2019 年 1 月 12 日 のアーカイブ

厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-01
麒麟坊
歌会始

宮内庁の記録を読むと
宮中で行われていた新年の歌会始に
一般人が参加できるようになったのは
1874年、明治7年のことらしい。
当時は歌会始ではなく
歌御会始(うたごかいはじめ)と呼ばれていた。
歌御会始が歌会始になったのは昭和3年からだ。

1962年1月12日
歌会始にとって画期的な出来事があった。
初めてのテレビ中継である。

初めて一般の参加が認められた
明治7年の応募が4139首。
いまは2万首を超える応募があるのも
テレビの影響かもしれない。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-02

歌会始

明治2年、15歳の少年だった明治天皇は
歌会始でこんな歌を詠んだ。

 千代よろづ 変わらぬ春のしるしとて 海辺を伝う 風ぞのどけき

この年のお題は
「春風来海上」(春風、海上より來る)
翌年は「春来日暖」(春来たりて日あたたかし)
漢字ばかりのお題は
意味はわかっても読み下すのがむづかしいが
当時の歌会始は天皇とその側近だけで行われていたので
格別の支障もなかった。

このお題が誰にでもわかるやさしいものになったのは
戦後の昭和22年からだ。
ちなみに今年は「光」
16歳の高校生も入選を果たしている。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-03

歌会始

歌会始に使われる言葉はむづかしい。

天皇陛下の歌は「御製(ぎょせい)」
皇后陛下の歌は「御歌(みうた)」
司会役を「読師(どくじ)」
歌を読み上げる役を「講師(こうじ)」
天皇から招かれて歌を詠む人は「召人(めしうど)」

歌会始のテレビ中継はあっても
ラジオ中継がない理由がよくわかる。

歌会始で発表される歌は
まず読み上げられ
それから節をつけて歌われる。

聞きなれない言葉やメロディは
千年の昔から伝わる文化でもある。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-04

歌会始

歌会始にはお題がある。
とはいえ、歌の種類は多岐にわたる。
風景を詠んだ歌、出来事を詠んだ歌、
季節の歌、そして恋の歌。

そういえば、と気づくことがある。
天皇には恋の歌がない。
歌会始に限らず、恋の歌がない。
10万首の歌を詠んだ明治天皇でさえ
ごく数首が数えられるくらいだ。

恋の歌をお読みになれないお立場なのだと
今更ながらに気づくのだ。

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-05

歌会始

太平洋戦争がはじまった翌年の昭和17年、
歌会始に一般から寄せられた歌は
46106首にも及んだ。
空前絶後の応募数だった。

激動の時代に
人は思いを歌に託すのだろうか。

この年のお題は「連峰雲(れんぽうのくも)」
昭和天皇はこんな歌をお読みになっている。

 峰つづき 覆うむら雲 吹く風の 早く祓えと ただ祈るなり

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厚焼玉子 19年1月12日放送

190112-06

歌会始

人々が集まって同じお題で歌を詠み、披露する歌会。
年のはじめに開かれる歌会始は
宮中の行事として長い歴史を持っている。

明治時代から一般の応募を受け付け、
昭和の中ごろからテレビ中継もされている。
2万を超える応募がある。
外国人で入選した人もいる。
最年少は12歳だ。

今年、平成最後の歌会始は1月16日。
お題は「光」
新しい時代をどんな光が照らすのか
楽しみではある。

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