古田組・八木田杏子

番組制作奮闘記-1 (番宣)


日曜日を終わらせたくない夜に(八木田杏子)

日曜日を終わらせたくない夜は、
つい夜更かしをしてしまいます。
寝るまではずっと、日曜日。
たとえ12時を超えたって、日曜日。

そんな延長戦に入ったときのために、
ラジオ番組をつくりました。

テーマは、熱帯夜のコンビニ。

そこは、外と家の中間のような場所。
何気ない振る舞いや表情の奥に、
無防備な本音が見え隠れします。

割り切れたようにみえるコンビニという場所で、
割り切れない人の思いが聞こえてきたら・・・。
ただすれ違うだけの人も、優しく見送りたくなる番組です。

今週末の日曜日、深夜25時からJ-waveでお届けします。

放送:   8月16日  25時~26時
出演:   大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
       地曳豪 http://www.gojibiki.jp/index.html
       三坂知絵子 http://www.studio-2-neo.com/
原案:   古田彰一
演出:   森田仁人 厚焼玉子
スクリプト:細田高広、八木田杏子
AD:   吉田 香(J-WAVE)
CP:   久保野永靖(J-WAVE)

お休みを終わらせる前に、どうぞ。

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八木田杏子 09年8月2日放送

MM1


マリリン・モンローの苦悩

マリリン・モンローは、愛される自信がなかった。

愛してくれようとする男があらわれると、不安になった。
この人は、本当の私を知らないから、優しくしてくれる。
すべてを知ったら、きっと、捨てられる。

だから男に、逆らえない。
だから男を、試そうとする。

極端に揺れる気持ちの狭間で、
アルコールに溺れて、乱れていく。

耐えきれずに夫が去ると、
ほら、やっぱりね、と言って、また酒を飲んだ。

幸せには慣れていないの、と呟きながら。

MM2


マリリン・モンローの葛藤 

男の傷を、男でうめる女がいる。

マリリン・モンローは、いつも、
新しい男の胸で、古い傷をいやした。

メジャーリーガー・ディマジオの乱暴さで傷ついたら、
作家アーサー・ミラーの繊細さで癒した。

ミラーの陰険さに傷ついたら、
俳優イヴ・モンタンの優しさで癒した。

振り子のように揺れて、
極端に違う男を、求める。

女を傷つけない男なんて、いないから。
マリリン・モンローの振り子は、とまらない。


MM3


マリリン・モンローの初恋

マリリン・モンローの初恋は、クラーク・ゲーブル。

二十年間、頭の中で思い描いていた人。
やっと会えたのは、映画「荒馬と女」の撮影現場。

砂漠での撮影は、過酷を極めたけれど。
ゲーブルだけが、マリリンの支えだった。

腕をからめて、こっそりキスをねだっても、
笑顔でかわされたけれど。

しっかりと目の奥をのぞきこんで、
「俺はお前の味方だ」と、言ってくれる。

カラダありきの男たちとは、違うから。

ゲーブルは、一生、初恋の人。

MM4


マリリン・モンローの誕生

ハリウッドの男社会を、生き抜くために、
マリリン・モンローは、タブーをおかした。

愛していない男を、利用したのだ。

ハリウッドで最高のエージェント、ジョニー・ハイド。
53歳の彼を、マリリン・モンローは虜にした。

女をもてあそぶハリウッドで、
男をひざまずかせた金髪の小娘。

その噂は、たちまち広がった。

一度イメージが汚れてしまうと、
どんなに演技の勉強をしても、
セックスシンボルから、抜け出せない。

愛していない男の手は、借りてはいけなかった。

MM5


マリリン・モンローの絶望

たくさん泣ける女は、キレイになれる。

涙でしかあらえない傷を、のりこえたとき、
女はキレイになれる。

マリリン・モンローは、まさに、
泣きつくす人生だった。

母親にすてられたときは、
毛布にうずくまって、泣いた。

プロデューサーに騙されたときは、
悔しくて、泣き崩れた。

夫に利用されつくしたときは、
声を殺して泣いた。

人を惹きつけてやまない、
マリリン・モンローの微笑みは、
涙からうまれた。


MM6


マリリン・モンローの憂鬱

カメラが止まっても、
マリリン・モンローは、演技を続けた。

自分がつくりあげた女になりきれば、
愛されると信じて。

お尻を大きくふるモンローウォークのために、
右のヒールを6ミリだけ短く。

眠るときは、シャネルの五番だけを、まとう。

3つの口紅を使って塗りあげた唇を、
つきだすようにして、笑う。

マリリン・モンローが完璧になれば、なるほど。
その仮面が剥がれ落ちるのが、怖くなっていく。


MM7


マリリン・モンローの終焉

男を追い越したとき、女の人生は、難しくなる。

夫は、仕事をやめろと言った。
成功していく妻に、嫉妬しているように見えた。

わずか9カ月の結婚生活が終わり、7年が経ったころ。

マリリン・モンローでいるために、
心が壊れてしまったとき、
抱きしめてくれたのは、あのディマジオだった。

そのときに、はじめて、
夫が、モンローをやめろと、言っていた理由を知る。

素顔のノーマ・ジーンで愛されるなら、
マリリン・モンローは、もう、いらない。


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マリリン・モンローの価値

女は若いうちが、華だ。

そんな考えを、覆すように。

マリリン・モンローは、
年を重ねるほど、自分の価値を上げていった。

二十歳のころは、グラビアモデル。
三十歳で、ハリウッドのスター。
三十五歳で、大統領をはじめ国民すべてを虜にする。

懸命に階段を昇りつづける人生が、突然、終わったあと。

マリリン・モンローは、女性の美の象徴になった。

8月5日で、モンローが亡くなって47年。

私たちはまだ、彼女を忘れることができない。

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八木田杏子  09年7月12日放送

Woman

ボーヴォワールへの質問

人は女に生まれるのではない。女になるのだ。

そんな言葉を残したボーヴォワールさん、教えてください。
こんな時代に、どうやって女になれば、良いのでしょう。

男に守ってもらえる女では、いられない。
男と肩を並べる女は、たたかれる。

結婚をすれば安心、ではない。
仕事をすれば立派、でもない。

女はこうあるべき、というカタチが無くなって。
自由にはなれたけれど、
ときどき、見失いそうになるのです。

ボーヴォワールさん、教えてください。

もしあなたが、こんな時代に生きていたら。
どうやって女になるのでしょう。

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ボーヴォワールの答え

人は女に生まれるのではない。女になるのだ。

そんな言葉を残したボーヴォワールさんは、教えてくれました。
こんな時代に、どうやって女になれば、良いのかを。

恋から、逃げてはいけない。

自分の身を滅ぼすとしても、
信じたくなる恋から、目をそらしてはいけない。

でも。

恋に、逃げてはいけない。

女が生きるのは、恋愛だけじゃない。
男のように、自分の人生と使命を、大切に。

ボーヴォワールさん、ありがとう。

それができたら、きっと。
あなたのように、女になれる。

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マイケル嫌いだったけど・・・

「マイケル嫌いだったけど、これ読んで好きになったよ」
と友人が電話をしてきてくれました。

1980年生まれの私達は、
彼の音楽よりもゴシップのほうが、記憶に焼き付いています。
だから、金曜日の夜に、
「今からマイケルを書こうよ」と誘われたときは、ためらいました。

熱く語るディレクターの千葉さんに、
私がぶつけた言葉は、
「マイケルの少年愛は、どう思いますか?」

千葉さんの答えは、
「あれはホモセクシャルな愛ではなく、純粋な友情だよ。
マイケルが信じられるのは、動物と子供だけだったんだ」

それは、私には無い視点でした。
もし、「マイケルほどの天才なら、何しても許されるよ」
という答えだったら、書けなかったかもしれません。

私には真実は分からないけれど。
マイケルを信じる千葉さんを信じて、書こうと決めました。

マイケルを紐解いていくと、
彼の才能や完璧さ、苦しみや喜びが、どんどん見えてきて、
こんな人を、よく知らずに嫌ってしまうのは、
もったいないと思うようになりました。

明るくなる頃に書き上がった7本の原稿は、
一夜漬けの拙さがあったのですが、
古田さん、千葉さん、VieVieさんのおかげで、
マイケル追悼特集として完成しました。

私とおなじように、
あたらしいマイケルファンが誕生しますように。

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八木田杏子 09年6月27日放送

1

マイケル・ジャクソンの才能

その歌声を聞いた誰もが、自分の耳を疑った。

大人には出せない、澄みきった声。
子供には持てない、確かな音程とリズム。

不可能を可能にしたのは、
わずか5歳のマイケル・ジャクソン。

歌うことが、好きで好きで、たまらない

その思いを抑えきれず、
はじけるような笑顔で、ステップを踏む。

少年の濁りのない声は、
大人の濁った心も、澄み渡らせていく。

5歳のマイケル・ジャクソン。

天使の歌声をもつ少年は、天使ではいられなくなる。



2

マイケル・ジャクソンの出現

楽しいから歌うのは、アマチュア。
辛くても歌うのが、プロフェッショナル。

11歳のマイケル・ジャクソンは、
もう、プロの顔になっていた。

ジャクソン5の一員としてメジャーデビューした途端、
全米ヒットチャートのNO1に躍り出た。

いちばん小さな少年が、リードボーカルだった。

11歳の少年のパフォーマンスに全米が沸いた。
いちばん真剣に歌っていた。
無心の笑顔で。

11歳のマイケル・ジャクソン。

それはもう、プロの顔だった。

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マイケル・ジャクソンの独立

人形のように愛らしい少年も、
人間の生々しさをもつ青年になる。

声変わりをしたマイケル・ジャクソンは、もう少年ではない。

音楽プロデューサーの
クインシー・ジョーンズと出会ったとき。

マイケルは尋ねた。

誰か僕に合うプロデューサーはいないかな

すると、クインシーはこう答えた。

私じゃ駄目かな

クインシーの手ほどきで、
マイケルは作詞・作曲を手がける。

20歳のマイケル・ジャクソン。

大物プロデューサーは、人形を人間に変えていく。

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マイケル・ジャクソンの拡大

見える壁は壊すことが出来るけれど
差別という見えない壁は、壊し方すらわからない。

当時、MTVでは黒人の作品は放送されなかった。
その壁に風穴をあけたのは、マイケル・ジャクソン。

1983年1月。

「Billie Jean」が、
MTVで繰り返し流される。

輝くようなマイケルがそこにいた。

そのときは批判的だった一部の人間も、
12月に「Thriller(スリラー)」が公開されると、口を閉ざした。

25歳のマイケル・ジャクソン。

彼はそのまま、頂点までのぼり詰めた。

どんな壁も、マイケルの音楽を閉じ込めておくことは出来なかった。

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マイケル・ジャクソンの白と黒

「白人も黒人も関係ない」
と、マイケル・ジャクソンは歌う。

白人と黒人の関係に、
誰よりも苦しんでいたから。

1991年に発売された「Black or White」。
違いを乗り越えようとする歌は、世界を動かした。

世界20カ国以上でナンバーワン。
全米チャートで、7週連続ナンバーワン。

それでも、マイケルは満たされない。
お金も地位も名誉も、すべてを手に入れたのに。

33歳のマイケル・ジャクソン。

白い肌になりたくて、なりたくて。
生まれたときとは違う姿に、なっていく。


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マイケル・ジャクソンの夢

天使の歌声を、お金に換えていく。
そんな大人たちに囲まれていたマイケル・ジャクソン。

期待に応える少年を演じながら、心の中に壁をつくった。
本当の自分を守るために。

カリフォルニア州サンタバーバラの「ネバーランド」。
そこは、マイケルの「砦」だった。

そこに素顔のマイケルがいた。
動物たちと戯れ、子供たちと遊ぶ。

マイケルの心の中は、「大人立ち入り禁止」だった。

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マイケル・ジャクソンの最期

天才といわれたエンターテイナーは、
自分の人生のラストを創りこめなかった。

ロンドンでのファイナル公演は、もうすぐだった。
マイケル・ジャクソンの人生の幕は、突然おろされた。

同時代を生きたマドンナはこう追悼した。

世界は偉大な人を失ったが、彼の音楽は永遠に生き続けます

映画監督のスティーブン・スピルバーグもこう語る。

マイケル・ジャクソンに匹敵する人はもう2度と現れないだろう。
彼の才能、驚き、ミステリーがマイケルを伝説にする

そして、最愛の音楽プロデューサー、
クインシー・ジョーンズはこうコメントした。

私は今日、弟をなくした。
私の心の一部も、彼と一緒になくなった


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八木田杏子 09年5月23日放送

13

スコット・フィッツジェラルド

ヘミングウェイに比べたら、
自分はテクニックを心得ただけの
文学的娼婦にすぎない。

スコット・フィッツジェラルドは、
生涯、そのコンプレックスにつきまとわれていた。

妻の浮気を放っておいてまで、
執筆にのめりこんだ「グレート・ギャッツビー」。

フィッツジェラルドの死後、
それは文学史に残る傑作となり、
ヘミングウェイよりも高く評価された。

死ぬまでぬぐえなかったコンプレックスは、
そもそも存在しないものだった。






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ガリレオ・ガリレイ

世の中をひっくりかえすような真実は、
こっそりと伝えなくてはならない。

ガリレオは、身をもってそれを知っていた。
それでも地球は動いている。
その言葉を、回りくどく、ときには誤魔化しながら、伝えた。

ふたたび裁判にかけられたとき、彼はあっさり地動説を捨てる。
死刑をまぬがれた彼は、74歳まで執筆と発明をつづけた。

小さなプライドを捨てられる人だけが、
大きな真実を追究できる。

3

ジョン・F・ケネディ

不況が続くと、人は足元ばかり見るようになる。
ちょっとでも躓きそうになると、立ち止まるようになる。

うつむいている国民にむかって、
ケネディ大統領は、ある発表をした。

10年以内に、月に人類を送り、月の石を持ち帰る。

誰もが、思わず、顔を上げた。
見慣れたはずの月なのに、石ころまで輝いて見えた。

1969年7月20日。
月面、静かの海に人類は降り立つ。
ケネディの話が現実になったとき、
もう、うつむいている人はいなかった。

たとえ足元の石につまずいても。
月の石を目指していたから、前に進んで行けたのだ。

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古田組・八木田杏子

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09年5月参加決定

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