2017 年 10 月 14 日 のアーカイブ

宮田知明 17年10月14日放送

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はとバスのお話⑤ / はとバスと箱根

箱根の山は、天下の険。
その山に苦しめられたのは、
箱根駅伝のランナーだけではなかった。

創業当時、はとバスの運転士たちの間で
最大の難所とされた場所、それが、箱根。

未舗装の凸凹道で、バスはすぐにパンクや
オーバーヒートを起こした。
箱根行きの前日は、運転士も本社へ泊まり込み、
整備士たちと一緒に車両整備にあたった。
ツアー当日は、整備士たちに見送られ、
さながら戦地へ向かう兵士のような
面持ちで出発したのだという。

ツアーをつくってきた苦労の歴史を知るのも、面白い。

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宮田知明 17年10月14日放送

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はとバスのお話④ / はとバスのガイドさん

「右手に見えますのが、東京タワーでございます。」

明るく旅を盛り上げる、はとバスのガイドさんたち。
彼女たちの仕事がはじまるのは、
出発時間の2時間以上前。

制服に着替えるところからはじまり、
点呼をし、車内の備品確認。
運転手との打ち合わせ、教本や自作のノートを見直し、
もう一度、その日のコースを予習する。

ツアーが終わると、バスとともに車庫に戻り、
また明日のツアーの予習。
私たちが思っている以上に、バスガイドの仕事は大変だ。

なぜそこまでがんばれるのか。
そう聞かれたときのガイドさんの答えは、
ほとんど同じ。

「お客様の笑顔」。

ガイドさんには頭が下がる。

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宮田知明 17年10月14日放送

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はとバスのお話③ / はとバスとお茶

「お茶がまずい」

あるとき、バスガイドの1人から伝えられた、
お客様からの苦情。
1994年以降、バブル崩壊のあおりを受け、
はとバスは赤字経営にあえいでいた。
経費節約のために、お客様に出すお茶を
安いものに変えてしまっていた。
1998年に社長に就任した宮端清次は、それを知ると、
以前よりももっといいお茶に変更したという。

一番大切なのはお客様、その次は従業員、最後が、社長。
その年、はとバスは黒字化に成功する。

おもてなしの心は、業績にもあらわれるらしい。

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宮田知明 17年10月14日放送

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はとバスのお話② / はとバスのコース

東京を歩いていると
見かけない日はない、
黄色のバス、はとバス。

そのコースはいくつあるのか、
ご存知でしょうか?

答えは、一年間で、東京エリアで約250種類、
日本全国では、600種類以上。

東京タワー、スカイツリー、皇居、雷門。
はとバスと聞くとパッとイメージするこれら以外に、
たくさんのコースが存在する。

最近、結構人気なのが、、、
銀座の高級クラブ、ニューハーフショー、ホストクラブ。
バスで帰らず、そのまま延長するお客様もいるらしい。

夜もまた、黄色のバスは、活躍している。

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宮田知明 17年10月14日放送

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はとバスのお話① / はとバスの名前の由来

観光で、日本を立て直す。
昭和23年8月、終戦間もない東京で、
6台の中古車両とともに
「はとバス」は生まれた。

「はと」の名前にこめられた想いは、
平和の象徴としてのハト、
そして、すべてのお客様が
安全に戻ってくるように、という願い。

観光業は、平和な時代でこそ成り立つもの。
はとバスがたくさん走っている今日は、
東京が平和であるという証かもしれません。

さあ、行楽の季節。
あなたは今年、どんな秋をすごしますか?

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