2017 年 5 月 7 日 のアーカイブ

大友美有紀 17年5月7日放送

170507-01
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「女の一生」山口百恵 21歳

人気絶頂のアイドル歌手が、
結婚を機に芸能活動をやめる。
今でも伝説のように語られるその人の名は、
山口百恵。

 私は、これから女房になろうと思う。
 女房という語から感じるいい意味でのニュアンスを、
 さり気なく大切にして行きたいと思う。

1980年、引退当時21歳。
女性の社会進出が活発になってきた時代。
それでも家庭に入る選択をした百恵は、
自分の生き方を貫いた人だった。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-02

「女の一生」キュリー夫人 24歳

 その人は、女だった。
 他国の支配を受ける国に生まれた。
 貧しかった。美しかった。

キュリー夫人の次女が記した伝記の一節。
ロシアに支配されるポーランドに生まれ、
家庭は経済的に困窮していた。
パリで医師を目指す姉のために、
家庭教師として6年間働き、
稼いだお金は仕送りをした。
医師になった姉が、彼女をパリに呼び寄せた。

 長旅が終わって、汽車の煙がたちこめる北駅に降り立ったとたん
 大国の支配によるしめつけが、不意に解けたのを感じた。

その時、24歳。
ここから、キュリー夫人への道、2度のノーベル賞のへの道が始まった。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-03

「女の一生」ビアトリクス・ポター 27歳

1866年、ロンドン生まれ、父は弁護士、祖父は国会議員。
裕福な家庭に生まれたビアトリクス・ポター。
ピーターラビットの作者。
幼少の頃から、毎年夏の数ヶ月は避暑地で過した。
16歳の時、避暑で訪れた湖水地方は、
彼女が一生をかけて愛し、守った土地になった。
27歳の夏、ロンドンの知人の息子が病気で寝ているのを知って、
避暑地から手紙を送った。
 
 ノエル君、
 あなたに何を書いていいかわからないから、
 4匹の小さなウサギのお話をしましょう。
 4匹の名前はフロプシーに、モプシーに、
 カトンテールに、ピーターでした。

 
これがピーターラビットの原型。
本格的な本を出版するのはそれから8年後、35歳の時だった。
湖水地方に出会い、湖水地方でピーターラビットを生み出し、
彼女は今、湖水地方で眠っている。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-04

「女の一生」森英恵 35歳

ファッション・デザイナー森英恵は35歳の時、悩んでいた。
2軒の店と映画衣裳の仕事、夫と2人の子ども。
精力的に活動していたが、身心ともに疲労困憊。
家庭に入ることも考えていた。
しかしその時、英恵は1ヶ月休みをとってパリへ行く。
そして、ココ・シャネルのコレクションに強く興味をそそられ、
シャネルスーツを仕立てたいと思った。

 カネオクレ

英恵は夫に電報を打った。
3日後、金は届きシャネルの店を訪ねる。
東洋からの客は初めてで、ココは英恵のまっすぐな黒髪を褒めた。
シャネルスーツの仕立てを体感した。
森英恵はふたたび仕事にやりがいを見出した。
辛い時には思い切ったリセットを。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-05

「女の一生」アガサ・クリスティー 37歳

ミステリーの女王、アガサ・クリスティー。
デビューは30歳。2作目、3作も順調に売れ始め、
娘と金融業の夫と広い邸宅に住み、ゴルフをし、
秘書を雇い、犬を飼い、順風満帆な生活を送っていた。
けれど幸せは長く続かない。アガサの母が死去。
その後始末でうつ状態になっていた時に、
夫に離婚を切り出される。結婚生活は破綻。
娘と秘書の3人でカナリア諸島に向かった。
母の死後、書く楽しさがなくなっていた。
 
 この時がわたしにとってアマチュアから
 プロへ転じた瞬間であった。
 プロの重荷をわたしは身につけた。
 それは書きたくない時にも書くこと、
 あまり気に入ってないものでも書くこと、
 そして特によく書けていないものでも書くこと

アガサ37歳。生活のために書かなくてならなかった。
おかげで私たちは、あれだけの作品を楽しむことができている。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-06

「女の一生」長谷川町子 47歳

国民的人気漫画「サザエさん」は、新聞の連載漫画だった。
子どもからお年寄りまで、日本全国の人が読む漫画を毎日描く。
想像もできないプレッシャーだろう。
作者の長谷川町子は、47歳の時、胃がんを患う。
本人に病名を隠したまま、入院、手術。治療は成功した。
町子の健康を心配した家族は、仕事をやめるよういつも言った。

 でもね、いい作品ができた時の嬉しさや満足感は
 あなたたちの誰にもわからないわ。

日曜の夕方のいつもと変わらない「サザエさん一家」。
長谷川町子の強い創作意欲が支えていた。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-07

「女の一生」市川房枝 52歳

女性の参政権、男女差別の撤廃を求める運動で
知られた市川房枝。
第2次世界大戦が終わり、マッカーサーが
日本の民主化を進めるための改革を提示。
市川房枝、52歳の時、婦人参政権が与えられた。
その後の総選挙では、女性議員が39名誕生。
マッカーサーにお礼に行った女性議員もいた。

 お礼に行くならアメリカなりイギリスで
 婦人参政権運動を一所懸命やって
 男女平等を認めさせそれ以来、
 民主主義に男女平等が入るようになったんだから、
 感謝するならむしろそういう人たちに感謝すべきだ。

婦人参政権はアメリカから与えられたもの。
けれどもそのかげには市井の活動家がいたことを
市川は、けして忘れなかった。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-08
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「女の一生」「女の一生」オノヨーコ 84歳

ビートルズを解散させた女、
として世界中から非難されたオノヨーコ。
ジョン・レノンの死後も、
バッシングやストレスにさらされてきた。

 私は70年かけて健康になったのだと思っています。
 
さまざまな苦しみや悲しみや恨みがあって、
それが身体の中でコブになっても、

 その硬くなっているコブを70年かけて、
 ゆっくりと溶かしてきました。

オノヨーコは苦しみから逃げることなく、
向かい合って自分のものにしてきた。
今年84歳、その強さに憧れる。

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