2013 年 7 月 13 日 のアーカイブ

蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会①

FIFAワールドカップの初代優勝カップは
「ジュール・リメ・トロフィー」と呼ばれる。

ワールドカップ開催に尽力したFIFA第3代会長
ジュール・リメの功績を讃えてそう名づけられた。

ジュール・リメの懸命の説得にもかかわらず、
1930年の第1回ウルグアイ大会に出場したのは
南米を中心としたわずか13カ国だった。

それから80年後、ワールドカップ参加国は
予選も含め200を超え、
テレビ観戦者数はオリンピックをも凌ぐ、
世界最大のスポーツイベントへと成長した。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会②

1930年にウルグアイで開催された
第1回FIFAワールドカップ。
大会を制したのは地元のウルグアイ代表だった。

キャプテンを務めたのは、
当時世界最高のプレイヤー、ホセ・ナサシ。
チームは司令塔ナサシの叫び声に合わせて
ボールを前線へと運び、
相手チームのゴールネットを次々揺らした。

ホセ・ナサシは言う。

 ピッチというのは、
 漏斗(じょうご)のようなものだ。
 先に向かってボールを運べば、
 自然とペナルティエリアがあらわれるのさ。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会③

1930年に開催された
第1回FIFAワールドカップウルグアイ大会。
7月13日におこなわれた
開幕第1戦のフランス対メキシコ戦。

前半19分にフランスのリュシアン・ローランが
ゴールを決めた。これがワールドカップ史上初の
ゴールである。

それから68年後の1998年。
フランスで開催されたワールドカップで
地元のフランス代表は参加10回目にして
悲願の初優勝を遂げた。

90歳になったリュシアン・ローランは、
その「初」の瞬間もしっかりと見届けていた。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会④

1924年のパリ・オリンピックで、
ヨーロッパの人々は初めてウルグアイ代表チームの
サッカーを目の当たりにした。

リズムとスピードにあふれるウルグアイの
サッカーは、ロングボールを放り込む
ヨーロッパの単調なサッカーを翻弄した。

フランスの作家アンリ・ド・モンテルランは
その驚きをこう記している。

 これこそ真実のサッカーだ。
 これにくらべたら僕らのサッカーは
 学校のひまつぶしでしかない。

その6年後に第1回目のワールドカップが
南米の小国ウルグアイで開催されることになるが、
サッカーのレベルを考えれば、
それも当然のことであった。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会⑤

1930年に開かれた第1回FIFAワールドカップ
ウルグアイ大会。ウルグアイ代表の
ハーフバック、ホセ・アンドラーデは
主力選手として自国の優勝に貢献した。

準決勝のユーゴスラビア戦では
頭によるリフティングでボールを運び、
その間に相手選手を5人かわして
50メートル以上も進むという離れ業も披露した。

ワールドカップでの「5人抜き」といえば
ディエゴ・マラドーナが有名だが、
マラドーナの50年も前に、
ホセ・アンドラーデという男がいた。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会⑥

第1回FIFAワールドカップの得点王は
アルゼンチン代表のギジェルモ・スタービレ
という選手である。

デビュー戦でいきなりハットトリックを記録し、
出場した4試合すべてで得点、通算8ゴールを挙げた。

ゴールへの鋭い嗅覚と独特のポジショニングを
持つことから、スタービレは
「エル・フィルトラドール=侵入者」と呼ばれた。

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蛭田瑞穂 13年7月13日放送



ワールドカップ第1回大会⑦

第1回FIFAワールドカップが開かれた当時、
開催国のウルグアイはヨーロッパから見て
あまりに遠い辺境の国だった。

FIFAから招待を受けたヨーロッパの国で、
参加したのはわずか4カ国。

決勝戦の結果をイタリアの日刊紙
「ラ・ガゼッタ・デッロ・スポルト」は
わずか20行のコラムで伝えたのみだった。

しかし、そんなヨーロッパの無関心をよそに、
スタジアムの中では世界最高のサッカーが
繰り広げられていた。

過去2回のオリンピックも連破したウルグアイが
鮮やかな逆転劇の末にアルゼンチンを下し、
キャプテンのホセ・ナサシは最初の
優勝トロフィーを高々と掲げた。

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