。

口に出して言ってみる。
おとうさん、ありがとう。
今日は、父の日。



8.出生の秘密 ジョン・ブルース・ドット夫人


 母の日はあるのに、どうして父の日はないんだろう。

1909年、アメリカ。
ジョン・ブルース・ドット夫人という女性が、
ふと思った。
前年に母の日が設立されたばかりだった。

ドット夫人の父は、男手ひとつで6人の子どもを育てた苦労人。
ひとり娘のドット夫人は特に可愛がられた。

亡き父のため、「父親を尊敬し、称え祝う日」の設立を聖職者同盟に嘆願。
そして、7年後の1916年に「父の日」は設立された。

けれど母の日は1914年には、祝日になったのに、
父の日は、なかなか昇進できず、約60年後の
1972年にようやくアメリカで祝日になった。

ひとり娘が父を想い、
苦節の末、誕生した父の日という祝日。
母の日の2番煎じか、
なんて、へそ曲げないでね、お父さん。

topへ


login