2015 年 7 月 11 日 のアーカイブ

波多野三代 15年7月11日放送

150711-01
Alpsdake
別府温泉の立役者・油屋熊八PR篇

「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」
別府で温泉宿をはじめた油屋熊八が考えた
キャッチフレーズだ。

それをどこで広めるか。
商店のポスターか、大都市の看板か。
彼の選んだ場所は、普通の生活ではめったに訪れない、
でも日本一有名な場所だった。

それは富士山。
大きな柱にしたため山頂に打ち立てたのだ。

仰天した登山客のうわさはやがて新聞記者の耳に入り
全国の新聞に取り上げられた。
大正14年という時代に
マスメディアに取り上げられることで
PRが成功した瞬間だった。

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波多野三代 15年7月11日放送

150711-02

別府温泉の立役者・油屋熊八 子供 篇

「こどもたちをあいした ピカピカのおじさん」
別府駅前に立つ銅像にはこんなプレートがつけられている。
「ピカピカのおじさん」とは油屋熊八が
子供達につけられたあだ名である。

昭和初期というまだ子供の人権が低い時代に、
歌や踊り、童話を通じて子供達を喜ばせる事に力を尽くした。

クリスマスには、水上飛行機からサンタクロースを登場させて
驚かせたという。

当時、日本航空輸送会社の運賃は、
東京〜大阪間の飛行で30円。
工場労働者の平均月給が2円65銭。

熊八は子供達の笑顔を見る為には
借金をも厭わなかった。

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波多野三代 15年7月11日放送

150711-03

別府温泉の立役者・油屋熊八 おもてなし篇

油屋熊八の経営する「亀の井旅館」は
どんな旅人でも徹底してもてなした。

腕のいい板前を大阪から呼び寄せ、
うまい料理と最高の布団を提供した。
全世界の国旗をそろえ、
外国人観光客が訪れれば、その国の旗を掲げた。

さらには
急病に備え旅館へ看護婦を常駐。

客が帰ればそれでおしまいという訳ではなく、
一度訪れた相手には年賀状を出し続けるという
徹底ぶりだった。

彼のおもてなしの精神は、聖書の一節から来ている。
「旅人をもてなす事を忘れてはいけない」

かつて相場で一文無しになった熊八は、
船底に隠れアメリカに渡る。
行き倒れた彼を救ってくれた宣教師の言葉を
熊八は一生大切にした。

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波多野三代 15年7月11日放送

150711-04

別府温泉の立役者・油屋熊八 バスガイド篇

日本で最初の女性バスガイドは別府で生まれた。
当時のバスガイドと言えば高学歴の男性のみ。
案内の言葉を語るには高度な知識が必要だったからだ。

しかし、油屋熊八は、若い女性たちに「地獄巡り」のガイドをさせた。
七五調の案内文は童話作家がつくった。

「ここは名高き流川
 情けの厚い湯の町を
 真直ぐに通る大通り
 旅館商店軒並び
 夜は不夜城でございます」

アメリカ製のピカピカの観光バスに
美人バスガイドの名調子が響く。

関東大震災からの復興が進む
昭和2年のことだった。

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