2011 年 1 月 のアーカイブ

三陸の海からのおたよりです



三陸の海のかたから、こんなコメントをいただきました。

 宮城県 牡蠣の森を慕う会(代表 畠山重篤)と申します。
 森は海の恋人運動にコメント頂いている方にお知らせいたしております。
 この度、畠山重篤エッセイブログの掲載を開始いたしました。
 ご覧いただければ幸いです。
 今後とも、本運動にご理解、ご賛同賜ります様、お願い申し上げます。

昭和40年代から50年代にかけて
牡蠣の養殖で名高い気仙沼の自然環境が悪化したことがあります。
原因は工場排水、家庭からの排水、農薬、除草剤
手入れをしない針葉樹林から流出した赤土、
それらが湾内に流れ込んだのです。

醤油を流したような赤潮を吸い込んだ牡蠣は
すべて廃棄処分されました。

それに追い打ちをかけるように
湾からわずか8キロ上流のダム計画。
海に必要な養分は川によって山からもたらされるのに
その川を堰き止めてしまったら。

山(森)、川、海を別々に考えるべきではない。
これらはすべて繋がっている。

そんな考えからNPO法人「森は海の恋人」が誕生しました。
海に生活の根拠を置く人たちが山を守り
山から流れる川の流域の自然を守る活動をはじめたのです。
山に木を植え、草を刈り、里山をつくり、
生物多様性のワークショップを開き、
NPO法人「森は海の恋人」の活動は多岐にわたっています。

おたよりをくださった畠山さんはこの活動を推進した
中心人物です。
お暇があるときに、海と山のことをちょっと勉強しませんか。

畠山さんブログ:http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/
海は山の恋人HP:http://www.mori-umi.org/base.html

なお、このコメントは去年6月5日のVision原稿掲載ページに寄せられました。
以下にその原稿をコピーしておきます。


海は森を恋いながら 熊谷龍子

 森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく

この美しい言葉は宮城県の歌人熊谷龍子さんが詠んだ歌。
熊谷さんは森のなかの家に住み
山から海を考えたことはあったけれど
海から山を見たことはなかった。

誘われて海へ行った。
海の水で洗っただけのまっ白な牡蠣を食べた。
その牡蠣は森の恵みだと教えられた。
びっくりした。

森の落ち葉が腐葉土になり
森に降った雨が腐葉土にしみ込んで
その養分を川に運ぶ。
その川はやがて海につながっていくのだ。

海と森には深い絆がある。
太古からの地球の営みのなかで
海と森はつながっている。

森は海を、海は森を恋い慕っている。
この言葉を忘れないようにしよう。


森は海の恋人 畠山重篤

宮城県気仙沼の海が茶色になったのは
昭和40年代から50年年代にかけてのことだった。

その原因は多過ぎるほどあった。
工場排水、一般家庭からの排水、農薬に除草剤、
手入れのされない針葉樹林からの赤土…

気仙沼で牡蠣の養殖をしていた畠山重篤さんは
まっ白なはずの牡蠣の身が赤くなったことに驚き
ヨーロッパまで視察に行って勉強をした。

いままでの海を取り戻すには何をすればいいのだろう。
海ばかり見ていたのではダメなんだ。

海には植物プランクトンの森がある。
海の森を育てるのは山の森だ。
山の森の養分を川が運んで海の森を育てることがわかった。

いま、畠山さんは「森は海の恋人」というNPO法人の代表として
海に生きる人たちの手で山の森を育てる活動をしている。

木を植え、森を育て、里山をつくり
気仙沼の海は少しづつキレイになっている。

「森は海の恋人」という言葉は歌人熊谷龍子さんの歌からもらった。

  森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく

美しい言葉に負けない美しい海を…

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岡安徹くん、門田組に参戦

岡安徹くん、1月29日から参戦します。

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小山佳奈 11年01月16日放送


カミュ

「今日、ママンが死んだ。」

有名な一節から始まるカミュの「異邦人」は
あるひとつの友情から生まれた。

カミュの友人、パスカル・ピア。
彼はこの原稿を一目でほれこみ
ありとあらゆる伝手を使って
出版社に売り込んだ。
フランスでダメなら
アメリカまで持っていった。

なぜこの無名な作家に
そこまで力を入れるのか。
ピアはこう答えた。

「僕は彼が大好きです」

その一言で、十分だった。


カミュ

貧しい家庭に育ち
将来は親戚の肉屋を継ぐはずだった
作家、アルベール・カミュ。

彼のただならぬ文才を見いだしたのは
小学校のジェルマン先生だった。

彼はカミュに文学の素晴らしさを教え、
根気づよく家族を説得し続けた。

それから30数年後の
ノーベル文学賞の受賞式で
壇上に立ったカミュのスピーチ。

「受賞の知らせを聞いて私は
 母のこと、それから、
 ジェルマン先生のことを思いました。
 いまでも私は先生に感謝する
 小さな生徒です。」

私たちも先生に感謝しなければならない。
今こうしてカミュの作品を読むことができるのだから。


カミュ

読み聞かせ、
という言葉がもてはやされているけれど。

20世紀初頭のアルジェリアの
貧しい家庭に生まれた少年には
読んでもらう本もなかった。

戦後史上最年少でノーベル賞を受賞した、
アルベール・カミュ。

彼の母は文字も読めず耳も聞こえない。
父は一歳のときに戦死していない。

身の周りには生活するのに最低限のものしかなく
本棚なんて学校に入るまで見たことがなかった。

それでもカミュは
作家になろうとし、成功をつかんだ。

 「意志もまたひとつの孤独である」

カミュのこの言葉に漂う悲しみは
彼の描く人間の悲しみでもある。


カミュ

作家、アルベール・カミュは、
おそらく文学史上もっとも
自信のない作家だった。

44歳という若さでノーベル賞を取りながら
死ぬまで自分の才能に自信が持てなかったカミュ。

俳優に転向しようと考えたり、
スター女優を愛人にして
なんとか箔をつけようとしたり。
「もう書けなくなりました」と
友人に泣きながら手紙を送ったり。

「書けなければ、私はせいぜい面白い傍観者だったにすぎない。
 書ければ、私は本当のクリエーターだったということだ。」

彼ほどの作家が自信を持てないとしたら
わたしたちはどうすればいいんだろう。


カミュ

作家、アルベール・カミュ。

彼はとにかく苦労人だ。
家が貧しかった彼は、
働きながら小説を書き続けた。

その職業も多岐にわたる。

自動車部品のセールスマンから
船舶仲買人、公務員、はては測候所員まで。

あるときの勤め先は、新聞社だった。

新聞社といっても
彼の担当は、割付けや校正といった
いわゆる技術職。
最後までその文才を職場の人に
見せることはなかった。

それから数年のち、
「異邦人」でカミュの名前が世間に知れ渡ったとき、
新聞社の人たちはみな腰を抜かした。

「あの影の薄い校正係が。」

人を驚かせることが
小説のあるひとつの役割だとしたら
カミュはまさにしてやったりだったろう。


カミュ

不条理をテーマにした「異邦人」で
戦後最年少でノーベル賞をとった
アルベール・カミュ。

彼はどんなにか才能はあったかもしれないが、
女性の眼から見ると問題は多い。

愛人が何人もいるのは当たり前。
ずっと好きだったフランシーヌが、
ようやくプロポーズを受けてくれたそばから
結婚なんて人生の終わりだと別の女性に泣きつく。
口癖は「君なしでは生きていけない」。

わかってはいるのに
好きにならずにいられない。

彼の気持ちは
彼の小説以上に
不条理だ。


カミュ

いまから51年前の1月。

作家、カミュは、
あっけなく死んだ。

友人が運転するクーペが
130キロで走行中にタイヤがパンクして
道路脇のプラタナスに激突。
助手席にいたと思われるカミュは即死だった。

死期を悟っていたのだろうか、
亡くなる直前
字の読めない母親に
手紙を送っている。

「あなたがその心と同じように
 若く、美しくありますように。」

読めない手紙を
母親は死ぬまで
大切に持ち続けた。


カミュ

作家、アルベール・カミュが亡くなって
50年後の2009年。

フランスのサルコジ大統領が
カミュのお墓をパリのパンテオンに
移すと言い出した。

パンテオンといえば
国家の英雄が眠る場所。

これに、フランス国民は激怒。
死ぬまで反体制を貫いたカミュを
政府の人気取りのために利用するなんて。

国中が感情的になる中
スピーケルという一人の研究者が
こう言った。

「私が口をはさめることではありません。 
 けれども彼ならば
 冷たい大理石よりも
 あたたかな日差しに包まれた
 故郷のラベンダー畑を好むでしょう。」

そしてカミュは無事
故郷のルールマランに
眠りつづけている。

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石橋涼子 11年01月15日放送


女優の素顔 高峰秀子

先日、86歳で息を引き取った女優 高峰秀子は
5歳で天才子役としてデビューしてからずっと
日本映画界の黄金期を支え続けた。

その輝かしい経歴に比べて私生活には恵まれず、
子役として売れると、親戚中から収入を頼られ続け
学校にも満足に通うことができなかった。
30歳になるまで引き算ができず、
辞書の使い方も知らなかったという。

そんな彼女が書くエッセイは瑞々しく潔い文章で、
文豪・谷崎潤一郎が驚いたというほどだった。
どう書くのかと問われると、本人は軽やかに

文章というよりも、恥をかくつもりで書いたの。

と答えるのだった。

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熊埜御堂由香 11年01月15日放送


女優の素顔 原節子

日本人離れした顔立ちで、神秘の女優といわれた原節子。

大女優まで登りつめながら、43歳で静かに引退する。
もっとも信頼した監督、小津安二郎の葬儀以降、
ふっつり公の場から身を引いてしまったのだ。
復帰を願う署名活動や、鎌倉の実家に
押し掛けるマスコミにも沈黙を続けた。

原節子は言った。
生まれつき欲が少ない性格なんです。
好きなものを順に言えば、まず読書、次が泣くこと、
その次がビール、それから怠けること。

彼女は、誰かの人生を演じることよりも
自分の暮らしを味わうことに
人生の後半を捧げたのだ。


女優の素顔 菅井きん

21歳の女優の卵に、与えられた芸名は、
菅井きんだった。
おばあさんみたい・・・と思いつつ、
尊敬する演出家の前ではイヤだと言えなかった。

女優、菅井きんの初舞台はトメという農家の娘役。それ以降も
地味な役が続いた。
芸名のせいだわ。そう思っていた。

そして数十年。
年齢とともに、芸名が
自身に寄り添ってきたと感じるようになる。
だから、今、自信を持って言える。
得意な役どころは、
わき役、ふけ役、いびり役。

女優は美人がなるものだ。
そう父親に猛反対され、家を飛び出すように女優になった
菅井きんの素顔は、朗らかで力強い。

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石橋涼子 11年01月15日放送


女優の素顔 原田美枝子

女優、原田美枝子は
3人の子どもの母親でもある。

38歳で3人目を出産した直後に、
映画の出演依頼がきた。
小さな村に住む双子の母親役だった。
脚本には、入浴シーンがあった。

原田美枝子は10代の頃から
作品のために裸になることをためらうことはなかった。
しかし、3人の子どもを産んだ体で
スクリーンに映ることに、初めて不安を覚えた。

一週間悩んだ結果、こう考えることにした。

現実に、子どもを産んだ母親なのだから
このままの自分でいいじゃないか。

低予算で製作されたこの映画は
ベルリン国際映画祭などで
高い評価を受けることになった。

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薄景子 11年01月15日放送


女優の素顔 岸恵子

どんな女優になりたいか。
若いころ、記者たちに聞かれると
岸恵子は言った。

私は、私になる。

海外旅行がまだ自由化されていない時代に、
トップ女優の座を捨てて、パリに移住。

フランス人の映画監督との結婚は18年で終わり、
その後も、政情が不安定な国をめぐっては
民族紛争や人種差別と向き合った。

危うく刑務所に入れられそうになったことも、
過激派に襲われたこともある。
そんな事態に遭遇しても、彼女は度胸を据えて、
世界の現実から目をそむけることはなかった。

そこに知るべき何かがあるかぎり、
岸恵子の旅に終わりはない。
拠点はどこかと聞かれれば、

国は関係ありません。
魂の在り処は自分です。


女優の素顔 江波杏子

何かあったら、この人に相談したい。
女優、江波杏子にはすべての女性を包み込む
姉御的なオーラがある。

一番苦しかったのは、仕事と男だと公言し、
苦しんだ人は、あとで絶対幸せになれると断言する。

感情を抑制することに慣れた現代女性に、江波は言う。

泣きなさい。
涙だって血なんだから。

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熊埜御堂由香 11年01月15日放送


女優の素顔 田中絹代

厳しい監督の先生にたたかれ続けてきたから、
私、身長が止まってしまったのね。
身長150㎝の彼女はわらって言った。
数々の名監督に愛された女優、田中絹代。

役作りのストイックさでは、逸話にことかかない。
監督の注文どおり、太ったり、痩せたり、「風船」とあだ名された。
おば捨て山を題材にした木下恵介監督の楢山節考では役作りのため
若いころにした差し歯を4本、医者に無理やり抜いてもらった。
49歳のときだった。
小さな体で女優として成長を続けた。

一生独身だった彼女はこういった。
私は映画を夫として選んだのです。
そして、私が映画を捨てなかったのではなく
映画が私という女を見捨てないでいてくれたのです。

素顔が、女優である。田中絹代はそんなひとだった。

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佐藤義浩さんのふたつのストーリー

2011年1月は佐藤義浩さんが
Tokyo Copywriters’ Street とポケット社と
両方に原稿を書いてくれた。

ふたつとも「うさぎ」がテーマだった。

聴き較べも面白いかもしれない(さ)

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