堀井沙也佳 20年8月29日放送



麻雀というもの

麻雀というゲームが生まれたのは、1860年頃だと言われている。

当時、中国は太平天国の乱の真っ只中。
清王朝を倒さんと全国各地から集まった人々が、
戦いの合間に、様々なゲームを融合、発展させ、
その原型が形作られたという。

そこで生まれたルールを整理し、広めたのが、
王朝側の人間だった陳魚門(チェンユイメン)という人物。
彼は麻雀と名付けたその嗜みを外交手段に使い、
イギリスを味方に付けることに成功。
見事、太平天国の乱の制圧を成し遂げた。

戦いの中で生まれ、戦いを終わらせたボードゲーム。
それが、現代に伝わる近代麻雀である。

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川田琢磨 20年8月29日放送


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麻雀というもの

麻雀の生みの親と言われる、陳魚門(チェンユイメン)。
彼の出身地である中国南部の寧波(ニンポー)には、
麻将(マージャン)起源地陳列館が、2001年に設立された。

この設立にあたって、全面的に協力したのが、
千葉県いすみ市にあった麻雀博物館。
竹書房の創業者である野口恭一郎氏が私財を投じて作った、
世界初の麻雀ミュージアムだ。

日本の麻雀博物館は、残念ながら2017年に閉館してしまったが、
その収蔵品の一部は、麻将起源地陳列館で
今も大切に展示されている。

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堀井沙也佳 20年8月29日放送


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麻雀というもの

麻雀を日本で最初に紹介したのは、
夏目漱石だった。

彼が中国を旅した際の見聞記「滿韓ところどころ」には、こう記されている。

厚みも大きさも将棋の飛車角くらいに当たる札を
五六十枚程四人で分けて、
それを色々に並べ替えて勝負を決していた。

当時、このコラムは新聞に掲載され、多くの人の目に触れた。
だが、あまり麻雀は流行らなかったようだ。

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川田琢磨 20年8月29日放送



麻雀というもの

清朝末期の女帝、西太后(せいたいこう)。
彼女は大の麻雀好きだった。
そして、大の負けず嫌いだった。

その結果、宮廷では地獄のような接待麻雀が
連日開催されることとなる。

図らずも、西太后に勝ってしまった不届き者は、
力の限り、床に頭を打ち付けながら謝罪しなければ打ち首。
ワザと負けるようにイカサマを打った者も打ち首。

そこで使われていた麻雀牌は、
様々な宝石があしらわれた超国宝級の代物で
世界一高価な麻雀牌と言われている。

しかし、現在は行方不明となってしまった。

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川田琢磨 20年8月29日放送



麻雀というもの

中国で生まれた麻雀を世界へ広めたのは、アメリカ人だった。
日本の麻雀のルールも、半分はアメリカ式だと言われている。
そう、麻雀とは、広がった先々で、独自の発展を遂げているゲームなのだ。

アメリカの麻雀には、
ゲームを始める前に、いらない牌を隣の人と交換する
チャールストンというルールがある。
さらに、ジョーカーが存在する。
そして、役が毎年変わるので、
その度にルールブックを購入しなければならない。

一方、日本では当たり前のリーチやドラは、
海外ではローカルルール扱い。
日本式と呼ばれる、独自のルールだ。

古い遊びと思われがちな麻雀だが、
実は、まだまだ進化中のボードゲームなのである。

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山本貴宏 20年8月23日放送


Miyuki Kobayashi
水で涼をとる日本

本格的な夏がやってきた。
江戸時代の日本人は、水を活かして涼を呼んだ。
当時、庶民の間でも親しまれていたのは打ち水。
玄関先や道に水を撒くことで、涼しい風を室内に呼び込んでいた。
これは、客を招くときに気持ちよく入ってきて欲しいという
おもてなしの意味を込めて、礼儀作法として行われていたそうだ。
室内ではたっぷりの水が入った鉢の中で悠々と泳ぐ金魚を鑑賞したりと、
水に囲まれて過ごしていた江戸時代の日本人。
自然の風や水を意識的に感じてみると、
現在の巣篭もり生活にも時代を超えて涼が吹き込まれる。

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山本貴宏 20年8月23日放送



伝統芸能で涼をとる日本

江戸には、夏特有の歌舞伎演目があった。
通常の歌舞伎では、雨はパラパラという音で表現されるが、
舞台に実際の水で雨を降らせたり、
井戸からくんだ水を役者が実際にかぶったりする
本水(ほんみず)と呼ばれる趣向があった。
歌舞伎『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』もそのひとつ。
最大の山場は、主人公団七(だんしち)が
息子の恋人を連れ出そうとした義理の父を殺してしまうシーン。
舞台に本当の泥場をつくり、二人は泥だらけになる。
ついにとどめを刺した団七は、血や泥を洗い流すために井戸の水で洗うが、
このときに本水が使われ、演者は何度も井戸から組んだ水を頭からかぶる。
今でもなお、夏祭浪花鑑では前列の客席にブルーシートが配られ、
本当の水を使用している。

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山本貴宏 20年8月23日放送


Ramon Peco
閉めて涼をとるヨーロッパ

スペインやイタリアなども夏の暑さは厳しいものがあるが、
実はクーラーのない家が珍しくない。
そして、昼間にも関わらず薄暗い。
彼らの暑さ対策が、なんと「扉や窓を閉めきる」ことだからだ。
ドアを閉め、窓の木製の雨戸を閉めきると、部屋が薄暗くなる。

これは湿度が低いからこそ効果が出るヨーロッパ独自の技なのだ。
暑い昼が過ぎると涼しい夜がやってくる地域のため、
日中は夜の涼しさを少しでも逃がさないよう、窓を閉める。
昼間の太陽光を完全にシャットアウト。
そうして薄暗くなった部屋でシェスタ(昼寝)する。
それが、スペイン・イタリア流の真夏の過ごし方。
シェスタ(昼寝)に関しては、日本人も真似るべき習慣なのかもしれない。

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山本貴宏 20年8月23日放送


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遮り涼をとる日本

日本の伝統的な家屋には、庇(ひさし)や簾がある。
庇は真夏の高い太陽光を遮るにはうってつけだ。
ただ、庇によっては、西日など低い位置から差し込む太陽光は防げないこともある。
そこで、庇や軒に垂らして日光を遮るとともに、
竹の隙間からの風を呼び込む簾が誕生した。
竹は高級であったため貴族の間で主に流通したが、
霧吹きで水をかければ、風が吹くたびに気化熱で涼しくなったり
網を設置してヘチマやゴーヤなどを育てるグリーンカーテンを作るなどの工夫は
庶民の手に簾が渡ることで生まれたそうな。
物の価値をさらに広げるのは、今も昔も庶民である。

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山本貴宏 20年8月23日放送


komehachi888
氷で涼をとる日本

夏本番、一時の涼をとるのに氷は欠かせない。
グラスにいっぱいの氷をカランと入れ、飲み物を注いでのむ。
クラッシュアイスを口に含めば、体を直接冷やしてくれる。
気温を氷点下まで下げる技術のなかった平安時代では
冬場にできた氷を穴などに入れて、
上から茅(かや)をかぶせる「氷室」で保存した。
氷室は近江や山城などに造られ、夏になると氷を宮中に運ぶ。
清少納言の「枕草子」に「上品なもの」としてかき氷の原型が登場している。
夏の氷は当然ながら庶民に行き渡るものではなかったが、
彼女が後世に伝えたかった夏の贅沢を今では簡単に味わえる。

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