2016 年 11 月 12 日 のアーカイブ

藤本宗将 16年11月12日放送

161112-01

岩倉具視と洋服

明治4年。岩倉使節団が
まず到着したアメリカで注目の的になったのは、
髷と和服姿の岩倉具視だった。

熱烈な歓迎に上機嫌だった岩倉は、
真実を聞かされ愕然とする。
アメリカ人たちは、
未開の国の奇妙な風俗を見物するために
集まっていたのだ。

ついに岩倉は断髪。装いも洋服に改めた。
そのニュースが伝わると
日本でも洋服を着る習慣が広まることになった。

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永久眞規 16年11月12日放送

161112-02

陸奥亮子と洋服

陸奥宗光の妻、陸奥亮子は
もとは新橋の芸妓だった。

宗光に見初められ社交界に入った亮子は、
「鹿鳴館の華」と呼ばれる。
さらに夫が駐米公使になると、ともに渡米。
その美貌と聡明さで「ワシントン社交界の華」となった。

着慣れていた着物を脱いで洋服を着こなし、
世界の賞賛を集めた大和撫子。
彼女こそ、文明開化そのものだった。

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藤本宗将 16年11月12日放送

161112-03

広岡浅子と洋服

女性実業家の先駆けであり、
女子教育の発展にも尽力した広岡浅子。

新しいことをどんどん取り入れる合理的な彼女らしく
洋服をとても好んだといい、
現存する写真のほとんどは洋服姿で撮影されている。

ただ、「西洋のものはすべて正しい」
と言わんばかりの浅子に対して、
当時の大阪毎日新聞は
こんな皮肉たっぷりのコラムを載せている。

 浅子女史は洋服が好きだ。
 生まれ落ちるとき洋服を着ていなかったのが
 残念に思われるほど、洋服が好きだ。

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村山覚 16年11月12日放送

161112-04

小篠綾子と洋服

大阪・岸和田の呉服屋の長女として育った

小篠綾子は洋服が大好きだった。



ふとんの裏地を縫い合わせて自分のワンピースをつくった。

女学校をサボっては、町で唯一ミシンのある店に通いつめた。



そのことは父の耳にも入る。

呉服屋からしてみれば、洋服屋は商売仇。



「許して」「あかん!」「許して」「あかん!」



父の反対を押し切り、

ミシンや裁断の勉強をするために学校を中退。15歳だった。



およそ20年後。着心地がよくおしゃれな洋服が評判になった

コシノ洋装店に、ある注文が届く。自分が中退した母校から、

制服をつくってほしいという依頼だった。



洋服は時代とともに変わり続けるが、

ぴかぴかの服を着る喜びは、今も昔も変わらない。

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村山覚 16年11月12日放送

161112-05

福沢諭吉と洋服

今から144年前。福沢諭吉は大学内に
衣服仕立局という洋服屋をつくった。

当時、洋服は半年分の学費に相当する超高級品。
西洋を学ぶ若者たちのために
国産・低価格の服を仕立てて販売した。

 洋服の便利なるは今更いうに及ばず。

一万円札の肖像で和服のイメージが強い福沢先生。
学問だけじゃなく洋服もすゝめていたんですね。

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