蛭田瑞穂

星合摩美 20年7月12日放送


想回家的
涼をたのしむ 金魚

ゆらゆらと涼しげに泳ぐ、金魚。
ルーツは1700年前、中国で突然変異した、
赤いフナだと言われている。

日本では、江戸時代から養殖が盛んになり、
金魚売りや金魚すくいが、夏の風物詩となった。

当時は、桶や鉢の中で育てたので、
上から見て美しい姿へと、様々な品種改良がなされた。
背びれのない「らんちゅう」は、その代表だ。

金魚の赤い色は「病魔を遠ざける」と言われている。
この夏の不安も、暑さと共に吹き飛ばしてくれるかもしれない。

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星合摩美 20年7月12日放送



涼をたのしむ 風鈴

チリーンチリーン。
涼しげな風鈴の音色に、すーっと暑さが引くように思える。
実はこれ、単なる気のせいではない。

20~60代の男女数人を対象に、
蒸し暑い部屋で、風鈴の音を聞かせたところ、
実際に皮膚温度が2、3度下がった、という実験がある。

ただし結果は、日本で生まれ育った人に限ったこと。
風鈴を知らない人には、同じ現象は起こらないという。

風鈴が運ぶ涼しさは、思い出から届くのかもしれない。

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森由里佳 20年7月12日放送


nakimusi
涼をたのしむ 打ち水

暑い夏、アスファルトからたちのぼる熱気を鎮めるかのように、
優雅に動く柄杓ときらめく水しぶき。

パシャッ、パシャッと小気味いい音を立てて撒かれる”打ち水”は、
客人を茶室に招き入れる前、地面を清めるために行ったという、
茶の湯の文化が起源だそうだ。

家族や道行く人が、すこしでも涼やかに過ごせるように。

人に水がかからぬよう、手際よく打たれるそのきらめきは、
打つ人の心配りをそのまま映し出す。

うだるような暑さでも、心にすうっと涼しい風が吹く。
打ち水の効果は、そんなところにもあるようだ。

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森由里佳 20年7月12日放送



涼をたのしむ 水うちわ

透明なうちわがあるのをご存じだろうか。
骨が透けて見えるほどうすい和紙がはられ、
破れぬようにニスが塗られたこの美しい扇は、水うちわと呼ばれている。

うちわを水にひたしてから扇ぎ、その気化熱で涼む、明治時代のアイデアだ。

アイデアの故郷は、岐阜県。長良川が流れる水の街だ。
人々は、舟遊びの際に川の水に浸しては扇ぎ、涼をとっていたのだという。

一時は継承者が途絶えた水うちわ。
しかし、最近になって復刻し、今では毎年完売するほどの人気だそうだ。
電気も電波もない時代。
そのアイデアは、いつの時代にもやさしくフィットする。

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蛭田瑞穂 20年6月14日放送


snardxpop
危機一髪  任天堂

1980年、任天堂のアメリカ進出は最初からつまずいた。
開発したアーケードゲームがヒットせず、大量の在庫を抱えた。

在庫を解消するため、新たなゲーム開発を命ぜられたのが
当時28歳の工業デザイナー宮本茂だった。

宮本はマリオが初めて登場するゲーム「ドンキーコング」を開発。
インベーダーゲームが主流の当時、
恋人をさらったゴリラを追いかけるという
ストーリー性のあるゲームは革新的だった。

ドンキーコングは大ヒットを記録。
数百億円を稼ぎ出し、任天堂を窮地から救った。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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蛭田瑞穂 20年6月14日放送



危機一髪  エルメス

ファッションブランドのエルメスは1837年に馬具工房として誕生した。

しかし、その後、交通手段が馬から自動車へと移り変わると、
馬具の需要も減り始める。

多くの馬具工房が廃業する中、
3代目社長のエミール=モーリス・エルメスは新たな事業に乗り出す。
当時発明されたばかりのファスナーに、
馬具づくりで培った革製品の技術を掛け合わせ、
バッグや財布の製造を始めた。

エルメスの新たな革製品は瞬く間に女性たちの目を奪い、
その成功がこんにちのエルメスを築き上げた。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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佐藤日登美 20年6月14日放送



危機一髪  愛知ドビー

名古屋の老舗鋳造メーカー、愛知ドビー。
いわゆる町工場として大企業の下請けを担っていたが、
時代が変わり、ピンチに陥った。
そこで下請けから脱するために目をつけたのが鋳物ホーロー鍋。

鋳造技術と精密加工技術を発揮できると製品の開発に
三年もかかったが、
素材のうまみを引き出し、最高の一品を作る鍋。
「バーミキュラ」が完成。

いまや大人気となった鍋は、
どっしりとした風貌でおうち時間をおいしくしてくれる。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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佐藤日登美 20年6月14日放送



危機一髪  龍角散

明治4年から続くのど薬メーカー、龍角散。
藤井隆太が8代目社長に就任したとき、
会社は倒産秒読みの段階だったという。

役員たちが新たなプロジェクトを立ち上げようとするなかで、藤井は決断する。
のど関係の商品だけに力を注ぐことを決断。
猛反対にあいながらも、45年続いた類似商品を廃止し、
龍角散の顆粒タイプやのど飴を発表。
めまぐるしいV字回復をなし遂げた。

危機に面したとき、藤井は
「自分たちにしかできないことは何か」を考え続けた。
古臭いと思われているけれど、いいところもたくさんある。
彼は、龍角散と、それを選んでくれるお客さんのことを信じていた。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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森由里佳 20年6月14日放送



危機一髪  上羽絵惣(うえばえそう)の仕事

1751年からつづく、上羽絵惣。
日本画に使う顔料の胡粉をあつかう京都の老舗だ。

10代目を継いだのは、石田結実さん。
実は、家業を継ぐと同時に多額の借金も引き継いでいた。
廃業も頭をよぎったが、職人たちの背中を見て心機一転。
胡粉の持つ1200色もの和の色をいかした、胡粉ネイルを売り出した。
日本ならではの美しいカラーをそろえた胡粉ネイルは瞬く間に大人気。

上羽絵惣の仕事は、絵具屋ではなく、世の中に色を提案する仕事。
そう捉え直したことで、彼女の世界は鮮やかに色づいたのだ。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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森由里佳 20年6月14日放送


Rollofunk
危機一髪  21代目の苦戦

1625年創業の、埼玉のとある造り酒屋は、
昭和になってから、ウイスキー造りも始めていた。

しかし、21代目が家業を継いで間もなく、
経営は危機に直面する。蒸溜所は売却され、
20年物の原酒およそ400樽を破棄しなければならない状況にまで陥った。
21代目は奔走して樽を守り抜き、新たに蒸留所を設立する。

その名は秩父蒸溜所。
今や日本が世界に誇るシングルモルトウイスキー
イチローズモルトを生み出す新進気鋭の造り手だ。

肥土伊知郎社長の夢は、
秩父蒸溜所で造った30年物を飲むこと。
つまり、それまで事業を存続させること。

秩父の樽には今も、肥土の決意が眠っている。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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