2013 年 7 月 のアーカイブ

澁江俊一 13年7月21日放送



総理の沖縄

第84代内閣総理大臣、小渕恵三。

官房長官時代に
平成の新年号を日本中に伝え
「平成おじさん」と親しまれた小渕は、
沖縄に並々ならぬ想いがあった。

学生時代、何度も沖縄を旅して
激戦地だった摩文仁村(まぶにそん)を訪れ
遺骨を収集した小渕。

26歳で議員に当選。
「もはや戦後ではない」という流行語に小渕は
「沖縄の戦後は終わっていない!」と憤慨した。

首相としてサミットの会場を決める際、
福岡や宮崎などの有力候補地を退けて
沖縄にすると決断したのも、
新しく発行した2000円札に
首里城の守礼門を採用したのも彼だった。

その心にはいつも、すべての国民に
沖縄を忘れないでほしいという想いがあった。

2000年5月。
沖縄での開催が大きな話題になり
世界が注目したサミットの直前に倒れ、
62歳の若さで世を去った小渕総理。
支持率も上がり、長期政権も視野に入れた時期の
あまりにも突然の別れだった。

あれから13年。
今の沖縄を見て、彼ならば何を思うだろうか?

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松岡康 13年7月21日放送



沖縄と建築家

沖縄県糸満市摩文仁の丘。

青い海と空を背に、
どっしりとした沖縄赤瓦の屋根が
静かに浮いている。

ここは、沖縄戦没者墓苑。

20万人超といわれる沖縄戦犠牲者のうち
18万人余の遺骨が
琉球墳墓風の納骨堂に納められている。

設計したのは、
昭和近代建築の巨匠である谷口吉郎。

墓苑を構成する素材は、すべて地元沖縄産。
谷口は平和の礎となった人たちを温かくいだくように
納骨堂を片仮名の「コ」の字の形に設計した。

1979年2月2日に完成。
そのわずか1日後の2月3日、
戦没者墓苑の完成を見届けるように
谷口はこの世を去った。

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澁江俊一 13年7月21日放送


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沖縄と芸術家

縄文土器の魅力を発見して以来、
日本文化の根源を探る旅を
続けていた芸術家・岡本太郎。

「わび」「さび」の伝統形式を、
生命力がないと否定した太郎は
沖縄の聖地・御嶽(うたき)が、
礼拝所もご神体もない空き地であることに、深く感動する。

沖縄には、何もない場所にこそ、神の存在があったのだ。

本土復帰にあたり、沖縄の人々に太郎が記した言葉。
「島は小さくてもここは日本、いや世界の中心だという
人間的プライドをもって、豊かに生きぬいてほしいのだ」

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奥村広乃 13年7月21日放送


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沖縄の詩人

白い砂浜が、ゆるやかなカーブを描き、
エメラルドグリーンの遠浅な海がきらめく。
うっそうと茂る緑の木々が、心地よい木陰をつくる。
沖縄県 石垣島 底地(すくじ)ビーチ。

その傍らに、1つの石碑がある。
石垣島出身の詩人、伊波南哲(いば なんてつ)の詩碑だ。

ふるさとは
わがこころのともしび
のぞみもえ
こころはほのぼのと
とめるふるさと

彼は明治35年石垣島に生まれ、
その生涯を閉じるまで
沖縄や石垣島をうたいつづけた。

知り合いがいるわけでもないのに
甲子園では、地元の高校を応援してしまう。
ワールドカップでは、自分の国を応援してしまう。
人には、生まれた場所を愛してしまう
DNAが流れているのかもしれない。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ①「ケネディ」

宇宙で何をしたかが、
地球で何ができるかを意味した時代。

それが1960年代。

世界初の人工衛星「スプートニク」、
ガガーリンによる人類初の宇宙飛行で、
ソ連は一気に
宇宙開発レースのトップに立った。

ケネディ大統領は尋ねた。

 どうすればソ連に勝てる?

NASAのロケット開発責任者
ウェルナー・フォン・ブラウンの答えは、
アメリカがこれまで直面した
どんな問題より難しかった。

1961年5月25日。
アメリカの威信を取り戻すため
ケネディは国民に宣言する。

 60年代のうちに
 人間を月に着陸させ、
 無事に帰還させてみせる。

宇宙開発史上、
最も熱い10年間が幕を開けた。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ②「ブラウンとヒムラー」

1944年のある日、
ナチスの幹部ハインリヒ・ヒムラーが
ドイツロケット開発の第一人者、
ウェルナー・フォン・ブラウンを呼び出した。

ナチスの下で
新兵器を開発しないかと言うのだ。

 宇宙に行けるなら
 悪魔に魂を売ってもいい。

そう思っていたウェルナーだったが、
そこにいるのは
悪魔より恐ろしい人間だった。

丁重に断った数日後、
彼はゲシュタポに逮捕される。

危うく処刑寸前になったウェルナーに、
選択肢は残されていなかった。

ロケットは
月ではなくイギリスを目指し、
大勢の命を奪った。

それから25年後。
彼はそのロケットに改良を重ね、
再び宇宙を目指す。

さすがの悪魔も
月までは奪えなかった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ③「ブラウンとアメリカ」

ナチスの敗北を予見するのに
ロケット工学の知識は必要なかった。

ドイツのロケット開発チームの責任者、
ウェルナー・フォン・ブラウンの
関心事はただ一つ。

 つくべきはアメリカか、それともソ連か。

宇宙に行く夢を叶えてくれるのは
どちらの戦勝国か、彼は冷静に計算した。

基地を死守せよという命令に逆らい、
大量の機材、設計図、技術者たちを
彼は秘かに脱出させる。

ラジオがヒトラーの死を報じた二日後、
アメリカは世界最高のロケット技術と
その頭脳を確保した。

戦後、

 宇宙旅行の亡者

と揶揄されながらも
ロケットを開発し続けたブラウン。

彼の祖国はもはや、
ドイツではなく宇宙だった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ④「アポロ1号」

1967年はアメリカの試練の年だった。

人種間の対立は深まり、
ベトナム戦争は泥沼化。
政府の責任を追求する声は
日増しに強まった。

ジョンソン大統領にとって
「アポロ計画」は
有権者の心を取り戻す絶好の切り札。

そのためには選挙期間中に月に着陸し、
無事帰還してもらわねばならない。
彼はNASAに計画の前倒しを求めた。

圧力に負けたNASAは
よりによって最も大切な

 無人テスト

を省略してしまう。

グリソム、ホワイトという2人の大ベテランと、
史上最年少の宇宙飛行士チャフィーを乗せた
「アポロ1号」は、むきだしのコードから出た
ほんの小さな火花が元で火だるまになった。

ヘルメットのホースから
大量の炎が3人の肺に入り込み、
その命を燃やしつくすまで
わずか8秒半しかかからなかった。

手を伸ばせば届きそうな月。

しかし地球との間にある見えない壁は、
どこまでも高く、険しかった。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ⑤「アポロ8号」

ロケットを打ち上げるたび
新たな不安が生まれる。
そんな日々が何ヶ月も続いた。

1968年のクリスマス、
ついに事態は急変する。
アポロ8号が月の周回に成功したのだ。

乗組員のボーマン、
ラヴェル、アンダーズの3人は
世界で初めて月の裏側を見た人間になった。

彼らは月から地球が昇る

 アース・ライズ

と呼ばれる写真を撮影した後、
地球に帰還するため
月の裏側でエンジン噴射を行った。

失敗すれば2度と地球には戻れない。

電波が遮られるため、
月の裏側では交信は中断される。

100秒間の沈黙の後、
無事噴射に成功したラヴェルが
嬉しそうに言った。

 みんなに伝えてくれ。
 月にはサンタクロースがいる。

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佐藤理人 13年7月20日放送



アポロ⑥「アポロ11号」

 ワシは舞い降りた。

1969年の今日、
宇宙船「イーグル号」に乗った
2人のアメリカ人が月に降り立った。

ニール・アームストロングとバズ・オルドリン。

38万キロの距離と重力の壁を、
信念と科学と勇気で飛び越えた
人類初の快挙であった。

アームストロングは言った。

 これは一人の人間にとっては
 小さな一歩だが、
 人類にとっては大いなる飛躍である。

元々「アポロ計画」はアメリカがソ連を抜いて
宇宙開発レースのトップに立つために始まった。

しかしアームストロングは
「人類にとって」と言った。

彼らが背負っていたのは
もはやアメリカの威信だけではなかった。

月の砂を最初に踏みしめた彼の左足。

それは宇宙に一生を捧げた科学者の夢と、
事故で散った飛行士たちの無念と、
名もなき無数の人々の願いを乗せた
大きな大きな一歩。

勝ったのはアメリカでもソ連でもない。

絶対にあきらめなかった人類の、
執念の勝利だった。

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