2017 年 8 月 のアーカイブ

佐藤理人 17年8月26日放送

170826-03

誕生秘話「ジキル博士とハイド氏」

ジキルとハイドのモデルは、
誰からも尊敬される人物だった。

男の名はウィリアム・ブロディー。

裕福な実業家の仮面の下に、
18年間も泥棒の顔を隠していた。

悪運が尽きたのは1786年。
スコットランド関税局を襲撃し、失敗。
絞首台に送られた。

それから1世紀。
ロバート・ルイス・スティーブンソンが、
ブロディーをモデルに
「ジキル博士とハイド氏」を書いた。

ジキル博士は小説の中で、
人間の二面性についてこう述べた。

 人格を善と悪に分ければ、罪悪感も消える。
 人間は一体ではなく、二体なのだ。

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佐藤理人 17年8月26日放送

170826-04

誕生秘話「シャーロック・ホームズ」

名探偵シャーロック・ホームズのモデルは、
エジンバラ大学で教鞭をとる外科医だった。

彼の名はジョセフ・ベル。

患者が口も開かないうちに、病名はもちろん、
普段の生活まで細かく言い当てることができた。

彼の生徒だったコナン・ドイルは、
1881年に大学を卒業し、眼科医になった。
しかし6年間、一人も患者が来なかった。

生活のため、作家に転身。
そのとき恩師の言葉を思い出した。

 人は眺めるだけで、観察しない。

先生ならきっと探偵という職業を、
科学者のように描くに違いない。

ドイルはインタビューで言った。

 頭がいいフリをする人は多い。

 だが本当に頭がいい人とは、
 具体的に解決できる人のことだ。

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佐藤理人 17年8月26日放送

170826-05

誕生秘話「アンクル・サム」

アメリカのシンボル、アンクル・サム。

それはニューヨーク州でいちばんの
缶詰工場を経営する社長のあだ名だった。

彼の本名は、サミュエル・ウィルソン。

1812年の米英戦争で、
大量の食肉を軍に納入したサムは
ラベルに合衆国を意味する「U.S.」を刻印。

その意味を訊かれた誰かが、

 アンクル・サムのことさ

ジョークで答えた。

それがきっかけとなり、
サムは1830年代に漫画化された。

彼のイラストは国中で愛され、
1961年には国のシンボルとして
議会で承認された。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-01
wonderwonderword
沖縄 × 岡本太郎

「太陽の塔」を作った芸術家、岡本太郎。
彼が沖縄の文化に強く惹かれていたことをご存知だろうか。

太郎は米軍占領下の沖縄を訪れた。
歩いて、見て、食べて、その結果たどり着いた結論は、
「何もない」ことの美しさ、だった。

過度に装飾された美しさ、意識された美しさではなくて、
生活の必要から生まれ、必然の中から浮かび上がる美しさ。
沖縄には、日本が失ってしまった「何もない」美しさが残っている。
太郎はそう考えた。

太郎らしい、沖縄へのまなざし。
その理由を、太郎はこう記している。

 それは私にとって、一つの恋のようなものだった

と。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-02

タヒチ × ポール・ゴーギャン

フランス後期印象派の巨匠、ポール・ゴーギャン。

パリの文明社会に疲れた彼は、南太平洋のタヒチに渡り、
原始の自然とそこで暮らす人間を描いた。

タヒチを「美と自由の国」と称賛したゴーギャンだったが、
現地での生活はそのイメージ通りにはいかず、苦しいものだった。
最愛の娘を亡くし、徐々に健康状態も悪化していったが、
それでも彼は、島から離れることはしなかった。
「最後の楽園」を求めて島を転々とし、
タヒチから1500キロ離れた小さな島で、誰にも看取られることなく、
54歳でその生涯を終えた。

最後に手掛けた大作のタイトルが、あの有名な一説である。

 われわれはどこからきたのか
 われわれはなにものか
 われわれはどこへいくのか

ゴーギャンの魂は、いまだ楽園を探しているのかもしれない。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-03

ハワイ × ウラジミール・オシポフ

ハワイで最も重要な現代建築家といわれる
ウラジミール・オシポフ。

彼の有名な作品のひとつが、
1952年に建てられた邸宅「リジェストランドハウス」。
ホノルル市街を見下ろす小高い丘のうえ、
緑の木立の中にひっそりと佇むこの家を訪れるのは、
まさに極上の体験だ。

優しい日陰を作る大きなひさし。
外に向かって大きく開かれた窓からは、
ハワイの温かい風が心地よく入ってくる。
目の前には青い海とワイキキの街並み。
ダイヤモンドヘッドまでも遠く見渡せる。

ハワイの光と風を全身で感じられる家を作ったオシポフだが、
その名前からも察せられるように、ロシア・ウラジオストク生まれ。
極寒の国の才能は、南国で鮮やかに花開いたのだった。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-04
Anjali Kiggal
アイスランド × ビョーク

アイスランドの歌姫、ビョーク。
グラミー賞に14度もノミネートされた世界的なシンガーで、
世界一有名なアイスランド人と言っても過言ではない。

ビョークの魅力のひとつが、その圧倒的な歌声だ。
パワフルで、妖艶で、楽器のような声。
その人間離れしたスケール感は、アイスランドの大自然を彷彿とさせる。

この歌声は、どうやって生まれたのか?
ビョーク自身は、こう振り返っている。

 子供の頃、歩きながら歌っていたから、
 自然と声量が鍛えられたのかもしれないわね

まさに、アイスランドの大地が育んだ声なのだった。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-05

キーウェスト島 × ヘミングウェイ

作家、アーネスト・ヘミングウェイが「老人と海」を書いたのは、
アメリカ最南端の島、キーウェスト島だった。

彼は港町のひとびとののおおらかさと、
大物狙いの荒々しい釣りにのめりこみ、
1931年から9年間、この地で暮らしていた。

ヘミングウェイが住んでいた家が、いまも残っている。
家を守っているのは、たくさんの猫たち。
それもなんと、「6本指」の猫たちである。

ひとつ多い指を使って船のロープを軽々と掴む6本指の猫は、
キーウェストの船乗りから幸運のシンボルとして愛されていた。
ヘミングウェイも大の猫好きで、執筆の友として2匹の猫を譲り受け、
一緒に暮らしていた。

その子孫が、いまや大事な観光の人気者として大切に保護されている
6本指の「ヘミングウェイ・キャット」。
幸運のシンボルはいまも幸せそうに暮らしている。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-06

バリ島 × アントニオ・ブランコ

フィリピン・マニラ生まれの画家、アントニオ・ブランコ。
彼は、日本人にも人気の高いインドネシア・バリ島のウブドに移住し、
そこで生涯にわたって創作活動を続けた。

もともとは、ポール・ゴーギャンの影響でタヒチに心が惹かれていたが、
さまざまな事情でハワイ、日本、カンボジアと移り、
最終的にバリ舞踊のダンサーだったニ・ロンジ夫人との結婚を機に、
バリ島に移住した。
その後多くの賞を受賞する人気画家となったから、
島への移住が人生の転機となったことは間違いない。

ブランコは、その風貌や、
額縁までこだわって自作する独特の作風から、
「バリのダリ」と呼ばれた。
実は、この額縁へのこだわりは、日本で育まれたらしい。
バリに渡る前に、1年ほど横浜に住んでいて、
その頃に額縁職人と知り合い、技術を学んだそうだ。

バリのダリは、日本との縁で生まれていた。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-07
Thierry Chervel
マジョルカ島 × ジョアン・ミロ

スペイン人画家、ジョアン・ミロ。
彼は晩年を、地中海に浮かぶマジョルカ島で過ごした。

ミロは、マジョルカ島を「極めて美しい国」と呼んで愛した。
島の海の見える丘に広いアトリエを建てたときには63歳になっていたが、
創作意欲はさらに膨らんだ。
コラボレーションを好むようになり、
それまでにないパブリック・アートの大作を数多く残すことになった。
眩しい太陽とターコイズブルーの海に囲まれた、
美しいマジョルカ島の自然が彼を刺激したことは、想像に難くない。

かつて、イギリス・ロンドンでミロのアトリエが再現されたことがある。
そのとき、メディアはこう報じた。

 ミロのアトリエが、ロンドンで細部に至るまで再現されている。
 ただひとつ、マジョルカ島の輝く太陽以外は。

と。

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