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小宮由美子 12年12月22日放送



クリスマス夜話 子規

 真砂(まさご)なす数なき星のその中に
 吾(われ)に向かいて光る星あり

明治を代表する歌人・正岡子規。
34年の生涯のうち
晩年のおよそ7年を病床に臥しながら、
後世に残る多くの歌を詠んだ。
「砂のように無数に散りばめられた星々。
その中に、私に向かって光っている星がある」

美しい包装紙に包まれた、高価な贈り物を手にしなくても
私たちには多くのものが与えられているのだと気づく、
そんな冬の夜。

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小宮由美子 12年12月22日放送



クリスマス夜話 セント・ニコラウス

もしも、あなたの手元に大金が舞い込んできたら、
どう使う?

あるトルコの青年は、資産家の両親から受け継いだ
莫大な遺産を人のために使った。
貧しい靴屋の3人の子どものために、匿名で窓からお金を
投げ入れたことは特に有名で、彼のそのおこないが
「親が子どもにそっとプレゼントを贈る」という
クリスマス独特の習慣を生んだといわれている。

彼の名は、セント・ニコラウス。
「サンタクロース」とは、彼の名が訛った英語である。

あなたの手元に大金が舞い込んできたら、どう使う?

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小宮由美子 12年12月22日放送


Chris Devers
クリスマス夜話 スヌーピーの仲間たち

しょっちゅう言い争いをしている
ルーシーとライナスが、またケンカをしている。
見かねたチャーリー・ブラウンは言った。
「君たち、毎日ケンカするのはよくないよ」
「この時期にケンカや口論をしたら、サンタクロースが
どう思うかがわからないのかい?」

これを聞いたルーシーとライナスはしばし見つめ合い、
「可愛い弟!」「大好きなお姉ちゃん!」と互いを抱きしめ合った。
だが、チャーリーはなんだか腹立たしい。
「君たちは偽善者だ!そんなことでサンタをだませると
本気で思っているのかい?」
ルーシーは強気に、こう返した。
「だませるわよ。こっちは頭の鋭い子どもがふたりなのよ。
でも、あちらはただの老人がひとりじゃないの!」

スヌーピーとその仲間たちの漫画『ピーナッツ』より。

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小宮由美子 12年12月22日放送


Kristina_Servant
クリスマス夜話 子どもたち

本来なら、プレゼントを期待するクリスマスに
「どんなプレゼントをあげようか」と考える子ども達がいる。

アメリカのとある教会では、子どもはサンタクロースから
プレゼントをもらうばかりでなく、
他の子どもに贈るプレゼントを、ひとりひとり
サンタクロースに託すのだという。
「これをあげたら、どんな顔をして喜ぶだろうか」
相手を思いながらプレゼントを選ぶよろこびを、
クリスマスを通して子ども達は知る。

 「受けるより、与えるほうが幸いである」

新約聖書の一節である。

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小宮由美子 12年12月22日放送


Kerem Tapani
クリスマス夜話 日本で初めてのクリスマスツリー

1860年。時は、江戸時代末期。
プロイセン王国から派遣されていた公使オイレンブルクは、
日本にいながらにしてクリスマスを祝う方法を考えていた。

日本では、木を一本切り倒すのも難しい。しかし
当時、すでにプロイセンの上流階級ではクリスマスを盛大に祝う
習慣があったため、オイレンブルクはあきらめきれない。
四方に馬を飛ばし、ありとあらゆる植木屋を探して、
やっとすばらしい一本を見つけだした。

天井まで届くほどの立派なもみの木に、
オレンジや梨をぶら下げ、華やかな紙を巻きつける。
付けられるだけ付けたという、砂糖菓子や蝋燭に混じって
飾られたのは、杉や竹や、椿の木。
オイレンブルクがこだわった末に出来上がった、和洋折衷のツリー。 
これが、日本で初めてのクリスマスツリー、と言われている。

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小宮由美子 12年12月22日放送



クリスマス夜話 テストにまつわる小咄

クリスマスを前にした試験で、
学生が答案用紙に、ひとことだけ書いた。

「この問題のすべての答えは、神だけがご存知です。
メリー・クリスマス」

答案用紙には、教師からの返事があった。
「神はアルファ。君はオメガ。新年おめでとう!」

アルファは「未知」を、オメガは「ビリ」を意味するらしい。

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小宮由美子 12年12月22日放送



クリスマス夜話 クリストキント

南ドイツ・ニュルンベルグで開かれるクリスマスマーケットは、
ドイツで最も有名といわれるにぎやかさ。
そして、マーケットを象徴する存在が、クリストキント。
「幼な子キリスト」に扮した金髪の巻き毛の女の子だ。

クリストキントは登場した1933年ごろは女優が演じていたが、
1970年以降、市民の中から選ばれるようになった。
応募資格は、ニュルンベルクに生まれたか、もしくは長く住んでいること。
16歳から19歳で、身長160cm以上。

様々な審査を経て、最終選考に残った6名ほどが地元の新聞に掲載され、
市民の投票によって、最終的に1名が選ばれる。
任期は2年。クリスマス時期以外にも、サイン会や写真会、
孤児院や病院、ホームレス施設を巡るなど大忙し。
学生であれば休学してこの任期をこなすことになる。
大変ですね、と声をかけられたクリストキントはこう答えたという。

 「私はクリストキントですから」

お金をもらって演じている、というのではなく、
「クリストキント」という存在になりきる。
すべての人を歓迎し、微笑みで心をうるおす。その姿が
ドイツ中の女の子たちの憧れとなり、また、
次のクリストキントを生み続けている。

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小宮由美子 12年12月22日放送


Eigenes Werk
クリスマス夜話 ケストナー

 「ドレスデンに生まれた幸運の賜物である。
 何が美しいかを、わたしは書物によって初めて学ぶにおよばなかった」

児童文学の作家、エーリッヒ・ケストナーは、
戦前のドイツ・ドレスデンの街がいかに美しかったかをこう回想している。

その後、ドレスデンは第2次大戦によって徹底的に破壊されたが、
人々は立ち上がり、街の歴史と伝統を復活させた。
そのひとつが、1434年から続いてきた
ドイツ最古といわれるクリスマスマーケット。
この冬も、ケストナーが讃えた街の輝きにひきつけられて、
世界中の人々がドレスデンを訪れている。

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小宮由美子 12年4月14日放送


qthomasbower
母は教えてくれる① レディ・ガガの母

レディ・ガガがティーンエイジャーだった頃。
周囲から受け入れられずにいじめにあっていたとき、
その個性を肯定し、勇気づけたのは母だった。

子どもの頃 ママはこう言った
「誰もがみんな、生まれたときからスーパースターなのよ」
鏡の前で私の髪を巻いて、口紅を塗ってくれて、こうも言った。
「ありのままの自分を愛しなさい。
神様はあなたを完璧に創った。だから前を向いて、進むのよ」

(『Born This Way』歌詞)

レディ・ガガを支えた母の言葉。
それが、娘であるレディ・ガガのメッセージになり、
今、世界中の、さまざまな人たちの心に響いている。



母は教えてくれる② エジソンの母

父親は彼を、出来の悪い息子だと決め込んだ。
小学校の校長は、彼をおかしな子どもだと言った。
母親だけが、そんな周囲の決めつけを拒んだ。
彼女は息子の風変わりな個性をみとめて、
その個性をさらに伸ばそうと務めた。
そして、息子は努力をした。
「天才とは、99%の努力と、1%のインスピレーション」
という言葉を残すほどに。
彼の名は、発明家トーマス・アルバ・エジソン。

エジソンは、後年になって、
「私をつくりあげたのは、母だった」と回想している。
「(かつて私は)自分が母にとって価値ある人間であることを知り、
 その信頼が間違いではないことを示そうと決心したのだ」



母は教えてくれる③ 小椋冬美の描く母

漫画家・小椋冬美の作品に登場する
炒り卵と紅生姜が入ったおにぎり。

それは、小椋が小さい頃に、
母親が実際に作って食べさせてくれたおにぎりだった。
「具としては変わっていたけど、おいしかった」
あとがきに小椋が書いている。

レストランでは食べられない、お店でも売っていない、
そんな母の味は、いつまでも恋しい。



母は教えてくれる④ ぺネロペ・クルスの母

スペインの女優、ぺネロペ・クルスが
演技に興味を持つようになったきっかけは、母親の仕事にあった。
ぺネロペは学校から帰ると、母の経営する美容室で時間を過ごした。
「変身したい、自分の理想像に近づきたい、そう思って
やってくる女性たち」。「そのほとんどが何かしらの役を
演じている」
ように幼いぺネロペには見えた。
子どものこと。親のこと。結婚。離婚。浮気。不安。
彼女たちがさまざまなことについて語り合い、秘密を共有しあうのを、
ぺネロペは精一杯の注意を向けて観察していた。
宿題をするふりをしながら。

母をとおして見える世界が、娘を、役者の道へと駆り立てた。
ぺネロペは言う。
「この母親の美容室こそが、私にとって最高の演劇学校だった」



母は教えてくれる⑤ 白洲正子

日本がアメリカ軍に占領されていた時代。
あるアメリカ人将校の家のパーティーに白洲桂子は
母・白洲正子とともに招かれた。
まわりの雰囲気に圧倒される桂子をよそに、
異国の人々に溶け込み、楽しそうに談笑する英語堪能な正子。

やがて、子どもたちにプレゼントが配られ、
桂子は見た事もない美しい人形をもらった。だが
突然、金髪の青い目の少女が何か言いながら人形をひったくり、
桂子に違う包みを押し付けた。包みの中には、猫の人形。
あの人形のほうがよかったのに。
桂子は助けをもとめる視線を送ったが、母・正子は気づかない。

家に帰り、娘が泣きながら話すのを聞いて、
白洲正子は慰めるどころか、怒り狂った。
「自分が欲しいと思ったら絶対に手放してはいけない。
なぜ取り返してこなかった、それはお前が悪い」

英語でわからなかった、と娘が言うと、
「日本語や英語の問題ではない、意志の弱さが問題だ」とも。

桂子は、今でも家に飾っている猫の人形を見るたびに、見た事もない
怖い顔をして怒った母・正子を思い出し、その教えを噛み締める。
「自分が手に入れたい物は天から降っては来ないのだ」と。


ari_taka
母は教えてくれる⑥ 舟越保武

「私は幼いときに母を亡くしているので、母の顔を覚えていない。
近頃になって、しきりに母の面影を追い求めていることに
気がつき出した。年をとったせいだろう」

彫刻家・舟越保武は、晩年、聖女の像をよく彫った。
優しく、若く、美しい。
夢の中で見る母が、創作の源になった。

そばにいても、そばにいなくとも、
人が生まれ、還っていく場所。とくべつな存在であり続ける、「母」。


かずっち
母は教えてくれる⑦ 夏目雅子の母

「あなたは何様じゃないんだから(仕事には)電車で通いなさい」

すでに女優として有名だった夏目雅子に、母はそう言った。
そして、夏目雅子はその一言をずっと守り続けた。

「電車の中で見かける人たちの話や仕草が
仕事でとても役に立った。ママ、ありがとう」

のちに、雅子はそう言った。
母は子どもに教えてくれる。いつも、たくさんのことを。


Spicks & Specks
母は教えてくれる⑧ クルム伊達公子の母

テニスプレーヤー、クルム伊達公子。
子どもの頃、試合を応援に来てくれた母を気が散るからと、
試合前に追い返したことがあった。母はそれでも娘を責めることなく、
むしろ気遣って、その気持ちを理解した。
自己主張も負けん気もしかたない。それでこそ世界を目指せると。

「母と私はよく似ている。タフで、行動力があって、負けず嫌い」
伊達自身がそう形容する母は、今でも欠かさず、
復活した伊達の試合を応援に来る。
その母を、もう昔のように追い返すことはない。
家族に感謝し、胸を張って、今の姿を見てもらえる自信があるから。
そう、伊達は言う。

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小宮由美子 11年12月24日放送


sofafort
クリスマス・イヴの出来事  FM放送のはじまり

1957年、
世界初の人工衛星スプートニック1号の打ち上げに湧いた年。

東京の鉄塔から、まあたらしい電波が発信された。

JOAK-FMX

アンテナはテレビと共用。
放送時間は2時間。
音楽と人の声に希望を託したFM放送の幕開けは、
12月24日午後7時。
クリスマス・イヴのことだった。


Bundesarchiv
クリスマス・イヴの出来事  きよしこの夜

1942年の12月24日。
第二次世界大戦の戦地・スターリングラードで
窮地に立たされていたドイツ軍の陣地に『きよしこの夜』が響いていた。
ラジオから流れるその美しい旋律は、
命を賭して戦う兵士たちにとって束の間の休息となり、
ドイツ軍を包囲していたソ連軍の兵士たちも、
この日、攻撃を仕掛けることはなかった。

同じく戦地・ドレスデンでは、クリスマス当日は休戦となり、
ドイツ軍とイギリス軍の兵士が、エルベ川を挟んだまま
ともに『きよしこの夜』を歌ったという逸話が残る。

2011年12月24日。
今夜、世界中に響き渡る『きよしこの夜』は
だれの心を癒しているだろう。


ceronne
クリスマス・イヴの出来事  ラ・ボエーム

舞台はパリのカルチエ・ラタン。
貧しい屋根裏部屋で暮らす詩人・ロドルフォとボヘミアンの仲間たちは、
未払いの家賃の催促にやってきた家主を体よく追い出し、気勢を上げる。
カフェへ繰り出そう。今夜はクリスマス・イヴなのだから
そこへ、カンテラに灯す火を借りにあらわれたお針子のミミ。
美しい彼女を見初めて、ロドルフォは語りかける。

私は詩人
何をしているかって? 書いているんです
どう生活しているのかって? 生きているんです
楽しい貧乏の中で 愛と詩と歌を
王のように惜しみなく費やします(後略)

プッチーニの歌劇『ラ・ボエーム』の恋人たちは、イヴに出会った。
だから、運命の相手を探す人よ、
心を眠らせてしまっては、つまらない。
今夜は、奇跡が起きてもおかしくはない特別な夜なのだから。


janwillemsen
クリスマス・イヴの出来事  森鴎外

飾りつけをしたツリーの蝋燭に火を灯し、
大きなテーブルにプレゼントを並べる。
子どもが詩を暗唱し、
その後、家族そろってプレゼントの交換をする。

1888年12月24日。
ベルリンに留学中だった森鴎外は、ライプチヒに暮らすフォーゲル一家の
クリスマスの晩餐に招かれ、その時の様子を
『獨逸(ドイツ)日記』の中に詳しく書き残した。

19世紀のヨーロッパの、市民の典型的なクリスマスを体験した鴎外。
今よりもずっと遠い場所だった異国の地で、温かい家族の夕べに混ざりながら
鴎外の胸をよぎったのはどんな想いだったのだろう。

晩餐の響あり。

鴎外の、その日の日記を締めくくる言葉だ。



クリスマス・イヴの出来事  父親たちの仕事

南ドイツやオーストリアでは、子どもたちにクリスマスプレゼントを
届けるのは<幼児キリスト>を意味するクリストキント。
クリストキントは、人に見られないように細心の注意を払っているため、
姿は見えない。そのかわり、おともの天使が手にベルを持っているので
クリストキントの一行が来ると、微かにベルの音がするという。

だから、クリスマス・イヴの父親たち仕事は
こんなふうに子どもに語りかけること。
おや、玄関にこんな髪の毛が落ちていたけれど、
 これは、天使の髪の毛じゃないのかな

すると、子どもたちはクリストキントが来たことを察して
ツリーの飾ってある部屋に駆け込み、プレゼントを見つける。

大人になった子どもたちは「昔は、父親が玄関から拾ってきた金髪を
本当に天使の髪の毛だと思っていた」と懐かしそうに語る。

金髪の知り合いがいない父親のために、最近では
「天使の髪の毛」というグラスファイバーの毛も売られている。


Reckon
クリスマス・イヴの出来事  三船敏郎

俳優・三船敏郎が、アメリカのホテルに滞在した時のこと。
ある朝、同行していたひとりの脚本家が三船の部屋に入ると
テーブルにはずらりと並んだウイスキーの空き瓶、散乱する煙草の吸い殻。
三船と映画製作者たちの酒宴が真夜中過ぎまで続いたらしい痕跡に
目をやりながら、隣の部屋を覗いた脚本家は、ギョッと足を止めた。

三船敏郎が流しに立ち、グラスを洗っていた。
脚本家に気づくと、睡眠不足の血走った目で照れ臭そうに見返して、
だが、手は一瞬も休むことなく、山のようなグラスを洗い続けた。

放っておけば、後始末はホテルの従業員がやってくれる。
だが、三船にはそれができない。
目に触れる汚いもの、不潔なものを彼は見過ごすことができない。

一本気で、豪放磊落(ごうほうらいらく)。数々の武勇伝を残す一方で
見せる、極端なまでの潔癖さと、生真面目さ。
胸のうちに常軌を逸した振り幅を持つのが三船であり、その繊細なバランスの上に、俳優・三船の放つ力強い輝きがあるのだと脚本家は悟った。

世界の映画史に輝き続ける俳優・三船敏郎は、
1997年12月24日にこの世を去った。



クリスマス・イヴの出来事   星新一のショートショート

クリスマス・イヴの夜遅く。
家の主は、物音で目を覚ました。そっと起き上がり
懐中電灯と猟銃を手に、暗闇に動く人影に言った。「おまえはだれだ」
サンタクロースです
赤服に赤頭巾、白ひげに長靴を履いた初老の男を、主は警察へ突き出した。

警官は言った。「名前と住所を答えろ」
サンタクロースです
真面目な顔で答えた男を、警官は病院へ送り込んだ。

精神科の医者はたずねた。「ところで、あなたはいつ頃から、
自分がサンタクロースだと思うようになったんですか」
もの心がついた時からですよ
そう答えた男に医者は言った。「これは重症のようだ」
手荒い治療をしようとした医者の目を盗み、サンタクロースは逃げ出した。
さあ、早いところ帰ろう。こんな世の中になっては、
どうしようもない。プレゼントなど、くばる気になんかなるものか

これは、小説『クリスマスイブの出来事』のあらすじ。
ショートショートの神様と呼ばれた作家・星新一によるれっきとした
フィクションなのだが、現実の世界に起こっても不思議ではないような話。
今夜、本物のサンタクロースがこんな目に合っていないといいのだが。

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