厚焼玉子 11年10月29日放送



新秋の七草  葉鶏頭と長谷川時雨

昭和10年、東京日日新聞の主宰で
新しい秋の七草を選ぼうという試みがなされた。

当時の著名人が1種づつ推薦した七つの秋の花のうち
ひとつだけ、花ではなく葉を鑑賞するものがある。
長谷川時雨が選んだ葉鶏頭だ。

葉鶏頭は熱帯アジアからやってきた。
赤、黄、臙脂に染まる葉のあざやかさに較べて
花は目立たず、小さくひっそりと咲く。

そしてそれを選んだ長谷川時雨は
日本初の女流劇作家だったが
三上於菟吉の才能に惚れ込み、
三上を支えることを第一として人生の後半を過した。

華やかな葉と地味な花
しかしその花、長谷川時雨は
4年にわたって出版しつづけた雑誌「女人芸術」で
林芙美子、佐多稲子をはじめとする多くの女流作家を
育て上げている。



新秋の七草  コスモスと菊池寛

昭和10年、新しい秋の七草を選ぼうとする試みがあったとき
菊池寛が推薦したのはコスモスだった。

恋人同士のプレゼントに使われることもない
ありきたりな花だから、というのがその理由だ。

菊池寛は文壇の巨人だったが
同時に優れた生活者、経営者でもあった。
出版社を成功させ、芥川賞・直木賞を創設し
著作権保護同盟の会長をつとめた。

彼の日常道徳を読んでみる。
「約束は必ず守りたい」
「人への親切は義務としてはしたくない」
どれもありきたりなこと、あたりまえのことだが
それをずっと貫いて生きるのは
当たり前でなくむづかしいと気づくとき
コスモスのありきたりを好む菊池寛の強さを思う。



奥新秋の七草  彼岸花と斎藤茂吉

 秋のかぜ 吹きていたれば  遠(おち)かたの 薄のなかに 曼珠沙華赤し

新しい秋の七草にふさわしい草花を選ぶように頼まれたとき
斎藤茂吉は曼珠沙華を選んだ。
昭和10年のことだった。

曼珠沙華はヒガンバナともいう。
緑の葉もなく、
茎のてっぺんに大きな花を無遠慮につけるヒガンバナは
幽玄な儚いものを好む人からすると
好みに合わないだろうがとことわりを入れて
「そこが可愛い」と茂吉は主張している。
なんだか女性のことを語るような口ぶりでもある。

新しい秋の七草にヒガンバナを選んだ前年の秋、
斎藤茂吉はやがて愛人になる美しい弟子
永井ふさ子と出会っている。

まだ結ばれてはいない。
けれどお互いの気持ちはわかりあっている。
そんな時期のヒガンバナを
斎藤茂吉はどれだけいとしく思ったことだろう。



新秋の七草  赤まんまと高浜虚子

赤まんまの正式な名前はイヌタデという。
秋になると小さな赤い花がたくさん集まった穂をつける。
空き地や道端、どこにでも咲く。

子供たちはその花を集めて
お赤飯に見立て、ままごとをした。
赤まんまと呼ばれるのは赤いご飯という意味だ。

昭和のはじめ
新しい秋の七草の推薦をたのまれた高浜虚子は
赤まんまを選んだ。

当時の虚子は俳句の世界に君臨する人だった。
まだ文化勲章は授与されていないが
文化庁の芸術院会員はすでに目の前にあった。
しかし一方で虚子は8人の子の父親であり
19人の孫のいるおじいちゃんでもあった。

 この辺の道はよく知り赤のまま

虚子が50年住んだ鎌倉の家は
由比ヶ浜の波音が聞こえ、すぐそばを江ノ電が走る。
秋になると赤まんまの花が咲く。

新しい秋の七草に赤まんまを選んだ虚子の目は
子煩悩な父親の目だったかもしれない。



新秋の七草  永井荷風と秋海棠

はらわたがちぎれるほどの悲しみを
断腸の思いというが
断腸花という名前を持つ花もある。

秋海棠、別名「断腸花」
日陰にうなだれて咲くその花を永井荷風は気に入り
庭に植え、自宅を断腸亭と名付け
また自分の日記も断腸亭日乗(にちじょう)と呼んだ。

昭和10年
荷風は新しい秋の七草としてこの花を選んでいるが
その名前を断腸花ではなく秋海棠としたのは
断腸という言葉の悲しい響きを避ける思いやりかもしれない。



新秋の七草  与謝野晶子とおしろい花

おしろい花は夏から咲きはじめる。

けれど、与謝野晶子は
この花を新しい秋の七草として選んだ。
なぜだろう。

夏のおしろい花は夕方から咲いて
昼間はしぼんだ花しか見られないけれど
夏の終わりから秋には花の時間がずれて
昼間でも花の姿を見ることができるのだ。

女性らしくこまやかな観察をする歌人の眼が
こんなところにも生きている。



新秋の七草  菊と牧野富太郎

昭和10年
新しい秋の七草を選ぼうというこころみで
植物学者牧野富太郎先生は菊を選んだ。

菊とひとくちに言っても
観賞用から食用まで日本には多種多様の菊がある。
さて、牧野富太郎先生の菊はどの菊だろう。

皇室のご紋章にもなっている菊は
一文字という品種だが
これを七草とするのはちょっと恐れ多い。

ハキダメギクは牧野先生が見つけて命名した菊で
名前も名前だが、みんなが思う菊の花とは
ちょっとおもむきが違う。

では、ノジギクはどうだろう。
ノジギクは1884年、
牧野先生が高知県の山中で見つけた。
野の路の菊という名前も美しいが
残念なことに東日本には自生しない。

植物学の権威がただ「菊」といったのだから
きっとその土地土地に咲く菊のことだろう。
庭の菊、道端の野菊
そこに咲く花をながめて秋を思えばいいのだろう。

菊の花の時期は幸いに長い。

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